「京都の生協」No.76 2012年1月発行 今号の目次

おだやかな日も、地が揺れるときも、
──いつも暮らしによりそい、信頼されるラジオでありたい──

 JOBRラジオ京都です――1951年12月24日の夕方5時、京都の家々に置かれたラジオから、このコールサインが聴こえてきました。以来60年、KBS京都のラジオ放送は、まちの暮らしに溶け込むように流れています。昨年3月の東日本大震災を契機に、あらためてその可能性が注目されているラジオについて、KBS京都ラジオのアナウンサーを30年にわたってつとめられた村上祐子さんにうかがいました。


京都府生活協同組合連合会 会長理事
小林 智子

KBS京都 ラジオ編成制作局 局長
村上祐子さん

  アナウンサー志望のきっかけは小学3年生のとき……

小林 村上さんは長年、アナウンサーとしてキャリアを積んでこられ、インタビューの経験もたくさんおありだと思いますが、きょうは「インタビューされる側」ということでよろしくお願いします。

村上 相手の方のお話を引き出すことには慣れていますが、自分がたずねられる経験は数少なく、なかなか慣れることができません。やっかいな相手だと思いますが(笑)、よろしくお願いいたします。

小林 さっそくですが、なぜアナウンサーになろうと思われたのですか。

村上 最初のきっかけは小学3年生の最後の国語の授業のときでした。1年間使った国語の教科書を1人ずつ読んで、読み間違えたら次の人に交代するというやり方で音読することになったのですが、たまたま私がトップバッターで読みはじめたら、一度も間違わずに最後まで読み終えてしまったんです。
 いつも母に「はっきりと大きな声で読みなさい」といわれていたので、音読はけっこう好きでしたが、このときはクラス中がだんだん静かに聴き入りだして、読みすすむうちに「このまま最後までトチるな。がんばれ!」と応援するような雰囲気になって、読み終えたときは大きな拍手で喜んでくれました。みんなの心がひとつになったようで、私の気持ちも高揚しましたね。
 それで、6年生から中学校を卒業するまでは放送係として、「みなさん、朝礼がはじまります。運動場に出てください」なんて放送をしていました。
 自分の声をみんなが聴いて、それによって笑ったり、動いたりしてくれる。その快感を知ってしまったので、高校では放送部に入って、現役アナウンサーとして活躍している卒業生の励ましをうけ、大学時代はアナウンス教室でプロのレッスンをうけ、大学卒業と同時にKBS京都に入社しました。
 ところが、勤続30年の表彰をうけ、「これからも信頼されるアナウンサーとして……」とお礼の言葉をのべたその1か月後に、人事異動で現在のポストに移ったんです。

小林 編成制作局長というのは、どんなお仕事ですか。

村上 制作部はディレクター集団で、いわば番組制作の現場です。編成部は、KBS京都ラジオのすべての放送の編成を担当する部局です。その両方を統括するのが編成制作局長の仕事です。

小林 そうすると、最近マイクに向かうことは……。

村上 特殊な場合をのぞいて、ほとんどありませんね。さびしくはありますが、信頼されるラジオとしてありつづけるためには、こういうポジションも大切だと思っています。


  いつもの声で、いつものように――ラジオが生み出す信頼感

小林 私の子ども時代は、まだテレビが家になく、かじりつくようにしてラジオを聴いていましたが、最近は「自動車の中で聴くだけ」になっています。でも、東日本大震災ではラジオがとても役立ったといわれていますね。

村上 被災地では、「停電のとき、唯一の情報源がラジオだった。ラジオがいちばん身近だった」とか、「不安な夜をすごしていたとき、ラジオから流れてくる音楽で癒された」という声が数多くよせられました。テレビとちがって、電池さえあれば聴けますし、手回しラジオなら電池も不要ですので。

小林 計画停電で電車のダイヤが混乱したときも、ラジオの情報が役立ったという話を聞きました。

村上 そういう機動性・速報性においてはラジオは強いので、被災地ではリスナーから安否やライフラインの情報がよせられて、それをラジオで読み上げるといった、リスナーと局との連携も生まれました。
 また、「リスナーの耳になじみ、毎日の暮らしに密着している」という点も、ラジオの独自性であり、強みであると私は思っています。テレビとちがって音声のみの世界ですから、長年のリスナーさんであっても、私の顔はご存じないけれども、たとえば仕事帰りに閉店まぎわのデパートの地下で必死にお惣菜を選びながら店員さんとやりとりをしている声を聴いて、「もしかしてKBSの村上さん?」と声をかけてくださるんですね。
 それぐらい庶民的なメディアであり、身近な存在だからこそ、大きな災害が起きたときも、いつものパーソナリティーが、いつもの声で、いつものように語りかけることで、パニック状態におちいっている人を冷静にさせ、不安な気持ちによりそい、的確な情報を伝えることで信頼感を生み出すことができる。これは、映像に引きずられがちなテレビとの大きな違いだと思います。

小林 一方では情報の錯綜という問題もあって、震災後、インターネットでガソリンや乾電池等の物資不足が伝えられ、それがさらにマスメディアで報道されて、被災地はもちろん、関西でも品不足が起こりました。

村上 メールやツイッターといったインターネット上の情報ツールは功罪両面があるので、報道にたずさわる側としても、その情報のあつかい方には腐心しています。
 たとえば、ツイッター上の「ガソリン不足」という“つぶやき”を、そのまま安易にラジオで放送すれば、給油所に長蛇の列ができて、かえって燃料不足を増幅させてしまうかもしれないし、逆に、ツイッターで得た情報をもとに、ラジオで「○○という薬が不足している」とよびかけたら、リスナーから「予備を持っている」という連絡があって、現地にお薬を届けることができた、という例もあります。
 ですから、なかなかむずかしいのですが、やはり放送する側としては正確な情報をお伝えする責任があると考えています。


  何をすべきか、何ができるか――東日本大震災への対応

小林 東日本大震災から復興するには、社会全体の取組みが必要だと思いますが、被災地から離れた地域のラジオ局としては、どんな支援を考えておられますか。

村上 まず文化放送をはじめ全国のラジオ局が「被災地にラジオを送ろう!」キャンペーンに取り組みまして、リスナーからよせられた約8000台のラジオを系列局ルートで送りました。KBS京都ラジオは系列局がありませんので、京都に避難してこられた方がたにラジオをお渡しすることに取り組みまして、これはいまも継続中です。
 また、被災地の放送局を支援し、被災地と私たちをつなぐという意味で、ラジオ福島の番組を購入しました。毎週日曜日の夕方に放送している「ラジオでつなごう――詩の礫」という番組で、福島在住の詩人・和合亮一さんがパーソナリティーをつとめておられます。KBS京都ラジオとしては、この番組のなかで被災地支援にかんする情報も放送しているわけです。

小林 被災地との距離や立場によって、支援の方法もさまざまですものね。どんな支援をするにせよ、大切なのは「被災した方がたのことを忘れない」ということではないでしょうか。その意味では、関西地方でも大きな地震が起きる可能性は大きいわけで、被災地の経験からしっかり学び、きちんと備えておくことは、被災された方がたの思いにこたえることにもなるだろうと思います。
 私たち生協も、京都災害ボランティア支援センターと連携しながら被災地でのボランティア活動や物資提供をおこなってきました。数年前からは大規模な東南海地震を想定し、関西全域での図上防災訓練も実施しています。また、阪神・淡路大震災後、京都府とのあいだで「応急対策物資供給協定」を締結しました。

村上 KBS京都も、リスナーから「東北へボランティアに行きたい」という声がたくさんよせられたとき、京都災害ボランティア支援センターに相談して、「現地の受入態勢が整うまで、少し待ってください。すぐに行っても『ボランティア難民』になるだけです」とよびかけるなどしました。
 同センターのような、ボランティア活動のコーディネート機関があるとほんとうに助かりますし、今回のような大きな災害が起きたときには、企業も非営利団体も行政も報道機関もお互いに協力しないと、ちゃんと対応できませんね。
 ラジオ局間の連携としては、滋賀県で、NHK大津放送局がよびかけられて、AM局、FM局、コミュニティFMの垣根をこえて、防災について話し合おうという会合がはじまりました。今後もこうした取組みを継続していくことが大切だと思っています。
 番組制作の現場では、「時間の経過によって、必要とされる支援内容も変化するので、きめ細やかに対応していこう」と話し合っています。つねに「われわれ放送人は何をすべきか、何ができるのか」という意識をもって、息の長い支援に取り組んでいきたいですし、これは京都が被災地になった場合にも大事なことだと思います。
 東日本大震災を経験したいま、「京都でも必ず大きな災害が起きる」という前提で動かなければなりませんし、「そのときKBS京都は何をすべきなのか、何ができるのか」ということをしっかり考えて、いまから備えておく必要があります。もう「想定外」とはいえませんし、しっかり準備しておくことが、先ほどおっしゃったように、「被災した方がたのことを忘れない」ということになるだろうと思います。

小林 今後ますます大きな役割が期待されるラジオですが、日頃からラジオになじんでおかないと、いざというときに十分に活用できないような気がします。ラジオとの接点をふやすポイントは何でしょうか。

村上 いちばんの課題は、若い人たちにラジオを聴いてもらうことだと思っています。


  若い人たちにラジオを聴いてもらう課題

村上 ラジオを聴いていると、映像に頼れない分、「聴く力」が育ちます。中高年の方は、いまはラジオと縁遠くても若い頃に深夜放送に親しんでいた方が多いので、けっこう聴く力をお持ちですが、年齢が下がるにつれて、自分の聴きたいものや見たいものには接するけれども、人の話を聴いて理解する力は落ちるという傾向が強くなります。  インターネットやスマートフォンでラジオが聴ける“radiko”を2011年4月に試験配信、10月から本配信しました。
 これなら、家でラジオを聴く習慣がない中高生も、KBS京都ラジオが聴けるんです。いまのところ聴取エリアは京都府内だけですが、若い人たちにとってはかなり新鮮な体験になっているようで、「おもしろい」という反応もありました。

小林 とかく私たちは他人のことに無関心になりがちですので、「聴く力」を育てることは、地域社会にとってとても大切ですね。
 地域の暮らしに密着したラジオ局として、これからどんな番組を発信していきたいとお考えですか。

村上 京都というまちは、伝統工芸や芸術、商業、科学技術や教育など、さまざまな分野でぬきんでた財産をたくさんもっていますので、それを発掘して、ラジオで的確に発信していきたいですね。
 そうすることで、「リスナーの方がたの暮らしに役立つラジオ」「頼れるラジオ」「信頼されるラジオ」「聴いてよかったと思っていただけるラジオ」によりいっそう近づくのではないか。そのためには、私自身も、もっとまちを歩いて、そこに暮らしてらっしゃる方がたのお話をしっかり聴いて、場合によってはその方がたのすばらしいお話をラジオの電波に乗せていきたいと思っています。


  地域のつながりづくりをつよめるために
――地域メディア・生協の役割

小林 被災地の状況を聴いていますと、もともと地域のコミュニティがしっかりしていたところは、再生に向けた動きが早く立ち上がっているということでした。都会では、「隣は何をする人ぞ」という希薄な関係性になりがちですが、防災という観点で考えると、ふだんから地域のつながりを結び直していくことが大切ですし、私たち生協がはたす役割を自覚しなければと思っています。

村上 阪神・淡路大震災のとき、淡路島の北淡地域では、消防団の方がたがお年寄りの寝ている部屋もふくめて、すべて把握されていたそうです。だから、いち早く救出できて、誰ひとり犠牲者を出さなかった。これは大きな教訓ですね。
 私も自宅の近くの生協のお店をよく利用していますが、生協が、消費者目線も生産者目線ももったうえで、生活者目線で見えてきたことを事業に反映させておられるのはすごいと思います。
 そういう生協だからこそ、地域のつながりづくりのためにできることも多いのではないでしょうか。たとえば、共同購入の場でも、お店でも、困っている人やたいへんそうな人がいれば、まずはその人のことを「気にする」という感覚が大切ではないかと思います。
 そのうえで、住民団体のみなさんも行政の方がたも私たちマスメディアも連携して、いっしょに動いていけば、これほどパワーのあるものはないでしょうし、私たちラジオ局もその一員としてがんばっていきたいと思います。

小林 これからはもっとラジオを聴いて(笑)、「聴く力」をきたえ、まわりの「困っている」とか、「こんなうれしいことがあった」という“声”をしっかりうけとめていきたいと思います。
 本日はどうもありがとうございました。



写真撮影・有田 知行


プロフィール:村上祐子(むらかみ ゆうこ)
◆1955年生まれ 
◆出身地:大阪府 
◆現職:ラジオ編成制作局長。2009年2月、アナウンス部長をへて現職。
◆好きな言葉:基本が1あれば100にすることだってできる。(中田語録) 
◆趣味:ガーデニング、京都名所散歩
◆好きなもの・こと:気の合う仲間と仕事のあと、お酒を飲みながら語り合うことは、入社以来つづく私の大事な時間です。
◆ひとこと自己PR:年を重ねる喜びを感じながら仕事をしていたい。いつまでも輝いていたい。
◆過去の担当番組:ラジオ/「桂枝雀のモーニングサークル」「桂都丸のサークルタウン」 「一夕二聴なつメロ大全集」 「KBSニュースライナー」「KBSエリア5」「村上祐子の情報ラジオピア」「笑顔が見える~村上祐子のラジオかまい隊!」 「ゆうYOU京都(火・木・金)」「あんDOきょうと」「歌のない歌謡曲(月~金)」他・テレビ/「deちゅう」他
◆その他活動(執筆・音楽活動など):“アナウンサーの仕事”“人前で話すには”などをテーマに講演依頼があり、小学校の児童や保護者、大学生の前で話す機会が多くなりました。現職に着任以来、さらに各種シンポジウムのコーディネーターや講演依頼が多くなり、まさにてんてこまいの状況です。