不況、格差、貧困、犯罪、環境……。景気悪化を受けて、社会の諸問題が弾けるように現れる中、この夏、衆院選が行われます。
日本の進路決定を前に、問題を自分の頭で考え直してみようとするとき、私がまず直面するのは思考ツールの不足です。専門家の意見を参照して、と思っても、どこにその見識があるのか、そもそもその専門家を信じていい理由がどこにあるのか、かえって悩みは深まり、結局「なんとなく・・・」の感情論に流されてしまいそう。
そんなときに新聞広告で見て、たまたま手に取った『経済成長って何で必要なんだろう?』(光文社)。読みやすさと面白さもさることながら、さまざまな知を生活にもっと身近に展開していこう、という目的意識、そして「経済」の視点で社会問題に座標軸を与えようという発想に「やられた、こういうのがやりたかったんだ」と嬉しいやら悔しいやら。さっそく、編集した芹沢一也さんと荻上チキさんにお話を伺いに行きました。
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『経済成長って何で必要なんだろう?
』(光文社)
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芹沢 一也(せりざわ かずや)
1968年東京生まれ。慶應義塾大学大学院社会学研究科博士課程修了。SYNODOS代表。専門は近代日本思想史、現代社会論。犯罪や狂気をめぐる歴史と現代社会との関わりを思想史的、社会学的に読み解いている。著書に『<法>から解放される権力』(新曜社)。『狂気と犯罪』『ホラーハウス社会』(ともに講談社+α新書)、『暴走するセキュリティ』(洋泉社新書)、浜井浩一との共著に『犯罪不安社会』(光文社新書)、編著に『時代がつくる「狂気」』(朝日選書)。高桑和己との共編著に『フーコーの後で』(慶應義塾大学出版会)。監修に『革命待望!』(ポプラ社)。荻上 チキ(おぎうえ ちき)
1981年兵庫県生まれ。東京大学情報学環境修士課程修了。専門はテクスト論、メディア論。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『12歳からのインターネット』(ミシマ社)、『ネットいじめ』(PHP新書)、共著に『バックラッシュ!』(双風舎)がある。人文社会科学系を中心にネットで話題のニュースやトピックを紹介するウェブサイト「トラカレ!」、「荻上式BLOG」主宰。
――というわけで、『日本を変える「知」』と『経済成長って何で必要なんだろう? 』という二冊の書籍を編集されたお二人にお会いしているわけですが、お二人は「シノドス」(SYNODOS)というグループ名を名乗っていますね。「シノドス」って、そもそもどういう意図でつくられたものなんでしょうか。
芹沢 各界気鋭の論者たちをお招きして行なう少人数制のセミナーがひとつ、もうひとつが、セミナーの記録を中核コンテンツとした有料メールマガジンの発行です。
※メルマガ「αシノドス(リンクはこちら)」
「シノドス」というのはグループというより、場所を示すための名称、あるいはレーベルなんですよ。「知の交流スペース」とうたっていますが、ある問題を考えるにあたって必要とされる「知」が、その都度、最適なかたちで結びつくような場所として機能させたいんです。例えば「貧困や格差の問題を扱う、ならばこの人とこの人を集めよう」とセレクトしながら、問題の考え方を示していくような場所ですね。
――テーマごとにテーブルを作るような。
芹沢 そうですね。何かオリジナルな「知」を生み出すというよりも、いまある「知」をさまざまに結びつけることによって、社会解釈や問題解決のための力を与えてやるという感じです。発想としては「編集」に近いかもしれません。
――企画ってつまるところ、人と問題の組み合わせですもんね。ところが、それをされている芹沢さん自身は現役バリバリの研究者で。なぜ、研究者自らがこのようなことを。
芹沢 いろいろな編集者と話していて感じるのは、編集者がシノドスのような、問題毎に論者を集めて・・・みたいなことをするのは、もはや不可能に近いのではないかと。これだけ社会が複雑化しちゃって、これだけの数の言論があると、何をどうチョイスして、どう組み合わせるのかを考えることそのものが、研究者や専門家の共同作業によってでないとムリだと思ったのです。
――個人的な実感としてはまったくおっしゃるとおりです。その問題についての概観というか、見取り図をまず自分の中に持たないと編集どころではないのですが、努力も能力も足りず、です。夜空の星を見上げて「とりあえず北斗七星だけ分かったかも」というのが精一杯。
芹沢 そうですね。ひとつの問題を取り上げるにしても、かなりの量の文献に目を通さなくてはいけないですからね。そうした上で、それぞれの問題に適した「星座」を提示しようというのですから、それなりの体制をつくらないと困難ですよね。
「事実」と「原理」からアカデミック・ジャーナリズムを作ろう
――問題や意見という天の星の数は増していく一方。経済、社会についての自分なりの基準になる「星座」、すなわち知をきちんと作っておかないと、その問題が理解できないし、対策も考えられない。そう思う人が増えているように思います。
芹沢 同感です。そこで僕はふたつの志向が、人びとのあいだで強まっていると感じています。まずファクト、事実ベースの話を聞きたがっている。それと同時に原理を知りたがっている。
――「事実」と「原理」。それを求める感じは我々のサイトでもすごく分かります。なぜでしょうね。
芹沢 やはり社会の変動期だからでしょうね。まず社会に何が起こっているかという具体的な事実を知りたいし、同時に、なぜそのような変動が起こっているのかという原理的な理由も理解したい。いまもっとも必要とされているのは、事実を原理的に説明できる「知」だと思いますね。
――私たちは、ファクトの掘り出しというのは取材である程度はできます。けれども、そのファクトを貫く原理みたいなものを見つけられるか。あるいは、誰に聞けばその原理を見抜いてくれるか、というところが非常に心許ない。もちろん、優秀な記者・編集者はその限りではないはずですが。
芹沢 アカデミック・ジャーナリズムというか、ぼく自身、ここ数年、ジャーナリズムとアカデミックの中間あたりの文章を書こうと心がけてきました。社会的な事象を、しっかりした歴史認識や社会理論を背景に、できるだけ分かりやすく語る。だけれども、こうした言論のスタイルって、日本の論壇にはあまりないんですよね。
――自分の勉強不足を棚に上げて言えば、それは常々不思議でした。
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