い(い)きる。

生きることは言い切ること。

「一般小説の表紙がどんどんラノベ化していってることに戸惑う人々」を解説する

このようなまとめがいまだに作成され多少なりとも賛同を集めてしまうことが我が国の文化の後進性を示していることは明らかなのですが、それに気付かない人も多いようなので解説します。



(非ラノベの)小説の表紙が「ラノベみたい」になってしまうことに大騒ぎする層とはどういう人々なのかというと、これはひと言で簡単に説明できます。

文盲です。

正しくは、実質的文盲と言うべきでしょうか。文章の表面をなぞる程度の識字能力は備えていることもあるようですので。

これらの人々はこれまでもそしてこれからも、真の意味では小説に限らず本というものを“読む”ことができません。そのような星のもとに生まれついているのです。我々にとっては想像するだに恐ろしい境遇ですが、それを憐れむことは控えましょう。本人たちも別に真の読書体験など少しも望んではいないかもしれないという可能性があるので。

ではなぜ彼らは小説を読む(フリをする)のか?

他人を、そして自分を欺くためです。

自分は「小説」を「読んで」いるのだ。そのように、周囲と自分自身に思い込ませることこそが彼らにとっては最も重要なのです。もちろん通常の人間にとっては小説を読むことなど単なる娯楽に過ぎないのですが、特定の人々の認識においてそれは誇るべき知的行為なのです。

そういった事情を踏まえて、小説にキャラクターイラストの表紙が付くことの、彼らにとっての意味を改めて考えてみましょう。彼らはなぜあそこまで表紙の「ラノベ化」を(悲痛なほど)強硬に忌避するのか。

「小説」の表紙が「マンガと区別が付かないような」イラストになってしまうと、人並みの知性を保証してくれるという*1彼らにとっての「小説」の最大にして唯一の価値が失われてしまうことになるのです。

これはひとつの悲劇です。

しかし当然、実質的文盲のために小説という文化の発展を歪めてしまうなどということは本末転倒であり、社会が許容するわけにはいきません。残念なことではありますが彼らには、「小説を読んでいる自分」のアピールという不毛な趣味をすっぱりと諦めてもらい、実質的文盲でも楽しめる別の娯楽を探してもらうしかありません。悲しい、本当に悲しい話なのですが(。´Д⊂)

創竜伝(1) 超能力四兄弟 (講談社ノベルス)

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*1:無論それは単なる思い込みに過ぎないのですが。