世界のイノベーションセンター、シリコンバレー。アップルやグーグル、フェイスブックなどキラ星のようなテック企業が本拠を置く世界屈指のハイテクエリアである。今も世界中の頭脳を惹きつけ、破壊的なサービスやイノベーションを生み出し続けている。
そんなシリコンバレーの一角に、そのイメージにまるでそぐわない地域がある。イーストパロアルト。テスラなどがあるパロアルトと、フェイスブックが本社を置くメンロパークに囲まれた小さな町だ。
ビリオネアが数多く住む高級住宅地、パロアルトの名前こそついているが、平均所得は周辺の自治体と比べて際立って低い。最近は改善しているが、殺人やレイプ、強盗などの犯罪発生率は全米平均を大きく上回る。実際に足を運ぶと、こぎれいなテック企業の社員に混じってホームレスやドラック中毒者、元犯罪者などが徘徊している。
あまたのビリオネアを生み出しているシリコンバレーで、ここだけ取り残されたように放置されているのはなぜか。シリコンバレーになることを望み、シリコンバレーに翻弄される町の日常を見ていく。
(敬称略 日経ビジネスニューヨーク支局 篠原匡、長野光)
「アメリカンドリーム」を夢見て
【午前8時30分 メキシコ料理店】
サンフランシスコからサンノゼまで、ベイエリアを斜めに貫くシリコンバレーの大動脈、国道101号線。そのちょうど中間あたり、イケアやホームデポなどが集まるショッピングモールの脇を1kmほど北に進むと、黄色の外観が鮮やかな平屋のレストランが目に入る。Taqueria La Cazuela――。メキシコ人のサンチェス夫妻が切り盛りするメキシコ料理店だ。
店の周囲には色とりどりの花が植えられており、殺風景な町の雰囲気に鮮やかな色彩を加えている。オープンテラスを吹き抜ける風は爽やかで心地いい。
開店から少したった朝8時30分、取材班がこの店を訪れると常連客がひっきりなしに出入りしていた。彼らのお目当てはタコスやブリトーといった軽食類だが、ランチの時間になればスパイシーな魚介類とランチを載せたプレート(定食)もよく出る。
「一番人気は妻の出身地、ミチョアカン風のエンチラーダ。地元のメキシコ人だけでなく、フェイスブックやアマゾンの社員も来ます」。店主のガブリエル・サンチェスは語る。少し前にはフェイスブックのCEO(最高経営責任者)、マーク・ザッカーバーグも来たという。
周囲にタコスを出す店は山ほどある。だが、タコス一つ1.5ドルという低価格と、メキシコ人が食べても満足するその味は他の追随を許さないクオリティだ。
サンチェス夫妻がイーストパロアルトに来た理由は、端的に言えば、アメリカンドリームである。
ガブリエルはメキシコで定職を持っていたが、14年前にそれを失った。当時のメキシコは外国の自動車メーカーが進出する前で地元に雇用の口は十分にない。そこで、家族を養うために米国移住を決意した。イーストパロアルトに居を定めたのは単純に家賃が安かったからだ。
当時のイーストパロアルトは危険な場所だった。ドラッグの売人がうろつくストリートでは車上荒らしや強盗が頻繁に起きた。敵対するギャング同士の銃撃戦で路上に死体が転がっていることもあった。「夜6時以降はとてもじゃないけど外を歩けなかった」。
英語を話せず、大学の学位もなかったガブリエルは渡米後、隣接するメンロパークのビジネスホテルで働き始める。ほかのメキシコ移民と同様、低所得の肉体労働の他に働き口はなかった。それでも、メキシコに仕事はなく、麻薬カルテルの抗争で治安も悪化している。米国での成功を目指してガブリエルは汗を流した。
今の店を開いたのは7年前に遡る。ちょうどレストランを閉めようとしていた人物と知り合い、その人物が借りていた物件を引き継いで店を開こうと考えたのだ。家賃の安いイーストパロアルトにはメキシコ移民やメキシコ系米国人が多く住んでいる。彼ら向けにメキシコ料理を出せばうまくいくだろうという読みだ。すぐに味と価格、感じのいい夫婦の接客で人気店になった。
イーストパロアルトがIT企業の恩恵を受け始めたことも店にとっては追い風だった。
治安の悪さや危険なイメージもあって、イーストパロアルトにあえて本社を構えようというテック企業やスタートアップはほとんどいない。グーグルはマウンテンビュー、フェイスブックはメンロパーク、電気自動車(EV)メーカーのテスラはパロアルト。ベンチャーキャピタルを含め、基本的にイーストパロアルトを避けるように点在している。
ただ、利用可能なオフィス用地がシリコンバレー全体で減少する中、アマゾン・ドット・コムがシリコンバレーオフィスをイーストパロアルトに作ったように、イーストパロアルトに目を向ける企業は増えている。また、過去数年の急激な膨張によってフェイスブックの社員数が激増、本社に近いイーストパロアルトで家を探すフェイスブック社員も増え始めた。その結果、常連だけでなくIT企業の社員がランチやディナーに来るようになったのだ。
アメリカンドリームを求めて米国に来たサンチェスの夢は叶いつつある。裕福とまでは言えないが、店は繁盛している。地元の小学校に通う4人の子供も米国になじんでいる。「そのまま、米国の大学に進んでほしい。祖国は今でも誇りに思っていますが、ここに来て成功でした」。サンチェスは笑顔で語る。
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