(cache)01 みなさん、「勉強」してみませんか?:日経ビジネスオンライン

印刷ページ

 不況、格差、貧困、犯罪、環境……。景気悪化を受けて、社会の諸問題が弾けるように現れる中、この夏、衆院選が行われます。

 日本の進路決定を前に、問題を自分の頭で考え直してみようとするとき、私がまず直面するのは思考ツールの不足です。専門家の意見を参照して、と思っても、どこにその見識があるのか、そもそもその専門家を信じていい理由がどこにあるのか、かえって悩みは深まり、結局「なんとなく・・・」の感情論に流されてしまいそう。

 そんなときに新聞広告で見て、たまたま手に取った『経済成長って何で必要なんだろう?』(光文社)。読みやすさと面白さもさることながら、さまざまな知を生活にもっと身近に展開していこう、という目的意識、そして「経済」の視点で社会問題に座標軸を与えようという発想に「やられた、こういうのがやりたかったんだ」と嬉しいやら悔しいやら。さっそく、編集した芹沢一也さんと荻上チキさんにお話を伺いに行きました。

  • 経済成長って何で必要なんだろう?』(光文社)
  • 芹沢 一也(せりざわ かずや)
    1968年東京生まれ。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程修了。SYNODOS代表。専門は近代日本思想史、現代社会論。犯罪や狂気をめぐる歴史と現代社会との関わりを思想史的、社会学的に読み解いている。著書に『<法>から解放される権力』(新曜社)。『狂気と犯罪』『ホラーハウス社会』(ともに講談社+α新書)、『暴走するセキュリティ』(洋泉社新書)、浜井浩一との共著に『犯罪不安社会』(光文社新書)、編著に『時代がつくる「狂気」』(朝日選書)。高桑和己との共編著に『フーコーの後で』(慶應義塾大学出版会)。監修に『革命待望!』(ポプラ社)。

    荻上 チキ(おぎうえ ちき)
    1981年兵庫県生まれ。東京大学情報学環境修士課程修了。専門はテクスト論、メディア論。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『12歳からのインターネット』(ミシマ社)、『ネットいじめ』(PHP新書)、共著に『バックラッシュ!』(双風舎)がある。人文社会科学系を中心にネットで話題のニュースやトピックを紹介するウェブサイト「トラカレ!」、「荻上式BLOG」主宰。


――というわけで、『日本を変える「知」』と『経済成長って何で必要なんだろう? 』という二冊の書籍を編集されたお二人にお会いしているわけですが、お二人は「シノドス」(SYNODOS)というグループ名を名乗っていますね。「シノドス」って、そもそもどういう意図でつくられたものなんでしょうか。

芹沢 各界気鋭の論者たちをお招きして行なう少人数制のセミナーがひとつ、もうひとつが、セミナーの記録を中核コンテンツとした有料メールマガジンの発行です。

※メルマガ「αシノドス(リンクはこちら)」

 「シノドス」というのはグループというより、場所を示すための名称、あるいはレーベルなんですよ。「知の交流スペース」とうたっていますが、ある問題を考えるにあたって必要とされる「知」が、その都度、最適なかたちで結びつくような場所として機能させたいんです。例えば「貧困や格差の問題を扱う、ならばこの人とこの人を集めよう」とセレクトしながら、問題の考え方を示していくような場所ですね。

――テーマごとにテーブルを作るような。

芹沢 そうですね。何かオリジナルな「知」を生み出すというよりも、いまある「知」をさまざまに結びつけることによって、社会解釈や問題解決のための力を与えてやるという感じです。発想としては「編集」に近いかもしれません。

――企画ってつまるところ、人と問題の組み合わせですもんね。ところが、それをされている芹沢さん自身は現役バリバリの研究者で。なぜ、研究者自らがこのようなことを。

芹沢 いろいろな編集者と話していて感じるのは、編集者がシノドスのような、問題毎に論者を集めて・・・みたいなことをするのは、もはや不可能に近いのではないかと。これだけ社会が複雑化しちゃって、これだけの数の言論があると、何をどうチョイスして、どう組み合わせるのかを考えることそのものが、研究者や専門家の共同作業によってでないとムリだと思ったのです。

――個人的な実感としてはまったくおっしゃるとおりです。その問題についての概観というか、見取り図をまず自分の中に持たないと編集どころではないのですが、努力も能力も足りず、です。夜空の星を見上げて「とりあえず北斗七星だけ分かったかも」というのが精一杯。

芹沢 そうですね。ひとつの問題を取り上げるにしても、かなりの量の文献に目を通さなくてはいけないですからね。そうした上で、それぞれの問題に適した「星座」を提示しようというのですから、それなりの体制をつくらないと困難ですよね。

「事実」と「原理」からアカデミック・ジャーナリズムを作ろう

――問題や意見という天の星の数は増していく一方。経済、社会についての自分なりの基準になる「星座」、すなわち知をきちんと作っておかないと、その問題が理解できないし、対策も考えられない。そう思う人が増えているように思います。

芹沢 同感です。そこで僕はふたつの志向が、人びとのあいだで強まっていると感じています。まずファクト、事実ベースの話を聞きたがっている。それと同時に原理を知りたがっている。

――「事実」と「原理」。それを求める感じは我々のサイトでもすごく分かります。なぜでしょうね。

芹沢 やはり社会の変動期だからでしょうね。まず社会に何が起こっているかという具体的な事実を知りたいし、同時に、なぜそのような変動が起こっているのかという原理的な理由も理解したい。いまもっとも必要とされているのは、事実を原理的に説明できる「知」だと思いますね。

――私たちは、ファクトの掘り出しというのは取材である程度はできます。けれども、そのファクトを貫く原理みたいなものを見つけられるか。あるいは、誰に聞けばその原理を見抜いてくれるか、というところが非常に心許ない。もちろん、優秀な記者・編集者はその限りではないはずですが。

芹沢 アカデミック・ジャーナリズムというか、ぼく自身、ここ数年、ジャーナリズムとアカデミックの中間あたりの文章を書こうと心がけてきました。社会的な事象を、しっかりした歴史認識や社会理論を背景に、できるだけ分かりやすく語る。だけれども、こうした言論のスタイルって、日本の論壇にはあまりないんですよね。

――自分の勉強不足を棚に上げて言えば、それは常々不思議でした。

次ページ以降は「日経ビジネスオンライン会員」(無料)の方および「日経ビジネス購読者限定サービス」の会員の方のみお読みいただけます。ご登録(無料)やログインの方法は次ページをご覧ください。




印刷ページ

芹沢 シノドスはそうした言論を提供したいですね。ジャーナリスティックな言論でもなく、印象批評的な社会評論でもない、アカデミックな「知」に裏打ちされた社会的な言論です。それも学問領域を異にする複数の専門家たちが、党派性をこえて紡ぎだしていくような言論。

――では、そこにいずれ実業の方が出てきても、おかしくはないですね。

芹沢 おかしくないですね、政治家が出てきてもおかしくない。

 そうした点では、飯田泰之さんが『経済成長って何で必要なんだろう?』でおっしゃっていますが、貧困や格差といった問題を解決するためには、最終的には法律の言葉に落とさないといけない。つまり、官僚が法案を書くときに、どう法案を書けばいいのかという話に落としていかないと、いわゆる骨抜きにされてしまったり、とんちんかんな方向にいってしまう。経済的な合理性に裏打ちされた社会構想をつくったとして、今度はそれをどう具体的に法案に落としていくか、ですね。

――なるほど。

芹沢 法、政治、経済という社会をかたちづくる諸領域があって、その背後には日本という社会そのものをつくってきた歴史がある。そしてさらには、歴史を動かしてきた思想がある。シノドスというのは、そうした諸領域の「知」が、さまざまに交差する空間たりたいと考えています。

話者は70年代生まれの若手を中心に

――そうした「知」の人材というのは、どうやって探してくるんですか。

芹沢 シノドスのセミナーで出会うんです。このあいだ取材でセミナーのラインナップをみた記者さんが、「芹沢さんは顔が広いですね」というようなことを言われたのですが、シノドスに来ていただいた講師の方たちはほぼ全員が初対面です。そこでの出会いが、さまざまなプロジェクトを生み出していく、そういう感じです。で、そうした出会いが、またさらなる出会いとプロジェクトを生み出していく、そのようにシノドスの活動は広がっているんです。

――それは自分の仕事の中でも本当に思いますね。いい人に会うと、それがさらなるいい人との出会いにつながっていくという。話者のセレクトの基準というのはあるんですか。

芹沢 そうですね。まずぼくが本や論文を読んで、「この人は面白い!」と思った方ですね。ぼく自身が、ぜひともお話しを聞いてみたい、と思う方です。

 それから、世代的には「斯界の重鎮」より、できるだけ若手の方にお願いしたいと考えています。

――いくつぐらいの方ですか。

芹沢 中心になっているのは、1970年代生まれ以降の方ですね。僕より上の人たちは、もう確固とした立場を持っていらっしゃって、発言の機会も十分持っているので、今さらわたしたちとやることもない。それに我々にはビッグネームによる権威付けも必要ないので、ムリにお願いする必要もありません。

 それといま若手中心で仕事をしているのは、まだ若くて柔軟なころにつくった横のつながりって、後々とても重要になってくるだろうと考えているからです。上の世代の言論人をみていると、「自分って偉い」合戦している方が多いんですよね。「あいつは頭が悪い」、「あいつは終わった」みたいな。そんなつまらない自意識なんて、本当にどうでもいいと思うんですよ。これはもちろん希望も含まれていますが、将来、それぞれが社会的に重要な位置についたときに、参加して頂いた方同士で自由なコミュニケーションができるような関係性をつくれればなぁと。

――なるほど。

芹沢 これは自分の印象としてですが、70年以降の人たちと付き合って、上の世代と全然違うなと思うのは、「自分が偉い」とかそういう意識よりも、プラグマティック(実践・実用的)な発想が強いんですよね。もっとも、シノドスに手を貸してくれる方が、そうした方たちなのかもしれませんが。

――既存の価値の体系の中でどう、よりも、具体的になにをやれるかだ、と。

芹沢 口でごちゃごちゃ言っている暇があったらやってみる、みたいな感じが強いと思いますね。これも社会の変動期だからでしょうね。いまは既存のものがどんどんなくなっていって、「何かをつくっていく」ということが強く要請されている時代ですから。

人文系の結論は「しょぼく」なりがち

――すこし話が戻りますが、シノドスを作ったそもそもの問題意識を教えていただますか。

芹沢 さまざまな言論領域が、あまりに分断され過ぎていることですね。

 ある領域で侃々諤々の議論をしていることが、隣の領域を見れば解決のヒントがあったりする。なのに、ただ隣を見ないということだけで、混迷を深めているような気がしました。

――たとえば。

芹沢 2007年の4月にシノドスを始めたんですが、最初に取り上げた問題は「若者と雇用」でした。そこで何回かセミナーをやったんですが、まずは、日本が高度成長以来つくってきた社会システムが壊れつつある、そうした中で若者を中心に貧困が広まっている、という話になる。

 では、いったい何がいけなかったんだ? と議論すると、要するに新自由主義経済だ、市場原理主義だ、あるいは小泉構造改革だという話に……

――目に見えるようです。そこまですーっといきますよね。

芹沢 人文・社会学系のお決まりのストーリーにばっちり乗ってくるわけですね。じゃあ、新自由主義って何だ、どういう思想なんだと。そこを深めるためにセミナーを重ねると、だいたい同じ議論になってくる。

――どんな議論なんでしょう。

芹沢 世界的に戦後、ケインズ主義的な発想に基づいてつくられた福祉国家が、オイルショック以降行き詰まるなか、ハイエクの思想を背景にしたサッチャー、あるいはレーガンの新自由主義改革によって壊されていった。それが日本の場合、20年ほど遅れて起こっている。そして、日本でも、小泉構造改革によって、イギリスやアメリカと同じように、格差と貧困が広がっていると。

――たしかにそういう物語になりがちです。本を読んでたどり着くのもだいたいその辺ですね。



印刷ページ

芹沢 こうしたストーリーにはさまざまな問題があるのですが、それは置いておいたとして、「じゃあ、どうするの?」という話になったときに、人文・社会学系って何というか、言葉は悪いですが、しょぼい結論しか出てこないんですよ。

――しょぼいと言いますと?

芹沢 まあ、「連帯は大切だよね」とか。

「非正規雇用の人たちも大変だ、だけど正社員も大変だ。お互いに手をつなげば世の中を変えていけるんじゃないか」。そういう人間の善性というか、よき心に訴えかけて、社会を仲良く変えていきましょうみたいな発想。コミューン的な思考を持ち上げてみたり。

人文系がノーマークだった「経済学的思考」

――間違ってはいないし、正面からそういわれると否定もできません。

芹沢 そう。その考えを否定するつもりはまったくありません。でも、現実の問題解決には、善性に期待するだけでは、あまりに無力だとも思うわけです。

 そういう行き詰まり感を感じるなか、新自由主義とか市場経済の問題が浮上しているにもかかわらず、あるいは貧困とか、格差だといった問題が浮上しているにもかかわらず、シノドスのセミナーは経済学者を呼んでなかったことに気づいたんです。

 僕自身、人文系の研究者で、経済学ってまったくノーマークだったんです。

――そういうものですか。

芹沢 はい。経済思想の本は読んでいましたよ。ポランニーとか、シュンペーターとか、ハイエクとか。思想としては読んでいましたけど、いわゆる経済学についてはまったく。それどころか「軽蔑」していたわけですよ。「経済学? あんなのは金儲けが好きなオヤジがやることだ」みたいなイメージが色濃くあって。でもこうなってくると経済学者の話を聞かねばならないだろうと。

 で、誰を呼ぶかとなったときに、飯田泰之さんが「論座」(朝日新聞社・休刊中)でコラムを書いていたんです。僕もそのとき「論座」で連載していて、毎月そのコラムを読んでいてすごく面白かったんですね。

――なるほど、「論座」つながりですか。

芹沢 そうです。じゃあ、飯田泰之さんをお呼びしようと。飯田さんがやって来て、セミナーで開口一番言ったのは、いわゆる論壇、あるいは日本の言論、つまり人文系の議論が強い空間ですね、そこで流通しているのは「経済学ではなくて、経済思想、あるいはイデオロギーですよ」というものでした。まっとうな経済学はまったく流通していないと。

 そこで、経済学ってどういう学問なのということで、話をしていただいたのが、『日本を変える「知」』に収録したセミナーなんですね。

――この本も面白かった。

芹沢 この中で飯田さんが言われているのは、経済学畑の人が読んだら常識ばかりだと思います。だけど当時の、経済学にまったく無知だった僕には新鮮だった。それだけ経済学的な言論が流布している場所と、いわゆる論壇とか言論の場所が切断していたということですね。

――そうなりますね。

芹沢 一応、毎年何百冊と本を読んでいるのに……。となると、まずはこの切断を壊さなくちゃまずいだろう、と。これは自戒を込めてです。

――なるほど。

芹沢 シノドスって、ギリシャ語で「集まる」「集合する」という意味なんですよ。そういう場であるにもかかわらず、経済学の「知」が排除されている状況だった。その壁は壊さなくちゃいけないね、と。

経済学は「仲間はずれ」にされがち

――ものすごく基礎的なことですみませんが、「人文」と言った場合、「経済」はそもそも含まれないものなんですか。

芹沢 含まれないですね。経済思想は含まれますけど。

――ああ、経済思想と経済学が別扱いされているということもよくわからないです。両者が混同されてしまったのはなぜなんでしょう。

芹沢 戦後の日本の言論においてもった、マルクス主義の力の強さのせいでしょうね。そうしたなかで、経済学というとマル経だった。飯田さんのような主流派経済学は、近経(近代経済学)と言われて軽蔑の対象でした。

――ずいぶん前ですが、私が日経に出向しているときに「新聞といっても君たちは朝日や読売とは違う。金儲けのための株屋の新聞だ」みたいな言い方でからかわれることがありましたが、そんな感じでしょうか。

芹沢 要するに主流派経済学というのは、資本主義のためというか、ブルジョアのためのものだと。でも、言論人は権力とか、体制に対して批判的に振る舞うのがスタイルじゃないですか。

――あー。

芹沢 そうした中にあって、「近経は体制側の人間がやる学問なんだ」という刷り込みが強力になされたんだと思います。

――それが人文で社会問題を論じるときに、経済学の考え方を無視するような溝を作っちゃっていた、一番大きな原因ですか?

芹沢 そうだと思いますね。僕もたぶん人文・思想系の言論界の中では、芹沢はあっちに行ったと思われていると思いますよ(笑)。

――銭金の世界へようこそ(笑)。実は執筆をお願いしている他の学者の方からも、そういう悩みをお聞きすることがあります。



印刷ページ

芹沢 よく分かりますよ、とっても(笑)。「あいつは体制側に回収された」とか言われるのがいやなんでしょうね。でも、批判のための批判、という牧歌的なスタイルが通用した時代は、もうとっくに過ぎ去っているんですよ。

そういうことは、専門家に任せておけばいい?

――最初に飯田先生にお話を聞いてどうでしたか。

芹沢 飯田さんのいう経済学思考は、社会問題を考えるときに非常に有効だと思いました。『経済成長って何で必要なんだろう?』の中で、「田舎に住むことの是非」や「学校をバリアフリーにすることの是非」について話していますね。人文・社会学系の人間は、そこで生活権や人権、生命の価値などといった方向から議論を組み立て行くんです。

 それに対して飯田さんは、まずそうした価値論争をする前に、コスト計算や保険的な思考によって、実現可能性や正当性を検討しておく必要があるというわけですね。

――生命の価値、人権ももちろん重要な視点ですが?

芹沢 ええ、もろちん。それに加えて、経済合理性の視点も不可欠だということですね。

 ここには個人的な思いもあります。僕が研究者としてやってきたのは「排除」の問題でした。最初の仕事は、明治から大正にかけての、犯罪や狂気、貧困をめぐる処遇の歴史です。

 そこで得られた観点を用いながら、ここ数年は、現代日本社会と犯罪や狂気との関わりについて書いてきたんですね。そうしたなかで、特にこれは司法の領域に顕著なんですが、それまで犯罪というのはお上が処理することだから、要するに、裁判官、弁護士、検察といった法曹に任せておけばいいんだと思われていたんです。

――やっかいだから専門家に任せようと。

芹沢 そう。それがここ10年ぐらい、具体的には犯罪被害者運動が盛り上がるなか、司法を当事者に取り返そうという志向がすごく強まったんですね。つまり、プロには任せておけないと。

 それ自体は司法の民主化ですから、悪いことではないのです。

 けれども、当事者言説がそのように力をもつことと、社会全体にとっていい制度設計ができるかどうかということは、まったく別次元の問題なんです。実際、刑事政策的に見たら、ナンセンスな法制度改革がどんどん進んでしまった。つまり、犯罪学的な合理性を度外視した、治安という観点からは逆に有害な法制度改革がなされた。

 そういう反省を踏まえると、貧困の問題も当事者言説じゃないですか。正社員にしろ、最低賃金を上げろ、と。

――で、会社の業績が傾き、つぶれるかもしれない。それでいいの? と。

芹沢 もちろん、社会制度を変えるのに、運動がもつ力というのはとても重要です。けれども、そこに合理的な思考がないと、社会全体にとって間違った選択がなされかねない、という思いがすごくあったんですね。

 司法に関しては、もう制度改革はなされてしまった。でも、貧困の問題って今の問題じゃないですか。だから何とか、当事者言説「だけ」でなく、経済的な合理性といった観点を、議論のなかに持ち込みたいという思いがありました。

では、経済学者は何をしているのか?


 ――人文の側からこうした動きをされているわけですが、経済の側から人文側へはないんですかね。

芹沢 なかったと思いますよ、基本的には。

――それもまた不思議です。「経世済民」の学問でしょうに。

芹沢 ネットの世界で、啓蒙活動をされている方はいらっしゃいますね。「ネット経済論壇」みたいなものがあります。ただ、端から見て感じるのは、合理性が高い代償としてか、ものの言い方が過度に冷たいんですね。例えば「派遣法を規制する? そうすれば真性失業が増える。だから君、間違い、以上!」みたいな感じなんですよ。

――それだと「言い負かされた」と思うだけかも。

芹沢 そうすると経済学アレルギーみたいなものを発症させちゃう。あと、プロレス的な要素というか、要するに「自分が偉い合戦」みたいなことになったりもしている。

 そこには、「言いたいことはいろいろあるけど、社会をよくするために、まあ、ちょっと座ろうよ」みたいな空気はほとんどないですよね。

――「まあ、座ろうよ」っていいですね。

貧困問題に「経済」が入っていない不思議

芹沢 『経済成長って何で必要なんだろう?』での赤木智弘さんと湯浅誠さん、それから雨宮処凛さんが反貧困運動の3大巨頭ですよね。今回、赤木さんと湯浅さんに飯田さんとの対談をお願いしたんですけど(※注:雨宮氏とは対談本が別に発売予定。『脱貧困の経済学 日本はまだ変えられる』(自由国民社、8月21日発売予定)、彼らがまっとうな経済学者と話すのはおそらくこれが初めてなんですよ。それ自体やっぱりおかしいですよね。だって貧困が問題になっているわけですから。

――ああ、そうですよね。

芹沢 そのぐらい、彼らの担当をされている編集者さんは、人文系に強い編集者さんだと思うのですが、おそらく頭の中のリストには経済学者が入ってないのではないかと。

――そう、私も、経済本だろうとタイトルに引かれて広告を読んだら、経済学者と反貧困の論客をぶつけると。そこで「やられました」。

芹沢 ですよね。でもそれは本来おかしな話ですよね。

 少し前史を話すと、若者の非正規雇用問題とか、あるいはニート問題なんかもそうですが、ほんの少し前まで「文化論」として議論されていたんですよ。最近の若者はやる気がなくなったとか、あるいはコミュニケーション能力がおかしくなったから、まっとうに就職できないとか、就職してもすぐに辞めるんだとか、ですね。

 社会変動が引き起こしている失業問題として、しっかり認識され始めたのはほんのここ数年です。

経済問題が若者論にすりかえられてきた

――なるほど、文化ではなくて経済問題ですよと。昨年末に湯浅さんが派遣村でやられたことは、まさにその社会的アピールでしたよね。

芹沢 本田由紀さんの『「ニート」って言うな!』がひとつ、ブレークスルーだったと思うんですけど、あれが2006年かな。そんなものなんですよ。雨宮処凛さんが『生きさせろ! 難民化する若者たち』を出して、自己責任論を否定してみせたのが2007年。

 それまでは、いまでもそういう傾向はありますが、「若者論」のなかで議論がなされてきました。

――俗に言う若者論に閉じ込められていたから、経済的な問題だという認識ができるのが遅くなった?



印刷ページ

芹沢 社会的に経済問題として共有されるのが遅れたんですよ。本来は、経済不況のなかで若者の雇用問題が発生していたのに、若者が退化したとか、何とか、本当に散々な言われようだったわけです。『ケータイを持ったサル』だとか、『ゲーム脳』だとか。

 僕は少年犯罪が専門ですが、そこでも同じだったんです。

 少年犯罪が凶悪化したからだとか、あるいはすごく増えているから何とかしなくちゃいけないという言論。最近、少年がおかしくなっている言論が強かったんですが、それは全然違うんだよということをやってきたんです。凶悪な少年犯罪はむしろ減っていて、にもかかわらず社会の見方がかつてなく厳しくなっているんだと。

 だけど、先日NHKを見ていたら、最近の少年犯罪はおかしくなっている、とか、江川達也さんが真顔でおっしゃっている。なかなかうまくはいかないです。だけれども、メディアでの論調はだいぶ変わったと思います。

――そうですね。青少年の犯罪率の過去の推移とかがでてきて、なんだ、団塊世代が若い頃の方がよっぽど「おかしかった」じゃないか、と、かなり認識が改まったように記憶しています。

それなら「社会を変えればいい」のか?

芹沢 貧困についても同じく、湯浅さんや雨宮さんの言論によって、だいぶ認識が変わりましたよね。若者たちはむしろ「社会変動の犠牲者」なんだと。しかし、そうなってくると、今度は、当然、社会を変えろということになりますね。

 じゃあどう変えるかというときに、「派遣を禁止しろ」とか、「企業は内部留保を放出せよ」とかいう話になる。

――銭金の世界としては、ものすごいことを言っています。

芹沢 経済学的な議論をすっ飛ばした話になってしまう。

――一揆、徳政令、打ち壊し、ラッダイトという感じです。

芹沢 それはさすがにまずい。

たとえば、湯浅さんが飯田さんとの対談で、「この際、公共事業を社会保障化するべきだ」という話をしているじゃないですか。

――ええ、本の中で。

芹沢 しかしそれは、自民党政治の腐敗の構造の核心だったわけじゃないですか。経済的な弱者を救うという、それ自体は誰も否定できない動機づけによって、批判の対象だったものが呼び戻されている部分があるんですよね。

 企業なんかもそう。バブルが崩壊する前までは、日本の企業というのは社員を全人格的に拘束する、社畜化するひどいシステムだと、散々批判されてきたのに、急に「日本型経営はよかった」なんて言い出されています。

――オレたちを守ってくれる、と。

時代が変わるとき、亡霊も蘇ろうとする

芹沢 今、時代や社会が変わっているのは確かで、そういう時って、いいベクトルと悪いベクトルが混じると思うんです。いいベクトルはいいベクトルで伸ばしていかないといけない。問題は、悪いベクトルをどう押さえていくか。

――ひとつの事象が互いに逆方向のベクトルを生むということですか。

芹沢 僕の専門の治安の話を例にとります。生活環境から安全を脅かす要素をなくしたい、暴力に遭うリスクをなくしたいというのは、ごくごく真っ当な、民主的といってもいい動向です。これはもちろん伸ばしていくべきベクトルですね。

ところが、そうしたベクトルが過剰になると、反転して、防犯パトロールによって不審者狩りのようなことが行なわれるようになる。そうすると、社会的な弱者が排除されていく、きわめて排他的な地域コミュニティができてしまう。さらには、そうした傾向が昂じていくと、馬鹿のひとつ覚えのように、ただ厳罰だけの法制度改革が行われてしまう。

 ここは一番、難しいポイントで、要するに民意と制度設計をどう結び付けていくかですね。『経済成長って何で必要なんだろう?』で、この点がもっとも先鋭化したのが、飯田さんと湯浅さんとの対談でした。



印刷ページ

――読んでいる限りでは、湯浅さん、話が分かるじゃんと思ったんですけど。

芹沢 湯浅さんと飯田さんの論点が、できるだけ際立つように編集したという感じですね。どちらにも、それぞれの「理」がありましたから。湯浅さんと飯田さんはこれが初顔合わせですから、今回はお互いに様子見という感じもあったかと思います。この後もうちょっと議論を深めていけるとよいなと思っています。

――経済学的な考え方は必要だよねという部分については、湯浅さんも腑に落ちられている感じでした?

芹沢 「確かに経済学的に言えばそうなのかもしれないけど、でもそれじゃあ、運動はできないよ」というのが、湯浅さんのスタンスだったと思います。

――それも当たっているように思えます。

芹沢 そう。そこでぶつかっていたのは、人びとを動員するための政治の言葉と、制度を設計するための技術の言葉なんですね。

だから次の展開としてやりたいのは、政治と経済ってどう対話すればいいの、みたいな企画を立てたいんですね。

【後編に続きます】

   *     *     *

 という次第で、不勉強な編集者としては非常に興味をそそられています。そういう試みが始まるならば、こちらも、自分の興味がある社会問題について、そして経済学について、ちょっと勉強してみようではないかと。

 早速芹沢さん、荻上さん、そして飯田さんに、それぞれについての入門書をお聞きしたところ、大変充実したブックリストをいただくことができました。これは明日、お盆の最中で恐縮ですが、公開させていただきます。せっかく夏休みですし、ぜひお近くの書店で手に取ってみて下さい。

 また、この企画に大変興味を持って下さいました有隣堂ヨドバシAKIBA店さんが、明日(8月13日)から1カ月の予定で「シノドス×日経ビジネスオンライン」のブックフェア、『「経済」×「X」で現代が見える』を開催してくださいます。

 売り場では、明日公開の選書リストの本、約40冊を一度にお読みいただけます。ぜひお越し下さい(そのなかに当社の本があまりないのが残念です)。お店はこちらです。

 このほか、下記のイベントなど、様々な企画が進行中です。この連載、ただ記事を作って終わりにしたくないと思っております。皆さんもよろしければ、ご一緒に「お勉強」してみませんか。どうぞご注目下さい。(Y)