こんにちは、画家のみやもです。
アートは絵の具の無駄遣い
先日、このようなコメントを見かけました。
それに対してのぼくの返信がこちら
そうそう、本当にこれは声を大にして言いたいのですが、アートなんて見る人から見れば単なる絵の具の無駄遣いでしかありません。
こんなことアーティストである自分がいうと「芸術家失格」とまで言われそうですが、ぼくはマジでそう思っています。
ちなみに、芸術家の岡本太郎も「芸術なんて道端の石っころと同じだ」という言葉を残していますね。
太郎のこの言葉も「芸術は絵の具の無駄遣い」という表現の意味と近いと思っています。
例えば、ぼくの知人できゃりーぱみゅぱみゅさんがどうしてあんなに売れていて、人気があるのか理解できない人がいました。
ぼくは彼女の音楽や振り付け、世界観が斬新でとても面白いと思っているのですが、彼にはそれが全然分からないのです。
なので、彼からすればきゃりーさんは道端の石ころのようなモノなのでしょうね。
しかし、これは彼女に限らず、どのアーティストにも言えることなのです。
ピカソの絵、岡本太郎の絵が理解できない人が世の中にはたっくさんいて、そういった人たちにとっては彼らの作品は単なる絵の具の無駄遣い、即ち何の価値もない石ころにしか見えないのです。
アートというのはそんなモノなんですよ。
誰かにとっては石ころでも、誰かにとっては宝石に見えることがある。宝石を見つけた人の人生は楽しい
ピカソや太郎と同様にぼくの作品もある人からは「こんなの芸術じゃない!小学生のお絵描き以下だ!」と散々な言われようだったりします。
ですが、別のある人から見れば以下のような感想が来たりするのです。
この方達にとってぼくの作品はまるで宝石のように映っていただいているようです。
これは作品を創作して生きて行くアーティストにとって本当にありがたいことであり、嬉しいことなのです。
っで、ぼくは思うのですよ。
自分にとって理解できないアートについていちいちネットで書き込み続けて批判ばかりするのと、自分の好きなアートを見つけてそのアーティストを見守り続けるのとどちらの方が楽しいのかなと。
ぼくは断然、後者だと思っています。
野菜が凶作だと人間は生きるのに困ってしまいます。
アートが無くなっても人間は生きるのに困りません。
そういった意味では、アートの存在自体が無駄なのです。
ただ、アートが存在しないと社会は途端に面白くなくなってしまいます。
だって、アートはエンターテイメントなんですから。
アートの存在が無駄なのは昔から分かりきった事実です。
ですが、その無駄ばかりのアートの中でたまに自分好みの宝石が混ざっています。
その宝石を見つけ、それを楽しみながら生きていった方が人生はよほど楽しいとぼくは思うのです。
みなさんはどう考えますか?
それでは今日はこのへんで。
わっしょい!