世界観警察

架空の世界を護るために

"世界観警察"とはなにか

 近頃、稀に世界観警察という言葉を耳にします。

基本的に、時代考証などに厳しすぎるファンを揶揄していうようです。

そこで、ブログを立ち上げるにあたり、敢えてこの名前をチョイス致しました。

悪いイメージを払拭するというのは簡単なことではありませんが、考察勢の端くれとして戦わねばならぬと思い立ったからです。

考察や時代考証は、粗探しをして作品にケチをつける為のものではなく、作品の世界を深く理解するための研究です。我々ファンは、そこを理解して楽しまねばなりません。

当ブログ「世界観警察」では、ゲームや書籍などの作品の情報や考察を発信し、作品の理解に困難を示すファンを助け、深い理解に貢献出来れば、と考えています。

 

 

  1.DEFINITION

 

"世界観"とはなんでしょうか。

世界観という言葉は、現在我々が使う意味としては誤用である、というのが多くの人の見解です。

辞書で引いてみると、以下のようなことが書いてあります。

せかい-かん【世界観】 (Weltanschauung(ドイツ語))

世界を全体として意味づける見方。人生観よりも包括的。単なる知識把握にとどまらず、より直接的な情意的評価を含む。楽天主義・厭世主義・宿命論・宗教的世界観・道徳的世界観などの立場がある。

                             *1

 

世界とそこに生きる人間の本質・意義・価値などについての全体的な考え方。より包括的にとらえた人生観。 

                          *2

なるほど、わからん。

では、「世界観」という言葉の初出であるカント著:判断力批判より引いてみることとしましょう。

 およそかかる外的な合目的関係は、どこまでも先きへ先きへと置かれる条件に基づき、こうしてこの条件(※)はけっきょく無条件的なもの(究極目的としての物の現実的存在)として、まったく自然的-合目的世界観のそとに存することになるからである。

          *3

※この条件: 内的な有機組織を考察する代わりに外的な合目的関係だけに着目すること。

なるほど、もっとわからん。

つまりどういうことかというと、「世界観」という言葉は哲学のメチャクチャ難しい学術用語だということです。

それが巡り巡って我々が乱用するようになっていると。日本語ってすげー!

 

私たちのいう「世界観」とは、一般的に言うと雰囲気と解釈されますよね。

私はこれに異を唱えていきたい。

我々考察勢―世界観警察は、その世界の歴史、文化などについて研究しています。

それは雰囲気とはちょっと違うんじゃ無かろうか、というのが私の見解です。厳密な意味の「世界観」とも違うけれど、雰囲気というくらいならば、まだ世界観と表現する方が近いような気がする(主観)。

しかし、調べてみたところ、これといって現在の誤用的な意味を孕む言葉が見つからず。(情報求む)

日本語のよいところは新たな意味や言葉を簡単に取り込めることなので、これ幸いと、現代語版「世界観」を再定義します。

これは即ち、以後当ブログでの「世界観」の意味として扱います。

 世界の成り立ちや歴史、文化、大衆的な思想や生き方など、その世界における総体的な事柄を客観的に捉えていう言葉。

ちなみに、英語だと、通常の意味の「世界観」は普通にworldviewとか言ったりします。そのまんますぎる

再定義した上記の意味で言うなら、loreという表現をよく見る気がします。

lore (noun)

(民間の伝承・信仰・風習などによる)知識、知恵、伝説、伝承、言い伝え

                    *4

便利な単語ですよね。ぶっちゃけ、日本語よりもこれが一番「世界観」に近い表現な気がします。

 

 

  2.POLICY

 

「世界観警察」としての姿勢について。

始めにも申し上げました通り、世界観警察とはあまりよくない言葉として使われます。

なので今一度、考察勢としてあるべき姿勢について考えましょう。

下記は自戒であると同時に、最低限のマナーとして他のファンにも守って頂きたいと願っています。

 

愛ある姿勢を保つこと

そもそも「粗探しをしてる」なんて言われるような態度なのがおかしいと思います。それではただのアンチです。そもそもこんなに作品について資料を集め、頭を使うのは愛があるからではありませんか?

 

批判的にならないこと

確かに我々はしばしば意見を戦わせますが、相手の説にケチをつけたりする必要性はありませんし、ましてや人間性を否定するなどもってのほかです。こうしたルールを守らないから全体的な風評被害に繋がるのではないでしょうか。議論は喧嘩ではありませんので、気持ちよく討論出来ると楽しいですよね。

 

根拠の提示を心掛けること

「妄想乙ww」と言われないための努力です。言う方も言う方ですが、理論が甘いがゆえにこうなるのかな、と思うと、提唱者の方からもアプローチが必要かと推察します。

 

説教臭くなりましたが、考察という文化を発展させるには重要なことだと思います。いわばゲームのルールたらないかと。

作品の楽しみ方の一つとして、もっと考察界が繁栄するといいな、と願います。

 

 

  3.ABOUT ME

 

この記事を書いているのは誰かというと、お初お目に掛かります、茅野と申します。宜しくお願いします。

教養も学力もない一介の女子高生であります。自分でもまこと驚くことにこれが嘘ではない

ただの腐れ学生ですが、対人論証(詭弁)による批判は徹底的に論破していく姿勢ですので何卒。

好むことは知識収集と議論ですが、自説は稚拙であり、その癖徹底的に論破されると心が折れる豆腐メンタルであります。

MBTIはENTJ、エゴグラムはacaab、つまりクズです。

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読んだ本は(忘れていなければ)纏めています。気に入った作品の関連図書など多く購読しておりますので、どちらかというとこちらの方が面白いかもしれません。

 

 

  4.FINAL COMMENT

 

長くなりましたが、これにて締めさせて頂きます。お目通しを感謝します。

*1:広辞苑

*2:明鏡国語辞典

*3:判断力批判(下) カント著/篠田英雄訳 岩波文庫

*4:ジーニアス英和辞典 第4版