あれから数日経つがまだ落としどころが見つからない。
無理に自分を納得させるのをひとまず止めて、彼らを好きになってからずっと何故なのかなあとぼんやり思っていたことについて考えてみた。
それは「どうして関ジャニ∞のメンバーは渋谷すばるをあんなにも大切にしているのか?」という点である。
ど新規且つ箱推しの戯言だとは重々承知。
だが新規だからこそ少々奇異に映ったのだ。彼らのすばる君への愛の重さに。
ヨコさんはバラエティーもシリアスなドラマや映画もスマートにきっちりこなし、その上時空を歪ませているのではと噂される程の美貌の持ち主。
村上君は今や当代きっての若手MC。レギュラー本数の多さは事務所内はおろか芸能界に於いて随一と言っても過言ではない。新人から大御所までを華麗に捌きつつその謙虚で勉強熱心な人柄に共演者はメロメロだ。
丸ちゃんも共演者及びスタッフキラーとしては村上君にひけをとらない。繊細で細やかな気遣いとあのなんとも言えない笑顔に心奪われない人はほとんどいないのではなかろうか。お芝居に向ける情熱もベースにかける努力も魅力的だし本物だ。
ヤス君の引き出しの多さはこれまた尋常ではない。創る曲の完成度の高さ、演奏技術の確かさ、巧みさ、曲の意図を明確に汲んだ歌唱。それらにプラス身を削っての演技力。「俺節」の評価が高かったのはさもありなん。
グループ内で最も知名度が高くその自覚を持った上での振る舞いに、あれこれ言うまでもなくこの人間はスターなんだと納得させる力がある亮ちゃん。何をしても絵になるし黙っていてもただそこにいるだけで光を放つ存在。
抜群のスタイルに麗しのお顔。二枚目は勿論コミカルな演技も達者。舞台でも映える。地道な練習により修得したドラムの演奏技術も高い。何より彼は自己プロデュース能力に長けている。冷徹な程に己の価値を見定めているから見せ方が巧い。
随分と遅れてファンになった目に映る六人は一人一人が恐ろしいほどに輝いていたのだ。
その彼らがなぜあれほどまでにすばる君を崇拝し幼子が宝物を触らせたくないように彼を囲い守り慈しむのか。
確かにすばる君の歌は、声は、明らかに他者と違う。
音楽の素養が無くとも聞けば全てを解らせる力を持っている。圧倒的である。
笑いの才能も非凡だ。
不器用で人見知りと本人も言っているように誤解を受ける事も多かろうが、周囲への愛情深さは半端ではない。
不動のセンターという旗を掲げるに相応しい人物だと思う。
それでも。
数多くではないが今まで見てきたグループは、当然中心になる人間がいても、そうではない一人一人に自我や自負が見え隠れしていた。センターを尊重し憧れてはいても「でもやっぱり自分が!」という意志が見えた。
それが、関ジャニ∞にはなかった。ように自分には見えた。
善し悪しの問題では無いし、異論も反論もあるだろう。
ただいつだって六人はすばる君に無条件降伏なんだなと私には見えていた。
繰り返すがそれが悪いと言っているのではない。
不思議なだけだったのだ。
音楽は無論お笑いも司会もドラマも映画も舞台もラジオもアイドルもすばる君に負けず劣らず語弊はあるが勝ってるところもある彼らがなぜ?
その疑問の答えが今回の件を受けて少しだけわかった。
彼らは「歌うことしかできないすばる君」が誇りだったのだ、と。
すばる君の歌がうまいからじゃあない。
それしかできないすばる君を愛していたんだなあと。
こんな事は先刻ご承知だった方々が大勢いるだろう。
「何を今さら」と思う方も沢山いるだろう。
けれど情けなくも寂しい事に私は今回の件があり、ようやく気づいたのだ。
だからなおいっそう一番すばる君をフラットにいち仕事仲間として見ようと自らに言い聞かせていたであろう大倉君の
「勝手な決断をしたすばる君を嫌いになれなかった」という言葉が胸にせまるのだ。