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2018-04-11
■[読書][経済] 神林龍『正規の世界・非正規の世界』
近年、論文が業績の中心となり、テクニカルな内容も増えている経済学の中で、「○○の世界」というタイトルの本はあまり見ないような気がします(社会学だとありそうですが)。
しかも、1972年生まれの著者にとってこれが初の単著。ずいぶん思い切ったタイトルだなと感じたのですが、そのタイトルにふさわしい内容とボリュームです。『あゝ野麦峠』の話から戦前の日本の職業紹介の制度を分析するという、「これが経済学の本なのか?」というテーマから始まり、「正規から非正規へと言われるが、実は正規雇用は大して減っておらず、自営が減って非正規が増えているのだ」という分析を中心として、日本の雇用を巡る問題を幅広く論じています。
第58回(2017年度)エコノミスト賞を受賞しているようにすでに評価の高い本ですが、評判通りの面白さだと思います。
目次は以下の通り。
序 章:本書の目的と構成
第3章: 正規の世界
第8章:自営業はなぜ衰退したのか
先に書いたように第一部は『あゝ野麦峠』の話から始まっています。ここから著者が何を論じていくのかというと、それは戦前の日本において自生的に生まれた民間の職業紹介システムと、それがいかに公営のものに変わっていったのかという問題です。
明治期の製糸業では工女の募集は直接、または仲介業者を通じて行われていました。ここで問題となったのが仲介業者による引き抜きです。それでも仲介業者や紹介業者は必要とされ続け、公営の職業紹介事業はなかなか広まりませんでした。
公営の職業紹介と違って民間の仲介業者や仲介業者には身元紹介の機能があり、事業者の多くがその機能を重視していたためです。
こうした仕組みが変化していくのが1930年代の後半です。それまでも内務官僚は営利紹介の禁止を考えていますが、その営利紹介の禁止が1938年の職業紹介法改正によって実現します。内務官僚たちの主張は国家総動員法による統制経済の成立によって実現し、営利紹介はその姿を消していくのです。
しかし、その政府による統制が完全に成功し、それが長期雇用、年功賃金、企業別組合を主要素とするいわゆる日本的雇用慣行につながったのかというと、そうとも言い切れません。
日本的雇用慣行の起源を戦時体制に求める議論は一定の存在感を得ていますが、戦時になっても労働者の移動はそれなりに高いレベルを保っており、戦時下の労働市場が意外に流動的であったことを示唆しています(85-88p)。著者に言わせると「戦時経済起源論は、どちらかというと政府の力を信じることを前提とした理屈の産物で、実証的基礎は盤石とはいえない」(89p)のです(ただし、著者は産業報国会が一定の役割を果たしたかもしれない可能性は指摘している)。
第二部が、この本のタイトルにもなっている「正規の世界・非正規の世界」。
「バブル崩壊以降、日本的雇用慣行に守られた正規雇用が減少し、派遣などの非正規雇用に置き換わっている」、これが多くの場所で語られているストーリーだと思います。
しかし、例えば序章にも書かれているように非正規雇用の代表としてよくあげられる派遣労働者は、派遣法が最も緩和されていた2007年10月1日の時点で約160万人、有業人口に対する比率は2.4%ほどでした(2p)。もちろん、これは無視できる大きさの数字ではありませんが、派遣は非正社員の中でも主力とは言い難い存在なのです。
また、被用者の平均勤続年数を見ると、21世紀になってイタリアとフランスに抜かれたものの大きな落ち込みはなく、高い水準を保っています(104pの図3-1参照)。詳しく分析すると、女性に関しては1995年前後の早い時期から平均勤続年数が短期化している動きも見えてきますし(110p)、世代ごとに分析すると男性も含めて平均勤続年数がゆっくりと減少してきていることが見えてきますが(114p)、例えば新卒採用の十年残存率は低下していませんし(中途の十年残存率には低下傾向がある(126-128p))、離職確率や解雇確率も目立った上昇を見せていません。
年功賃金に関しては、1996~1998年と2010~2012年の大卒被用者の基本給プロファイルをみると男女とも年功に伴う伸びが緩やかになっています(139pの図3-12参照)。しかし、2002年前後のバランスシート不況までは年功賃金のフラット化が一律に起きていましたが、それ以降は事業所ごとにばらつきがあります。
「結局のところ、日本的雇用慣行は全面的に崩れ去ったわけではなく、正社員の世界は意外なほど堅固に残存している、とまとめられる」(147p)のです。
ここでまず出てくるのは「非正規雇用とは何なのか?」という問題です。労働時間の長さの違いや、有期雇用か無期雇用かといった指標があげられますが、契約社員のような労働時間がほぼ同じ非正規雇用もありますし、多くのパートタイマーのように無期雇用となっている非正規雇用もあります。
正規雇用の終身雇用という制度と相まって、有期か無期かということが重要視されがちですが、これについて著者は次のように答えています(この見方は日本の非正規雇用を一種の身分として捉えた有田伸『就業機会と報酬格差の社会学』の味方と重なるものがあると思う)。
日本的雇用の重要な要素である雇用保障・賃金・企業特殊訓練という三方向から見ると、職場のコアと密接に関連するのは呼称上の正規・非正規の区別であって、労働契約の有期・無期の区別ではない。日本において「正規の世界」と「非正規の世界」を分かつ分水嶺は、労働契約上有期契約なのか無期契約なのかではなく、職場で正社員と呼ばれるかどうかなのである。(165p)
非正規の世界は確かに拡大しています。18~54歳人口における就業状況をみると、有期と無期の非正社員は1982年の4%程度から2007年には約12%と3倍近く増加しています。一方で、無期正社員はどうなったかというと1982年の46%程度で2007年も46%程度、ほとんど変化が見られないのです(167pの図4-4参照)。
では、増えた非正規はどこから来たのか? 増えた非正規に代わってこの2年で大きく減少しているのが「会社役員」「雇人を持つ自営業主」「雇人を持たない自営業主」「家族従業者」「内職社」からなる「自営業その他」のカテゴリーで、82年の14%から07年には7%へと半減しています。
「固着した正規の世界と、膨張する非正規の世界は、インフォーマル・セクターの縮小を介して併存していた」(169p)のです。
産業別に見ると、1982年から2002年にかけて無期非正社員のシェアが増えているのが卸売小売、飲食店、サービス業で、それぞれ無期非正社員のシェアがそれぞれ21.8%ポイント、21.2%ポイント、9.1%ポイント増えています。そして、同時にこれらの3産業ではインフォーマル・セクターのシェアがそれぞれ22.3%ポイント、21.5%ポイント、8.3%ポイント減少しています。これらの産業ではインフォーマル・セクターが非正規雇用に代替されたのです(176-177p)。
このインフォーマル・セクターの減少と非正規雇用の増加に関しては、望ましい変化なのか、そうではないのか、という問題がありますが、例えば、女性の非正社員とインフォーマル・セクターの被用者を比較すると、賃金や労働時間は非正社員の方が良いが、インフォーマル・セクターのほうが有配偶率が高く、子どもの数が多く、継続就業の希望が高いといった傾向があり、一概には良い悪いと言えない状況になっています(179-183p)。
第ニ部の最後に置かれた第5章では、解雇権濫用法理と就業規則不利益変更法理を中心に、日本の労働市場における法規制について考察しています。ここは個々の裁判の判例を読み込むという法学に近いようなことをやっており、経済学の本としては異質な部分です。
詳しくは本書を読んでほしいのですが、日本の労働市場において言われているほど国家の規制は強くなく、「労使自治」の原則に任されている面が多いことが明らかにされています。ですから、非正規雇用の問題も、規制緩和の影響というよりは、インフォーマル・セクターが非正規雇用に置き換わる中で労使自治のコミュニケーションがうまく機能しなかったという点に求められる可能性があるのです。
第三部では労働市場をめぐる近年のさまざまな変化が分析されています。
まず、第6章でとり上げられているのは賃金格差の問題です。「一億総中流から格差社会へ」、これがここ20年ほどの動向だとされていますが、賃金だけをみるとどうなのでしょう?
1993年から2012年までの賃金センサスを材料にジニ係数によって賃金のばらつきを評価すると、時間賃金ではあまり変化がなく、年間収入ではばらつきがひりがりつつあります。男女別に見ると、時間賃金において男性はややばらつきが拡大、女性は縮小というトレンドです。また、2004年と05年の間に断層がありますが、これは賃金センサスの調査票の変更によるものです(244pの図6-1、なお、この04年と05年の間に断層に関してはこの章の中で詳細い検討されている)。
実際の賃金はどうなっているのかというと、女性の下位10%の時給は1991年の641円から継続的に上昇し、2004年には746円になっています。一方で中位点は95年に1278円を記録したあと低下し、2004年には1136円まで下がっています。著者はこれらの分析をもとに「男女にかかわらず、時給1000円~1100円程度の層が、下落傾向にあることを協調すべきだろう」(247p)と述べています。
同時に男性の高賃金層でも、絶対水準では低落傾向が見られ、デフレによって賃金が全体的に押し下げられたことが見て取れます。
また、男性に関しては正社員/非正社員、大企業/中小企業といったグループ間における格差が縮小傾向なのに対して、グループ内の格差は拡大傾向にあります。特に事業所固有の要素が賃金に強く連動するようになっており(272pの図6-8参照)、「たまたま就業する事業所が異なることから賃金格差が生まれ、しかもその格差が拡大してきている」(278p)とも言えます。
第7章では「二極化する仕事――ジョブ、スキル、タスク」と題し、雇用機会の質の問題を分析しています。
賃金はその人の資質ではなく、雇用機会の質によっても決定されます(いくら優秀な人でも単純作業の仕事しか提供されなければ生産性をあげることは難しい)。これを「頭脳的定型タスク」「頭脳的非定型タスク」「身体的定型タスク」「身体的非定型タスク」といったタスクという観点から分析しようとしたのがこの第7章です。
この分析のために日本労働政策研究研修機構が作成した『キャリア・マトリックス』が用いられていますが、これは「民主党政権下の事業仕分けによって廃止判定を受け、それまで蓄積されていた知識がすべて利用できなくなってしまった」(286p)そうです(この論文は廃止以前のデータを使用)。
まず、賃金の面からいうと1980年代以降、継続して仕事の二極化が進展しています。「比較的低賃金の仕事と、比較的高賃金の仕事の増加が併存し、中間的な賃金の仕事が相対的に減少していった」(299p)のです。
一方、『キャリア・マトリックス』を用いたタスクの評価から見ると、非定型タスクのシェアが継続的に増加し、定型タスクのシェアが減少していったことがわかります。その中で日本の特徴は、アメリカでは60年代以降一貫して減少している身体的非定型タスクが増加していることです。これはロボットの導入などが、アメリカにおいて熟練の解体をもたらしたのに対し、日本ではロボット化などとともに労働力が定型タスクが非定型タスクに振り向けられたからだと考えられます(313p)。
第8章は第二部でもとり上げられていた自営業の減少について。
図8-1では、まず米・英・仏・独・豪と日本の自営業比率の推移を示したグラフがあげられてますが、日本だけが一貫してその比率を低下させています(318p)。もちろん、他にも韓国やポルトガル、トルコなどほぼ一貫して自営業比率を低下させている国もあるのですが、これらの新興国を除くと日本の動きは特異です。
日本では自営業に対する研究もデータも不足している状況のなのですが、他国の研究なども生かして自営業減少の理由を探ろうというのがこの第8章です。
自営業者の増加に関しては、不況によって職を失った人びとが自営業を選択するというプッシュ仮説と、好況期に起業する人が増えるというプル仮説があります。この2つの仮説は対照的なものですが、どちらの要因が強いのかということについては未だに決着がついてない状況です。どちらの要因が強いかは国や個人の属性によって違い、欧州では移民が不況期に自営業を選択する傾向があること(プッシュ仮説)などがわかっています(322-323p)。
では、日本ではどうかというと、データの不備もあってプッシュとプルのどちらの要因が強いのかはよくわからないのが現状です。
また、起業をしようと思っても資金面や制度面での制約があれば、なかなか起業は進みません。日本の自営業の減少をバブル崩壊に伴う資産価格の減少に求める研究もありますが、資金面の制約に関する実証研究は進んでいないのが現状だそうです(333p)。一方、制度面の制約に関しては、日本では最低資本金学が1円にまで下げられるなど規制緩和が進んでいますが、自営業の減少を押し止めるには至っていません(334-335p)。
このように日本の自営業減少の決定的な理由を既存の理論やデータから導くのは難しいようです。著者も「本書では自営業の衰退を既知の経済メカニズムによって説明する途は諦めた」(335p)と書いています。
そこで、第8章の後半では自営業者の非金銭的な報酬について検討しています。自営業者の報酬は被用者よりも低いことが多いですが、自営業者は被用者よりも高い主観的満足度を示す傾向があります。これは「自分が自分のボスである」ことの非金銭的な報酬があるとされています。ただし、発展途上国における自営業ではこのような傾向は見られません。また、自営業者は被用者よりもメンタルヘルスを毀損している傾向も観察されます(335-340p、一方、日本では正社員から自営業者に転換すると健康状態が改善されるという傾向もある(345p))。
自営業者には華々しい起業と、途上国のインフォーマル・セクターに近い存在が併存しているのが日本の現状ではないかと著者は見ています(351p)。
第9章では、「存在感を増す第三者」と題して、今まで労使自治の原則に任されていた日本の労働市場において、政府の役割が強まっていることを、最低賃金と派遣法を例に示しています。
まず、最低賃金ですが、これが低くとどまっているならば、労働市場にそれほど大きな影響を与えません。ところが、近年、生活保護との逆転現象を解消するために最低賃金の大幅な引き上げが行われており、最低賃金が実質的な賃金を決めているようなケースも見受けられます。街で見かけるアルバイトの求人などを見ると、最低賃金の上昇に合わせるように年々時給が引き上げられているのがわかるでしょう。
まず、男性よりも女性の方が最低賃金ラインで働く人が多く、都市と地方の比較では地方のほうが最低賃金ラインで働く人が多いです。
この男女差と地方差を考慮に入れながら、最低賃金の引き上げがいかなる影響を与えているのかを示したのが360-361pの図9-2です。このグラフは本当に素晴らしいのでぜひ現物を見てほしいのですが、以下にあげる東京都の男性のグラフだけを見ても、最低賃金の引き上げが低賃金層の賃金を押し上げて圧縮しているさまがわかると思います。
このページには他に東京の女性と青森県の男性・女性のグラフがあるのですが、いずれも東京の男性以上に影響を受けており、特に青森県の女性では最低賃金ラインにそびえ立つ崖ができています。
また、最低賃金よりも少し上の部分にコブのようなものができているのも特徴です(東京都男性だと1000円ちょっとの部分)。日本の最低賃金の引き上げは、一番賃金の低い層だけではなく広範囲に影響を与えているのです(このコブができる理由については373-374pにおいてジョブ・サーチ理論を使って分析されている)。
派遣法の問題に関しては、派遣法によって雇用のマッチング・スピードが改善されたとの分析もありますが、派遣が当初の見立通りには増えなかったというのが著者の見方です。日本的雇用の特徴である時間外労働への柔軟な対応やOJT中心の人材育成は派遣の仕組みと相性が良くなかったのです。
派遣労働者が大方の予想のように拡大しなかった背後には、細部を調整せずに切り分けても生産性の落ちない職場や仕事が、それほど多くなかったという現実を示しているのかもしれない。正規の世界が強固に残存したという本書の指摘とも軌を一にしている。(398p)
終章では、今後の労働市場、そして日本の社会に対する展望を行っています。
まず、自営業の衰退ですが、これはすでに他の先進諸国並みの水準になっており、底を打つ可能性が高いです。これについて著者は次のように述べています。
自営業セクターから労働力が移動して非正規の世界が形成されてきたことを考えると、自営業セクターからの労働力の流出が止まれば、非正規の世界の膨張を支える建材が枯渇するのは当然の理である。真の人手不足が始まるとも言い換えることができる。(406p)
また、この自営業セクターの縮小は社会を変質させ、社会保障制度の再編成を迫るものだとも言えます。
おおまかにいえば、自営業世帯や親族・家族は、いわば、社会の細かな不都合を丸く収める緩衝材(ショック・アブソーバー)のような存在だったと解釈できるだろう。もちろん、ブラックボックスゆえに、内部で起こる個人に対する抑圧などは表沙汰にならず、個人を重んじる近代社会にとって致命的な難点はある。しかし、「とりあえず任せておけば何とかなる」という層として機能していたとはいえないだろうか。
ここで、緩衝材が摩耗すれば、日々変転する社会の挙動はその細部までもいちいち顕在化する。たとえば生活保護制度では、要保護者の福祉の水準について細かな規定が整えられていることはすでによく知られている。(中略)
さらに「男女差別の禁止」「同一労働同一賃金」などの方向性と労使自治の原則の関係性に関しても言及しています。
何が差別化ということについて第三者がすべて明確に判断できるわけではありませんが、やはり、賃金や労働時間の決定といった問題に比べると、第三者の役割が重くなることが予想されます。基本的に労使自治の原則に基づいて設計されてきた日本の労働市場は、今後、そのあり方を変えていかざるを得ないかもしれないのです。
このように非常に幅広い問題を扱っており、労働市場の分析にとどまらない射程を持った本だということがわかると思います。
そして、ここでは分析の結果を中心に紹介していきましたが、この本の読みどころはむしろその分析の過程とも言えます。そのエータは信頼できるのか、そのデータをどう解釈するのか、ということについて非常に丁寧で綺麗のある議論がなされており、非常に勉強になります(もちろん、ついていけない部分もありましたが)。
経済学というカテゴリーにとどまらず、日本の社会科学にとって大きな成果と言うべき本ではないでしょうか。
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