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信心話のない記事

元創価学会員

元学会員ブログの「理由皆無の決め付け記事」の典型文章を見つけました。かなりなどぎつさ,情け容赦のない「独白的」な学会攻撃文章になっています…。

今回は、それらをパッチワーク的に並べてみました。継ぎ接ぎ文でも案外に面白可笑しく読めます。管理人の想像力の逞(たくま)しさが満喫出来る、とても素敵な美辞麗句中傷記事になりました……。
因(ちなみ)に、例の如くですが、全ての「例文」には如何なる意味での「事実確認」や、「背景」も添えられていません。唯ひたすら学会への「ないこと無いこと」の中傷を記述しているだけなのです。
こう言うものが好きな人も世の中には居るようですね。

先ず、当記事の管理人が自己紹介をします。そして、「昭和三十四年に入信し、昭和四十五年に創価学会本部中枢に入った私が、金と権力を生む宗教の本音に迫ります」、と話を始めます。
彼は、意外に古参の学会幹部だったようです。

「池田営業部長、色と欲の二筋道
(管理人が入会した創価学会の仕事とは)要するに、金を持っていそうな学会員に目をつけて金を借り、それを貸しつけて利ざやをかせぐ仕事でした」

「池田先生は、金を借りてくるのが実にうまかった」

「東京安全信用組合(戸田先生の立ち上げた事業)の時代は、世間のだれも金を出してくれなかったが、〝創価学会〟をバックに、“実は、戸田先生の事業です”といえば話は違った」

「気前良く出資してくれた学会員は、後に戸田城聖に進言して無条件で創価学会の幹部に登用し、そして市会議員、町会議員等に推薦するのである」

「〝葉っぱをお金にする〟(と言う言葉があったようです。そ)の〝葉っぱ〟とは、他ならぬ〝宗教〟〝会員の信仰心〟のことであったわけである」

…戦争反対を最後まで軍部に言い切り、そして独房で殉教された牧口先生。その意志を、戸田先生が全面的に引き継いで再開された創価学会草創当時、学会組織を構築していくのに資金不足でとても苦労されました。池田先生が、戸田先生の想いを全て受け止めて死身弘法に走り回っていた時代のことです。
しかし、その行為を評価して管理人の彼は、先生達は「お金儲け」だけを考えて動いていたんだ、と決め付けています。「何の為の資金運用」という話がすっぽりと抜け落ちています。管理人も、当時は感動しながら先生の活動を見ていたはずなんでしょうけど、記憶の作り替えは簡単に起こってしまうものです。境涯が底辺にまで落ちてしまうと、信心の世界を見る目はこんなにも違って来るのかと、驚くばかりの表現となっています。

そして、次は「権力」です。

「軍隊組織をまねた創価学会において、幹部は絶大な権勢を振るう。特に〝大幹部〟といわれる、支部長以上、部隊長クラス、それと同格の監事クラスになると、数百、数千の会員の上に君臨する。一つ階級が違えば、下の者は上の者に絶対服従させられる。幹部達にとって、会合のとき壇上の〝ヒナ壇〟に上れるか否か、序列はどうかということは、最大の関心事の一つである」

「池田大作の営業に協力したおかげで本人や息子らが創価学会で出世したり地方議員になったりした例は、神奈川県のY氏一家をはじめ数え切れないほどいた」

「〇〇氏は、組織のオルガナイザーとしては最低で、いつもトラブルをおこしており、その収拾に、北条浩ら最高幹部は手を焼いたが、〇〇氏がどんなにヘマをやろうと、また不公平、不正を働こうと、更迭されることはなかった。池田大作が、更迭を許さなかったのである」

…自分の思考方法は無意識に表に出ます。文章を書く人は特に「自分の考え」を、嫌いな対象に対して押しつけようとします。これは意識せずに出るので少々始末に負えないものです。彼は「お金」や「権威」に対しては、非常に敏感且つ、かなりな憧れを持っている人間だと言う事がとても理解出来る文章になっています。
学会の階級=権威・権力。
よく見るこの図式。単純であるだけに、管理人のような単細胞的境涯の人には、とても理解しやすい話なんだろうと想像出来ます。
しかし学会の幹部って、彼が思っているような権威権力思考の持ち主ばかりなんでしょうか? 普通の学会の中では感じませんが、しかし、ある種の人にはそう見えるのかもしれません。十界の衆生が恒河をどう見るかと言う事なんでしょうね…。
彼の心の世界だけの出来事だと言ってしまうと,身も蓋もない事にもなりそうですけど…。

そして、最後は「女」の話になります。男の黒い願望が全てここに込められているようです。

「池田大作は、とりわけ妹の松島通子さんに気があって、通子さんの方もまんざらではなく、やがて二人は深い仲となった。だが、創価学会での役職がはるかに上の辻氏を打倒して池田大作は、恋の勝利者となる。その勝因は、池田大作の〝金力〟であった」

「池田大作は、この金を、創価学会のこれはという幹部を手なづけるのに使う、そしてまた、目をつけた女性を落とすためにつかった」

「戸田城聖は、愛人の柏原ヤスさんを参議院議員にしたが、池田大作はこれにならって後日、愛人の通子さんを衆議院議員にしてしまった」

「池田大作は、大蔵商事時代に自分に金をつぎ込んだ者の他に自分に貞操をささげた女性とその一家を、ことの他手厚く遇している。彼女や彼らが、池田大作の寵愛を鼻にかけて、やりたい放題をしても、だれも咎めることはできない」

…「金・権力・女」。当管理人は、ウンザリする程の「世法」への憧れの持ち主と言えます。学会のやることなすことは、全てこの3点を中心に考えています。と言うか、この感覚以外に持ち合わせのない人のようです。
こうなると、どう考えてもこの記事の数々は、彼独自の妄想の世界観だけでの話だと言えそうです…。
いつ頃学会を見切ったのかはよく知りませんが、以来彼は、こう言う妄言を吐き続けながら生きてきた人間だと言う事がよく理解出来ます。

非常に寂しいことに、ここには「信心の話」が全く記載されていません…。一言もです。
少なくとも、当管理人は「嫌学会」だとは言え、「元学会員」であったことも確か。出来ればですが、自分と創価学会の互いの「信心」の在り方の相違いぐらいは記してくれても、「罰」は当たらないような気もしますが…。

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信心話のない記事” への1件のコメント
  1. 匿名 より:

    ななめ読みで ごめんなさい

    「金・権力・女」
    そういう人も いた って事でしょうね
    書いた人が そういう人に 憧れていたんじゃないの?(笑)

    協議会 行ってきまーす

  2. ちよ より:


    ちよです(笑)
    慌ててました
    ごめんなさい

    今日の 私のブログ 見てね~(^^♪

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