先日、娘の授業参観で学校に行ったときのことです。
娘の担任の先生が、黒板に大きく「あ」と書きました。
「これが読める人?」
みんな大声で答えました。まだ小学3年になったばかりで素直なものです。
すると先生がすぐとなりに非常に縦長の「あ」を板書しました。
「これが読める人?」
みんな大声で答えました。
私はここでアタマが遊離してしまって、ずっと考え込むはめになりました。
なぜ小学3年生の誰もがあれを「あ」と読めるのだろうか?
AIはきっと間違うだろう。
なぜ人にとってこれは、こうまで簡単なのだろう?
不十分ながらいちおう答えとして考えられるのは
人は曖昧な認識というものが可能なので、「あ」らしきものをこんな歳でも抽象化できる
ということと、
「あ」だと考えるのが妥当なコンテクストで板書されたから
といったあたりでしょうか。
私たちの知識はコンテクストに頼っています。
上に書いてある真ん中の「数字は13」ですが、下の真ん中の「文字はBと読める」はずです。どちらも同じマークですが。
もちろんどんな情報にもコンテクストいうものが与えられているはずですが、残念ながらメモを取る時というのはけっこう忙しいので、すばやくペンを走らせるあまり「13」なのか「B」なのかわからないような筆跡で済ませてしまうことが少なくありません。
しかもコンテクストまで書いている余裕がないのです。
もちろん内容のメモ「だけ」でも、メモした数分後であれば、自分ならば内容を判別できるでしょう。
でもそれは、メモしたときと同じコンテクストにいるからか、またはコンテクストを覚えているからです。
1日たったころに、同じく内容を思い出せるかどうか、かなり怪しくなります。
だからこそ、メモは詳細に取ること、記録した日時も記録すること、できればシチュエーションも記録することなどが、「メモ術」としてあげられます。
でもそれはとても面倒くさいのです。
2018-04-18(水)16:04@自宅の書斎
こんなことを「13」と「B」の判別も難しくなるようなときに、事細かく書くのは面倒くさいのです。
しかも、上のようなメタ情報を手書きしたところで、日時をクリックしてもカレンダーは現れない、メモが日付順に並べ変わるわけでもない、タグを手で触れても関連メモが出てくるわけでもない。
というわけで、大変面倒くさがりの私は、手描きのメモを残したいモチベーションがゼロなのです。
全部を事細かくスマホでメモしたくなるのは、何のことはなく、メタ情報が自動的に挿入されるという報酬があるからなのです。
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