グルメランキング
 
クルーズ旅行体験記
 
 

ハワイ諸島と南太平洋の島々周遊30日間

 

カサンデェゴのホテルに一泊、朝、乗船しようとしたら、いくつかの不幸が重なって、他の客船の乗船待合室に行ってしまった。荷物も預けてしまい、今考えても、その馬鹿さに唖然とする。他の客船と分かったのは、預けてから、約1時間半後。それまで、乗船券とパスポートのチェックを3回も受けた。 他の客船と分かった時は慌てた慌てた。荷物無しでの30日間船の上の生活。想像するだけでめまいがした。連れ合いは絶句。 カタコトの英語での対応には冷や汗びっしょり。今度はいくつかの幸運が重なって、30分もしない内に荷物が戻ってきた。 これが今度の船旅を象徴する出来事のようだった。

今回乗船した船会社は、ホーランドアメリカライン。
客船は、Ms Statendam、5万6千トン弱、乗客数約1,200人、客船としては小さいほうだろう。でも、設備はそれなり充実しており、気にしていたジムのマシーンもそれなりに充実していた。この大きさの船に、豪華なショーを期待するのは無理のようだ。豪華ショーを見に乗るなら、10万トン以上の船に乗らなければダメなのだろう。
サンデェゴ発、ハワイ、タヒチを回ってサンデェゴに戻る30日間の船旅。イースター島が入っていないのはちょっと残念。船旅は暑い海域を走る船と決めている。それで、今回はこの航路を選んだ。

客室は6階、ウォーキングのできる歩行甲板が見える部屋。この部屋の窓は面白い。内側から外ははっきり見えるが、外から中は見えない。特殊なガラスが使われている。外の人は、部屋から見られているとは思ってもいないようだ。
夕食のテーブルは、オープンシーティング。最近は、オープンシーティングの方が気楽で良いような気がしている。もちろん、席は「ツーオンリー」。
メニューは英語。連れ合いと二人でいつも大博打。「何が出てくるか分からない」と言いながら注文。当たった時は万歳。外れた時はショックと、笑いながらの夕食。
この会社の食事は気に入っている。今回は甘いものもおいしい。
日本人は私と連れ合いの二人だけ。中国人らしい人は10人以上いただろうか。ほとんどがアメリカ人と思っていたら、ドイツ語、フランス語、スペイン語、その他分からない言語の会話が聞こえてくる。それも、かなりの頻度である。多くの国からの人達が乗っているようだ。スイスから来たとの声も聞こえてきた。

ハワイまでの海域は常に荒れているようで、ゆれもあり天気もイマイチで、ハワイまでちょっとの辛抱が必要だった。
ハワイは3島しか寄らない。ハワイ島のヒロは、雨の多い町できれいな町だ。町散策を楽しんだ。マウイ島ラハイナは歴史のある街で遺跡めぐりをした。
オワフ島ホノルルには、それほど長く停泊しなかった。駆け足のダイアモンドヘッド登頂とダウンタウンチャイナタウン見学。
その二日後、突然の腰痛。動けなくなってしまった。医者を呼んでもらって、車椅子でメディカルセンター行き、診察。痛み止めをもらったがあまり効果なかった。腰痛の原因不明。こんなときに腰痛と、かなり落ち込んだ。

次の寄港地、ファイニング島はパス。泳ぐ準備をしっかりしてきたのに残念。
腰痛、急回復で、3日後には、何とか動けるようになった。しかし、今度は、右腹部に気になる痛み。あくる日、便秘による痛みかもと疑って、下剤もらって飲んだが痛みは取れなかった。

そのあくる日、ボラボラ島に寄航の日。腰痛から5日目。腰痛の痛み完全に取れず再発の不安ものしかかる。でも、ボラボラ島には降りるつもりでいた。
右腹部の痛みが気になった。歩くと痛い。メディカルセンターに、痛み止めをもらいに行った。カタコト英語しか話せないが、痛みがあること程度は伝えられる。診断は思いもよらないもの。急性盲腸炎の疑い。緊急に大きな病院で検査、結果により手術とのこと。中国系の医者なのだろう、紙に「盲腸炎」と漢字で書いてくれた。
ボラボラ島には大きな病院は無いようで、タヒチ島のパペーテまで飛行機で行くことになった。医者は大変心配してくれ、痛みが出てから2日以上立っているのを大変気にかけていた。旅行保険に入っているなら、緊急飛行機で行けと言った。緊急飛行機、約12000ドル。140万円ぐらいだろうか。旅行保険、最高保障金額、2000万円。しかし、140万円、持ち合わせのクレジットカードの枠では支払えない。しかし、今回は、船会社が保障してくれるとのことのようだ。緊急飛行機を呼ぶか、自分で行くか判断迫られた。熱も無い。痛みにも緊急性は感じられない。誰にも迷惑かけられない。緊急飛行機を呼ぶのは恐れ多い。
私は、やっぱり、庶民なのだろう。クレジットカードで支払える範囲のボラボラ島に一泊、翌日飛行機でパペーテの病院に行くことにした。医者は、大変悲しいような顔で私を見た。緊急下船なので、全ての荷物を持って下船しなければならない。そのことを知ったのは、下船直前。自分の英語力をうらむことになった。
“病人”はダメと言われたが、連れ合い一人では出来ない。大急ぎで、荷物パッキング。パッキングと言っても、めちゃくちゃにバックに荷物放り放り込むだけ。スーツもドレスもめちゃくちゃ。心配してくれ、看護師さん2人が、テンダーボートの乗り場まででなく、タクシー乗車まで、付いてきてくれた。
ホテルはボラボラのリゾートホテル、部屋はシーサイドのコテージ。ホテルに着いてから、荷物の再パッキング。こんなこと“患者”のすることではないと思いつつパッキング。夜の11時過ぎまでかかった。

翌朝5時起き、飛行場まで順調。飛行場での突然のスコールにびっくり。タヒチのスコールはすごい。飛行機からは、ボラボラ島をはじめきれいな島々の景色。約45分の飛行時間。パペーテの空港には誰も迎えに来ていない。通関では1時間以上。病院に着いたのは11時過ぎ。病院は一般患者扱い。
パペーテの病院はあっけらかん。何もかも、日本とちょっと違う。待合室やあちこちで、多くの人が、日本人は珍しいのか話しかけてくれた。先生はやさしいいい人だった。
病院に何時間いただろうか。検査と診察が終わって薬もらった。最後の診察代を払ったのは午後2時近く。薬も南国風でひとつはジャム状、毎朝スプーン一杯食べるものだった。 盲腸炎ではなく、尿管に十分な尿が流れないので、そこの障害との診察結果。病名は分からない。 腰痛でトイレに行くの億劫になり、水分制限したのがいけなかった。

その晩は、パペーテのホテルで一泊。翌朝、パペーテに入港した“我”が船に再上船。再乗船できたのは、ラッキー中のラッキーだろう。
午後から腰痛を気にしつつ、パペーテ市内観光をしようと思い町に出たら町全体お休み。聞いたところ、メーデーだからとのこと。なんてこった。疲れ果て、日本から申し込んでおいた翌日のモーレア島のホテル半日滞在は、キャンセルした。
ボラボラ島、タヒチ島は少し見たけれど、ファイニング島に続き、ライアテア島、モーレア島の観光はゼロ。
ランギロア島では、南国満喫。腰痛を気にしながら、水分補給気にしながらの散策。この島で、初めて南国気分になれた。途中立ち寄ったホテルがオーナー日本人と聞いてびっくり。

最後の寄港地ヌクヒバで、「メディカルディスエンバケーションで、出航が遅れる」との館内放送。誰か緊急下船させられてしまったようだ。他人事ではない気分だった。
ヌクヒバ過ぎたところで、風邪。疲れが一気に出たのか、ちょっと体を動かそうと、腰痛を気にしながらジムで、汗かいたのが悪かったか。南国の風邪は日本でひく風邪とちょっと違う。

サンデェゴの下船前日、今度は連れ合いが風邪。ジムで運動に熱中し過ぎたからか、赤道過ぎ急北上で急に気温が下がったからだろうか、それとも疲労の蓄積か。連れ合い風邪状態で、サンデェゴで下船。サンデェゴは一日中ホテルの部屋。サンデェゴの市内観光もキャンセル。

今回は、思いもよらない病気旅。でも、ふりかえれば“楽しい”旅だった。船のメディカルセンターのお医者さん、看護師さん達、皆さん、良い人でした。こちらの健康を親身に心配してくれた。カタコトしか話せない私にイライラもせず、丁寧に対応してくれた。再上船後、連れ合いの健康にも気遣ってくれた。感謝感謝の気持ちでいっぱいだ。タヒチの人達も根っからいい人。彼らの優しさにも直接触れることが出来た。彼らの助けが無かれば、病院への旅は成功しなかったかもしれない。普通の観光では見られない世界も見られた。

連れ合いは、いつかリベンジしようと言っている。私も同じ気分。腰痛になったからと言って、そう簡単に船旅をあきらめるわけにはいかない。もう乗らないなんて言いたくない。
そんな遠くない将来、何処かの船で何処かの海を航海しているだろう。そしていつか、タヒチ、リベンジしよう。そのときはイースター島にも行こうか。

↑ウェルカムパーティで

↑ヒロには日本庭園も ↑ダイヤモンドヘッドの頂上で

↑船のジムで

↑船にはランドリーも ↑こんな朝日も

↑船内にはウォーキングコースも

↑ランギロア島で南国を満喫 ↑ヌクヒバ島は信仰の島
   

↑船には名画も

  坂本様


 

PAGE TOP