今月14日からスタートした特集「性を語ること」。本稿では、ライターで恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表の清田隆之さんに「男としての自分の性欲」をテーマにご執筆いただきました。
女性たちの失恋話に傾聴する失恋ホストからはじまり、恋のお悩み相談、恋愛コラムの執筆などを通じ、恋愛とジェンダーの問題について考えを深めてきた清田さん。wezzy担当編集は、しばしば清田さんが「男であることの罪悪感」を口にすることが気になっていました。また、お茶をしながら清田さんの恋愛観をうかがうことはあっても、性欲についてお話を聞いたことはありませんでした。そこで本稿では、清田さんご自身の「性欲」を掘り下げてほしいと依頼。誰にとってもごくごくプライベートな部分であり、他人が安易に踏み込んでよい話題でないことは重々承知していますが、清田さんはこの依頼を受けてくださり、ご自身の内面に向き合った結果を我々に提示してくださっています。
「性欲」と呼んでいるものの正体は何なのか
性欲……。これって一体何なんですかね。“三大欲求”とか“本能”とか言われるわりに、睡眠欲(=寝たい)や食欲(=食べたい)に比べてずいぶん掴みどころのない欲求に感じませんか。何に対するどういう気持ちを性欲と呼ぶのか、考えれば考えるほどよくわからなくなります。
例えば、誰かに対して「セックスしてみたい」という思いがわき起こったとします。で、はたしてそれは性欲なんでしょうか。「いや、性欲っしょ」と即答されたら返す言葉もないんですが、個人的には違和感があります。そのときの気持ちをより細かく見てみると、そこには、
・身体に触れたい
・受け入れてもらいたい
・許されたい
・さみしい気持ちをどうにかしたい
・興奮したい
・エッチな気分になりたい
・相手を思い通りにしたい
・相手の思い通りにされたい
・今まで見たことのない顔を見てみたい
・相手と一体になりたい
……などなど、様々な感情や欲望が入り混じっているような気がしてなりません。それらは性欲(性交欲?)のひと言で片づけられるものなのか。
どれも切実な気持ちではあると思います。ただ、この中には「セックス」という手段を取らなくても満たせるようなものも結構あるのではないか、というのが自分の実感です。
例えば私は、30代になってから「女の人とお茶をする」という習慣が身についたのですが、知人や友人と主に1対1で、近況報告や身の上話、悩み相談や意見交換など、じっくり語らいながらコミュニケーションを取る──という行為の中で、先に挙げた気持ちのいくつかが満たされたような感覚がありました。
「お茶をする」とはいかにもライトな行為に感じますが、ときにそれは深い快感や心地よさをもたらします(桃山商事ではこれを「コミュニケーション・オーガズム」と呼んでいます)。思いがけず自己開示ができたり、自分と相手の間に一体感が生まれたりもする。気心の知れた間柄であっても、お互いの話を的確に理解するためには繊細なコミュニケーションが必要だし、互いに影響を与え合うことで、その時間の意味が心身に刻み込まれることにもなる。そこには刺激も興奮も安心感もあるし、それによってさみしさは埋まり、承認欲求も満たされる……。お茶しながらのおしゃべりでこんな気分になれるなんて、わりとすごいことだと思いませんか?
この習慣が身について以来、私には「女友達」という存在が飛躍的に増えました。それと同時に、「性欲に振りまわされる」ということも減ったように感じます。それはおそらく、かつて自分が性欲と思っていたものの中に含まれていた多くの感情や欲望が、お茶をすることでかなり満たされたからです。
進む“性欲離れ”とそのメカニズム
しかし、それでもなお満たされないものも、もちろん残ります。多分これが狭い意味での“性欲”になるのだと思いますが、それは「性的な興奮を味わいたい」という気持ちです。
性的な興奮──。これまた言葉で表現するのが難しい感情ですが、端的に言えば「勃起を伴うドキドキ」となるような気がします(あくまで自分の場合、ですが)。何というか、頭と心が「!!!!!!!!!!!!!!!」や「\\\\٩( ‘ω‘ )و ////」みたいな状態になり、全身に得体の知れないエネルギーが満ちあふれ、女の人とエロいことをトゥギャザーしたいという強い気持ちがわき起こってくる……。
こういう感じは、さすがに「お茶をする」では得られません。というか、むしろ「勃起を伴うドキドキ」は、女性とおしゃべりを楽しむにあたっては邪魔なものですらあります。こんな気持ちを抱えたままでは会話に集中できないし、ひとたびそれが目的になってしまうと、コミュニケーションがどこか誘導的になり、目の前にいる相手を理解することから離れてしまうからです。
そして今、私の人生は結構な“性欲離れ”を起こしています。
具体的には自慰行為の回数が以前よりかなり減ったし(20代の頃は週2〜3回あったのが今では週に1度あるかないか程度)、結婚2年目にして立派なレス状態です(月に1度あるかないか……)。私は現在37歳で、加齢による性欲の衰えと言われればそれまでかもしれませんが、自分の実感としては、
(1)「お茶をする」で様々な欲が満たされている
(2)桃山商事の活動を通じて「性的な興奮」に罪悪感や加害意識を抱くようになり、それを過剰に抑圧している
という、大きく分けて2つの理由があるのではないかと考えています。
(1)のメカニズムは先に挙げた通りですが、では(2)はどうなのか。桃山商事では「失恋ホスト」といって、主に女性たちの恋愛相談に耳を傾ける活動を行っています。その内容は片想いや失恋の話、相手との不和や性暴力の体験など多岐に渡るわけですが、そこに登場する男性たちの話を聞くにつれ、「悪いのはすべて男なんじゃないか」「男って何なんだろう?」「男社会ってちょっとヤバいんじゃない?」「でも自分自身も男なわけで……」など、社会や個人の中に根深く息づく“男性性”というものを疑問視するようになりました。
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