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【あの日、あの時の次官レース】 16年1月時点の財務省次官レースの様相を振り返る

  

16年1月に発売された『財務省の闇』より抜粋・引用した内容です。

この16年1月時点での次官レースの様相と今回の人事を比較すると色々と見えてくるものがあるのではないでしょうか。

 

例えば昭和60年組。今回、官房長となった矢野康治氏の名は一切出てきません。むしろ次官レースをリードしているのは可部氏であり、同期にライバルは見当たらず、一年後輩の茶谷氏がライバルとの見方が大勢を占めていたとか。

 

では、この1年ちょっとの間に矢野康治氏は何か結果を残したのでしょうか。

否、特に何も残していないというのが実体では?

 

ここから導き出される仮説としては個人的には現時点では以下のようなものを思い浮かべています。

①可部潰し説

改めて『財務省の闇』に掲載されている可部氏の経歴を見るにつけ、感じることとしては、やはり政治色が強すぎるということでしょう。

明確な根拠はありませんが、もしかしたら、可部氏自身も退官後は政界進出を狙おうという野心を抱いているやもしれません。

 

となると、一見、統括審議官という主要ポストを担う事になり、次官の座に近づいたかに見えて、実は矢野氏あるいは、主計局次長筆頭となった茶谷氏に追い抜かされて、財務官ポストで終わるということもあり得るのではないでしょうか。

 

最近、岸田派は可部氏の統括審議官就任と申し合わせたかのように増長してますが、後発優位の法則を知らないがための空騒ぎという結果になるかも。

 

②太田潰し説

もう一つ、可能性としてあり得るのでは?と思うフシがあるのは、岡本主計局長の同期である、太田充氏潰し説。

昨年、太田充統括審議官の下の総政課には、将来のエース級候補が次々と投入されましたが、まるで頭と胴体を切り離すが如く、太田氏のみ理財局へ転出。

今後の中堅・若手の人事次第ですが、もし総政課のメンバーが変わらないようであれば、新たに統括審議官についた可部氏の省内の影響力は増大するでしょうが、その分、太田氏の影響力が落ちるとも言えます。

 

 

このように今回の人事を俯瞰してみると、なんとなく国際政治における大英帝国の勢力均衡政策を想起させるとも言えます。

(そういえば、岡本主計局長も若手時代は英国王立国際政治経済研究所に赴任してましたね)

 

このように、当時と今の次官レースの様相の移り変わりを比較することで見えてくるものもあるのではないでしょうか。

 

『財務省の闇』 大蔵省入賞者76名の「入省時」と「現在」

 

 

-1982年-

出世レースという視点でざっと見れば、次官に最も近づいている、いやほとんど確定とも言っていいのが岡本薫明官房長だ。ここから先は主計局長→次官というのが定番コースで波乱の要素は見られない。岡本氏は主計局を中心にキャリアを積み、秘書課長、主計局次長と無難に出世。

入省時には、現在とまったく変わらない冷静沈着そうな顔で取材を受けているが、記事になったのは「野球に夢中」という一文だけで、コメントはなし。このときから無駄なことは語らず、目立たずという「大蔵官僚の王道」を体現していたのだろうか。

 

同期の太田充氏(大臣官房総括審議官)も次官の目がなくなったわけではないが、その場合は同期から2人の次官ということになりそうだ。

 

-1984年-

1984年(昭和59年)入省は26人。この年も個性的なメンバーが揃っている。

次官レースで言うと、主計局次長の美並義人氏がリード。また安倍首相の首相秘書官を長く務める中江元哉氏も、最近の人事例からして政治的な混乱に巻き込まれなければ次官の可能性もなくはないとされる。

美並氏は大阪府出身。父は産婦人科医で、大学時代はラグビー同好会に所属し、キャプテンを務めた。

大学前に1年浪人しており、振り出しも関税局から酒税畑とやや傍流気味のスタートだったが、主計局長へのステップである主計局次長に食い込んだ。

 

(中略)

実はこの年次は入省当初から「将来の次官候補」と目された注目株がいた。それが貝塚正彰氏(国税庁長官官房審議官)である。

その理由を本人の入省時コメントから拾ってみよう。

<「父の貝塚敬治郎も東大法卒、大蔵省に入り、最終ポストは日銀政策委員、その後フジタ工業の専務取締役をつとめています。その父は、僕の大蔵省入りを直接はすすめませんでしたが、子供のころから「後悔のない職場だぞ。やりがいのある仕事だ」と繰り返し言っていました。今回の入省でいちばん喜んでくれたのは父でしょう」>

 

(中略)

しかし、この年は貝塚氏ほかに、やはり父が大蔵省OBである垣水純一氏(福岡国税局長)が採用されており、人知れずそこに「コネクション」が働いていることは推認できる。

同じ成績で甲乙つけがたいという人材であれば、やはり「大蔵一家」の結束が優先されるというのは当然だろう。

 

次官が期待された貝塚氏ではあったが、割合早い段階から次官レースのメインストリームから外れ、中国公使から国税庁へ転出している。

 

-1985年-

1985年(昭和60年)入省は26人。

出世レースではまだ混沌とした部分があるが、やはり一歩リードしているのは主計局次長の可部哲生氏であろう。

可部氏の1年後輩には、やはり主計局次長で秘書課長の経験もある茶谷栄治氏(1986年・東大法)が控えており、むしろライバルは同期ではなく茶谷氏であるとの見方もある。

 

可部氏の経歴はあまりにも華麗だ。

父も東大出身で国立大学病院の医長をつとめたエリート。ニューヨーク州弁護士、米国公認会計士の資格を持つ国際派だが、それだけではなく政治家との閨閥もある。

 

可部氏の結婚相手は、元衆議院議員・岸田文武の次女。岸田文武は通産官僚から中小企業庁長官を歴任し、政界に転身。自民党経理局長をつとめるなど当選5回の実力派議員だった。

 

そして岸田文武の長男は、現在の外務大臣である岸田文雄。つまり可部氏にとって岸田外相は義理の兄ということになる。さらに言えば、岸田文武の父・正記も衆院議員。文武の弟・俊介は元大蔵官僚。岸田文武の妹は宮沢喜一・元総理の弟の宮沢弘(元法相)と結婚しており、その息子が現在自民党で税調会長を務める宮沢洋一である。

 

可部氏のサラブレッドぶりは特筆に値するが、あまりに政治色が強いと次官にはなりにくいというジンクスもある。

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