エホバの証人の集会は危険な洗脳の始まり
エホバの証人の信者は集会の間、熱心にノートをとっている。ノートをとることが求められている訳でもないのだが、皆が必死に大学ノートに公開講演の内容などを書き取っている。これに影響されて、何となく初めて来た人も時間が経つと同じように変化していくのだ。
女性信者に集会に連れて来られた未信者の旦那さんなども、初めのうちは居眠りしていたり暇そうな顔をしたりしているものだ。しかし熱心にノートを取っている子供の2世信者を見て、次第に変化していってしまうのである。こういった状況でもエホバの証人の子供たちは新たな信者を獲得するためのネタにされているのである。
子供までもが壇上からなされる小難しい話を熱心に聞いている。大人である自分がふざけている訳にはいかないとどうしても思い込んでしまうものだ。それがものみの塔協会の洗脳手段の第一歩である。
冗長な翻訳の聖書を使用しているエホバの証人
公開講演などのエホバの証人の講演は、熱い言葉を繰り返す半端な選挙演説のようである。ものみの塔協会の発行している新世界訳聖書は原文をそのままの順番で訳した字義訳であることを謳っている。そのため同じ言葉や同義の言葉が何度も何度も繰り返される箇所がある。”あなた方を追い散らし、あなた方が、あなた方もあなた方に・・・”と言った解りにくい感じの文章が多い。
ものみの塔協会の新世界約聖書は、文法も何も関係なく単語を一つずつ順番に訳して日本語の文章にしているのである。まるで子供の翻訳である。本来の意味とは違った文脈になってしまっている文章まで存在する。これがものみの塔協会の限界である。そもそも初代会長ラッセルがラテン語を読めなかったことが、この組織の未来を発足当時に定めていたのである。
ただこの冗長で緩慢な聖句がエホバの証人好みの表現なのである。聖典として日々手元に置き、何々の書何章何節と言われれば競うようにパラパラと聖書をめくる人々である。その新世界約聖書に当然のように影響されている。冗長な聖書同様に、エホバの証人によって行われる講演も同じ言葉が過剰に供給される。
強烈な洗脳効果をもたらす公開講演
エホバの証人の講演では繰り返される熱烈な言葉に話し手の抑揚と身振り手振りが加えられる。尋常でない暑苦しさである。今思うと馬鹿馬鹿しいのだが、王国会館の中にいる信者たちはその暑苦しさに陶酔し、一体感に包まれてしまうのである。
「神の言葉を宣伝し、宣伝し、宣伝しましょう!」うるせーっつーの。
講演の後は信者たちの止まらない拍手が、演者が壇上を降りた後でも続く。この拍手にも聞き手たちの感覚を麻痺させる洗脳効果がある。ものみの塔協会は普通の歌手のコンサートなどで熱狂することを危険だとして禁止している。ところが自身の教団の講演ではその内容に陶酔し、いつまでも熱狂的に拍手をすることを求めているのである。
この王国会館の狂気、異常さを思い出すと寒気がする。そしてつまらない講演を聴かされ続ける子供たちや初めて集会に来た人々たちの精神に暗い影を落としていくのである。それはものみの塔協会のマインドコントロールの始まりである。