バリバラ「どきどきコテージ」の問題点

 毎週日曜日の夜7時から、NHKEテレで「バリバラ」という番組が放送されています。バリバラとは「バリアフリー・バラエティー」から来ていて、障害者などマイノリティーが直面させられている「バリア」の解消を目指す、バラエティー番組と解釈しています。その中の企画で、2018年の1月21日と28日の二週にわたって放送された「どきどきコテージ」というものに、ぼくは吃音の当事者として出演しました。

 どういう企画か、ホームページから引用します。

NHK バリバラ | 「どきどきコテージ」前編 ~ぎこちない出会いの巻~

ある海沿いの町に不思議な力をもつ宿がある。その名も「どきどきコテージ」。ここに8人の男女が集い、2日間をともに過ごす。彼らは、吃音(きつおん)や場面緘黙(かんもく)のため、修学旅行で輪に入れなかったり、恋愛に一歩を踏み出せなかったり、“コミュ障”のレッテルを貼られた経験を持つ若者たちだ。彼らに共通する参加動機は、人と前向きに関われるようになりたい、ということ。沈黙が続くぎこちない出会い・・・果たしてどんな交流が生まれるのか?2回シリーズでお届けする。

 NHKという多くの人が目にする媒体で、吃音や場面緘黙を取り上げてくださったことは、すばらしいことだと思います。当事者として吃音についていえば、世間の認知度があがると、どもったときに笑われたりすることは少なくなるでしょう。

 しかし、今回の取り上げ方は様々な問題をはらんでいると、出演し放送を見て思いました。以下に指摘していきます。

 まず、いま引用した文章について述べます。「吃音や場面緘黙のため、修学旅行で輪に入れなかったり、恋愛に一歩を踏み出せなかったり」とありますが、これは世間の偏見をそのまま引き継ぐ文章となっています。吃音や場面緘黙だと友達や恋人ができにくいというのは、傾向としてはあると思いますが、出演者がその当事者であるからそうであったと、当人に聞きもせず決めつけるのはまさしく障害に対する偏見であり、またこのような文章を公開することは、偏見を世間に広めることになります。

 他に、「参加動機は、人と前向きに関われるようになりたい、ということ」とありますが、これも場面緘黙や吃音の人たちは「人と前向きに関わ」ることができていないという決めつけです。ぼくはそんな参加動機は言っていませんし、人と前向きに関わることができていないという自覚ではありません。

 また今回は、恋愛っぽさのある演出がされていましたが、それには違和感がありました。確かに、吃音や場面緘黙の人が、恋愛関係を作るのが難しいという傾向はあると思いますが、だからといってテレビ局に恋愛の場を提供してもらうことは望んでいません。恋愛要素が入れられたのは、障害ばかりでは「重い」から「リラックスできるほほえましいものを」という意図だったのかもしれませんが、ぼくにとって恋愛は生きるか死ぬかの問題であり、取り上げるならもっと誠実にしてほしかったです。収録では男女別に部屋に集められ、「誰が一番いいと思った?」などという質問がなされました。それが全国に公開される可能性を考えるとぼくは答えませんでしたが、質問すること自体が失礼だと思います。

 そもそも、どうして男性=吃音、女性=場面緘黙となっているのでしょうか。確かに番組中で説明されていた通り、吃音が男性に多く、場面緘黙が女性に多い傾向にはあるのですが、場面緘黙の男性や吃音の女性も充分な割合がいるわけです。なぜ多数派に合わせるのか説明がほしいところです。ディレクターに直接問うたところ、吃音=男性、場面緘黙=女性となっていた方が、視聴者が「この人は吃音だったか場面緘黙だったか」と混乱せずにすむからと言っていましたが、やはり「恋愛ありき」になっているから、そのような設定がなされたのかと思います。

 また、自己紹介や皆の前で食事をする場面がありますが、それは健常者社会で「そうするもの」と決まっているのにすぎないのであって、吃音の人と場面緘黙の人とが関わるなら、必ずしもしなくていいし、するにしてもやり方がもっとあるように思います。「障害を紹介する」という番組の性質上やむを得ない面もありますが、わざわざ緊張しやすい場面を設定して、顕著に現れた症状を撮るというのはどうかと思いました。

 最後に、本編中の事実的な改変を指摘して終わります。

  • 「参加者はみな志願してくれた」とありますが、ぼくはディレクターからの出演依頼を受けて出ています。
  • みなで食事をする場面で、かぶりものをして場がなごんだ結果、それぞれの悩みを話すことができたとなっていますが、実際は「悩みを話そう」というコーナーがあってのことです。
  • 水族館で男女の出演者2人が「いつのまにか2人に」なったとナレーションが入っていますが、これは事前に「ここからは2人ずつに別れましょう」と決めたものです。
  • 写真が好きな場面緘黙の人が、「これまでほとんど撮ることができなかった、人の写真」を、水族館での関わりがあって撮ることができたという描写がされていますが、実際はその写真を撮った後に水族館に行っています。

 こういった事実的な改変は、この番組が一応「バラエティー番組」であるから演出の一部として許容されると考えているのかもしれませんが、ぼくら出演者は役者でもタレントでもないのです。バリバラは市井の障害者を取り上げる以上、本質的にドキュメンタリー性を持つでしょう。バラエティー要素を入れることは決して悪いことではありませんが、それを言い訳に制作者が真実性の追求を捨てるとしたら、本末転倒です。企画も編集も、当事者である出演者はほぼ関わることができずになされています。バリバラ制作者は、話題になることばかりを志して、一番大切なものを忘れているのではないかという危惧を申し上げて、終わりにします。