ヲトナの階段のぼる

‪「うん マリウス 聡ちゃんのこと好きだよ?」っていうと‬ ‪「好きだよ 俺 マリちゃんのこと」っていう。‬ ‪「聡ちゃんはホントに大切な人!」っていうと‬ ‪「我が子」っていう。‬ ‪こだまでしょうか、‬ ‪いいえ、聡マリ。‬

抗がん剤の代わりに松島聡くんを投与され本当にガンが治ってしまったオタクの話


どうも お久しぶりです。

なによ改まって… なんて思った皆様、そうです。
私、改まってます。←改まってない感



突然ですが私の夢って知ってます?
あっ。知らないよね。そうだよね。
べつに知りたくもないよねwww



私の夢はねー
松島聡くんにファンレターを出すことなんですよ。








…えっ?





出せよって話ですね。わかります。



当方なんだかんだ6年以上松島くんを応援するヲタクなんですけど
ファンレター出したこと一度もないんですよ。

出せよって話ですね。わかります。(2回目)



高校生の頃父と軽〜く交わした口約束を成人した今でも律儀に守ってきてしまった健気なヲタクなんです私😭



父「なら完治してから出しゃあいいじゃん」

私「んー、そうするわ。」


なんでこんなこと言ったんだろうか私
しかもなんでまだ守ってんだろうか私



あのー、その…アレです。

私、ガンでした。



ありえない。ホントありえない。(ありえるんですねこれが)




唐突にすみません。びっくりしたよね。


心配しないでください!もう腫瘍が消えてるんです😊
ガン患者として扱われるのが今日までなので🤗


だからこうしてブログでお話しています🌷







話そうか一生黙っておこうかしばらく迷いましたが

Sexy Zone24時間テレビのメインパーソナリティに就任したこと
・今日の検査で病院のサポートを終了すること(言霊)
・その1週間後に私にとっても夢だった松島くんの凱旋公演が控えていること

が丁度よく重なったタイミングなので
今後自分の心が折れそうになったときのために書き残しておこうかと思います。






いつも「ブログ楽しみにしてます!」ってコメントくださる皆様Sexyソーリー💥

今回ばかりは
"松島くんかわいい!"
"うちの聡ちゃん見て!可愛いでしょ!?"
"まっしまァ!売れろォオオオオオ!!!!"
な話ではなく"ちょいと生々しいわたしの話"をします。


楽しいエントリではないので結論は先に言っておきましょう。


結論:松島聡くんはすごい。


ここでご納得いただけたら楽しいTLに帰った方がいいです( ; ; )




































気分が悪くなったら我慢しないで村に帰るんだよ…( ; ; )







幼い頃から両親にも近隣住民にもめちょんめちょんに甘やかされ温室でぬくぬくと育ってきた私は義務教育時代戻れるなら戻りたいくらい絶世期を過ごしました。
完全に人生チョロいと思ってました。(最低じゃん)



そんな私はど田舎の高校に進学し
GWのHey!Say!JUMPのコンサートではこれ以上ない程の神席が当たり
そこで松島聡(仮)を見つけてしまった。


お目当ての山田くんを見に来たハズが目立つ立ち位置でもなく決してダンスが上手なわけでもないのになーんか目に留まるチビクロサンボが気になって仕方がなかった。



山田くんが遠くに移動してしまうともうガン見!チビクロサンボガン見!!

推定5、6歳で超カワイイのに目がマジ。こっちが恥ずかしくなるくらい張り切って踊っている。
でもときたま誰より楽しそうに笑うのがなにより素敵だった。


静岡出身の知念くんもいるし久々の遠征で心躍っていた私は
「静岡からきたよ♡」の反応に困るであろう謎のアピールうちわを持って立っていた。
(※今では母が実家のうさぎにエアコンの風を送るために使っています)(本来の用途)(超恥ずかしい)(もう捨ててくれよ)

そんな私にチビクロサンボはペコッと頭を下げてくれた。


オチた。




たぶん意図的なものではなく近所のおばさんに会釈するくらいの反射的なものだったのだと思うが確信した。

いい子!



帰宅してドル誌を漁ってもチビクロサンボの姿はなく
幻でも見たのかと思ったがそれもそうだ。
それが松島くんだったのなら入所して2,3ヶ月なのだから。



のちに雑誌や少クラでそれらしき子を見かけるようになり静岡県出身だと知る。(なるほどだからうちわ、、)

たぶん松島聡くん!




よし。ファンレを書こう。













その年の夏、私は人生で初めて挫折というものを経験することとなる。

比較的オールマイティになんでもこなしてきた(かわしてきたが正解な気がする)つもりでいた私はとんでもない現実にショックを受けた。


すんごいカナヅチであることが判明。





小・中と水泳の授業はなく泳ぎ方を教わったことがなかったが
いやいや、みんな同じ環境で育った水泳初心者仲間じゃないか〜🤝
なんて思っていたら甘かった。
同じ環境で育ったからこそみんな泳げたのだ。

海に囲まれた地で育った私たち…
泳ぐには環境があまりにも整いすぎていてもはや泳ぎ方なんて教わらなくてもみんな揃って泳げたのだ…!!

いやー、たまげた。盲点であった。(馬鹿すぎる)
自分がどれだけ過保護に育てられてきたのか思い知った15の夏。


挫折。屈辱。


心が折れた私はあまりのショックに胃痛がした。








これは完全に水泳への拒否反応だ



そう思っていたのだが、
いや、ちょいと痛すぎやしないか?


病院が大嫌いなわたしはとりあえず我慢。
(※良い子は絶対にマネしないでね)




数日経っても胃痛が治らない…あれ?

これ拒否反応じゃないな?

私「胃が痛いんだけど」

母「わー絶対プールの拒否反応だらw」

私「…ですよねーw」

やっぱ拒否反応ですよねー( ◜︎◡︎◝︎ )



やっぱそうか…🤔 と思ってしまったわたしは我慢を続けてみた。(※良い子じゃなくてもホントにマネしないでほしい。取り返しつかなくなるから。)





かれこれ2週間程痛みが続いて胃がグツグツと沸騰している感じがする。

もしかしてもしかしなくても拒否反応じゃないな!?!?

私「病院行きたい」

母「えっ…」

母が硬直した。無理はない。
無理矢理連れて行こうとしても病院に意地でも行きたがらない厄介者のわたしが生まれて初めて行きたいと言ったのだから。
母がめっさヒステリックな顔していたの今でも思い出し笑いできる。笑うなってな。



翌朝1番に近くの病院に連れていかれた。











ど田舎の小さな病院で診てもらった私は
鎮痛剤とゼリー飲料のような蓋つきの空袋、なんか怪しいタブレットを出された。
出してもらった鎮痛剤が効いて一時的に痛みは無くなったが、タブレットを噛んで息を吹き込んだ空袋からピロリ菌が見つかった。

ピロリ菌?


可愛い名前してるがコイツが厄介者らしい。
この日から我が家では私の体内にいるピロリ菌をピロリンと名付け大切に育t((除去治療を始めた。
プールはドクターストップ。ラッキー!(最低)

痛みもなくなり水泳も出なくて良いという非常にハッピーな状態でSUMMARY2011を迎えた(最低)


スーパーハイパーウルトラミラクルカッコいい山田くんと
"松島くん"と認識してから初の松島くん!

思ってたよりも高い声でキャッキャするお猿な松島くん。
物怖じせずに会場を煽る松島くん。
見てるこっちが恥ずかしくなるくらいはりきって踊る松島くん。
いい。すごくいい。

あの春に見た松島くん?ホントに?!ってくらいキラキラしていた。
(実は違う子だったってパターン無きにしも非ず説)

人生で初めて年下にハマってしまった。
サマリーから帰って決意した。

私「あの子Jr.大賞に名前入れる。あの子がデビューするまで死ねない

母「あんたダーヤマじゃなかったの?」

私「それとこれとは別だじゃ」

母「別すぎない!?」

母よ…別すぎとはなんぞや!?






夏休み中に書こうと思っていたファンレ。
なんでも後回し癖がヒドイ私は夏休み中に便箋と封筒と返信用のハガキ、切手を用意するとこまではやった。偉い!遅い。

いつの間にやらドームサマリーに行っていた。

東京ドームで叫ぶ松島くん。やっぱり可愛い…。
サマリーの余韻に浸りながらファンレも書いた。
あとは出すだけになった。のに、
のに、、
ある日学校から帰ってきたら松島くんのデビューが決まってしまった…!

ウソだろ…早すぎる……
ファンレまだ出してないのに!!!!!!!
ごめん今から出すからあと1週間待ってお願い(?)
いや、嬉しいけど嬉しいんだけどファンレ出してないのに!

弟には「今の今まで知らなかったテイで出すか普通に書き直せよ」と言われたがデビュー前とデビュー後って明らかにこうなんかの重みがこう…ちがうくない!?







そんなわけで出さずじまいになってしまった当時のファンレがこちら。

レターセットのチョイス!!!


愛・地球博って2005年だよね?
なぜなの私…






実家のデスクの引き出しに捨てずになぜか残っていたので恐る恐る開封…

そ・・聡くんって呼んでる…!


なんか恥ずかしい///


しかも返信用ハガキに好きな給食はなんですか?とか書いてる…

すごい恥ずかしい///

時の流れを感じてしまう…こわ…


それにそのハガキ
もしかして:暑中見舞いの余り





書き直しを決めたが再び胃にあの違和感・・・
こ、これは・・・Déjà-vu

薬飲めば治るやつじゃん?🤔と余ってた薬を飲んでみた。(※良い子は絶対にマネしないでほしい。)
あっれ、やっぱ痛い🤗




私は気づいた・・・
空腹時に胃が痛むんだ!

常に胃に何かモノを入れている状態をキープしつづけるため夜中でもいくらでも食べ続けた。(※だいぶヤバイ人の例だから絶対に絶対にマネしないでね)




あまりにも夜中に食べてるもんで母が私の異変を察知…
病院に強制送還。

診察してもらうと
除去できていたと思われていたピロリンがわたしの体内にまだ潜んでいたのだ…!!




突然人生初の胃カメラをすると告げられる。

医者「今からやるよ」

え゛ッッ🤯

喉の麻酔だけで意識がバッチリの状態で胃にカメラを入れるだと……?
極度の病院嫌いな私は15にして医者にボロボロ泣きながら「イヤです」と言い続けた。

私「イヤです」

医者「ダメです」

私「イヤ!!!」

医者「ダメです」

父「お願いしまーす(鼻ほじのテンション)」


看護師2人に取り押さえられマウスピースをはめられる。
JKがこんなにも泣いてるのに何するの!?(恥を知れ15の自分よ)








初めて殺されるかと思ったが死ぬ思いの甲斐あってか十二指腸潰瘍が見つかった。なるほど。つらいわけだ。
薬を貰ってやっと治るとほっとして帰った。







ところが痛みは治るどころか酷くなり、なんか胃とか全然関係ないところまでいろんな症状が出てきた。
なんかヤバイやつじゃない?







すると病院から一本の電話が


母「今度ちょっと遠いけど大きい病院行くから」

私「???いってらっしゃい…」

母「バカ。アンタが。」

私「…!?」








学校に行ったり行かなかったりを繰り返しながら
なんかしらんけど大きな病院に行く日が決まり
早朝から車に乗せられた。珍しく父が仕事を休んでいる。

なんか様子がおかしい。








車に揺られて数時間、いつものように車内で爆睡していたのだがその日はたまたま駐車場に入る手前で目が覚め病院の名前を見てしまった。

が●センター




……え?





ちょっとだけ嫌な予感がした。

が、検査だって言ってたし。









その日は丸一日病院に入り浸った。

採血したりCTを撮ったりエコーやら何やらでかい機械に乗せられたり…

エコーなんてお腹に赤ちゃんができるまでしないと思ってたのに。私のエコーヴァージンをどうしてくれるんだね…!?(エコーヴァージンとはなんぞや)



検査のあまりの多さに勘付いてきた私…
おや…?なんかただ事ではない予感がするぞ?



長時間にわたる検査を終え
さらに長時間検査の結果を待ち診察。




小柄で可愛らしい女の先生が座っていた。
何やら難しいことをいろいろ喋っている。

保健体育で筋肉の話を聞いているだけでも気分が悪くなって保健室に逃げ込むくらい医療系には疎い私には何を言っているのか全然わからなかったが

「今日から(私)さんを担当致します」

という今日からだったり

「治らない病気ではないので」
「がんばりましょう」

といった言葉からなんとなく覚悟はできていた…


なんか私ヤバイのかもしれないな?




後ろを向いたら母が泣いている!?



なんか私確実にヤバイな?








後から父がアホな私に簡易的な説明をしてくれた。


地元の病院で検査をした際細胞を摘んで病理に出していたこと
悪性の腫瘍が見つかったこと
様子見で放射線抗がん剤の治療を取り入れること
学校に行けなくなるかもしれないこと
治らないってわけではないよってこと
ただちょっと治すには時間がかかるしいろんなことを我慢しなければいけないということ
つまりはお前ガンだよってこと


ガーーーーーーン😱






覚悟は出来ててもまぁ地味にショックでしたよね…









自分が何と言い返したかは全く覚えていないのだが
たぶん私の性格上「そうなんだ」くらいで気にしてない感じを醸し出してたと思う。







最初のうちは治るっしょ!大丈夫!と逆に心配されるくらいめちゃくちゃ楽観的だったが、いち に の ポカン…!で松島くんのことは完全に忘れ去られていた。




両親から聞いた話で私は全く記憶がないのだが
病気が見つかり1週間ほど経ったある日
夜中に眠っていたハズの私が布団から歩き出しベランダの窓の鍵に手を掛けていたそう…
母が「どこ行くの!?」と慌てて尋ねると私は「トイレ」と答えたらしい…。


たまたまその日に両親が起きていたから助かったものの
もしかしたら私、自覚がないまま自ら命を落としていたのかもしれない


単にトイレへのルートを間違えて落下していたらそれまた大問題なのだが
翌朝その話を聞かされゾッとしたし、平気だと思っていたのはただの自己暗示であって本当はメンタルがズタボロになっているのだと初めて自覚して泣いた。










自分が落ち込んでることを自覚してしまうと人が変わったように塞ぎ込むようになり治療を放棄。
放射線抗がん剤も断固拒否。
治療で苦しむくらいならいっそこのまま静かに死んでしまいたいと思った。
16のJKには受け入れ難い恐怖に怯えてなんかもうホントにおかしくなった。


精神科にも連れて行かれた。
ナニモノでもない真っ黒な変な絵を見せられて
優しい口調で「この絵は何に見える?」と聞かれたり
ヒーリング音楽と自然の映像が流れた真っ白な部屋にひとりにされたり
今まで受けてきた診療治療とは何もかもが違いすぎて怖すぎた。

私は正常なのに精神科に連れて行くなんて母親がどうかしちゃってる

と当時は思っていたが、どうかしちゃってたのはたぶん私の方だったんだと思う。



正直このへんからすっぽり記憶は抜けている。










学校でも病気を隠しながら生活するのが思っていた以上に苦痛で
強い薬で体も弱り家で寝たきりの毎日を過ごしていたとき
母が突然キスマイのDVDを買ってきた。

テッテレー!
Kis-My-Ft2 Debut Tour 2011 Everybody Go at 横浜アリーナ 2011.7.31』



我が家にキス担はいないのにおもむろにディスクをセットすると早送りをし

「ここに出てくるからよく見ててみぃ」

と言われじっと見ているとそこに現れたのは
当時まだジャニーズJr.だったちっこい松島聡くん!!!


決して上手なわけではないけど一生懸命に踊る真剣な目はやっぱり松島くんだったし
Jr.のセンターに立って大きく口を開けて誰よりも楽しそうに笑う姿につられて笑わないわけがなかった…

あまりにも愛おしすぎて笑いが止まらない…!!!(情緒不安定かよ)(情緒不安定だよ)
久々に私が笑ったことに母が喜び泣くというカオスな状況


思い出した…

私、松島くんのこと応援したいんだった!




立つことすらできない日があるほど体力は衰退していたが
この日からマジで燃えた。

会いたい。この目で松島くんを見たい。


ヲタクってチョロいなあ。






そこで始めたのがラジオ体操

うん。笑っておくれ。
でもラジオ体操ナメちゃあかん。ほんとに。





最初は調子が良い日だけベッドに寝たまま腕を動かしたり深呼吸する程度だったが
続けることで座って体操したり立ち上がったりと徐々に体力を取り戻したではありませんか…!


私が立った…!


いやぁ
ラジオ体操すごい!松島くんすごい!





学校へも復帰。

当然デビュー握手会には行けずThankyouカードは家に6枚丸々残っている。記念すべきファースト魂にも行くことはできずうちわだけ知り合いに代行してもらった。

それでもテレビや雑誌の摂取で在宅ヲタクを再び楽しみ始めた。

ヲタク楽しい。




驚きの回復力で
中学時代ジャニーズの沼に引きずり込んだ友達と
初のアリーナコンサートに参戦できることに…!



うわぁ…デビューしたSexy Zoneの松島くんがいる!と思った(小並感)




体調には波がありSexy Zone最初で最後のサマリーにも行けなかったが、次こそはといつのまにか超ポジティブ人間になっているではありませんか、、




びっくりである。



もう退会してしまった当時のブログでも冬に病気が見つかったことを報告していた。
のだが、
その時の記事がポジティブをこじらせて非常にクレイジーだったのでブログ自体を消してしまう前に思わず写真に残した。


病気を報告をした直後


同記事で音楽特番でメドレーに年齢問題で参加できなかった聡マリが脇で見学してる姿を見つけた報告をしているではありませんか

ガンより聡マリ🤗










もちろん強い薬を使い始めると体は言うことを聞かず
自宅療養のため病院に何度も通い学校を休み
薬で何日も眠り続けて学校を休み
まあ正直かなり無理はしていたがある日父に聞かれた。

「お前はこれから何したい?」


病気云々関係なくこの先やりたいことは何だと問われた。


四年制の音大に行きたい
アルバイトをしてみたい
ファンレターを出したい
またコンサートに行きたい


じゃあ全部やってみろ。ファンレターだけは元気になってからにしろと言われた。



療養中の手紙より元気になってからの手紙のほうが貰って嬉しいら?


そっか。チョロいので納得した。










それから高校では元々いた特進コースのクラスから
単位取得のために異例のコースごとクラス変更。
知らない人ばかりなクラスに登校したりしなかったりただでさえアウェイなのにやはり心に体が追いついてこない日もあり校内で突然倒れ運ばれたりもしてまさにどアウェイ








いやぁつらかった。
文化祭の円陣すら入る勇気がなく外で見てたし
何なら存在に気づかれてもいなかったから…










松島くんのCDリリースや番組出演を楽しみに生きることがわたしの青春だった。






幽霊生徒であることは高3になっても変わらぬままで
成績表には出席が足りず赤点ならぬ青点というものが6個もついた。
先生方の配慮で補習やらレポート提出でいろいろと免除していただいたが希望している音大にはどうしても単位が足りず諦めることに。



大きな目標を失ってそこそこダメージは受けたが
進路を塞がれても松島くんを応援したいという生きる目的があって助かった…!









松島くんのヲタクすることだけが楽しくていつのまにか病気がどうとか考えなくなる強靭メンタルを身につけていた。










そっから謎の快進撃。

腫瘍が…


こんなことあります?(cv:菊池風磨)







放射線は一度だけ治療を受けたが
抗がん剤を一切使わなかった。




担当医も若いとはいえ抗がん剤に手を出さずして腫瘍が消えたことは凄いと言ってくださった。

やったよ松島くん!(誰)










消えたから数年はまだ再発のリスクが高くまだ治ったわけではないと言われたが
いやもうこれ実質治ってない?(ハイパーポジティブヲタク)






治ったと信じ込んだヲタクはついに1ヶ月だけアルバイトをした!


働いてみたいという好奇心とヲタク資金を稼ぐために。



驚くべき行動力。











四大は諦めても音楽の短大か専門学校に行ければ…
と思っていたのだが
せっかく命拾いしたんならなんか違うことしたほうがよくない!?(アホ)


好奇心と思い切りの良さだけで生きてるので
何の知識もないファッションの学校に飛び込んだ。




それが今普通に仕事になっているのだから
人生何があるかわからないよね。










高校生活で思い残したことといえば
新しい友達ができなかったこと。



中学からの友人としかほとんど交流がないまま卒業してしまい
上京しても連絡を取れる高校の友達がほぼいない。





それがどうだろう
今Sexyの現場で出会えたみなさんにたくさん遊んでいただいている。
みんな友達!(?)セクシーサンキュー!!!




松島くんを好きでいられたことで
現場に足を運び好きを共有できる方に出会えて
高校で青春できなかった分を十分取り戻し幸せいっぱいなのでもう未練はありません。











トントントンってスムーズに治療が進んだように話しているが
ホントのところは本当にゴタゴタしていた。


ガンの方が亡くなるドラマが放送されれば
別室から聞いたことのない母の狂ったような泣き声
が聞こえてきたり
私が学校に行けなくなってから弟が突然鬱になったり
私自身より家族の方が大きなダメージを負っていたのだと思う。

こんなにも心から家族にごめんなさいと思ったことは他にない。






病気になるまで私は普通に24時間テレビを純粋に病気や障害を持つ方が頑張っている姿に勇気をもらえる番組だと思っていたし、少しでも力になれるならと募金をしたりしていた。

しかし、自分がいざ治療の難しい病気にかかったことで初めて24時間テレビを見ることが怖くなった


特に怖いのがやはりドラマであって
自分と同じ病気の主人公だから現実を受け止めないと…と視聴すれば
今まで自分に降りかかっているリスクとか諸々受け入れることを拒んでいた私に
一瞬でUSBメモリでも挿されたかのようにものすごい量の病気の知識とリアルが脳に突き刺さってきて
実話を元に再現した話だとわかっているから余計に怖かったし
病気になったら亡くならないと話としては面白くないのか?と憤りさえ感じた。(※個人の意見ですもう怒ってないです餅投げないでください)




そんなややトラウマを抱えた番組のメインパーソナリティに大好きな人たちが選ばれたのだ。
見ないという選択肢はないんだよね。

単純に期待したい。
今病気と闘ってる人の力になってほしい。


















今回の検査の結果が来週出るのだが
問題がなければ実質完治…!
ここまで来たらもう大丈夫っしょ_(:3」∠︎)_




いぇーい!治った!!(言霊)




6年に渡る病院のサポートを終えられて正式に元気になった体でずっと夢に見ていた初静岡凱旋公演の参戦を控えている…✨

こんなに幸せなことはない。















そもそも私がはじめに好きになった松島くんって
自分よりも背がちっちゃくて色黒でおめめがきゅるきゅるした声の高い男の子だったわけで
良い意味で、良い意味でね、今すっかり別人になっているわけなんですよね。

私は松島くんの1ファンでありそれ以外の何者でもない。
だからあざとい弟キャラでいようがどエロく腰回そうがヒモみのあるふにゃっとしたお顔で微笑もうがそういったキャラ全部がホントのたった1人のアイドル松島くんであってキャラなんてのは所詮こちらが勝手に設定した単なるオプションみたいなものだから守り抜こうが新しい面を開拓しようが松島くんが松島くんでいてくれたらそれが一番嬉しい。
(何回松島くん言うの)




よくあるのが

あれっ?私なんで松島くんのこと好きなんだろ?

っていう急に魔法が解けたように一瞬スンッ…(˙-˙)ってなるアレ。

でも考える間もなく瞬時に
笑顔が素敵だな
歌声が優しいな
顔がいいな
顔もいいな
昔も今も全部好き!大好き!

に辿り着いてしまう。





謙遜からよく自分を卑下した発言をする松島くんのことなので今後もっと売れたときに
キャラが迷子になったりガムシャラに突っ走ってた時代のことを周りにいじられたら
黒歴史ですなんて言ってアハハと笑うかもしれない。

でもどうか松島くんにはそんなガムシャラに頑張っている姿にも励まされ救われたファンがいることを忘れないでほしい。



この間OAされたSexy Zoneの地上波初冠番組
Sexy Zoneのたった3日間で人生は変わるのか!? でも
ドレッドヘアにした松島くんがデヴィ夫人の心を徐々に掴んでいって連絡先を交換してもらえた映像を見て本当に人の気持ちを汲み取るのが上手で人が好きな人なんだなあと感じた。









私は頭の沸いてるオタクなので
将来は誰かと結婚して子供が生まれたら
テレビに映る松島くんを指して
「この人ママの命の恩人なんだよ」って言って
「大袈裟だよ」と呆れられたいし
いずれは10分前のことも忘れちゃうようなおばあちゃんになっても
「この人は命の恩人でな、」と昨日のことのように喋り出し
「また始まったよばあちゃんの松島くん話」って孫たちにため息をつかれたいものだ。

結婚する相手すらいないんですがね!!!
(※婚活します)





ん〜 松島くんにもひとりの人間として幸せになってほしいね。
だってこんなにも人を幸せにしてくれてるんだもの

いつかは素敵なお嫁さん見つけてお父さんやお姉ちゃんのことも幸せにしてあげてほしい(号泣)


すみません取り乱しました(2回目)















さっきまで麻酔で眠ってて起きたばっかで
昨日の夕方から何も食べていないので
全然頭働いてないんですよね…


Sexyソーリー。








要するに私が皆さんに言いたかったことは

やりたいことが今できる状況ならやっておいたほうがいいぞ!
ガン保険には入っておいて!
若いからといって病気にかからないわけじゃないよ。
松島聡くんはいいぞ!

ってことなんですよ。




根拠のない自信だけでここまでやってきましたが
その根拠のない自信をつけてくれたのが松島聡くんなんですよね。

アイドルってすごく素敵な仕事ですよね。


松島くんがいつだったか仕事だと思いたくないくらいこの仕事が好きだと言っていたことを今でも思い出すし彼の活躍から常々感じられる。


アイドルのお仕事をしている松島くんが一番素敵だ。だいすきだ。


これからもヲタクをどんどん振り回してほしい。

私はこの拾った命でまだまだヲタクをしたいのだ!!!







ハウッ…💥🤦🏻‍♀️(頭を冷やすために冷えピタを貼るヲタク)





えぇ、

今まで治療と診察を担当してくださった病院の皆さん
ずっと側で支えてくれた家族
現場で出会って仲良くしてくださるみなさん
そんな皆さんと出会わせてくれた松島くん




私は今夜念願の2度目の初ファンレターを書こうと思います。

妖怪長文BBAなので忙しい松島くんが秒で読めるようシンプルな文面にします(たぶん)(たぶん…)(できるだけ…)


検閲通過してファミ●ラのおねぃさんにポイってされずにどうか届いてくれたらいいな。






Sexy Zone松島聡くんは最高のアイドルです!!!






私の人生を変えてくれてありがとう。