3月末に「ゲンロンカフェ at VOLVO STUDIO AOYAMA #5」として放送されたイベント。前後半合わせて3時間を超える対談を、後日タイムシフトで視聴しました。
とくに後半の議論が面白かったのですが、前半部の千葉さんによるプレゼンは思弁的実在論の状況について分かりやすく整理されており、非常に勉強になりました。今回もメモを取りながら観ていたら大量になってしまったので、前半部のメモをこちらにまとめておきます。
前半部の要点
ガブリエル『なぜ世界は存在しているか』について
- 結論:マルクス・ガブリエルの話題の書『なぜ世界は存在しているか』は全く面白くない。
- 多様性を肯定する、かつてのポストモダンに近いが、その実在論化に踏み込んでいる。
- 一角獣やアニメのキャラのような虚構的存在を含め、すべてのものに、自然科学的なものと同じ「存在する」という身分を与えようという議論。
- ドイツのガダマーの解釈学やフランスなら構造主義を例にあげるまでもなく、「人文科学のなかで理念や虚構的存在をどう扱うか」ということと、「人文科学をいかに発展させるか」という方法論とは常にセット。ところが、ガブリエルはあまりに素朴に「存在認めちゃえばいいじゃん」と言ってしまっている。自然科学批判の文脈にあるのは分かるのだが・・・。
- カジミール・マレーヴィチ「黒の正方形」を見て、コンテクスト抜きに正方形そのものを捉えるのだ、といった議論が出て来るが、芸術理解としても100年遅れている印象。メイヤスーやハーマンはもうすこしアクロバティックで面白い。
- 「一角獣について考える人文系に価値があると考えるあなたも、素粒子について考える科学者も同じ存在について考えているから大丈夫」みたいな人文学の自慰的な話。ある存在者(とりわけ人文学的な存在者)について考える人の権利を擁護する話になっちゃてる。
- 「これ以上私の傷に立ち入らせない」権利主張。「なぜならばそれは私の意味の場に存在しているから」。この本が支持されたことは、ポリコレに象徴される時代の空気と共振している。
「実在論ブーム」とはなにか?
「新しい実在論」とポストモダン思想の関係
- ドゥルーズやデリダらのポスト構造主義の哲学者は「差異」を論じ、人々はそこから事物を一面的にではなく、「多様に理解しよう」というメッセージを(本人の意図とは関係なく)受け取った。
- が、それは捉え方次第で「どうにでも言える」という「相対主義」ではないかと批判が生じる。現代の実在論では、相対主義批判の乗り越えが課題。
- ポストモダン批判は90年代中盤から出てくるが2つの陣営がある。
- 1つはソーカル事件に代表される自然科学陣営、もう1つはカルチュアル・スダディーズやポストコロニアル研究の人たち。
- 特に後者はポストモダニズムの言葉を使いながら、本質的にはポストモダン批判。たとえば80年代に「n個の性」。元々は「諸々のカテゴリの境界が揺らいでいる」という話だったのに、90年代にはそれが「揺るがしにできないクィアなアイデンティティ」という本質主義的な政治性に変わっていく。
- 「新しい実在論」とは、ポストモダン批判ではないことが大事。ポストモダン批判に対して、ポストモダン的な実在論を展開しようとする立場。
- ガブリエルがポリコレ的なものと連携するように見えるのは、後者の本質主義陣営の一派だと考えるとすごく説明がつく。ポストモダンを簒奪し、正義や公正、平等の話にしてしまう立場。
「思弁的実在論」の成立
哲学研究の分裂(現状の派閥)
- パリ:ポスト構造主義=ドイツ観念論は、デリダの死とともに2000年代で終わった。英語圏での「フレンチ・セオリー」研究(二次的なポスト構造主義)はジュディス・バトラーやジジェク等。いまやフィロソフィー=分析哲学。メルロ・ポンティ研究をやるためにアメリカへ行く時代。
- 世界の哲学研究は大きく3つ。1.分析哲学(英語圏の主流派)、2.哲学史(古典的な研究。分析哲学とセット)、この2つが主流で、3.現代思想のテキスト解釈(比較文学、文化論系。フレンチ・セオリー、アガンベン等のイタリアン・セオリー)は傍流。
「思弁的実在論」の代表論者について
カンタン・メイヤスー
- 主著:『有限性の後で』
- ある種の唯物論を主張。真の実在は数理的に記述されるもので、それは人間的な(数的ではなく質的な)意味付けの外部にあるとされる。
グレアム・ハーマン
- オブジェクト指向哲学の代表者。主著は『四方対象』
- あらゆる事物を「オブジェクト」と呼ぶ。
- オブジェクトは根本的には他から絶対的に分離しており、「自らに引きこもって」いるとされる。絶対的無関係。ハイデガー的にいうと「タイ イン」。
- オブジェクトがバラバラに存在するレベルが「実在的」であり、他と関係づけられているレベルは「感性的」である、という二重構造(の入れ子構造化)で世界を説明
- 「新しい実在論」論者は傾向として、「そんな素朴なこと言うか?」と思えるようなことをガチで論証する人たち。ただハーマンは「なぜ世界はバラバラなのか?」ということに何の論証も与えておらず、そこはメイヤスーと異なる点。
マルクス・ガブリエル
- 日常的な事物や文学的作品のキャラクターにも量子物理学と同等の実在の地位を与えるべきだという立場。ある事物の実在を支える「意味の場」というのは無限に多様なので、それを包括するような「世界」は存在しない、という議論。
- 『なぜ世界は存在しないのか?』というタイトルでは「世界」の意味を変えてしまっている。よくない。
- 根源的な「非人間的な意味」の存在を論証する議論になれば面白いが、その場合にも「意味」の意味が変わっていることにはなる。
- ポストモダンでは「もののあり方というのは捉え方だ。だから真の実在にはアクセスできない」。
- ガブリエルは「もののあり方というのは捉え方だ。だから捉え方によってすべて実在する」と突き抜けた。
- でもそれって「俺にとっては二次元の嫁は存在する」みたいな話。マイノリティやポリコレ擁護に使えてしまうのがこの本。
「加速主義」
- テモなどの左翼運動を「フォーク・ポリティクス」と呼んで批判。抵抗のポーズを示すだけではダメ。技術発達を徹底的に加速させること。少なくともそれを理念とすべきとする立場。
東浩紀の「否定神学」批判との類似性
- 否定神学システム批判=メイヤスーの相関主義批判
- 世界と思考の相関。その外部にアクセス不可能なものがあり、それについて議論の空中戦を繰り広げるのが東浩紀が指摘した「否定神学システム」。『存在論的、郵便的』で展開された批判というのは、カント以来の近現代哲学のシステム総体にたいして向けられたもので、そのオルタナティブとして「郵便的」(アクセス不可能なものではないような外部性)なものを提示しようとした試みだといえる。
- 東さん自身、いまにして思えば、「ドイツ観念論が否定神学の構造を持っているよね」という話だったと。神秘思想、ロマン主義の残滓。フランスの話してるんじゃない。でも当時の能力ではそこまで持っていけなかった。
- いずれにせよ、ヨーロッパに関してここ最近になって登場した議論が、日本には90年代すでにあったということ。
関連書籍
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