本当に人間らしい関係であるためには
それでは、叔父さんの考える本当に人間らしい関係とは、どんな関係なのでしょう。叔父さんはコペル君にこう語りかけます。「君のお母さんは、君のために何かしても、その報酬を欲しがりはしないね」
つまり叔父さんは、本当に人間らしい関係であるためには、見返り(特に金銭的な見返り)を求めてはならないと考えるのです。しかし、これはあまりにも無理のある考えではないでしょうか。
親は子に見返りを求めないと叔父さんは言います。けれども生物学者リチャード・ドーキンス氏が著書『利己的な遺伝子』で明らかにしたように、親の子に対する一見利他的な行動は、自分の遺伝子を残すという利己的な動機に基づきます。
ましてや金銭的な見返りを禁じたら、近代的な経済は成り立ちません。どんなに人情味のある商店のおやじさんも「本当の人間関係を築きたいから代金は払いません」などと言われたら、笑顔のままではいないでしょう。グローバル経済は壊滅し、多数の人が貧困に苦しむのは必至です。
見返りを求める利己心は人間の本性そのもの
見返りを求める利己心は、非人間的ではありません。むしろ人間の本性そのものです。家族関係にせよ市場経済にせよ、利己心という自然な感情を前提に発達したからこそ、うまく機能するのです。
ところが歴史上、一部の知識人は利己心を悪とみなし、利己心のないユートピアを作ろうとしました。資本家の金儲けを非難した経済学者カール・マルクスはその一人です。マルクスの思想に基づき築かれたソ連など社会主義国家は、多数の国民を貧苦や死に追いやったあげく、崩壊しました。
『君たちはどう生きるか』の経済観には、原作者・吉野氏が当時の多くの知識人同様、若い頃に影響を受けたマルクス思想が濃い影を落としています。叔父さんのいう「生産関係」はマルクス経済学の用語ですし、分業は人間らしさを奪うという発想もマルクスの「疎外」の概念を映します。
けれども金儲けを否定したら、他人から何かを手に入れたいとき、平和な取引ではなく暴力に訴えるしかなくなります。保護主義で貿易が途絶えると、戦争が起こるのはそのためです。
もしコペル君と叔父さんが世界平和を望むなら、顔の見えない他人どうしが金儲けでつながるグローバル経済を否定するのでなく、むしろ肯定し、鼓舞しなければなりません。事実、そう考えた知識人もいます。
吉野源三郎氏と同世代の米事業家で、エコノミストでもあるレナード・リード氏という人がいました。1958年、「私は鉛筆」というエッセイを発表します。1本の鉛筆がどれほど世界中の多くの人の手を経て完成するかを描いたものです。まるでコペル君の粉ミルクの話そっくりです。
けれどもリード氏は、顔の見えない他人どうしが商業によってつながることを非人間的だとは考えません。政府が命令を下しているわけでもないのに、世界中の無数の他人どうしが自発的に協力し合う「奇跡」を素直に称え、この協力関係を発展させるには、政府は介入せず、人々の創造的な活力を自由に解き放たなければならないと説くのです。政府が経済を支配しなければならないと考えたマルクスとは正反対です。
経済学者のミルトン・フリードマン氏は著書『選択の自由』でこのエッセイを紹介し、感嘆を込めてこう記します。「何千人もの人びとは、あちらこちらの諸国に住んでいて、異なった言語をしゃべり、いろいろな違った宗教を信仰しているだけでなく、ひょっとするとお互いに憎悪しあっている可能性さえある。そうだというのに、このような相互間の相違は、鉛筆を生産するためお互いが協同するのに、なんの障害にもなっていない」(翻訳・西山千明氏)
世界平和のヒントがここにあります。異なる国民・民族が争わず協力し合うカギは、お金を稼ごうとする人間の利己心なのです。『君たちはどう生きるか』には残念ながら、その認識が欠けています。現代の「コペル君」たちがその忘れ物に気づき、本当に人間らしく平和なグローバル社会に向かって踏み出すことを願ってやみません。
(木村貴)
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