水商売を漫画にした67歳原作者の剛勇な人生

「女帝」「嬢王」の倉科遼が持つ強烈な原体験

倉科遼さんはどのように多くのヒット作品を生み出したのか(筆者撮影)
これまでにないジャンルに根を張って、長年自営で生活している人や組織を経営している人がいる。「会社員ではない」彼ら彼女らはどのように生計を立てているのか。自分で敷いたレールの上にあるマネタイズ方法が知りたい。特殊分野で自営を続けるライター・村田らむと古田雄介が神髄を紡ぐ連載の第31回。

『原作者:倉科遼』と言えば、漫画好きな人にとってはおなじみの名前だろう。

この連載の一覧はこちら

銀座のホステスを主人公にした『女帝』(作画:和気一作)、六本木のキャバクラ嬢の戦いを描いた『嬢王』(作画:紅林直)、歌舞伎町のホストクラブを舞台にした『夜王』(作画:井上紀良)など、ネオン街を舞台にした水商売にかかわる漫画の原作を数多く書いている。

また原作者として名を馳せる前にも、漫画家、司敬の名前でヒット作品を何本も世に送り出している。

倉科遼さん(67)はどのように多くのヒット作品を生み出したのか。幼少のころからのお話を伺った。

新人賞に応募する早熟な小学生時代

倉科さんは、1950年6月23日、栃木県の黒磯市(現・那須塩原市)に生まれた。男だけの4人兄弟の2番目だった。

「小学1年の頃から絵を描くのは好きでしたね。3~4年生の頃に貸本屋を知り、漫画を借りまくりました。いわゆる“劇画”にすごい新鮮さを感じて、浸りました。そして自分でも漫画を描き始めました。早熟で小学校の時には新人賞に応募しました。その結果がどうなったのかは覚えていないんですが……」

小学校時代の成績はよく、学級委員をしたり、児童会の副会長をしたりした。

「小学6年から、中学1年くらいは激しく父親とやり合った時期でしたね」

倉科さんの父親は、戦時中は士官学校を出た憲兵だった。戦後は「戦犯者として捕まるのではないか?」とおびえていたと倉科さんは思う。

そして父親は不安をまぎらわせるために、アルコールに逃げた。

「父親は毎晩のように酒を飲んで暴れていました。夜中におふくろに連れられて、親戚の家に逃げていく、なんてこともよくありましたね」

次ページ陸上に明け暮れた中学生時代
関連記事
トピックボードAD
人気連載
トレンドライブラリーAD
  • コメント
  • facebook
0/400

コメント投稿に関する規則(ガイドライン)を遵守し、内容に責任をもってご投稿ください。

  • NO NAME50a586bcb41c
    ″身の丈に合ったこと″
    言うのは簡単だけど、実際にできる人は少ないので、とても素晴らしいです
    そもそも″身の丈に合ったこと″
    の″身の丈″というのが
    殆どの方は過大に考えがちなので
    まず、自分の身の丈はどれぐらいなのか
    それをちゃんと考えられる事が、長く堅実に仕事ができていた秘訣かもしれませんね
    風俗関係の仕事は、皆が知っているようで、実は知らない事の方が多く、とても不思議な世界
    自分も約4年、特殊な風俗関係の仕事をしてきましたが
    あの独特な空気や周りの特殊な人間関係はあの業界ならでは
    ただ、漫画やテレビの影響で夜の仕事に興味を持つ事まではいいけど
    やっぱり、事件やトラブルの多い業界なので
    華やかさだけじゃなく、危険と隣り合わせの業界だって認識だけは持ってて貰いたいです
    up3
    down0
    2018/4/12 18:20
  • NO NAME5b037de7d0c6
    水商売には経済的な貧困が大きく影響している。経済的な貧困を無くすように国は対策をしていくべきです。
    最低賃金が1500円まで上がると水商売をする必要のない人が多くなると思います。日本は最低賃金が低過ぎる
    up1
    down0
    2018/4/12 19:31
アクセスランキング
  • 1時間
  • 24時間
  • 週間
  • 月間
  • いいね!
トレンドウォッチAD
連鎖する貧困

7人に1人の子どもが貧困状態。平均年収186万円のアンダークラスが急増する中で、子どもの貧困を放置すれば、さらに格差は拡大する。貧困連鎖の実態に迫り、その処方箋を探る。