この記事、理解はできるのだが、違和感がある。
この発想は被害妄想に近い。

カタカナがダメだというなら「がんばれニッポン!」とかもダメではないだろうか?
僕は難癖に近いと思う。

僕は地名のカタカナ表記は、単に海外への認知、訴求を高めるというモチベーションだと思っている。
だから「フクシマ」も使っている。

「ヒロシマ」も「ナガサキ」も、そういう文脈で使われたのではないか?
地元住民の反対があるなら今頃使用されなくなっていたはずだ。

「フクシマ」を特別扱いや白眼視をされることを忌み嫌うのは解る。しかしかと言って「なかったこと」にするのは、それ以上の責任が生じるのだと思っている。

背負わされる必要のなかった責任だが、しかし放棄する訳にはいかないだろう。