2008-07-30 00:35:00

竹島問題に関する考察・その1

テーマ:政治

さて、やたら「竹島(独島)関連の資料を精査すれば、どちらの主張に正当性或いは説得力があるか」だの「竹島問題の解決法」だのと質問を受けているわけだが。

「竹島は日韓で係争中の島」くらいの認識で、特に興味を持っていたわけでもなく、いちいち資料を調べる必要があるので、勤め人には結構大変な作業だ・・・。

まあ、おおかた家賃0円あたりは、竹島(煩雑なので基本的に以下「竹島」表記のみ)を持ち出せば嫌韓に対する批判をかわせるとでも考えていたのだろう。



で、竹島問題。


質問は二つ。

1.竹島(独島)関連の資料を精査すれば、どちらの主張に正当性或いは説得力があるか

2.竹島問題の解決法


(※最初に断っておくが、別に日本政府の代弁も韓国政府の代弁もするつもりはないので、両者の公式見解とは必ずしも一致しない個人的な見解を述べる。その辺誤解なきよう。自己と国家を同一視する傾向の強いネトウヨには理解できないだろうけど。)

あと、長くなったんで「2」は、別のエントリで挙げることにして、今回は「1」のみ。


「1」は歴史上での占有根拠をもって、日韓どっちに正当性があるかということかと解するのだが・・・
(「竹島(独島)関連の資料」って、主に歴史資料を指すとみなします)


でね、主張そのものの内容は、日本:「竹島は日本領」、韓国:「竹島は韓国領」の一点のみで、その他にその主張の根拠などがあると思うのだが、根拠の正当性まで言及すると玉石混交でどうにも面倒なので、そこには踏み込まない。


簡単に・・・

日本の「竹島は日本領」という主張、韓国の「竹島は韓国領」という主張、についてそれぞれ正当性があるかどうかを考えることにする。


といってもまあ、江戸時代以前の資料はあまり意味がないと思うので1905年以降で考える。


で、このころの状況を簡単に述べておこう。


まず、1904年2月8日には、日露戦争が勃発している。開戦前に韓国政府は中立宣言していた(1904/1/21)にも関わらず、日本は韓国ソウルを軍事占領し、日韓議定書(1904/2/23)を締結した

日韓議定書の第4条
「(略)大日本帝国政府は前項の目的を達する為め軍略上必要の地点を臨機収用することを得る事」

これを根拠に日本は韓国の道路、港湾各所を軍事占領していく。

この韓国の軍事占領を担当したのが、韓国駐箚軍(1904/3/11-1910/10/1)である。


韓国に上陸した日本軍第一軍は1904年5月に鴨緑江を渡り、清国領土に入り1904年8月末には遼東半島に上陸した日本軍第二軍、第四軍と合流して遼陽を攻撃・占領している。この1904年8月には、旅順近海で黄海海戦(1904/8/10)があり、日韓海上交通線の脅威であったウラジオ艦隊の撃破(蔚山沖海戦1904/8/16)があり、日本にとって優位に展開している。

この1904年8月に日本は韓国に対する内政干渉を強化する第一次日韓協約(1904/8/22)を結んでいる。

さらに直後の1904年9月、韓国駐箚軍の司令官は原口少将から長谷川大将に代わっている。原口少将は駐箚軍司令官拝命前は休職中であったが、長谷川大将は近衛師団長である。この点や、司令官を少将級から大将級に変えた事を見ても韓国駐箚軍の政治力が強化されたことがわかる。


さて、日露戦争について言えば、その後満洲の戦線は徐々に北上し1905年1月には第三軍が旅順を陥落させ戦争における日本の優位(と言っても日本が大負けはしないだろうという程度だが)が知れ渡るようになる。


まさに、この1905年1月28日に日本は竹島の領有宣言をする。と言っても韓国政府に対して宣言したわけではなく、2月22日付の島根県告示第40号に載せた程度らしい。これに韓国政府が気づくのは、1906年のことになるのだが、それまでに何があったか。


1905年3月の奉天会戦、5月の日本海海戦で、日本の勝利はほぼ確定し局面は講和交渉を主体としたものに移り、1905年9月のポーツマス条約によって戦争は終結した。


さて、日韓議定書によれば、日本が韓国に軍隊を駐留できるのは「第三国の侵害に依り若くは内乱の為め大韓帝国の皇室の安寧或は領土の保全に危険ある場合」という条件付である。


ロシア軍の脅威が去った時点で、日本軍は韓国から引き揚げるべきなのだが、日本軍は韓国に居座ってしまう。まるで、日露戦争前の満洲に居座ったロシア軍と同じである。


そしてこの状況下で、日本は第二次日韓協約(韓国の保護国化)(1905/11/17)を韓国側に強いるわけだ。
この時点をもって、韓国の外交権は日本に奪われ、日韓間に問題が起きても韓国には諸外国に訴え出る法的根拠が失われることになる。


こうした日本による韓国保護国化が進んだ状況下の1906年3月28日、島根県の竹島調査団が鬱陵島に訪れ、竹島が日本の領土になったことを伝えたのである。
これに驚いた韓国側の鬱陵島郡守が、韓国政府に本郡所属の独島に日本官員一行が訪ねて来て、独島が日本領土になったので視察がてら来たと述べていた」と報告したとされる。
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima06/takeshima06_05.html
http://www.chosunonline.com/article/20050308000070


これが事実であれば当時、韓国側は竹島を自国領と認識していたが、既に保護国化され国際社会に対する訴えなど出来ない状況であったことになる。


したがって、1905年1月28日の竹島領有宣言に対し異議が出なかった、と日本が主張しても正当とは断言できない。ただし、当時の帝国主義的国際法秩序に従うなら正当化できる。


一方で、1952年1月18日の韓国による竹島領有宣言も半世紀前の日本による領有主張に対する異議として解釈する限り正当性はあると言える。


(当時の)国際法では日本の領有権主張は合法なのだから、韓国が戦後に武力を背景に領有権主張するのは違法だ、という意見もあろうが、そう単純ではない。


そもそも、1905年の日本による領有権主張も1952年の韓国による領有権主張も、”武力を背景にし、かつ、相手国が占領下にある状況での一方的な主張”であることには変わりはない。


この辺については、日韓いずれも肝に銘ずるべきだろう。


その上でなお「1905年当時はそういう時代だったが、1952年当時はそうではない」と主張する人もいるだろう。しかし、これもそうとはいえない。


つまり、1950年代と言うのは、帝国主義時代に植民地化された第三世界が独立闘争を激しく行っていた時期であることに留意しなければならない。


例えば、エジプトにあるスエズ運河は、19世紀にエジプトがイギリスに対し株を売り渡すことによって”正当に”イギリスの物となったわけだが、1956年にエジプトは一方的にスエズ運河の国有化を宣言している。これによって第二次中東戦争が勃発したわけだが、国連はエジプトの正当性を認め、最終的にイギリスは国際的な非難を浴びて撤退している。


要するに、”1905年当時はそういう時代(帝国主義的植民地化が正当化された時代)”と言うのなら、”1952年当時もそういう時代(帝国主義的に奪われた利権の回収が正当化された時代)”と言うこともできるわけだ。


というわけで、「1」の回答は、領有権主張は日韓ともに正当だ、というのがscopedogの見解。

竹島問題は植民地時代の残滓を引きずった領土紛争である、という認識です。





(以下、蛇足)

えー、もちろん、これは日本政府の見解とも韓国政府の見解とも異なります。

どうにも嫌韓バカは、”日本=オレ”的思考でしか考えられない程度の知能しか持たないため、”嫌韓を批判する=反日=韓国”レベルの解釈しか出来ません。

なので、私に対して、在日だのなんだの、とネット上で判断できるわけもない民族属性を勝手に妄想して決め付けてきます。私は、そういう奴らをアホと認識しているので肯定も否定もしません(大体、したところでネット上では証明できないし)。



ちなみに、平和条約交渉時の米国非公式見解を日韓ともによく自説の根拠に使おうとしているようだけど・・・


1.日韓基本条約で想起している平和条約には竹島領有権の所在は明示的に示されていない(韓国は平和条約そのものの調印国ではない)。

2.米国の非公式見解の如何は、いずれの領有権主張の正当性も損なわない。


ので、あまり意味はないと思いますよ。

先のスエズ運河の例では、当時の西側諸国の見解はエジプトに不利でしたが、結局はエジプトの正当性は認められました。1950年代に米国の見解がどうだったにせよ、なんら確約を伴わない、まして非公式の見解が現在の米国の態度まで束縛するわけではありません。

竹島問題は、現在の政治問題であって歴史研究ではありません。解決のために考えるべきなのは、歴史研究の成果が政治問題にどの程度資するか、そしてそれが、歴史研究以外の現在の国際情勢の影響に対してどの程度の影響力を持ちうるか、と言う点です。

それについては、また別のエントリで書く予定。







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コメント

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24  taspon

>韓国は領有「宣言」だけで終わってない、丸腰の漁民が殺されてんだよ!知らないとは言わせねえ

まあ、落ち着け、バカ。

もう一度わかりやすく教えてやる。

「1952年1月18日の韓国による竹島領有宣言も半世紀前の日本による領有主張に対する異議として解釈する限り正当性はあると言える。」

ここで正当性があると言っているのは「韓国による竹島領有宣言」であって、「領土奪還の正当性が与えられる」なんて一言も言っていない。

だから、「もし過去に「自国領との認識があった」というだけで、領土奪還の正当性が与えられるのなら、中国共産党のチベット侵略も正当な行為だと言えてしまうが>それでいいのか?」(taspon 2008-09-11 00:26:11)

なんて言われても、
「「もし過去に「自国領との認識があった」というだけで、領土奪還の正当性が与えられるのなら、」
という前提条件の部分は、そもそもtasponと共有していないので、それ以下については答えようがないわけ。

わかる?

言うまでもないけど、中国共産党のチベット支配は、日本の韓国併合同様に不当な行為だと思ってるよ。

でも、ここで言ってるのは「韓国による竹島領有宣言」の正当性であって、領土奪還の正当性じゃない。

勝手にtasponが言葉をすりかえているだけの話。

すりかえに気づかれてひっかけをかわされたからと言って、怒るのはどうかと思う。


「丸腰の漁民が殺されてんだよ」
については、直接的には李ラインの問題。まるで韓国官憲が竹島上陸に際して漁民を殺したかのような言い方だが、正確ではないね。
で、これについては「その2」で「一方の韓国にしても、1952年のやり方をアメリカが是とするとは考えにくいですから、竹島返還には至らずとも対日賠償などを課せられる可能性はあるでしょう。」と言及しているように、私だって認めているわけじゃありません。

ま、最も、嫌韓バカが大好きな「日韓請求権並びに経済協力協定」第2条1を適用すると、日本の漁民が受けた被害についても「完全かつ最終的に解決されたこととなる」わけだが。

23  お前ナメてんのか?

「奪還」だとか「宣言」とかの言葉尻の話じゃねえんだよ
韓国が日本人に対してやった行為を言ってんだ
領有宣言?
韓国は領有「宣言」だけで終わってない、丸腰の漁民が殺されてんだよ!知らないとは言わせねえ

当時の日本は武装解除され、手が出せないのをいいことに、韓国は日本人の血を流して、竹島を力づくで占領した
島根県の領土編入宣言とはワケが違うんだよ
それを「半世紀前に日本がやったことをやり返しただけ、だから当時の価値観からすれば、韓国の行為は正当だ」お前はこう言ってるのと同じだ
その理屈が通るんなら、「もともと中国領だったものを取り戻した」とさえ言えば、中国がチベット領有権を「主張」すること自体は、当時の価値観から見て、正当化できてしまうだろ?
と言ってるんだよ
まず、韓国の竹島占領と中共のチベット武力占領の違いを、納得できるように説明しろ

22  taspon

>>もし過去に「自国領との認識があった」というだけで、領土奪還の正当性が与えられるのなら、中国共産党のチベット侵略も正当な行為だと言えてしまうが
>>それでいいのか?
>これに対する反論は?

反論も何も、領土奪還に正当性があるなんてどこで言った?


「1952年1月18日の韓国による竹島領有宣言も半世紀前の日本による領有主張に対する異議として解釈する限り正当性はあると言える。」

↑ほら、言ってない。
領有宣言だけなら、日本だって竹島は日本領だと主張しているわけだからね~。

ちゃんと読め、バカ。

21  >二之宮さん

>1905年年以前に韓国が竹島に対して領有権を主張した証拠はありません。

えらく簡単に断言しますねえ。ちゃんとエントリを読んでますか?


>また、韓国が抗議不可能だったという主張も根拠不足です。

「根拠不足」と断言する根拠が不足していますね。


>サンフランシスコ平和条約の半月城の解釈はまるっきりデタラメですね。ラスク書簡やヴァン・フリート特命報告で竹島が日本領として残されたのは明白です。

そういうことをここで言ってもしょうがないのでは?半月城さんに言ってください。

20  面倒なのでとりあえず1つだけ

>もし過去に「自国領との認識があった」というだけで、領土奪還の正当性が与えられるのなら、中国共産党のチベット侵略も正当な行為だと言えてしまうが
>それでいいのか?

これに対する反論は?

19  無名さん 3

>サ条約にあたり、第一案に存在した竹島の名が最終的に外れていますし、

非調印国の韓国には関係のない話です。


>韓国政府の竹島領有に対し米国はラスク書簡という外交文書で明確に否定しています。

米国の当時の情報に基く、非公式の文書であって何等拘束力を持ちませんね。



>それにSCAPIN2160号では、竹島を空爆演習の目標にする際、韓国ではなく日本政府に通達していますね。この段階で竹島は日本政府の管轄になっていることを示しています。

単に実効支配している側に通達しただけの認識であって、それこそ領土決定ではないと思いますが?

18  >無名さん

>>2.韓国は、1900年大韓帝国勅令41号で明確に韓国領としています。
>2は間違い。
>勅令に石島の位置が書いておらず不明確だが、古地図を見ると大韓帝国勅令41号の石島は竹島ではなく鬱陵島の属島の観音島になるんだとさ。

太政官布告にだって直接位置を書いていませんよ。

だから、江戸時代以前の話はあまりしたくないんだが、結局のところ、正確な地図が当時なかったことをいいことに、韓国の「竹島は韓国領」という主張は「古地図を見ると」間違いだと言い張り、日本が「竹島外一島」を放棄したという主張は現在の竹島は含まれない、と言い張っているわけで、まあ見苦しいですね。

日韓ともに不正確な地図や測量の解釈をぶつけあっているだけであまり意味がないと思いますよ。
1900年大韓帝国勅令41号に関しては別途エントリにあげる。


>現在のところ、韓国が自国領と認識していない資料(鬱陵島を韓国の最東端としている大韓地誌など)はあるが、韓国が自国領と認識していた資料がない。

1877年太政官布告は、日本が自国領と認識していない資料とも言えますよ。
あと、1900年大韓帝国勅令41号の他に、エントリに書いた鬱陵島郡守の報告は韓国が自国領と認識していた資料とも言えます。



>>1952年4月、サンフランシスコ講和条約が発効するが竹島(=独島)は一言半句も記述されていない。
>故に、日本領になるが正解です。

これもちょい違うなあ。
講和条約は竹島に言及していないのだから、日韓どちらの領土かについて講和条約は何の保障もしていません。


17  >無名さん、腹黒紳士さん

>>1.1877年(明治10年)日本の明治政府は太政官指令で、「日本海内竹島外一島ヲ版図外」とし、「竹島外一島の件については、日本と関係がないことを心得るべし」としています。
>まず、この竹島は鬱陵島のことです。江戸時代から当時までは、現・竹島を「松島」と呼称しています。


当時の測量技術で、地図だどうだと言ってもあまりにも信憑性がねえ・・・

とりあえず指摘しておきたいのは、

「1877年の太政官指令の「竹島外一島」とは、島根県が提出した「磯竹島略図」の内容をそのまま記載しているため、鬱陵島と現在の竹島を意味している事になるが、当時は鬱陵島を「松島」として認識しており、この指令によりすぐに政府が鬱陵島と現在の竹島の領有を放棄したとは言えない。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B3%B6%E5%A4%96%E4%B8%80%E5%B3%B6

と言う点。無名氏の説明とはやや異なりますね。

端的に言うとですね、明治初期の時点で現在の鬱陵島や竹島をどう読んでいたか、各文書での表現は現在のどの島か、なんてことを実証することは基本的に不可能ということ。言えるとすれば、各文書間に関連がある場合だけです。

この場合で言えば、1877年太政官指令は「磯竹島略図」と関連しているわけです。
それを素直に解釈すれば、「竹島外一島」は「鬱陵島と現在の竹島」となるでしょう。
「当時は鬱陵島を「松島」として認識」なんてのかなり無理やりな言い訳ですね。1877年太政官指令の「竹島外一島」の位置を明確に定義した文書があれば別ですが、そうでなければ島根県提出の「磯竹島略図」記載の位置とみなすのが最も自然です。



>外一島が現・竹島であるというより、日本名のない架空の一島の可能性が高い。

かなり希望的観測が入っているように思えますね。


16  >通りがかりさん

>以上を考慮すると、1905年以来日本が持っていた竹島に対する領域権原は、SCAPIN-677によって喪失したわけではありません。山木さんが指摘するように、一般に、講和条約において条約の非調印国である第3国の既得権益は侵されないというのが国際法の慣習ですから、日本の領域権原はSF条約をもってなお継続したと見なすべきです。

いや、日本は講和条約第3国ではありませんから、「SF条約をもってなお継続した」という解釈はおかしいと思います。
講和条約で言及している内容以外の日本の既得権益については、講和条約は何等保障していない、と解釈すべきとおもいますが?

15  taspon 4

>外交権を奪われていたから国際社会に訴えられなかった、とあるが、異議は当事者の日本に対して申し立てれば良いのであって、必ずしも広く国際社会に訴える必要は無いだろう
>たとえ外交権を奪われていたとしても、韓国が日本に対し「異議を述べた」という公的記録がどこかに残ってればいいんじゃないか、当然文書でな
>日本の領有宣言にしても、島根県告示第40号に載せた程度なんだからww

もちろん、文書が残っていれば有力な根拠になるでしょうね。
しかし、島根県告示第40号に比べるなら、「韓国が日本に対し「異議を述べた」という公的記録」でなくとも、鬱陵島郡守が中央政府に報告した公式文書でも構わないでしょうね。いずれも国内向け文書ですから。
その意味では、1900年大韓帝国勅令41号なども根拠と言えるでしょうね(これについては別途エントリで書くつもり)。



>それに、もしも日本が「無人島」ではなく、鬱陵島を勝手に自国領に編入していた場合でも、韓国は異議を唱えなかっただろうか?

無人島と住民のいる島を比べて、何かを語っているつもりのようですが、何を言いたいのでしょうか?


>このコメントを承認しなくても
>その時は、通りすがりの三国人さんのブログに書き込むとするよwww

ご自身のバカをあちこちで示したいようですから、どうぞご随意に。

14  taspon 3

>引用文なのでscopedogに責任は無いにしても、変だと思わなかったのかね?

とりあえず、tasponの国語力は変だと思うが、それ以外は特に変だと思わんな。


>さらに「これが事実であれば」と、不確実な情報であるとの認識がありながらも、scopedogは確信的にこれを領土主張の正当性の根拠にしている

「AであればB」というのは、文法的には仮定形と言って、Aという条件が成り立つならば、Bである、という意味ですよ。
わかってますか?

この場合、鬱陵島郡守の件については、直接資料に当たったわけではないので、scopedog自身にとって「不確実な情報」であるために、わざわざ仮定形を使っています。
「確信的にこれを領土主張の正当性の根拠にしている」という言いがかり(ネトウヨはこういうのが得意だね)にしても無茶苦茶。
もし「確信的にこれを領土主張の正当性の根拠にしている」なら、「これが事実であれば」なんて言いません。

このくらいバカでもわかると思うのですが、tasponはバカ以下ってことでいいですかね?

13  >taspon 2


>領土主張の正当性の根拠が、(略)このふたつは等価なのか?

等価ではないから
「ただし、当時の帝国主義的国際法秩序に従うなら正当化できる。」
とはっきり書いている。読めなかった?


>>「本郡所属の独島に日本官員一行が訪ねて来て、独島が日本領土になったので視察がてら来たと述べていた」
>↑この最初の「独島」の部分は「鬱陵島」の誤記なのか、それとも文法表現を誤ったのか
>はたまた当時無人である竹島に、郡守もしくは、誰かが常駐していたのか(だとしたら韓国の先占の証拠になる)
>何れにしても、誰もいないはずの島に「訪ねて来て~」という表現は、前後の文脈からもおかしいし、どこか不自然だろ
>まるで誰かが竹島に住んでいたかのようだ・・・

引用して非難する前にその内容をちゃんと読め。

「日本官員一行」は竹島の調査団なので、当然竹島に行っている。その上で鬱陵島に立ち寄ったわけ。
韓国人から見れば、「独島に日本官員一行が訪ねて来」た、と言っても何も文法的におかしくない。
「「訪ねて来て~」という表現」をとっているのは、独島(竹島)が「本郡(鬱陵郡)所属」と考えているから、と解釈して何の問題もない。

それを「前後の文脈からもおかしい」と感じるのは、tasponの頭がおかしいからでしょう。
もっと日本語を勉強しましょう。



12  >taspon

>しかも何で勝手に「みなし」てんだろww

ちゃんと日本語が読めていないようなので説明しておこう。
tasponのその引用の直前に

「1」は歴史上での占有根拠をもって、日韓どっちに正当性があるかということかと解するのだが・・・

というこちらの認識を前提条件として挙げているからだ。
そもそも
「竹島(独島)関連の資料を精査すれば、どちらの主張に正当性或いは説得力があるか」
という質問から「歴史上での占有根拠」を重視していることを読み取るのがそう特異なこととはいえまい。

大体、「歴史上での占有根拠」を全く考慮しないのなら、竹島が現状韓国の実効支配にあって日本の行政権が及んでいない点のみを考慮することになるわけで、事実上の韓国領土ということの現状追認にしかならんのだがね。

まあ、tasponが高みに立ったつもりで中身がないにも関わらず、えらそうに何か言いたかった、という幼児性を大事にしていることはよくわかった。


11  >山木さん

>国際法上、無主地(所有者のいない土地)の編入は認められています。逆に言えば、所有者のいる土地を編入した場合は国際法違反の可能性があります。つまり日本が竹島(=独島)を韓国領と認識していたか否かが争点になると思われます。

この辺、証明が困難で、かつ、幕末の小笠原諸島や千島列島での領土争いの例を考慮すると、決定的な争点とはなりにくいのではないでしょうか?


>一般に、講和条約において条約の非調印国である第3国の既得権益は侵されないというのが国際法の慣習である。講和条約の非調印国である韓国は竹島(=独島)に対する支配権をそのまま維持することになった。

これに関しては、国際社会から承認されたわけではないが、さりとて否定されたわけでもない、と言う意味で同意です。
些細な点かも知れませんが...
日韓基本条約でサンフランシスコ講和条約を想起している点をどう判断すべきか、について確信がもてませんが、講和条約本文に何等言及されていない点から(講和条約交渉過程で何が語られていようと)、日韓基本条約経由で、韓国が竹島の取り扱いについていかなる制約を受けることはないと考えてます。

10  へいちゃん さん

情報ありがとうございます。

ご紹介の本は未読ですが、太政官指令や大韓帝国勅令について、調べてみて色々興味深い点がありましたので、別途エントリーにあげたいと思います。

9  竹島は日本領ですね。

1905年年以前に韓国が竹島に対して領有権を主張した証拠はありません。
于山島=竹島の主張は地図の分析で完全に崩壊しています。(于山島に竹が生えていると記載された地図が発見されています。)
結局のところ、韓国には1905年以前に竹島を自国領とする地図は一枚も見つかっていませんし、竹島を調査した記録もありません。
また、韓国が抗議不可能だったという主張も根拠不足です。
サンフランシスコ平和条約の半月城の解釈はまるっきりデタラメですね。ラスク書簡やヴァン・フリート特命報告で竹島が日本領として残されたのは明白です。

8  簡単に指摘

>1.1877年(明治10年)日本の明治政府は太政官指令で、「日本海内竹島外一島ヲ版図外」とし、「竹島外一島の件については、日本と関係がないことを心得るべし」としています。

まず、この竹島は鬱陵島のことです。江戸時代から当時までは、現・竹島を「松島」と呼称しています。
さらに、この時期の地図は測量ミスなどで、現・竹島、鬱陵島以外にももう一島、地図上に架空の島が存在します。
江戸時代の「竹島一件」で朝鮮領と確定した鬱陵島、幕府が日本領と認識していた松島(現・竹島)のほかに日本名のない日本政府が日本領と認識していない一島が地図にあった。
外一島が現・竹島であるというより、日本名のない架空の一島の可能性が高い。

>2.韓国は、1900年大韓帝国勅令41号で明確に韓国領としています。

2は間違い。
勅令に石島の位置が書いておらず不明確だが、古地図を見ると
大韓帝国勅令41号の石島は竹島ではなく鬱陵島の属島の観音島になるんだとさ。

というわけで、1が言う通りだとしても2が成り立たない。
そうなると1905年の竹島編入が有効になるわけ

>つまり日本が竹島(=独島)を韓国領と認識していたか否かが争点になると思われます。

違います。韓国が自国領と認識していたかが争点になる。
現在のところ、韓国が自国領と認識していない資料(鬱陵島を韓国の最東端としている大韓地誌など)はあるが、韓国が自国領と認識していた資料がない。

>1952年4月、サンフランシスコ講和条約が発効するが竹島(=独島)は一言半句も記述されていない。

故に、日本領になるが正解です。
サ条約にあたり、第一案に存在した竹島の名が最終的に外れていますし、
韓国政府の竹島領有に対し米国はラスク書簡という外交文書で明確に否定しています。

つか、SCAPIN677号の6項にこれが領土決定でない旨が書いてありますし、
GHQに領土を決定する権限自体ないですよ。単に管轄をどうするかだけの話です。

それにSCAPIN2160号では、竹島を空爆演習の目標にする際、韓国ではなく日本政府に通達していますね。この段階で竹島は日本政府の管轄になっていることを示しています。

7  無題

2.韓国は、1900年大韓帝国勅令41号で明確に韓国領としています。

また勅令41号ですか。これに出てくるのは竹島と石島。石島が独島という証拠は全くなし。発音が似ているなんて論外ですからね。



6  無題

「SCAPIN」
http://ja.wikipedia.org/wiki/SCAPIN

SCAPIN-677

6 この指令中の条項は何れも、ポツダム宣言の第8条にある小島嶼の最終的決定に関する連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。

以上を考慮すると、1905年以来日本が持っていた竹島に対する領域権原は、SCAPIN-677によって喪失したわけではありません。山木さんが指摘するように、一般に、講和条約において条約の非調印国である第3国の既得権益は侵されないというのが国際法の慣習ですから、日本の領域権原はSF条約をもってなお継続したと見なすべきです。

5  その3

外交権を奪われていたから国際社会に訴えられなかった、とあるが、異議は当事者の日本に対して申し立てれば良いのであって、必ずしも広く国際社会に訴える必要は無いだろう
たとえ外交権を奪われていたとしても、韓国が日本に対し「異議を述べた」という公的記録がどこかに残ってればいいんじゃないか、当然文書でな
日本の領有宣言にしても、島根県告示第40号に載せた程度なんだからww
それに、もしも日本が「無人島」ではなく、鬱陵島を勝手に自国領に編入していた場合でも、韓国は異議を唱えなかっただろうか?


このコメントを承認しなくても
その時は、通りすがりの三国人さんのブログに書き込むとするよwww

4  続き

最初の「独島」を「鬱陵島」にした方が、文章として自然なんだが
※「本郡所属の「鬱陵島」に日本官員一行が訪ねて来て、独島が日本領土になったので視察がてら来たと述べていた」

ほら、こっちのがしっくりくるだろwwだが、だいぶ意味合いが違ってくるね
元のURL先の記事を読んで確認してみたが、日本官員一行が訪ねて来たのは独島では無く鬱陵島だよな?独島(竹島)は「調査し」に行ったんだし
まさかこの記事の原文を書いた人物は、意図的に独島と鬱陵島をごっちゃにして、ワザとすり替えたんじゃあるまいなww
なんだか小賢しい印象操作のニオイがプンプンする文章だよ
引用文なのでscopedogに責任は無いにしても、変だと思わなかったのかね?

>これが事実であれば当時、韓国側は竹島を自国領と認識していたが、既に保護国化され国際社会に対する訴えなど出来ない状況であったことになる。

元記事を何度読み返しても、沈郡守の「報告書」とやらの全文が掲載されている訳でも無く、
実はこれが一番肝心なんだが、その報告書に対する韓国中央政府の反応も明らかにされてない
鬱陵島の役所前で太極旗を振っている写真など、竹島を領有していたと認められるような具体的事実では無いしなww
よって、この記事からは「鬱陵島の郡守が竹島を韓国領と思っていた」以上の事実情報は読みとれない
しかし、scopedogは勝手に「韓国側は竹島を自国領と認識していた」などと自分に都合良く解釈し
さらに「これが事実であれば」と、不確実な情報であるとの認識がありながらも、scopedogは確信的にこれを領土主張の正当性の根拠にしている

3  とりあえず幾つか真面目に突っ込んでみる

その1
>(「竹島(独島)関連の資料」って、主に歴史資料を指すとみなします)

こと領土問題を語る上で、歴史資料だけを根拠にするのは、非常に危険だということを理解しておいた方がいい
なぜなら、すべての国の領土主張が正当化されてしまい、侵略行為をも正当だと主張する根拠ともなり得るからな
しかも何で勝手に「みなし」てんだろww

その2
領土主張の正当性の根拠が、日本側は「1905年1月28日の竹島領有宣言」と法的根拠ともいえる具体的事実であるのに対し、
韓国側は「竹島を自国領と認識していた」などと、ハッキリした根拠の無いscopedogの個人的推測を挙げているが、このふたつは等価なのか?
当然、韓国側も竹島を領有していたと認められるような具体的事実を挙げるべきではないか
1で述べたことと重複するが
もし過去に「自国領との認識があった」というだけで、領土奪還の正当性が与えられるのなら、中国共産党のチベット侵略も正当な行為だと言えてしまうが
それでいいのか?
まあ個人的見解であると前置きしているので、scopedog本人は別に構わないんだろうがww

>「本郡所属の独島に日本官員一行が訪ねて来て、独島が日本領土になったので視察がてら来たと述べていた」

↑この最初の「独島」の部分は「鬱陵島」の誤記なのか、それとも文法表現を誤ったのか
はたまた当時無人である竹島に、郡守もしくは、誰かが常駐していたのか(だとしたら韓国の先占の証拠になる)
何れにしても、誰もいないはずの島に「訪ねて来て~」という表現は、前後の文脈からもおかしいし、どこか不自然だろ
まるで誰かが竹島に住んでいたかのようだ・・・

2  竹島(=独島)について

>したがって、1905年1月28日の竹島領有宣言に対し異議が出なかった、と日本が主張しても正当とは断言できない。ただし、当時の帝国主義的国際法秩序に従うなら正当化できる。

前半部分に異議はありませんが、後半の「当時の帝国主義的国際法秩序に従うなら正当化できる」について、にわか勉強の私がえらそうに言えることではないのですが、少しscopedogさんと違う見解を述べさせてください。

国際法上、無主地(所有者のいない土地)の編入は認められています。逆に言えば、所有者のいる土地を編入した場合は国際法違反の可能性があります。つまり日本が竹島(=独島)を韓国領と認識していたか否かが争点になると思われます。

国際法(ウィキペディア)
「国家領域」の項目を参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%B3%95

それから韓国の領有権主張を簡単に述べると下記のようになります。(『マンガ嫌韓流のここがデタラメ』より半月城さんが執筆された部分を抜き書きします。)

1946年、竹島=独島は連合国最高指令SCAPIN677号により日本の支配から暫定的に切り離され、韓国を統治していた米軍政庁の管轄下におかれる。

1948年、韓国は独立して米軍政庁の統治を受けつぎ、竹島=独島を慶尚北道の管轄下におき、同島に学術調査団を派遣する。

1952年4月、サンフランシスコ講和条約が発効するが竹島(=独島)は一言半句も記述されていない。

一般に、講和条約において条約の非調印国である第3国の既得権益は侵されないというのが国際法の慣習である。講和条約の非調印国である韓国は竹島(=独島)に対する支配権をそのまま維持することになった。

1  竹島問題について

「竹島=独島論争 歴史資料から考える」 著者:内藤正中・朴炳渉ほか、出版社:新幹社 2007年3月1日発行をお読みになられたでしょうか。
 江戸時代以降の本件に関する両国の歴史資料を精査して論じています。竹島の問題を論ずる場合の基本的な書物です。
 明治以降については、
1.1877年(明治10年)日本の明治政府は太政官指令で、「日本海内竹島外一島ヲ版図外」とし、「竹島外一島の件については、日本と関係がないことを心得るべし」としています。
2.韓国は、1900年大韓帝国勅令41号で明確に韓国領としています。
よくわからないので 何度も送信になっているかもしれませんが、お許しください。
以上
へいちゃん

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