残念ながら(とあえて言うが)、「国の実力」という意味では日本は中国に太刀打ちできる状況ではもはやなくなった。人口が10倍、国土が25倍という国だから、そのことは仕方がない。これまでが特異な時代だったと考えるべきだろう。
「国」としての中国は言うまでもなく「一党専制」の社会主義国であり、政治の決断次第でどうにでも動く国である。事態が日本にとってうまい方向へ運べばいいが、そうでなければ脅威は大きい。
しかしその一方で、経済的に見て中国との関係抜きに日本企業、日本人個人の安定した将来を描くのは、極めて難しい。
別に、中国という国が好きでも嫌いでも、中国人が好きでも嫌いでも、それは個人の自由で、どちらでもかまわない。大事なのは、正面から向き合う覚悟を決めるか、あるいは、自らの弱さに負けて目を逸らすか、である。今はそういう時代だ、と私は思う。
日本の国や企業、日本人が平和で豊かに生き延びるためには、冷静な目で中国の人々を見て、「中国人とはどういう人たちなのか」「中国の社会はどのような原理で動いているのか」を理解する必要がある。パソコンに例えて言えば、中国人、および中国社会のOSの構造を知っておくことが不可欠だ。少なくとも、知っておいて損はない。
そのOSが好きかどうか、正しいと思えるかどうかは、個人差があるだろう。
しかし、一つの社会には、その歴史を背景に生まれてきた価値観、そしてそれに見合った仕組みや習慣がある。その「現実」に異を唱えても、意味がない。自分が好きでも嫌いでも、相手の「現実」は存在しているし、それが変わるわけではないのだから。
やるべきことは、その事実を正確に認識し、相手の原理を理解し、互いにメリットがある形で折り合いを付ける方法を考えることである。
ストレスを感じるのは、反応の相場が違うから
私は中国と関わりあって40年近く、学生時代から中国語を学び、中国人と結婚し、一緒に商売をしてきた。もちろん嫌なことも、そして嬉しいこともたくさんあったが、学んだことは少なくない。悪い奴も、いい人もいたが、数の上ではいい人が圧倒的に多かった。
中国には13億とも14億ともいわれる人がいるのだから、さまざまな個性があるのは当たり前である。いろんな考え方の人が、いろんなことを言って、いろんな行動をしている。しかし、そうは言っても、その社会にはその社会の長年の歴史的な蓄積の中から出来上がってきた共通の感覚、ある種の「クセ」のようなものがある。
いわば
「こういうことを言われたら、こう反応するのが、この社会では普通である」
「こういう光景を見たら、こう感じるのが、この社会では普通である」
といったようなことだ。これは日本社会にも当然ある。
個人差の存在は認めつつも、社会のこうした「クセ」「妥当な反応の相場」はやはり存在する。歴史的な経験に培われた条件反射のようなもの……と言ってもいいかもしれない。それを知ることが、中国に限らず、異なる文化の下で育った人たちと付き合うには、非常に重要である。
この連載では、40年近い個人的な経験の中から感じた、中国人がものを判断し、反応する時の「クセ」「反応の相場」とはどのようなものか、それらが、中国社会のどのような仕組みから生まれてきたのか、そんなことをお伝えしたい。
いわば中国の人々や中国社会の判断基準の根底にあるもの、行動原理のようなものを、できる限り具体的かつロジカルに明らかにできれば、と思う。それだけで、日本人が感じるストレスはかなり軽減するはずだ。
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