以前能町みね子が「人に対して劣化という言葉を使うのは不愉快」とか言ってたけど、正直納得できない。
そもそも俺は、一般の人や顔を売りにしていない有名人に対しては劣化という言葉は使わない。劣化という言葉を使っているのは、顔やビジュアルを売りにしている芸能人に対してだけだ。そいつらの商品価値はビジュアルなわけで、ビジュアルでおまんま食ってる以上ビジュアルが劣化したら「劣化した」と言われて当然だと思う。多くの人は作家やミュージシャンに対しては平気で「才能が枯渇した」とかいうくせに、なぜビジュアルに対して批評すると人でなしみたいに言われるんだろう。
はっきり言って努力や整形でビジュアルは保てるものだ。ビジュアルを売りにしている芸能人であれば、ビジュアルの劣化は単なる努力不足だと思う。美しく年を取っていたらそもそも劣化なんて言われないはずだ。努力でなんとかなるビジュアルに対して「劣化した」と批評する方が、努力ではどうにもならない才能に対して「枯渇した」と批評するよりも遥かにマシだと思う。作家に対して才能が枯渇したって言っちゃうのって、お前価値ないから死ねよって言ってるのと同じじゃん。そっちの方が遥かに酷いよ。
大体「老化」「老けた」はOKで「劣化」はNGってのも意味不明。単なる言葉の違いだけじゃん。顔を売りにしていない人に対して「老化したね」「老けたね」っていうことだって十分失礼だから。「顔を売りにしている芸能人に対しては劣化と言うのは正当な批評、顔を売りにしていな人に対しては顔について触れない」という話なだけなのに、なんで顔を売りにしていないであろう能町が怒るんだろう。あんた関係ないでしょ。