30代前半、男、既婚、都内在住。精液検査を受けてきたので、その一部始終を余すところなく書いてみたい。誰かの参考になれば嬉しい。
訪ねたのは男性不妊の専門クリニックで、インターネットで事前に予約済み。受付へ行くと、20代と思しき女性職員ふたり組が迎えてくれた。名前を告げると、本人確認できる書類を求められ、代わりに問診票と番号札を渡される。以降は基本的に番号で呼ばれる。
待合室には夫婦ひと組、女性ひとりが座っていた。壁の外周に向かうように椅子が並べられており、お互いの顔は基本的に見えない。プライバシーの面は全体的によく配慮されていると感じた。
さて、問診票である。これは軽いアンケート用紙に近い。既婚か未婚か、子作りを初めてからの期間はどれくらいか、不妊治療に対して抵抗感はあるか、などなど。記入をためらうような項目はまずない。さっと記入し、受付に提出。
記入から5分も待たないうちに、奥の方から職員の男性が現れ、番号で呼ばれた。個室に連れて行かれる。部屋の扉には「採精室2」とあった。30年以上生きていて初めて見ることばだ。
部屋は薄暗い。リクライニングソファ、ティッシュ、ウェットティッシュ、ゴミ箱、そしてDVDプレーヤーとテレビがある。あ、もちろんヘッドフォンも。自分は入ったことはないけれど、ビデオ個室ってこんな感じなのだろうか。
男性職員は、薄いプラスチックのカップを取り出しながら言った。「今からマスターベーションして、全精液をカップの中に入れてください」。
まずは、シールにフルネームと禁欲期間を書き、それをカップに貼ることから始まる。検査結果に取り違えが生じないためだろう。ただし、このシールの粘着力が極めて弱く、カップの丸みに負けてしまい、今にも剥がれそうなのが気にかかった。
さて、出すものを出さねばならない。職員の男性は、去り際に「いくつかDVDもありますので、どうぞご利用ください」と言っていた。見ると、DVDが10枚ほどある。標準的な趣味に近い品揃えだった。傾向で言えば、眉毛が細いギャル系のものが多かったかもしれない。
また、一冊だけエロ本があった。一糸まとわなかったり、スク水をまとったりする女性たちの写真が掲載されていた。むかし河原の土手に捨てられていたタイプのやつだ。実用性はほとんどないように見受けられたし、全体的に本にしわが寄っていて、あまり触りたくなかった。
ここで耳よりの情報だが、採精室にはwifiが飛んでいる。このクリニックが用意したものかどうかはわからない。とにかくカギのないwifiが飛んでいる。言うまでもないことだが、スマホとwifiがあればなんでもできる。
このとき、クリアファイルに閉じられ、壁に掛けられた注意書きが目に留まった。20分程度しても部屋から出てこない場合、この日の採精は諦めてもらい、後日の再検査をお願いする、とのこと。
自分は設備観察などをしていたし、あまりに早く部屋を出るのもどうかと思ったので(このあたりの気持ちは女性には分からないかもしれないが、そういうものだ)、ゆったりと構えていたところがあった。時計を見ると、すでに10分近くが経とうとしている。焦った。
とはいえ、いざ採精しようとすればすぐにできるのも男というものだ。ティッシュ及びウェットティッシュで入念に掃除をし、個室にカップを置きっぱなしにしたまま、部屋を出れば終わりである。
待合室に戻ったら、受付の女性に「終わりました」と告げればよい。それ以上の言葉はいらない。すると、受付が職員の男性に完了の電話連絡をし、プラカップを回収した職員が、検査にかかるおおよその時間を受付に告げ、それが自分に伝えられる。
検査結果がわかるまでは、だいたい1時間だという(後日郵送もできるらしい)。しばし外出して、近くのドトールでコーヒーを飲みながら待っていた。
そもそもなぜ精液検査を受けたかというと、もちろん子どもを希望したからである。子作りを始めてからまだ3か月強だが(このあたりは妻と見解の相違がある)、思うような結果が出なかったため、いっちょ受けてみるかという気持ちになった(妊娠に備えて婦人科に通う妻からの示唆もあった)。
自分は、「何かが分かる」という体験自体が純粋に好きな人間である。そもそも、たとえ種無しだったとしても、自らの男性性というか、存在意義が揺らぐとは微塵も考えていなかった。
はたして、結果は、無精子症であった。射出された精液のなかに、精子が一匹もいなかったのである。
無精子症は100人に1人の割合で現れるという。そのほとんどが無自覚であり、自分もそのような疑念を抱いたことがなかった。顕微鏡で自分の精液を観察する趣味はなかったし(どうやらそういう御仁もいるらしい)、まあ「正常」なのだろうと考えていた。3か月強の頑張りで子どもができないのだってたまたま(偶然)で、ごく普通のことだと考えていた。ひとことで言えば、精液は出るのにそこに精子はいない、という想像力は持てなかった。
もういちど検査しないことにはわからない、とドクターは言う。次回はエコーや触診をともなう詳しい検査になる。ただし、通常ならば数千万や数億のオーダーで観察される精子がゼロだったのだから、これはもはや体調だの検査上の誤りだのといった可能性はないだろう。
その日は、友人の結婚式の二次会に参加する予定だった。精液検査からパーティーへと向かう人間はなかなかいないだろう。検査結果が無精子症ならなおさらである。しかも、新郎新婦はいわゆるデキ婚だ。なんたる巡り合わせだろう!
この日、もともとは終電帰宅も辞さない構えだったが、精子がゼロという結果が出た以上、いち早く妻に伝えねばならない。帰宅して上記のように説明したところ、妻は「オケーコ」と言った。オーケーという意味だ。妻はどんな言葉も語尾を伸ばして「コ」をつけるイルな言語センスをもっているのだが、こうしたシリアスな状況下でも口にするのだなと強く印象に残った。
さて、どうしたものだろうか。
今回の結果を知り、自分は多少のショックを受けた。だが、なぜショックを受けているのかが分からなかった。もちろん子どもができない可能性が示唆されたことは残念だし、妻には本当に申し訳ないなと思う。しかし、無精子症であっても各種不妊治療による妊娠は可能だし、子どもができないならできないで、妻と二人で生きていくのも十分にありだと思っている。妻も、もともとそういう考えの持ち主であった。だから、挙児の可能性が低くなったことは、ショックの根本原因とは言えないと思う。
では、この違和感はどこから来るのだろう。一日考えてわかった。自分ではにわかに信じがたいし、認めたくないのだが、やはり「男性性が傷つけられたことに対して」と考えざるを得ないのだ。常日頃から「男らしさ」などは馬鹿馬鹿しいと考えているのだが、生物学的に子孫を残せない(かもしれない)可能性が示されると、ナイーブにも傷ついてしまったのだ!
つまり自分は、メタ的に「ショックを受けている自分」を知覚して、ショックを受けているのだった。これは、はてブの構造に極めて近いなと思った。そこで、長らくはてな村に籍を置く一員として、なにか村人たちに還元しなくてはと考え、こうして初めて増田を書いている。
すっかり話がずれてしまったが、精液検査は10,000円前後で可能だ。後で知ったことだが、一般的に夫は精液検査に極めて消極的で、妻がどうにか説得して来院するケースが多数派らしい。また、検査を受けるにしても、自宅で採取した精液を密封容器に詰め、妻にクリニックへと持っていかせるケース(!)が多いとのこと。
無精子症っぽい自分が言うのもなんだが、それってあまりに男らしくないっしょ。はてな民諸兄におかれましては、当記事で心理的不安を払拭し、然るべき時が来たら自ら率先して精液検査を受けてねという話でした。
お疲れさん。俺なんて、親知らず一本抜いただけでも謎の喪失感に襲われたからな。 人間、あって当然と思っていたものが無いと知るのは、それが何であれ結構ショックを受けるものな...
主語がでかいぞ低能
まー君はパソコン得意だねぇ
親がワクチン否定だったり面倒臭がりだったせいで大人になってからおたふく風邪になって無精子症になる事もあるらしいな。
大人になってからオタフク風邪になった?
>いっちょ受けてみるかという気持ちになった 良い旦那さんだなと思った。