80年目のスタートアップ アマゾンが教えを請う元工具問屋

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フォーブス ジャパンは2018年4月号で、創業10年以上で売上高100億円未満の価値ある企業を表彰するアワード「スモール・ジャイアンツ」を創設した。アドバイザリーボード12組の協力のもと、全国から250社を選出。「カッティングエッジ」「ローカル・ヒーロー」「グローバル」「セカンド・ローンチ」「ベスト・エンゲージメント」の5つのカテゴリーごとに、精査と投票を重ねてユニークな取り組みを行う企業を選定した。

セカンド・ローンチ賞を受賞したのは、大阪の大都だ。結婚を機に戦前創業の工具問屋に入った娘婿が直面したのは、変化を拒む業界の仕組みだった。業界のタブーに切り込み、見えてきた「小さな組織の美しさ」とは。

ソースの焦げる匂い、大胆な柄物の服を着た人々。通りには出店が並び、威勢のいい声が飛び交う、大阪・なんば。毎日が祭りのような賑わいを見せる街並みは、今宮戎神社の例祭の真っ只中とあって、いつにもまして独特のコテコテ感が漂う。
 
その通りに面した一軒のショップがある。このショップを運営する会社に、意外な電話がかかってきたのは2014年のことだ。「アマゾンジャパンさんから電話ですよ!(CEOの)ジャスパー・チャンさんが来たいって」

受話器を握った社員が声を上げた。

「嘘やろ? しかも、来いじゃなくて、ここに来る?」

社長の山田岳人は信じられない顔をして社員に聞き返す。「本当にびっくりしましたよ」と、山田は振り返る。

「アメリカでは家電の次に売れるDIYツールが日本では全然売れないそうで、話を聞きたいとおっしゃるんです。それで、じゃあ、協力しましょうとなりました」

工具問屋を営んでいた頃から創業80年を数える「大都」。3代目社長の山田は、02年にeコマースを始め、14年に体験型DIYショップ「DIY FACTORY OSAKA」をオープンさせた。

店内は、大阪の賑わいを凝縮した外の景色とはまるで別世界だ。工具が、まるでインテリアのように店内を彩る。老若男女が工具を手にとって眺め、DIYのレッスンやワークショップが開かれるテーブルスペースからは、心地よい木の香りが漂っている。


2015年には、東京・二子玉川にも2号店を開店

「ものを作る楽しさを未来につなげたい。その会社の理念を実現するための場所です」

社員から「ジャック」と呼ばれる山田は、柔和な笑顔を浮かべてそう話す。ちなみに社内では誰もが「トニー」「アントニオ」などイングリッシュネームで呼び合う。「新卒4年目で、役員を務める人間もいます」と言い、上下関係のヒエラルキーがない組織運営も含めて、古い業態が長かった会社とは思えない。まるでスタートアップ企業のようだ。

しかし、1998年、山田の結婚を機に、義父である2代目社長から「事業を継いでくれ」と言われ、リクルートから転職してきたときの会社の状況は、今とは全く異なるものであった。

「僕が28歳で入社したとき、次に若い人が45歳くらい。20代と30代が一人もいなかった。当時の会社の日常は、注文が来たらトラックで配達するだけ。

『今期の売り上げ目標は?』と社内で聞いても、『そんなもん、決めてない』と言い返されました」

山田が驚いたのは、毎日あっさりと定時に上がってしまう社員たちの姿だった。売り上げを伸ばそうと精を出すでもない。新たな取り組みへと野心を燃やすわけでもない。ただ、注文に対応するだけ。それが当たり前となっている会社の風土が、山田には心底つまらなく思えた。

問屋業が創意工夫を求められていなかったのも事実だ。工具業界には、川上の工具メーカー、川中の問屋、川下のホームセンターなどの小売りという、堅強な商流があった。

「何も分からずに入ったこの業界では、リクルートの営業の論理が全く通じませんでした。リクルートのビジネスは、取引先の会社にあらゆる提案をして、その会社の成長を徹底的に支援することです。この構図をあてはめると、問屋としては、小売店さんの成長を支援することになるのですが、求められるのはクリエイティブな提案ではなく、無茶な要求に黙って従うことばかりでした」

ものづくりの町・大阪は、工具発祥の地であり、産地問屋からスタートした企業やメーカーが集積している。古い慣習に縛られた商流は、商売をやりにくくしているだけであった。

「小売店さんからの支払いは、180日の手形ということだってざらにあった。現金化できるのは半年後ですよ。それではキャッシュがまわるわけがない。それに、付き合いの長い小売りさんでも、うちが100円で納品しているものが別の問屋で10円安かったら、90円にしてくれといわれてしまう」

取引先の経営者は、ほぼ全員が後継者。工具業界は新規参入が全くない、斜陽産業だった。

「他の業界では商流という仕組みを変えながら生き延びているのに、工具業界だけは、うちが創業した80年前から全く同じ。発注方法が電話からファクス、メールになっただけで、やっていることは、ずっと変わらないんです」

業界の常識は、世間の非常識。娘婿として、唯一業界の外から来た山田にしてみれば、誰かが、古い仕組みを変えなければ、いずれ業界ごと沈んでしまうのは、明らかだった。

そこで、02年、山田は見よう見まねでECサイトを立ち上げた。商品を小売りに卸さずに、顧客にインターネットを介して、直接販売する。これは、自社の生き残りをかけた新規事業であると同時に、工具業界の商流を変えることへの挑戦であった。  

問屋が小売りを行うことは、業界のタブー。卸先のホームセンターからは、当然批判を受けた。さらには、「ネットで売るなら、取引停止する」や「ホームセンターさんのチラシ以下の価格では、絶対に売るな」と、メーカーからも圧力がかかり、商品を供給してもらえないこともあった。

ところが、「応援するから頑張れ」という声があがった。同世代を中心としたメーカーや問屋だった。彼らを惹きつけたのは、力関係の偏った縦の商流に代わり、すべての取引先と利益をシェアできる、共存共栄のフラットな関係性を目指す山田の姿だった。

「僕たちも、お客さんも、取引先さんも、ハッピーになるようなビジネスでなければ、工具業界は生き残ることも、成長することもできないじゃないですか」と、山田が打ち立てたのが、「ハッピートライアングル」という新しいモデルだった。ECによる実績とともに、このモデルは支持を集めていく。

一度、取引先の協力さえ得られれば、他の企業が一朝一夕では実現できない品揃えが実現した。アマゾンのような巨大EC企業であっても、取引先との密な関係性は手に入れられない。ここで、産地問屋として80年の歴史が活きたのだ。こうして現在は、取り扱いメーカー1000社以上という国内随一のECサイトに成長した。

さらに、彼は画期的なアイデアを実現する。ユーザーが体験できる「場所」を作ったのだ。

「例えば、電気丸鋸は全国のホームセンターで売っています。でも、プロではないユーザーに使い方を教えてくれるところはほとんどないんです。メーカーさんは新商品を出しても、店頭に置いてもらえるかは小売店さん次第。だから、僕らは商品のPRの場所として、DIYショップの店頭スペースをお貸ししています。置き方も、メーカーさんが好きに決められる。うちのスタッフを教育してくれれば、ニーズがあるお客さんに店頭で使い方を教えながら、販売します」
 
取引先と二人三脚で、直接、ユーザーと向き合うビジネスへと転換していく道を選んだのだ。


「DIY FACTORY OSAKA」に並べられた工具。店舗をメディアと考え、約25社のメーカーに月決めでスペースを貸し出し、メーカーに商品PRの機会を提供。

「”風向き”は自然の摂理ですから、変えることはなかなか難しい。でも、”帆の向き”は変えられる。うまく前に進まないんだったら、自ら帆の向きを変えよう、と思ったんです」

ビジネスモデルにおいては光が差し始めたが、会社の組織という体質に関しては、今も忘れることができない、組織再編の痛みを経験した。

「僕は組織を(社員の構成がそのままの状態で)変えることができなかった。だから最終的には全員入れ替えた。それはトラウマでさえあります」

05年ころ、ECの可能性に目を開かれた山田は、リソースだけが削がれていく問屋業の廃業を決意。先代に相談のうえ実行した。問屋業を残すのではなく「会社を残してほしい」という意向を受け、事業再建に踏み出した。

山田は、社員への給与も見直し、痛みを分かち合ってくれる社員だけ残ってくれ、と求めた。その場では残ってくれた社員たちもいたが、結果的に1年ほどの間に皆去っていった。

ここで山田の力となったのは、「好き勝手にさせてくれた」という2代目社長からの信頼だった。サーバーの購入のために数百万円を借り入れる際にも、何も言わずハンコを押してくれたという。

「裏では、税理士にこっそり、『今、会社はどんなんや。あいつは大丈夫なんか』と心配してくれていた。でも、僕自身が『あれをするな』『これはどうなっている』と言われたことは皆無なんです」

バトンリレーの結果、大都は「創業80年のベンチャー企業」として生まれ変わった。新卒の採用、新規事業の創造、大企業との資本提携、マザーズ上場企業の事業の子会社化──。それらは死にかけていた会社が、ここ5年間で次々と実現したのだ。

「会社をもっと大きくしたいとは思っていません。莫大な売り上げよりも、僕も社員も世の中に大きな影響を与える会社になりたいだけです」 
 
大都が直営するDIYショップはわずか2店舗。しかし、ユーザーに提供したいDIYの体験やオリジナル商品は、資本業務提携をしたカインズが持つ200以上の店舗を介して、全国に広がっていく。

「規模が大きくなると、どうしても分業が進みます。塗料売り場の棚だけを管理する人が、『日本の住まいを良くしたい』と思うのは難しい。しかし、小さなチームで動けば、自分が誰のために、何をやっているかを実感しながら働ける。お客さんは、取引先は、楽しんでいるかな、と」

だから、山田はこう言うのだ。「小さいことは、美しいことなんです」と。

山田岳人◎1969年、石川県生まれ。92年、京都産業大学卒業後、リクルートフロムエー(現リクルート)勤務。98年、結婚を機に義父が経営する大都に入社。2002年にEC事業を立ち上げ、11年に代表取締役へと就任し、現在にいたる。14年、体験型DIYショップ事業を開始。17年、ホームセンターチェーン・カインズと資本業務提携。