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理彩と木村の話「DISCO 2000(1)」
 「なきむしん」ーー自分がごくごく小さいころに幼なじみが付けたあだ名だ。「泣き虫」と自分の名前の「晋」この二つをかけている、と本人は言っていた。

 思えば、物心ついてすぐの自分はすぐぐずぐずと泣き出す弱虫で、背もさほど大きくなくやせていて、いつも周りの幼なじみや友達にそのことをからかわれていたものだ。
 それが、上背がぐんと伸びて涙を堪える術を身につけたぐらいから、だんだんと面白半分に自分へちょっかいを出すものは減り、小学校入学を機に引っ越しをしたぐらいから、すでに周囲より一目置かれるようになっていた。そしていつの間にか自分は完全に「かっこ良くてしっかりものの男の子」として扱われるようになり、今に至るわけだが。

 そう、かつて同じ年頃の平均よりも小さくて、色が白く女の子のような顔立ちをした自分は、手加減なしの100%で日々を送っている幼児たちにとっては絶好のターゲットだった。奴らは争いに飢えたモンスターだ。「こいつは自分より弱い」というのを瞬時に見抜き、たかり、こちらが音を上げるまでいじめ抜くというのを何よりも得意とし、それだけを楽しみに生きているようなものだ。
 特に近所に住む同い年の「えまちゃん」ーー保育園は違ったものの、母親同士が大の親友で、よくお互いの家を行き来していたものだ。しかしこいつが本当にキツかった。一見すると無垢で愛らしい美幼女だったのだが、口を開けば自分に向かって「トロい」(実際、その頃は運動も遊びも彼女のほうがよく出来たし、自分が怪我をして足を引っ張ることも多かった)、絵本で読めない字があれば「こんなのもよめないとかバカじゃん」などとバッサリ、すこしでも目に涙を浮かべようものなら「泣けばすむと思ってんじゃないよ」と鬼のようなことを言い放った。しかも大人の前ではその姿を見せないという器用ぶり。ちなみに、前出の不名誉なあだ名もこいつが付けたものだ。

 その日も、幼なじみは安定の意地の悪さを発揮していた。自分がかわいがっていたくまのぬいぐるみを、そいつは容赦なく「これのどこがかわいいの」と言ってのけたのだ。しかも「しんくんって、おとこのこのくせにぬいぐるみすきなの。へんなの」と薄ら笑いで付け加えるのも忘れなかった。
 これは子供心に大変なショックだった。せっかくあんまり会えないおじいちゃんが、遊びに来てくれたときいっしょに選んで買ってもらったものなのに。手に入ったときはそれはもう嬉しくて、何度も飛び跳ねて「おじいちゃん、ありがとう」と言ってしまったぐらいなのに。この子がいないと、自分は眠れないぐらい、頼りにしているぬいぐるみなのに。
 あんまり悔しくて、ぬいぐるみと一緒に遊んでいた部屋から飛び出してしまった。もうやだ。せっかくあの子が「見たい」っていうから持ってきてあげたのに。本当にえまちゃんはひどい。もうこんな家、いくらママにお願いされても遊びにきたくない。
 他の人の家の廊下ってなんとなく怖い。いつも連れられて入る部屋以外は、どこになにがあるか分からないからだろうか。だけど、あいつのいるところには戻りたくないし、台所にいるママたちには気づかれたくない。あいつはウソ泣きも得意だから、いくら「自分は悪くない」と主張しても大人はそれを信じてくれない。
 でもまだ「かわいくない」と言われたこの子のことがかわいそうで……。体育座りのままぎゅっとぬいぐるみを胸に抱きしめると、廊下の隅で座り込み、こらえ切らない涙を腕の中に落とした。
 その時、玄関のほうからかすかな物音が聞こえた。
 急いで涙を拭って顔を上げると、この家にいるもう一人の娘であり、あいつの姉である「りさちゃん」がちょうど小学校から帰ってきたようで、ランドセルを背負ったまま立って自分のことを見下ろしていた。

「どうしたの?」

 そう尋ねる声はひたすら優しかった、ような憶えがある。
 でもすでに小学生だったお姉ちゃんは帰宅時間が遅いこともあり、それまで遊びに来てもあまり喋る機会がなかった。人見知りと、芽生え始めたばかりのプライドゆえ、素っ気なく答えた。

「なんでもない…‥」

 すると、りさちゃんはすぐ隣にしゃがみこんで、自分の膝の中にあるものを見遣った。

「晋くんのぬいぐるみ、かわいいねぇ。りさおねえちゃんにも見せて」

 「かわいい」なんてさっきとは正反対の評価だ。でもそう言ってもらえたことがほのかに嬉しくて、「はい」とぶっきらぼうにりさちゃんへとぬいぐるみを渡した。
 りさちゃんはぬいぐるみの手や足を動かして、いろんなポーズを試しながら言った。

「名前は?」
「まぁく……」

 少し遠慮がちに答える。実はさっき、あいつにはこの名前もバカにされた。「くまだから『まぁく』って。そのまんまじゃん」と。
 また何か言われるかな、とおっかなびっくりに身構えていると、りさちゃんはぬいぐるみの体をこちら側へ向けて、彼女の顔の前まで持ち上げた。

「やぁ! ぼくマーク!」

 ぬいぐるみの裏で、高い声をりさちゃんが作る。そのセリフと一緒に、マークの手がちょこちょこと動いた。

「晋くん! いつもかわいがってくれてありがとう! ぼく晋くんだーいすき!」

 マークが腕を広げるようにしてそう言った。もちろん、本当はりさちゃんが発しているものだとは分かっていたが、何故かマークがそう励ましてくれてるような気がして、さっきとは違う意味で泣きそうになってしまって困った。

「だから泣かないで。晋くんが悲しいと、ぼくも悲しいよ」

 マークの腕でなでなでされる。その胴体の陰から顔をのぞかせたりさちゃんは、自分と目が合うとにこっと笑ってくれた。
 あたたかくて力強い気持ちが心にあふれてきた。りさちゃんからマークを受け取ると、涙を拭って部屋へと戻った。もうあいつになんか負けない。マークは僕の親友なんだから、何を言われても僕が守る、と。

 それからというものの、またあの家に行く日が楽しみで仕方がなくなった。理由はもちろんあの日自分に勇気をくれたお姉ちゃん・りさちゃんに会うためだ。
 りさちゃんはいつも家にいるわけではなかったけれど、それでも会うといつも面白い話をしてくれたし、怒らないし、それになにより大人びて洗練されているように見えた。幼児の目に4つ年上というのは大きい。いや、この年になっても大きい、とは常々思うのだけれど。

 幼なじみの(姉の)理彩ちゃん。彼女は完全に、自分の憧れであり、きらきらと眩しい初恋の相手だった。
 ちなみに理彩ちゃんに会えればそれで幸せだったので、恵麻のことはわりとどうでもいいと思っていた。


 ***


 それから、木村少年が小学校に上がるころ、借家ぐらしだった彼の一家はとなり町に一軒家を購入して引っ越しをした。当然、恵麻とは全く違う学区になるため別々の小学校に通った。母親同士はちょくちょく会ったりしているようだったが、小学生になった子供にもそれぞれのコミュニティが出来がるようになると、親も子どもたちを個人的な集まりの場に連れて行くことはしなくなった。
 彼は実にのびのびと育っていった。大柄な父親からの遺伝がようやく発揮されてきたのか、体も標準より大きくなってきて、周りに遅れるをとることなんてめったにない。それに、少しキツいことを言われたってへっちゃら。そんなの、恵麻の口の悪さに比べたら全然大したこと無いし、かわいいもんだ。保育園時代に理彩ちゃんにしてもらったお話のお陰で知恵も普通よりついていたし、何より「みそっかす」扱いされる悲しさを知っていたから、出来た友達のことは丁重に扱った。
 そんなこんなで、利発で、優しく、鷹揚な晋は小学校で仲間はずれにされることもなく、友達の多い方となった。放課後はみんなこぞって晋と遊びたがったし、彼自身もまたそれを大いに楽しんでいた。同性の同級生たちと遊ぶ喜びを知ると、理彩ちゃんのことはだんだんと思い出さなくなってきた。
 また学年が上がるにつれ、若いころ「氷の女王」と詠われた母親に似た晋は、同性ばかりでなく異性の児童からも関心を持たれるようになってきた。バレンタインデーにはたくさんのチョコレートをもらったし、違う学校の見知らぬ女の子からラブレターらしきものが突然送られてきたりもした。だけど彼本人としてはよく知らない女の子と一緒にいるよりも、友達とサッカーやゲームをして遊んでいる方がずっと楽しかったので、特に彼女らの誘いに乗るようなこともしなかった。そんな「モテるのにいばったりしない」というところも、晋の好感度を上げるのに一役買っていた。

 「かっこ良くて、頭が良くて、意外にいいヤツの木村くん」――その評価は、中学校に入っても揺るがなかった。むしろ人気は増すばかりで、部活に遊びに、忙しいが非常に充実した日々を送るようになる。
 まだ彼が中学校にあがりたての一年生の一学期のこと。学校帰りにぶらぶらと通学路を歩いていたら、後ろから突如クラクションを鳴らされた。
 見れば車を運転していたのは自分の母親で、運転席より「今からちょっと用事があるので出かける。着いてくるならそのあと外でごはんを食べさせてやる」と言われ、素直に車へと乗り込んだ。育ち盛りの中学生にとって、外食は実益を兼ねた楽しみのひとつだ。どこへ連れてってもらおうか、とあれこれ思い描きながら母親に「用事って何?」と尋ねた。

「今から恵麻ちゃんのお母さんのところに行くんだ。昨日、おじいちゃんから苺をたくさんもらったでしょう。そのおすそ分けをしに」

 どき、とシートベルトに下の胸が波打った。恵麻の家にはもう何年も行っていない。いや、恵麻のことはどうでもいいが、もしかしたら理彩ちゃんが家にいるかもしれないのだ。
 あの人はどんな風になっているだろう。もう「りさお姉ちゃん」と甘える歳ではないし、追いかけるほどの情熱はもはやない。だけど、会えると想像するだけで勝手にドキドキしてしまう程度には、まだ想いが残っていた。
 初夏は日が長く、帰宅ラッシュ時になってもまだ太陽がフロントガラスに降り注いでいた。しばらくして恵麻たちの住むマンションの前に着くと、母親と一緒に彼も車から降りた。

「いらっしゃい。あら、晋くんも来たの。やだ、イケメンになったじゃない」

 恵麻の母親がそう軽口を叩くと、晋の母親はまんざらでもなさそうにはにかんだ。「母親が自慢するためにわざわざ連れて来られた息子」――今回はそういう体でいさせてもらおうと思った。
 家主に促され、リビングのソファへと腰を掛けた。母親たちがおしゃべりに興じる中、出された紅茶を黙々とすする。どうやら理彩ちゃんはまだ帰って来ていないようだ。
 がっかりと内心意気を沈ませた。恵麻がいないのはいいけれど、理彩ちゃんと会えないんじゃ意味が無い。オバさんたちのピーチクパーチクうるさい声が癇に障って、「長居しちゃ悪いよ」と母親に告げようとした。その時、玄関の方からがちゃりと音がした。

 リビングのドアが開いて、見覚えのない制服を着た女の人が現れた。多分、この辺じゃない私立の高校だ。校則が厳しいのか、スカートは長くお世辞にもオシャレな雰囲気とは言えなかった。
 そして髪は重たいおかっぱヘア。眼鏡はぼってりと厚く、クラスにも居る暗くオタクっぽい女の子とよく似た雰囲気だ。
 恵麻の母親は、彼女の背後にあるダイニングテーブルを指さしながら言った

「お姉ちゃん、お帰り。ちょうど今、木村さんたちが来てたんだ。そこにある苺もらったよ」
「うわーっ、私、苺大好物なんです。ありがとうございます!」

 彼女は頭を下げながら笑ってみせた。唇の間から矯正の器具が見えてさらに野暮ったい印象を加速させた。
 ガーン、という擬音が鳴り響くようなショックだ。信じられない。こんなの、大好きだった理彩ちゃんじゃない。だけど向こうの母親が「お姉ちゃん」と呼ぶからにはこの人が理沙ちゃんで間違いない。でもなんで、どうして――
 混乱のあまり口がきけない。挨拶すらもできない。そんな彼にも、理彩は構わず話しかけた。

「晋くん、ひさしぶり。大きくなったね」

 その声だけは、昔と変わらず柔らかい響きがあった。
 だが彼は、思春期の気恥ずかしさと淡い初恋のイメージが崩れ去ったことが手伝って、「ああ」とだけ答え愛想なく視線を逸らした。

 理彩は「ではごゆっくり」とだけ告げると、すぐさま自室へと引っ込んでしまった。それと同時に、母親も「それじゃ、そろそろジャマになるだろうから」と重い腰を上げた。
 エレベーターを降りて、車に乗り込む。外はすっかり暗くなっていて沿道の店の看板に明かりが灯っていた。

「理彩ちゃん、苺よろこんでたねぇ。持ってきてよかったよ」

 エンジンをかけながら母親が満足気に呟いた。だが助手席の彼は、そんな戯言に同意する気にはなれなかった。
 もうちょっと早く帰っていれば、自分はここまで落ち込まずに済んだのに。これだから中年は嫌だ。話ばっかり長くて、人の迷惑なんて考えやしない。
 いや、それよりも――

(なんで、あんな人のことが好きだったんだろう……)

 不可解な思いは苛立ちになってそのまま相手へとぶつけられた。おじいちゃんがわざわざ持ってきてくれた苺。それをあんなダサい女にやらなくてもいいじゃないか、と。きっと、あの喜びようからすると、一人で全部食べちゃうかもしれない。なんて意地汚いんだろう。
 可愛さ余って憎さが百倍。こんな想いをとっとと忘れるためにも、誰か可愛くてイケてる女の子と付きあおう。そんなことを彼は決めた。
  

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