源義経は奥州平泉で生涯を終えたと言われていますが、実は生きていて北海道へ渡ったという伝説があります。みなさんはこの伝説を信じますか?日高地方平取(びらとり)町には義経を祀る義経神社があります。なぜ北海道に義経?義経神社って?さて、伝説の真偽はいかに!?
義経の伝説って?
源義経に関してはさまざまな伝説や言い伝えがあるようです。そのうちの一つが、義経は生き延びて蝦夷地へ渡ったという説。三陸経由で竜飛岬から海を渡り、北海道西岸を経てピラトリ(平取町)にやって来て、地元の人たちに農耕や舟の作り方などを教えた、というストーリーです。
さらに蝦夷地から大陸へ渡り、モンゴルの英雄チンギスハーンになったという説も。ここまで話が広がるともはや都市伝説!?いずれにしても、明確にこの説が正解と言い切れないので「史実」ではなく「伝説」なのでしょうね。
少なくとも、平取町には義経の名を冠する神社があるのは事実。平取町のほかにも奥州平泉より北の各地に、義経にまつわる言い伝えが残っているようです。
義経を祀る義経神社
義経神社は、北海道の中では古くからある神社。1799(寛政11)年、北方調査のため蝦夷地にやって来た近藤重蔵らによって、平取にやって来たと言われている義経の御神体が安置され祀られたのがはじまりです。
義経を祀る神社を作った理由は諸説あるようで断言はできませんが、アイヌ民族が崇拝していた神「オキクルミ」を伝説の英雄だった義経に見立て、アイヌ民族にご神体を祀らせたのではないか、と言われています。ここへ至る経緯や背景についてはさまざまな見解があるようなので、詳細については割愛します。
義経神社のすぐ近くには、アイヌ民族の間で神の聖地とされる「ハヨピラ」という場所があります。神聖な場ということもあり、義経神社がここに作られたのでしょう。神の力なのか偶然なのかはわかりませんが、崖の中腹に置かれていた御神体は洪水で流された時、すぐに発見されて戻ってきたそうですよ。
ちなみに、一部の方々の間で義経神社はパワースポットと称賛されているようですよ。スピリチュアル好きな方なら知っているのでは?
義経さまとともに、お馬さまも神!
義経神社は義経が祀られているとともに、近年は競走馬の神としても崇められています。その理由は2つ。
1:平取町がある日高地方は競走馬の一大産地
2:義経は騎馬武者で、馬を大事にしていたと言われている
1973(昭和48)年頃からは、毎年初午(はつうま)の日に初午祭という伝統行事も行われています。初午の日に祈願をすると願いが叶うと言われていて、競走馬の生産者など関係者が集まるそうです。
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桜を愛でに義経神社
義経神社は桜や紅葉がキレイな場所としても知られています。春になると、桜の名所として有名な静内二十間道路桜並木などを巡るツアーバスが何台も義経神社に立ち寄るほど、人気の場所です。
義経伝説を探りつつ、お花見もいかがですか?
伝説の真偽よりも気持ちが大事!
幾多の戦乱を乗り越えてきた義経がそう簡単に生涯を終えるのか?鎌倉幕府にとって義経が存命していては困るので死んだということに事実を塗り替えたのではないか、という人もいます。
いっぽう、あまりに英雄視されているので、噂に尾ヒレ背ヒレがついて北国へと話が伝わったにすぎず、功績にあやかる物語や地名、史跡ができたのではないか、という人もいます。
みなさんはどう思いますか?
賛否両論ほか諸々ある伝説ですが、義経を祀る神社があるのは事実。宮司の楡田さんは、「義経さんがこの地に来ていたのか来ていなかったのか気になる方が多いのかもしれませんが、神社にお越しの際は、義経さんの御霊や精神性などに思いを致し何かを感じ取ってもらえたら嬉しいです」と言います。
花見や競走馬見学などで日高地方を訪れる時、歴史ロマンを感じに義経神社へ立ち寄ってみませんか?そこで見て感じ思ったことが、きっとあなたにとっての義経伝説だと思います。
取材・写真・文/北海道Likersフォトライター nobuカワシマ
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