センターサークルのその向こう-サッカー小説-

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  4. 【ハリル解任】結論ありきで物事を考えてはいけない。

ハリル解任に関して、さすがにこんな頭の悪い文章が評価されるのはいかがなものか、と思い改めて記事にしてみた。

件の記事はこれだ。

その前にバズった記事もなぜか自分の意見を「サッカークラスタの大半」という形で書いており、やれやれと思っていたのだが、さすがにこの記事はひどい。自分の意見をさも冷静で中立な意見かのように書いていて、ひどいマスコミのようだ。

はじめに僕自身の(ハリル解任に対する)見解を明らかにしておくが

  • このタイミングで監督解任することが最善だとは思っていない(自分に選択権があるならやらない)
  • しかしハリル解任を判断した協会を完全悪だとは思っていない
  • どちらの意見にもそれなりに賛同できるほどには、どちらが正しいとも思っていない。

これが僕の見解だ。つまり、ハリル解任容認派に入るが、かといって全面的にそれが正しいとも思っていない。
その前提で続きを読んで欲しい。
本文とは直接関係ないが、もし僕個人の意見が気になるならひとつ前の記事を読んでもらえればと思う。





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件の記事を長いので3行にまとめると以下になる。

  • 田嶋会長は部活仲良し的なことこそ最重要視している
  • ハリルはとにかく勝つことだけしか考えていなかった
  • 田嶋会長、川渕三郎、は昔から繋がっている(部活的な関係)

バカバカしいにもほどがあるが、こんなアホみたいな記事に騙されている人がいるのも情けなくなる。

件の記事の筆者はまず(というよりは一事が万事)「相手が何を言っているのか」ということを捉える能力が著しく欠如しているとしか思えない。

こういう記述がある。

「信頼関係が薄れる、コミュニケーションが薄れてくる、そういうものはチームを強くするための土台です。その土台が薄れてしまったと言うこと。」

チームメイトが密に連絡を取り合ってお互い信頼しあうのが一番大切なこと。

いや、バカか。

ブコメにもいくつか指摘があったが、「信頼関係、コミュニケーション」の対象は選手同士ではなく選手と監督の話だろう。そう信じて疑わない自分がいるわけだが、一旦それを外に置いて考えてみようか。

仮に「チームメイト(選手同士)が密に連絡を取り合ってない」としよう。

あのー、えーと、それは勝手に選手たちが連絡を取り合えばよいのでは?

もし本当に選手たちが密にコミュニケーションをとっていないことが問題だとして、それがなぜ監督の責任になるのか。それがなぜ監督が解任されることに繋がるのか。さっぱり意味が分からない。
仮に監督の責任だったとして、これだけテクノロジーが発達した時代に、「監督が連絡を禁止した」というのも無理があるし「そういう場をつくらなかった」というのも無理があるだろう。場をつくらなくてもできるし、禁止してもできるものではないのだから。

どう考えても「チームメイトが密に連絡を取り合ってない」が田嶋会長が言いたかったこと(理由)ではない。

ここからわかるように、件の記事の筆者はすべてを自分が思う(思い込みたい)結論ありきで話を持っていっているようにしか見えない。グラフを操作するワイドショーとかわらないではないか。

田嶋会長は仲良しがどうとかいう話をしているわけではない。
「選手が(監督の)戦術を信じて走れない」ということを避けなければならないと言っている(というこれもまた僕の意訳ではあるが)。
これは日本サッカーでこれまでも繰り返し言われてきたことでもあるし、直近ではこれでドイツW杯で失敗したと言われている。どんな崇高な戦術をとうろうが、選手が疑問を持ってプレーしていたら絶対に勝てない。逆に、どんなに稚拙で前時代的な戦術でも選手が自信を持って戦えるならそれの方が強いだろうと思う。

この見解(選手と監督の信頼関係)が正しいかどうかは結果を見るまではわからないが、少なくとも「田嶋会長が言わんとしていること」は僕の方が捉えているという自負はある。それは、以下の(NHKでの)彼のコメントに証拠がある。

「その土台がしっかりしていれば、仮に負けたとしても、新しい戦術や、新しいシステムを対応することが出来ると思いますが、残念ながらその信頼関係が薄れてきたということを一番の理由として皆さんに説明しました。」

これは、部活的仲良しという話ではなく「監督と選手の信頼関係」の話をしていて、「監督と選手の間に信頼関係(=土台)があれば、新しい戦術やシステムに対応することができる」と言っている。なぜなら、新しい戦術は選手同士が(厳しいことを言わない)仲良しだからできるものではなく、選手が監督のことを信頼していないとできないものだから。戦術の浸透に関して、重要なのは「選手と選手」ではなく「監督と選手たち」なのは他のスポーツだってそうだろう。

他にも、件の筆者の論説はアホらしいことのオンパレードなのだが、一つ一つ取り上げて反論しても揚げ足取りにしかならないのでやめておく(言及が必要であればTwitterなりブコメなりくれれば言及します。すべてとはいかないだろうけど)。

そもそも、田嶋会長やスポンサーにメリットがあるのか。

巷には大手広告代理店の圧力だとか、サッカー協会は田嶋会長をはじめとして政治的な観点しかないだとか、そのような揶揄があるが、さて、では彼らに何のメリットがあるのか冷静に考えてみてほしい。

大手広告代理店が香川や本田を出せという?

そこに何のメリットが?
仮に香川や本田が本大会に出たとして、結果として負けたら何も残らない。それは日本サッカーにという意味ではなく、広告代理店の利益として。W杯に香川や本田が出て、そのために事前および本大会が盛り上がったとしてそれだけで元が取れるわけがない。広告代理店とて投資をするからには利益が見込めなければやらないわけで、彼らこそ、W杯に対して(短絡的にも)勝利を求めているカテゴリの人たちだろう。たかだか本番までを含めても4試合の視聴率で利益が出るはずがない。「いいから勝つようにしろ」というならわかるが「いいから香川と本田を出せ(負けても良いから)」なんてなるはずがない。

田嶋会長が部活的発想で政治的判断をする?

はて、その目的は?
サッカー協会なんてW杯の結果が悪ければ間違いなく非難されるし、むしろ結果までのプロセスをちゃんと見る方がよほど成熟した組織だろう。そんな組織になってるとはとても思えない(まあ、なってるかもしれないけど)。すくなくとも部活的、政治的に振る舞うような組織は成熟していない。政治的にふるまおうが、とにかくW杯で負ければ責任追及されるのは避けられず、逆に言えば田嶋会長がW杯の勝利から離れるような判断をするという想像をする方が難しい(その判断が正しいかどうかはまた別の話ですよ)

結論ありきで物事を考えてはいけない

多くの意見が、日本はこうだから、組織とはこうだから、古い考えはこうだからという自分のコンプレックスや思いたい方向ありきで捉えているようにしか見えない。

上記で整理した通り、誰も負けて良いとは思っていないし、むしろ日本代表が負けて最も被害を被るのは(どんな言い訳をしようとも)日本サッカー協会であり、スポンサードした企業や広告代理店だろう。

彼らこそ、最も「負けることで損をしたくない」と思っているはずで、「我がものにしている」という見解の時点でもうおかしい。私物化したところで、どうせ本番で負ければそれもうまくいかなくなるのだから。

僕は日本サッカー協会が好きなわけでもないし、いまの広告代理店主導のマスコミによる報道、中継も全く納得はいっていない。その辺は下記の記事でも読んでもらえればわかると思う。

しかし、自分の感情に任せて相手を判断してもいけないし、結論ありきで物事を論じるのも違うと思う。

正しいことは正しいし、間違いなことは間違いだ。でもそこに「誰が」は本質的には関係ない。相手が悪だったとしても、それが正しいのならばそこは認めるべきだ。

願わくば、みんなが日本サッカー、いや、日本代表やJリーグを応援する人になってほしい。

そのためにも、あからさまにひどいと思った記事にはこれからも反論していきたいと思う。

僕は日本のサッカーが好きだから。











P.S.
最後まで読んでくれた人には申し訳ない。
この流れでこういうことを書くべきではないというのはわかっているのだが。

「自分が出れないからやめろなんて誰も言いません」というのが一番言いたいことなのでしょう。これを強く主張することは、出演前から決めていたと思います。だから、事実ではないかもしれないなとぼくは感じました。実際に、出場できない選手からの不満があったという報道はちらほらみつかります。

  • 強く主張する(という)ことは出演前から決めていた。
  • だから事実ではないかもしれないと思った。

さすがにこの論説は無いでしょう・・・。
ひどい文章だと僕は思います。


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