ピアノやギターを弾きこなすヤマハの中田卓也社長 楽器・音響機器メーカーとして世界のトップを競うヤマハ。現在では全売り上げの約3分の2を海外が占める。だが、中田卓也社長が初めて海外勤務を命じられたのは51歳のとき。しかも、社長の登竜門とされる米国法人社長という重責だった。3年の在任期間で体感した多様な価値観は、社長を務めるうえで貴重な財産になっているという。
■半年かけて幹部全員と英語で面談
――2013年に社長就任する前の3年間は、ヤマハコーポレーションオブアメリカ(YCA)で社長を務めていました。初の海外勤務だったそうですね。
「日本どころか、本社のある浜松から出たのも初めて。国際会議に出ることはあっても、ずっと本社勤務でしたから、相当なカルチャーショックでした。YCAは当時、社員数約400人。うち日本人駐在員は20人弱で、ほとんどが現地採用でした」
「渡米前に片付けなくてはいけない仕事が山積みで、その時は会社で午後11時くらいまで仕事をし、帰ってから毎日、深夜2時ごろまで英語の勉強をしていました。それまでの50年間、英語から逃げてきたので必死です(笑)。例文を通じて2000語くらいの英単語を覚えられる参考書があり、CDを聞きながら、それを丸暗記しました」
――どれくらいの期間、特訓したのですか。
「3カ月間くらいです。社員にもよく言うのですが、語学なんて恐れる必要はない。やらなきゃいけないとなったら、人間、何とかなります。丸暗記した例文の単語を少し入れ替えれば、たいがいのことは話せました」
――着任して、最初にやったことは。
「初の販社勤務でもあり、行ったらまず、通訳なしでできる限り多くの社員と1対1の面談をしようと思っていました。スーパーバイザー以上で、人数は約150人。1人30分間の面談を、1日4人までと決めて始めました」
「YCAには日系人もいれば、東欧やアジアの出身者もいます。たいてい、『名前はどう読むんですか』から会話が始まる。『知ってるか、あいつボートピープルだったんだぜ』なんて、1対1で話さなければわからないことも教えてもらいました。全員を面談するのに半年近くかかりましたが、私も相手のことを知ることができたし、相手にも私を知ってもらえた。販社の仕事も理解できて、英語の勉強にもなった。一石三鳥にも四鳥にもなりました」
――英語以外には、どんなカルチャーショックがあったのでしょう。
「価値観は人ぞれぞれ違うと、肌で感じたのは大きかったと思います。世の中にはどう説得してもしきれない違いもある、と認識できたのも米国時代です。例えば、所得税が増税されるとわかれば、日本人ならおそらく支出を控えるでしょう。ところが、米国では『今年のうちに使ってしまおう』となる。同じ事態に遭遇しても、対応のしかたが180度違います」
■違いを認め、ウィンウィンの関係作る
「渡米前は円をドルに換算しながら収益を計算し、『YCAの連中はどうしてこんなに安売りするんだ』などと憤っていました。しかし、駐在して現地スタッフに『為替がどう動こうが、私たちにとっての100ドルは100ドルです』と言われて、ハッとなりました。考えてみたら、仕事はすべて、こちらの見方とあちらの見方、常に両面がある。それをなんとかしてウィンウィンの関係にもっていけるよう、知恵をひねり出さなくてはならない。ビジネスとはそういうものだと改めて認識しました」
若手社員の頃、ヤマハ主催のイベントで商品の説明員を務めた ──実は「ヤマハ音楽教室」の海外展開は1964年からと早いんですね。
「その頃からごく最近まで、ヤマハが日本で培ったノウハウをそのまま海外に持ち込んでいました。新興国では音楽が義務教育に取り入れられていない国もあり、そのままだと少しハードルが高い。そこで、3年くらい前から1000校を目標に、マレーシアやインドネシアなどで現地の学校と協力し、放課後に教室を開放してもらい、そこに我々が楽器と先生を提供するというスクールプロジェクトを展開しています。地道な将来への投資です」
――経営者のなかには、リーダーシップを歴史小説から学ぶ人も多いですが、中田社長はどうですか。
「最も影響を受けたのは、山岡荘八氏の長編小説『徳川家康』です。20代のときに全26巻を読破したことは、今も組織づくりや人材育成などで役立っています」
――なぜ、「徳川家康」だったのですか。
「ずっと読みたいとは思っていました。ただ、長編すぎて尻込みしていたんです。ちょうどカード事業の説明会で全国を回っていた時期で、移動中やホテルにいる間に夢中になって読んでいたら、1巻を1日か2日で読み切ることができました。読み始めると止まらなくて、行く先々の書店で本を買い求めていました。いまだにその26巻は保管してあります」
「家康と言えば、それまでは太った『たぬきおやじ』のイメージで語られることも多かったのですが、山岡さんの小説で『戦のない世の中を作ろうと尽力した』新たな家康像が浮かび上がってきました。これだけ考え抜いて行動したからこそ、260年以上も続く幕府をつくり上げることができたんだとわかりました」
■「腑に落ちる」まで考え抜いた家康に学ぶ
――経営者としては何が一番、心に残りましたか。
リーダーは複数の視点を持つことが大事だと話す 「やはり、『腑(ふ)に落ちる』というところですね。自分が考える時も、部下と話をする時も、いちいち腑に落ちたかどうかを、彼は確認するんです。腑に落ちないことは、決してやらない。あれを読んでから、私も腑に落ちるまで考え、人に何かを頼む際には、相手がその背景も含めて十分に理解できるよう説明しなくては、と思うようになりました」
「部下が背景を理解しないままだと、意図したことと違う結果が出てしまう。背景を共有できていれば、それほど大きく方向性を間違えることはありません」
――人材育成のためにはどんな取り組みをしていますか。
「周囲が驚くような人事をすることです。スタッフ部門の管理職をあえて生産や営業などの責任者として現場に配置したり、その逆をしたり。スタッフが現場へ行くと、現場のことをいかに知らなかったかを実感できて、いい経験になります」
「心がけているのは、できる人にやらせないこと。子会社のポストには、できるかできないかわからないけれど、将来が有望な人をあてた方がいい。実は社長に就任してすぐ、商品別だった事業部を機能別に再編しました。社内がタコツボ化している、と感じたからです」
「これからのリーダーは多様な経験を積み、複数の視点を持つことが大事。実は、経営者になってやろうと意識したことはないんです。プロジェクトリーダーを任されながら、ヤマハという会社がやるべきだと思うことをやりたいと思い、それを突き詰めていった先に経営者という役割があった。だから、何か一つのきっかけでこうなったというわけではなく、すべての積み重ねで今がある。なにごとも昨日より今日、今日より明日の方が少しでも良くなるようにと思いながら、日々のことに取り組んでいます」
中田卓也
1981年慶大法卒、日本楽器製造(現ヤマハ)入社。2010年、ヤマハコーポレーションオブアメリカ(YCA)社長。13年からヤマハ社長。
(ライター 曲沼美恵)
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