昨夜は、古女房は放置プレーで(笑)
久し振りに息子の肩を揉んだ。
以前の過酷な仕事をしている時よりも
ややほぐれて来ては居るが
それでもツボを押さえると
気持ち良さそうにうっとりした顔をする。
おーい。逆じゃね?
まあ、そんな気もするが(苦笑)
どんなに偉い人を治療するよりも
古女房や息子の身体を診る時は
自分がこの仕事を選んで良かったと思える。
彼は以前、一日16時間位働いた時は
身体に死相が出ていたからねぇ。
有難いことに、身体は頭と違って嘘が無い。
だからどんなにプラス思考をしようとも
無理をさせ続ければ、「もうヤバイよ」
と教えてくれる。
しかし、頭でっかちに成った人間は
その身体の声を無視してしまいがちだ。
嘗ての自分もそうだった。
学歴なし、コネなし、金も、才能もなし
ないないづくしで、単身都会に出たから
生活する為に、目の前の仕事をがむしゃらにした。
だがら、気付いた時は体はガチガチ
終いには20才そこいらで
首を動かすのさえ辛くなった。
それで、ある日、余りにシンドイので
街のマッサージ店に飛び込むと
ベテランらしき女性マッサージ師が
「若いのに硬いね~」
と言いながら、全身を解してくれた。
あの素晴らしい技で首は回復・・・じゃなくて
かえって揉み返しで首は回らなくなった(_ _:)
今から思えば
物凄く下手くそなマッサージだった(爆)
しかし、あの時、他人に自分の身体を触ってもらって
初めて、自分の体が如何におかしく成っているか
ようやく気が付くことが出来た。
だから、今となっては感謝してるし笑い話だ。
所で、あの頃を振り返ると
実は、恐ろしいと思っていることがある。
当時の亀仙人は、身体のみならず
こころも鈍感に成っていた。
例えば、悲しいという感情が一切湧いてこない。
だから、テレビや映画で悲しいシーンがあっても
涙を流すどころか、へらへらと笑って見ていられる。
勿論、人に対しても無関心だった。
あのままなら、後の人生はどうなっていたか?
しかし、今。
あの頃の亀仙人のように
上の人も庶民も、皆カチカチに成っていないか?
先般も、地域の集まりがあった。
詳しくは書けないが
皆、恐ろしく他者の痛みに鈍感であった。
自分たちの住む場所で、近所の人を思い遣れないのに
どうして幸せな生活を営めるのだろう?
そりゃ無理だ。
ここから先は観えている。
だから嫌な言い方だが
淘汰の時代は来ている。
亀仙人は息子の肩を揉む。
彼にしてみれば覚醒した分、嫌なものが観えるだろう。
しかし、観えれば対処方だって観える可能性がある。
あ・・・
単なる肩揉みなのに、大げさか(笑)
でも、ほぐすっていうのは
本当は、そういうことなんだ。
さあ、あなたも
肩の力を抜いて行こう! な^^
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