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八王子サリン襲撃事件について②

 投稿者:ルパンⅣ世  投稿日:2018年 4月15日(日)00時16分50秒
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  投稿が遅くなり申し訳ありません。
どなたがこの事件に触れているかを過去の記事を読み直しておりました。

御反応いただいた皆様ありがとうございます。

以下、間違いがあればご指摘ください。
恐らく、池田先生が会合の席でこの事件に触れたことを、宮川日護氏がその会合に出席していて、誤認識したか、あるいは、会合参加者が日護氏の耳に入れた段階で偽りがあったか。
いずれにせよ、日護氏発信の言葉に間違ったものが複数あり、憶測で学会執行部を批判しています。

これは、オウム事件という宗教を基とした社会的犯罪と創価学会を意図的に結びつけようとする思惑が色濃く、池田先生のご発言を交えながら展開する内容が悪意に満ちていて、執行部への追求としてはアンフェアであり、正論で戦おうとする宿坊の方々の足を引っ張るものであると思います。

こういうフェイクを入れるから全て丸ごと一緒にされ闇に葬られると考えます。

それでは以下、ご確認ください。
投稿日:2018年 4月12日(木)18時19分17秒
学会本部か 執行部の内部反逆者の  疑いのある事件です。    徹底究明が必要です!

Yuho Nichigo Miyakawa
1953年4月5日、この世に生を受け、
今日で、満65歳を迎えた。
「 創価学会問題を暴露するのは構わない。
だが、オウム事件とML問題に触ったら命の保証はないぞ。」
18年間、常に苦楽を共にし、切磋琢磨して来た親友の言葉である。
そのオウム事件を触りの部分だけ述べておきたい。
「 人生50年 」と言われた時代からすれば、余生15年間も生き過ぎた我が人生である。
先生と共に、生きながらえさせて頂いた大満足の生である。
命の保証はないぞ、という体験をしてみるのも悪くはない。
大ファンであった伊丹十三監督、そして、その正義感の凄まじさに圧倒されっぱなしだった朝木明代市議。
今は出家し、私と同門となられた後藤忠叡師との回想。
少しばかり書いておきたい。
1993年12月18日
オウム真理教信者が、我が師、池田先生を、サリンで殺害しようとして、逆にサリンを浴び、重体になっていた事実。そして、その重大な殺人未遂事件は被害者である学会側からは、一切警察に通報される事なく、
闇に葬られた

※以下、→はルパンⅣ世による指摘。
→池田先生を標的としたサリンによる襲撃事件は地下鉄サリン事件の後、オウム真理教幹部実行犯の供述で明らかになる。牧口記念会館付近にサリンが散布される模様は以下詳細が綴られているが、霧が噴射される不審車を会館警護にあたる人間複数人が高速道路入り口まで追尾している。
その後、サリンを吸った特有の症状が出た人間もいたが、追尾した人間全員でもなく、会館任務にあった少数の人間であった為、その不審車によるものかは判断できない状況であった。
また、体調不良を訴えた人間は病院に行き医師の診療を受けるが、サリンや毒物による中毒症状とは診断されていない。さらに、当時は日本国内はもとより世界的にも「サリン」という言葉は一般的に浸透されてなく、これが化学兵器による襲撃事件と断定し、警察に報告することは極めて難しい状況である。


しかし、松本サリン事件裁判でその事実が明らかになった。その時、身を呈して師匠を御守りしたのが、当時、新潟の青年部幹部であった、市場君である。
信越女子部長であった市場智子さんの兄である。

→市場氏は当時は八王子に住む創大生。
新潟出身ではあるが青年部幹部でもない。
東京の牧口記念会館になぜ新潟の青年部幹部が会館警護にあたっているか疑問をもたないことから、一方的な情報を都合のよいように解釈する思考が垣間見れる。


先生は市場君に解らないように、指示を出されたという。少々、長くなるが、当時のニュース、ウィキペディアから内容を貼付するので、概要を掴んで頂きたい。
ーー概要ーー
麻原によれば、創価学会は『外道』であり、
『仏教団体を名乗りながら煩悩を肯定している宗教』で、
『原始仏教やチベット仏教を見下している』。
また、サンデー毎日から始まった
オウムバッシングは
聖教新聞を印刷している
毎日新聞社グループと創価学会が結託して行っているなどと主張していた。
さらに在家で信仰をしているオウム信者を、オウムから学会に改宗させようと
家庭訪問などを繰り返す妨害活動(折伏)をする学会員も現れ、
『池田大作は日本を侵略するフリーメーソンの手先であり「仏法」を曲げている』
『多くの人をだまして来世悪趣に転生させてしまうのでこれを防がなければならない』
『オウムの信徒数を創価学会並みに増やしたいが、それに至らないのは、
池田大作が小沢一郎を使って国家権力を動かし妨害しているからだ』
『池田大作は「仏敵」であるからポア(殺害)しなければならない』。と、結論され、
1993年8月、
オウム真理教信者、
土谷正実がサリン合成に成功。
オウム真理教はサリンの最初のターゲットとして池田をサリンで暗殺することを企図し、
最高幹部の村井秀夫らが行動に移した。
当初ラジコンヘリによる航空散布が検討されたが、
ラジコンヘリが大破したため車両による攻撃に変更した

ーー経過 ーー

1回目は1993年11月、

クシティガルバ棟で生成したサリン約600gを

村井秀夫、新実智光、中川智正らが、

乗用車に農薬噴霧器「霧どんどん」を載せて八王子市の学会施設に1回目の攻撃を行う。

しかし、
サリンが車内にも入る、ボツリヌス菌散布用の霧どんどんも故障するなどして失敗。

実行役らはガスマスクをしておらず若干サリン中毒の症状が出た。

→一回目のサリン散布は完全な失敗で会館警護にあたる人間らに被害はなく、不審車車両としても発見されていない。

2回目は
1993年12月18日
(土曜日)で、

東京都八王子市の創価大学では演奏会が開かれる予定になっており、池田も出席することになっていた。
オウム真理教は事前に池田が演奏会に出席するという情報を入手していた。

→この供述から池田先生の行動などの情報を学会内部からオウムに漏洩したと日護氏は解釈しているが、
翌日の創価大学での演奏会(第九)は毎年の恒例行事であり、池田先生も毎年出席されていた。
このような、創大生でも「明日、池田先生が創価大学に来る」という誰でも知る情報をリスクを犯してまでオウム側に提供することはまずあり得ない。
オウム側としても数年の池田先生の行動を読めば、その日に創価大学に来ることや、前日に牧口記念会館に宿泊する可能性が高いことは分かるはずだ。
学会内部とわざわざ繋がり、そんな情報を入手するに留まるなら、あんな高学歴でエリートな履歴はもってまい。
そもそも、サリン事件で逮捕されたオウムの実行は犯らは完全に麻原の洗脳から抜けて、全ての捜査に協力し供述もしている。
学会執行部や内部との内通があったならば、その事も既に供述しているはずだ。


当日未明、創価大学の近隣にある創価学会施設「東京牧口記念会館」にオウム真理教のサリン噴霧トラックが到着し、3キロのサリン溶液を噴霧した。
しかし加熱気化式噴霧器による火災が発生したうえ、
防毒マスクを着用していたせいで会館の警備を担当している創価学会の牙城会の会員に怪しまれ、直ちに逃走した。
その際、実行犯の新実智光は防毒マスクを外した為、
サリンを大量に吸引し、重体に陥った。
新実に対し、遠藤誠一や村井秀夫が人工呼吸を行い、
直ちにオウム真理教附属医院に搬送され、林郁夫らの治療の結果一命を取り留めた。
この際、
林郁夫が中川智正に原因を尋ねると中川は「サリーちゃんでポアしようとした。」と答えた。
林郁夫は、「サリーちゃん」が「サリン」を指すこと、
そしてオウムがそれを保有していたことをこの時初めて知った。

池田本人には被害は無かったものの、
当日、警備していた牙城会員が、一時的な視力減退や倦怠感などサリン中毒特有の症状を訴えたというが、
後遺症は確認されなかったため、創価学会では警察への通報をしなかった。
数名の牙城会員が、一時的な視力減退や倦怠感などの重傷を負ってはいたが、

→上記で説明したとおりです。警察へ通報するに至る確証がなかったのです。
また、重傷者はいません。地下鉄サリン事件の後、逮捕されたオウム実行犯の供述から判明し、その後に学会としては警察に捜査協力をしている。



学会側はこの事件を表沙汰にすることはなく、池田大作サリン襲撃未遂事件の犯行の事実は、
1996年1月の
松本サリン事件公判で明らかにされるまでのおよそ3年間公にされることはなかった。
しかし、創価学会の実質的な最高指導者である名誉会長・池田大作の行動予定の外部への漏えい、流出という事態を重く見た学会は事件以降、
池田の行動予定の情報管理を厳しくするとともに、

→池田先生の行動予定の外部漏洩、流出という表現であたかも内部に敵がいるような印象操作と学会弱体化の思惑が垣間見れます。また、池田先生が外敵を恐れているような印象も与えますが、そもそも、池田先生は警備の人間などいなくとも、一人で買い物に行ったり、自転車で走ったり、散策をされたりという方と聞いております。戸田先生の時代にはお一人で右翼のボス児玉氏の所にも反論しに行ってらっしゃいます。
事態を重くみたのは、先生の側近の方々かもしれませんが、池田先生の行動予測は聖教新聞を色んな角度から読んでる方がたにはある程度予想がつきます。
特に創価大学や創価学園での記念行事は定期的な行事ですし、創立者として必ず出席されるお立場であるから予想はつきやすい。同じような車でも、先生が乗っておられるかそうでないか識別できる位卓越した婦人がいるくらいですからね。


創価学会本部職員の中からボディガードを選抜した「第一警備」を発足させて池田の身辺警護に当たらせるとともに、

→遥か昔から存在している。これをそのまま引用してしまう日護氏はどうかしているかと。

信者から選抜した金城会、牙城会、創価班などに、各会館の警備を強化させている。

( 以上、ニュース、及び、国会図書館記録より )

先生をお守りした真正の弟子へ、先生からの揮毫。

(トインビー博士の言葉より)

「人格や文明が成長しつづける限り、
外の戦場での
外敵の つきつける挑戦は、
ますます考慮しなくて
よいようになる。
しかし、心の中の闘技場で
自分が、
自分につきつける挑戦は、
ますます
考慮せねば ならなくなる」
( 敵は 内部にある)
大 作
→以下から日護氏の言葉になります。
上記の間違いが多いwikiと繋がりを持たせ、悪意の結論に至ります。


これだけの、重大殺人未遂事件を警察に通報せず隠蔽。

→上記で述べた通り、隠蔽ではない。


先生の御行動を知り尽くした上での犯行。
何処に真の犯人が居るから明らかである。

→上記で示したとおり、学会執行部や内部がオウムと繋がっていたという推測は邪推。内部に内通者がさもいるかのような印象操作は頂けない。
池田先生の行動を知り尽くしているならば、なぜ、国内の会館で最も大きく、構造上強固な会館滞在中を選んだのか。また、執行部レベルの内通者がいるならば、牧口記念会館に滞在中の池田先生滞在フロアもわかるはずだ。物理的にあんな場所にサリンを散布して、確実に池田先生の命を狙うのは難しいことをオウム側も把握するはずだ。
松本サリン事件のように不特定多数を狙ったサリン散布とは目的が違う。


手元には、詳細に綴られた手記、系図があるが今は留め置く

→ぜひ、それをもとに反論していただきたい。
池田先生が八王子サリン襲撃事件を知ったのは、地下鉄サリン事件の後、オウム実行犯が捕まり供述がされてからの事だ。
日護氏が言う、池田先生より青年部の市場氏への揮号が認められた激励がされているなら、その日付を確認すれば話は早い。
もし、その日付が牧口記念会館にサリンが散布された数年後となれば、やはり、供述後に学会側も「あれはサリンだった」と認識し池田先生にご報告したということが有力視される。
池田先生のこれまでの行動と足跡から、何かの激励は極めて早く、数年の時を待って激励をすることはほぼあり得ないからだ。


以上になります。
期待はずれの内容でしたらすみません。
執行部擁護ではなく、間違ってるものは間違ってる。
筋は通していこう的な発想です。

 
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