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コミュニケーションコストと密度と質と

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情報管理LOGの@yoshinonです。
最近は、LINEを始めとして、即時性のあるコミュニケーション手段が山ほどありますよね。一歩間違えると、コミュニケーション量が上がりすぎて、疲弊してしまうこともあるぐらいです。今まで人間の歴史の中でかつてないほど、コミュニケーションコストが下がりまくっているとも言えますよね。
今回は、コミュニケーションコストが下がることについて考えてみたいと思います。


  
【 コミュニケーションコストと密度と質と 】  

 1.あるマンガを読んだ

 2.コミュニケーションコストの低下と量の増大

 3.密度と質と







checkmark.png 1.あるマンガを読んだ

今回の記事を書くきっかけになったのは、あるマンガを読んだからです。
「届くこと」と題された、ものすごく短い短編読み切りマンガです。
これですね。





LINEに既読がついたのに返信が無い主人公に対して、そのおばあちゃんが、「相手に届いたことが分かるなんていいね」と言うのです。
そして、自分の戦時中の体験が語られていくのですが、とてもコミュニケーションというものについて考えさせられました。

1分ぐらいで読めますので、ぜひ読んでみてください。




checkmark.png 2.コミュニケーションコストの低下と量の増大

一番上でも書きましたが、私たちの生活は、かつてないぐらいにコミュニケーションに関するコストが下り続けています。上のマンガのように戦時中ならば、戦場にいる人に手紙が届くこと自体、奇跡のような感じであったはずです。さらに、今よりも郵便が発達していない時代だったら、手紙1通にかかるコストも時間も多かったはずです。

しかし現在は、限りなく0円に近いコストで(月々のデータ量はかかるけど)他の人と瞬時にやりとりすることができます。
1990年代にビル・ゲイツが、「電話(他者とのコミュニケーションコスト)は、限りなく無料に近づく」と予言したことが、いかに先見の明があったかが分かりますね。




これの究極版が、今のところこういうのですね。
LINEをずっとつなぎっぱなしにしておくことで、遠距離恋愛でありながらリモート同棲を実現するということのようです。なんだか、色んな意味でスゴイとしか言えない。




実は、これと似たことを私の知り合いの子どもから聞きました。
それは、放課後に友だち同士で、ずっとLINEのグループトークをオンにしておくというもの。ゲームの時ならず、勉強している時も、家族といる時もずっとなのだそうです。
寝落ちしていびきが聞こえてくることや、親から怒られている様子が聞こえることもあるそうなのです。
さすがに「うへ」と思ってしまったのですが、彼らにとっては、それが自然なことで別に気にならないようなのです。ジェネレーションギャップか?

このような(極端な事例ではあるけど)ことを見ていくと、私たちの生活自体、他者とのコミュニケーションに関わるコストが、低下しまくっていることが実感できるはずです。そして、コミュニケーションコストが低下すると、それと正反対に私たちのコミュニケーション量が増大していくのです。

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ゆるキャン△」では、ソロキャンプ中でもLINE(のようなもの)でつながっていて、コミュニケーションしているのが、自然に描かれています。

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checkmark.png 3.密度と質と

さて、そうすると必然的に1件あたりのコミュニケーション密度は、低下していきます。冒頭で紹介した戦時中に恋人に手紙をしたためていたおばあちゃんが、手紙に込めていた言葉の密度感と、常時いつでもメッセージをやりとりできる現在の我々では、1語あたりにこめる密度感が変わってくるのは、必然ですよね?

逆に言えば、密度が低下している分を量と時間で補うというのが、現在のコミュニケーションのありようとも言えます。

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どちらが、質的に上等かなどと言うつもりはありません。けれども、もう一度手紙の世界に戻りたいかと聞かれれば、残念ながら戻りたくはありません。やはり世界中どこにいても、即時性が担保される現状は、テクノロジーの正常な進化なのだと思いたいです。

コミュニケーションコストの低下によって、コミュニケーション密度が低下した分を量と時間で補うことによって成立している現状を手放しで喜べるかというと、それもまた微妙なんですよね。


画像引用:http://www.zenkyokyo.net/survey/313


このようにスマートフォンによる使用時間と学力の関係というのも研究によって、徐々に明らかにされてきています。

結局、平等に与えられているのは、

可処分時間 = 24h

でしかないわけです。
その時間をどのように使うか?というのが、現在の我々に課せられた課題なのかもしれません。


山と食欲と私」の最新刊である7巻でこういうシーンがありました。

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私たちに唯一平等に与えられている時間を何に使うのか?
どうすれば、「自分にとって」幸福が最大化するのか?


きっと、最終的にそれは「マナー」と呼ばれるものになったり、「一人の時間の確保」という課題になったりするのかもしれません。まだ、私たちは新たなコミュニケーションステージの合意形成の途上にいるのです。




 eyeglass2.png 情報管理LOGの眼
 常時接続の歴史は浅い

私たちの歴史を振り返ってみると、ここまで極端に他者とコミュニケーションコストが下がった時代というのは、たぶんありません。人間にとって、常時接続の世界の歴史というのは、始まったばかりで日が浅いのです。
だからこそ、享受し、疲弊し、混乱するのです。
もう少し歴史の積み重ねが必要なのかもしれませんね。個人レベルでの解決策が、全体としてのコンセンサスに至るまでは、時間がかかるのです。






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