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地域歴史発見・頼朝の落馬の真相は?

2013年3月1日 取材&記事:happyrarasan  


 
  今を去ること、800年前、今の辻堂で、頼朝公は落馬し意識喪失し、鎌倉の館に護送されました。
 そして、一時回復したものの建久十年己未(1199年)1月13日薨去されました。 享年53歳 でした
 なぜ落馬したのか、古文書により、様々な記述がされています。
 辻堂東海岸の郷土歴史家大石静雄氏は子供の頃から興味を持ち、長い間、この史実を調査してきました。
 そして2007年、落馬地点とされる地点に、一つの史実として、市や町の協力も得て、たて看板を設置しました。
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源 頼朝公  落馬地(藤沢市辻堂2-17-1)とされる所に立てられた、たて看板。
yurai yoritomo看板に記述されている由来書き
           「薨去」とは大将などの高官が亡くなった時使う言葉:郷土史研究家 大石静雄氏の考証による。
『吾妻鏡』と『保暦間記』について  鎌倉時代に成立した歴史書で、その年代は
   1192    1333・・・鎌倉時代
1180    1266・・・吾妻鏡
  (治承4年)  (文永3年)
1156         1339・・・保暦間記
  (保元元年)      (暦応2年)
azumakagami yoritomo 『吾妻鏡』又は『東鑑』鎌倉時代に成立した日本の歴史書。
鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記、1180年(治承4年)から1266年(文永3年)までの幕府の事績を編年体で記す。
成立時期は鎌倉時代末期の1300年頃、
1、「吾妻鏡」には、頼朝の死から前後3年間が欠落している。鎌倉幕府が編纂した正史「吾妻鏡」に、初代将軍の死にまつわる記録がなくなっている(またはもともとない)というのは、あまりにも不自然であるという。
2、頼朝は、落馬が原因で死んだと「吾妻鏡」に書かれたのは、死後13年も経った後のことである
『保暦間記』(ほうりゃくかんき)
日本の中世、南北朝時代に成立した歴史書。
鎌倉時代後半から南北朝時代前期を研究する上での基本史料である。
源頼朝の死について、建久10年(1199年)に、相模川橋供養の帰路、八的ヶ原(現在の辻堂および茅ヶ崎の広域名)で源義経らの亡霊を、稲村ヶ崎海上に安徳天皇の亡霊を見て、鎌倉で気を失い病に倒れたと記しているが、実際の死因については諸説ある
 八的ヶ原(八松)の由来 

辻堂は現在の戸塚茅ヶ崎線から南側は砂丘でした。この砂丘は以前、ほとんど平坦な砂地で八松ヶ原と呼ばれていた。
これは鎌倉時代に弓の練習場として八つの的を作ったところから八的ヶ原と呼ばれ、松の木が多いことから、
のちに八松ヶ原になったといわれています。。現在も、八松小学校 八松稲荷神社などの地名として、辻堂にいきづいています。

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当時、県道30号線(湘南新道)の南側は砂地でした。
戸塚茅ヶ崎線 現在箱根駅伝のコース
八的ヶ原(八松)の名前がついている学校 神社

大石静雄氏の考証

「「小学5年の時、友達と辻堂駅前の三浦藤沢信金の裏の辺りで遊んでいると、初老から『この辺りで源頼朝が落馬し、それが原因で亡くなられたことを覚えておけよ』と声をかけられた。辻堂や藤沢の歴史を調べてみたくなり、歴史研究が始まったわけです」と郷土史家の大石静雄さん。
第二次世界大戦では海軍航空隊所属で奮戦され、九死に一生を得る体験もされたが、無事復員した。その後、頼朝の落馬について、調べ始めました。『保暦間記』に記述があると文献にはあるが、その『保暦間記』そのものを探し、とうとう学習院図書館で出会いました。すべてのページをコピーしました。それで確証をえて、市に立て看板を立てる許可をもらい、町の協力を得て立てられたということです。

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郷土史研究家 大石静雄氏 立て看板のある付近の様子

大石氏の考えでは、落馬の原因は、亡霊などで無く、「くも膜下出血」ではないかというご意見です。
その意見も多く宮田親平書「今だったら助かった源頼朝」などの著書もあります。
また『保暦間記』の最後に「終」、「完」などの代わりに「畢」という文字があり、これは仏門にある人が使う「終わり」という意味の文字なので、著者は仏門にあった「玄恵」ではないかとも考えているそうです。

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現在の、辻堂駅南口の商店街。北側にはテラスモールなどが建設されました。
頼朝の落馬地のたて看板があるのは、辻堂駅から歩いて2,3分の所です。
800年前には、頼朝公がここを通っていたと思うと、感慨深いものがあります

 

取材を終えて

暦史に残る貴重な資料や写真を多数保存されている、大石さんを訪ねました。
辻堂東海岸商店街の一角、「お話を伺いに来ました」とお願いすると、
さあさあと椅子を勧めてくださいました。年号、史実、すべてすらすらと記憶の中から
出てくる大石さんは大正13年うまれ、今年は89歳になるとおっしゃいます。
つぎからつぎへと、歴史の世界に引き込まれていきました。

 

 

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