90年代に現れた歴史修正主義的言説。多くの学術的な批判がなされてきたが、一向に収束する気配はなく、インターネット時代になってますます広く深く蔓延している。なぜ、学術は無力にみえるのか? あるいは、まだ学術の力を信じることはできるのか? 『歴史修正主義とサブカルチャー』の著者、倉橋耕平氏に話を伺った。(聞き手・構成/芹沢一也)
歴史修正主義と「言語ゲーム」
――最初に本書のコンセプトを教えてください。
今国会で財務省の公文書改ざんが話題になっていますが、あれこそまさに「歴史修正主義(=歴史否定論)」の系譜にある思考です。私が今回の本で問題にしていることの根幹というか、その最悪の事態がいままさに目の前で起こっている。歴史を恣意的に歪めることは、事実を歪めることです。それが国家の根幹を壊していく。悲しい現実です。
本書のコンセプトは、歴史修正主義(=歴史否定論)への批判は、なぜ彼らに届かないのか、という疑問に対して、メディア論の視角から解明しようとするものです。
――たしかに歴史修正主義への批判は数多くなされてきたのに、効果があったとはとてもいえず、徒労感を感じている人も多いと思います。
たとえば、南京事件をめぐっては、90年代末までに南京事件を否定する論への学術的な批判は終わっているにもかかわらず、いまなお否定論の書籍は数を増しています。なぜでしょうか?
もしこの四半世紀のあいだ、学術的な批判が否定論者たちに刺さっていないとするならば、批判者と否定論者のあいだでは決定的にものの捉え方が異なると考えなければなりません。それは「言語ゲーム」の違いとして理解できます。しかし、これまでの研究では、この「言語ゲーム」の違いの本質が何なのかを十分に言い当てられていませんでした。これが、批判が空転し続けた理由だと考えられます。
――学術的に真っ正直に批判しているだけではダメだということですね。
そうです。このことを考えるために、メディアという視角が重要でした。右派・保守イデオロギーを纏う歴史修正主義の思想は、90年代に学問とはまったく違う論理で普及・拡散したことが分かっています。
私は、彼らが用いているメディアに着目し、それによってかたち作られる知の形式とはどのようなものか、と問いを改めてみました。この形式がわかれば、現在起こっているインターネット上の現象も考えられるのではないか、と。
研究を進めるなかで、90年代に、アマチュアの知がメディアへの参加とコンテンツ化の循環を経て、さらには市場テクノロジーを用いながら拡散していったことが見えてきました。本書では、そのなかで作られた演繹的な思考の形式や、「論破」などのコミュニケーション・モードが現在にも広がっていったことを明らかにしています。
1990年代と「慰安婦」問題の浮上
――そうしたなか、いまにまでつづく「慰安婦」問題が浮上します。
1990年代は、政治・経済・社会が大きく変化した時代でした。東西冷戦構造が崩壊し、依拠すべき政治的な軸がわかりにくくなりました。他方で、戦後右肩上がりだった経済成長が停滞し、人々の働き方も変化を余儀なくされていきました。
現在、「慰安婦」をめぐって、韓国と日本の歴史認識と政治の問題としてアクチュアルに取りざたされていますが、「慰安婦」問題が大きく議論され始めたのはこの時期です。「慰安婦」への国内の関心は、戦後責任問題が周辺諸国の民主化・経済成長とともに新たなフェーズに入ったことを象徴していたと考えられます。90年代という時代の「変化」は、現在起こっているさまざまな事象の起点として非常に重要なのです。
――重要なのは1990年代なんですね。
90年代は、消費文化と政治領域が接合した、分析対象としてとても重要な時代だと思っています。たとえば文化領域で見てみると、CDのセールスが過去最高になったり、NIKEのエアマックス95が高値になったり、1980年代の経済バブルの雰囲気を残していました。
それは団塊ジュニア世代が若者文化の担い手となり、人口ボーナスがあったことと切り離して考えることはできません。90年代とは、80年代に興った消費文化がまさに花開いた時代でもあったのではないかと思います(私もエアマックス、エアジョーダン大好き!)。
――ちょうどそのころ30代だったので、とても雰囲気がよくわかります。いまでは考えられないくらい狂騒的な時代でした。
他方、政治領域では、新党結成ブームによる政界再編がありました。自民党が55年体制を維持できなくなり、与野党間で経済政策の違いを生み出せなくなったことから、外交問題とともに歴史認識、自国文化の優越性、人権意識、教育・教科書問題、「文化領域」の政治が際立ちはじめた時代です。
日本版の歴史修正主義はこのような政治・経済・社会の変化と、文化的アイデンティティの揺らぎから登場しました。「新しい歴史教科書をつくる会(以下、つくる会)」の藤岡信勝が述べているように(本書第2章参照)、冷戦構造の崩壊により、東京裁判を行なった連合国の史観でも、戦前教育に反映された(と藤岡が考える)コミンテルン史観でもない「日本の歴史観」を大事にしようというイデオロギーが登場してくることになります。
作者倉橋 耕平
発行青弓社
発売日2018年2月27日
カテゴリー単行本
ページ数240
ISBN4787234323
「知」の置かれている「位置」の違い
――そうして現れてくる歴史修正主義を、メディア論的に検討しようというわけですね。
そうです。これまで歴史修正主義(歴史否定論)への批判は、「どこが間違っているか(歴史学)」「誰が担っているのか(社会科学)」「どういうイデオロギーなのか(政治学)」といったさまざまな問いが解明されてきました。こうした先行研究は素晴らしい仕事をしてきました。
しかし、これまでの研究では、歴史修正主義について、「どこで/どのように語られているのか」、それによって「どのような知の形式を作り上げているのか」を十分には考えてこなかったのです。
――具体的にはどういうことでしょう?
たとえば、本書のなかで扱っている自己啓発書やマンガや雑誌は、大学の図書館には入っていません。
――あー、たしかに!
ここにアカデミックな「知」と、歴史修正主義の「知」の置かれている「位置」の違いが如実に現れています。それならば、この差異(あるいは規範の違い)を生んでいる「言語ゲーム」を問わなければ、いつまで経っても学術的批判は空転するだろうと思いました。
そこでメディア論の基礎的な問いに立ち返り、歴史修正主義の主張(言説内容)を存在させているメディアの形式(言説の形式)はどのようなものか、という点を問うことにしました。この作業が、現在twitterなどのインターネット上で日々展開されている「議論」のおかしさや、「ポスト真実」「フェイクニュース」などの現象を分析できるものともなればいいなと思っていました。
商業メディアと保守言説
――ご著書では、市場や商品という観点から、歴史修正主義あるいは保守言説を観察しています。
あらゆる商業メディアは、市場適合的(迎合的?)な言説空間と語りの形式を整備し、市場で流通するために最適な形を作ります。保守言説は、学術出版の世界からは距離を置かれた一方、「売れること(=消費者評価が高いこと)」を至上命題とする出版社と手を組んで発展してきました。その意味において、歴史修正主義の言説は、学術的な知の価値よりも商業的な評価を価値とする環境で発展してきました。
――商業主義的な環境でもまれてきた。たしかに、アカデミックな「知」とは素性がまったく違います。
はい。そして、このことは次の困難な事態を引き出します。すなわち、ある種の多数決主義的な「民主主義」主義と、市場で売れれば勝ち!という「商業主義」との親和性です。
もちろん、多数決主義=民主主義ではありません。多数決主義は「正しさ」とイコールではない。もし世界一売れたものが一番正しいのなら、一番おいしいラーメンはお湯を注いで3分でできるアイツになります。だけど、たぶんみんなそれを一番おいしいとは言わない。
商業化された歴史修正主義の言説が私たちにとって厄介である点はここにあります。学術書がいくら批判したって、彼らの方が市場を握っています。学術的に認められていなくても、売れているのは右派・保守・ヘイト本です。商業主義と論理的正しさは比例しないことも多いのですが、それを評価するものさしがあまりにも違うのです。
――本屋に行けばどちらが受け入れられているかは一目瞭然ですね。
そうですね。要するに、彼らはアカデミアとは目的が違うんです。彼らは、歴史学を更新したいのではありません。イデオロギーの異なる他者の威勢をくじきたいという一心で別のゲームをしているのです。新奇性のない議論を延々繰り返し、商売として言論を世に放っています。しかし、それを「ポピュリズム」と断じてよいのかどうか、私にはまだ判断がつきません。
ディベートという詐術
――歴史修正主義者はディベートという形式を好むとのことですが。
「歴史ディベート」は「つくる会」の藤岡信勝が、教育学の分野で実践を始めました。「歴史」を対象に「ディベート」することは、はっきり言って「詐術」です。
――詐術ですか!
というのは、歴史ディベートは討論や議論とは異なり、二項対立図式のゲームだからです。参加者はトピックに対して個人の主張とは関係なく「賛成派」と「反対派」に分けられ討議を行いますが、この方法のおかしなところは2点あります。
第一に、一方のチームに「通説」を論じさせ、他方のチームに「俗説」を論じさせます。たとえば、「大東亜戦争は自衛戦争であったか」をディベートするために肯定派と否定派にわかれます。通常、通説は科学的に実証と専門家の議論を経て形成されるものであるので、俗説(この場合は肯定派)は相手にされませんよね。でも、この方式はあらかじめ俗説を通説と「対等」のものとして扱わせることができます。
――けっして同じ地位にない言説なのに、同じ土俵に上げてしまうんですね。
ええ。つまり、論題を設定する時点で、俗説は「下駄を履かせてもらっている」状態なのです。
第二に、ディベートである以上、必要とされるのはディベートに勝つだけのアドホックな知識や論理のみであり、その他の情報や資料は無視してよいのです。意図的に無視することも、以前の発言との一貫性を覆すことも容易に可能としてしまう「言語ゲーム」です。そんな不誠実な歴史の論じ方ありますか?
――確かにその通りです。
歴史修正主義者がこれを好む理由は明白です。通常メイン・ストリームの歴史記述に対して、珍説を出しても誰も聞いてくれない。だけど、「ディベートだ!」といえば、必然的に議論のアリーナに他者を引きずりこむことができる。おっしゃるように同じ土俵に上げることができる。
そして、その場で勝てば、こちらの説が正しい、という印象を観客に与えることができるからです。いま、インターネット上で「論破論破」「完全論破」と騒いでいる人がいますが、まさにこの「言語ゲーム」の末裔です。
――ディベートという方法そのものに問題があるということでしょうか?
やはりこの方法の「知」には問題があります。先に述べた以外にも、「論破」自体が目的化して、歴史の「真実」「事実」の追求という態度からは逸脱するからです。また、その場で相手をやりこめればよいというコミュニケーション・モードですので、公文書・資料・証言・証拠など、それぞれ「重み」の違う対象を、論破のために用いる道具として同列で扱ってしまうことの問題性も指摘できます。
「歴史」の「ディベート」は歴史学にどのような貢献を果たすのでしょうか。私には歴史の解明とは全くかかわりのない営為のように見えます。この「論破」の形式的側面だけが継承されているのが現状ではないでしょうか。【次ページにつづく】
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