東京電力の旧経営陣3人が福島第一原発の事故を防げなかったとして検察審査会の議決によって強制的に起訴された裁判。半年ぶりに再開され、これから20人を超える証人を法廷に呼ぶ集中審理が行われます。原発事故の真相は明らかになるのでしょうか? 初公判から判決まで、毎回、法廷でのやりとりを詳しくお伝えします。
目次
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第5回公判 2018年4月10日
巨大津波の想定「元副社長の方針は予想外」社員が証言
福島第一原発の事故をめぐり東京電力の元副社長ら3人が強制的に起訴された裁判で、東京電力の津波対策の担当者が証人として呼ばれました。担当者は、巨大な津波が来るという想定を事故の3年前に報告したものの、元副社長から、さらに時間をかけて検討するという方針を告げられ、「予想外で力が抜けた」と証言しました。
東京電力の元会長の勝俣恒久被告(78)、元副社長の武黒一郎被告(72)、元副社長の武藤栄被告(67)の3人は、原発事故をめぐって業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴され、いずれも無罪を主張しています。
事故の9年前、平成14年には、政府の地震調査研究推進本部が、福島県沖で巨大な津波を伴う地震が起きる可能性を公表していて、裁判では、こうした地震を想定して対策をとっていれば事故を防げたかどうかが争われています。
4月10日、東京地方裁判所で開かれた5回目の審理では、当時、東京電力で津波対策を
担当していた社員が証言しました。
社員は、福島県沖の地震の可能性について、「権威のある組織の評価結果であることなどから、想定の見直しに取り入れるべきだと思った」と証言しました。
そして、この見解をもとに、事故の3年ほど前の平成20年6月に、巨大な津波が来るという想定を武藤元副社長に報告したものの、7月になって、さらに時間をかけて専門の学会に検討を依頼するという方針を元副社長から告げられたと説明しました。
この時の心境について、社員は「津波対策を進めていくと思っていたので、予想外で力が抜けた」と証言しました。
審理は11日も行われ、同じ社員が証言します。
告訴団「最も重要な証言」
東京電力の旧経営陣3人が強制的に起訴されるきっかけとなった告訴や告発を行ったグループは、10日の審理の後、会見を開きました。
グループの海渡雄一弁護士は、法廷で証言した社員について、「裁判全体の中で最も重要な証人だと思う」と述べました。その上で、「技術者として、一生懸命津波対策をやろうとしていたのだろうと思う。『力が抜けた』という感想は、最も重要な証言ではないか」と話していました。
長期評価「津波想定に取り入れるべき」と証言
法廷で証言した東京電力の社員は、福島第一原発の事故の20年近く前から原発に押し寄せると想定される津波の高さについての検討などに関わっていました。
10日の裁判で社員は、事故の4年前(平成19年)には政府の「長期評価」を原発の津波の想定に取り入れるべきと考えていたと証言しました。
「長期評価」とは、政府の地震調査研究推進本部が地震が起きる地域や発生確率を推計して公表するもので、東日本大震災の9年前の平成14年に、太平洋の日本海溝沿いの福島県沖を含む三陸沖から房総沖のどこでも巨大な津波を引き起こす地震が起きる可能性があると公表しました。
社員は、この「長期評価」の見解について平成16年に土木学会が行った専門家へのアンケート調査で、「支持する」とした専門家が過半数になった結果を重視していたと証言しました。
また、「長期評価」を取りまとめる地震調査研究推進本部は国の権威であることや、東京電力自身が青森県に建設を計画している東通原発1号機の地震の想定には「長期評価」の見解を取り入れていたことなどをあげ、福島第一原発の津波の想定にも取り入れるべきと考えていたと証言しました。
そして、「長期評価」の見解をもとに、グループ会社の「東電設計」に計算させたところ、平成20年3月には、福島第一原発に押し寄せる津波が、最大で15.7メートルに達する可能性があるという結果がまとまり、6月には、対策の検討状況と合わせて、当時、副社長だった武藤栄被告に報告しました。
しかし、翌月の7月、武藤元副社長から「研究を実施する」として、すぐには対策を行わず、さらに時間をかけて検討する方針を伝えられたということです。
この結論について社員は「私が前のめりに検討に携わってきたのもありますが、対策を進めていくと思っていたので、いったん保留になるというのは予想しなかった結論で力が抜けた」と証言しました。
詳報 第5回公判
原発事故の責任をめぐる刑事裁判は5回目のきょうから集中的な審理が始まりました。証人として呼ばれたのは、東京電力で長年にわたって津波対策を担当していた社員。その発言に注目が集まりました。
東京地方裁判所でおよそ1か月ぶりに開かれた裁判。
東京電力の勝俣恒久元会長、武黒一郎元副社長、武藤栄元副社長の3人は、きょうも硬い表情で法廷に入りました。
今回は東京電力の土木グループという部署で長年にわたって原子力発電所の津波対策を担当していた社員が証人として法廷に呼ばれました。注目されたのは、原発事故の前、東京電力の社内ではどのように津波の想定を行っていたのかという点です。
津波の想定のもとになる巨大な地震の予測は、原発事故の9年前、平成14年に公表されていました。公表したのは、政府の地震調査研究推進本部です。地震が起きる地域や発生確率を推計した「長期評価」の中で、福島県沖でも巨大な津波を引き起こす地震が起きる可能性があるという見解を示していました。
しかし、旧経営陣3人の弁護士は「長期評価」の信頼性については、当時、専門家の間で見解が分かれていたと主張しています。
裁判では、「長期評価」にどれだけの信頼性があったのか、そして、「長期評価」で予測された規模の地震に対して津波の対策をとっていれば事故を防げたのかが争われています。
法廷で証言した社員は、事故の4年前、平成19年ごろから、最新の知見をもとに原発の安全性を再検討する「バックチェック」という作業に関わりました。社員は「バックチェック」の項目に津波対策が追加されたことから、その想定に「長期評価」を取り入れるかどうかを社内で議論したと証言しました。
検察官役の指定弁護士は、「当時、『長期評価』を津波対策に取り入れることをどう考えていたか」と尋ねました。
社員は、「取り入れるべきだと考えていた」とはっきりとした口調で答えました。その理由として、地震学者などへのアンケートで「長期評価」を評価すべきだという意見が過半数を超えていたことや、別の原発の設置許可申請ではすでに「長期評価」が取り入れられていたことなどをあげました。
さらに、この年に発覚したある問題も関係していたと説明しました。平成19年、東京電力は、柏崎刈羽原子力発電所の沖合にある断層について「活断層」だと再評価していたことを公表しなかった問題で謝罪に追い込まれました。
法廷で、社員は、「社内の考え方だけで決めるのではなく、県民目線で考え、できるだけ速やかに公表することが重要だという教訓が得られた」と振り返りました。そのうえで、「一般の目線で判断して、早く公表することが重要だと思っていた」と証言しました。
「長期評価」を取り入れることは、土木グループの意見としてまとめられ、ほかの電力会社に対しても、打ち合わせの際などに伝えていたということです。
事故の3年前、平成20年には「長期評価」をもとにグループ会社の「東電設計」が作成した津波のシミュレーションが完成しました。その内容は、福島第一原発の敷地に最大15.7メートルの高さの津波が到達する可能性があるというものでした。
指定弁護士からこの想定を目にしたときにどう感じたかを聞かれると、社員は「建築や土木設備グループなど関係各所に結果を適切に伝え、対策を実施すべきだと感じた」と証言しました。
平成20年6月。
社員たちは、まとまったばかりの「15.7メートル」という津波の想定を武藤元副社長に報告しました。
ところが、1か月あまりがたった7月31日。
武藤元副社長から、津波対策を保留して専門の学会に検討を依頼するという方針が告げられたということです。
その時の心境について指定弁護士から尋ねられた時、社員は、「前のめりに津波対策の検討に携わってきたのもありますが、予想していなかったというか、力が抜けました」と答えました。
社員への質問は5時間余りにわたり、午後5時ごろに審理が終わりました。
きょうの質問は、指定弁護士が自分たちの主張に沿って当時のいきさつを確認していくもので、事実関係で新たなものは出てきませんでした。
一方で、現場レベルでは事故の数年前から巨大な津波の可能性が真剣に議論されていたこと、そして、担当者が対策をとるべきだと考えていたという胸のうちが明らかになりました。
問題は、当時の経営陣がこうした現場の声をどう受け止めていたのかという点です。
きょうから始まった集中審理で予定されている東京電力の関係者の証言は、その核心に迫るものになるかもしれません。
あすも引き続き証言する社員の発言が注目されます。
第4回公判 2018年2月28日
「『津波想定小さくできないか』と東電が依頼」グループ会社社員
第4回公判ではグループ会社の社員が証人として呼ばれました。社員は、事故の3年前に巨大な津波の想定をまとめた際、東京電力の担当者から「計算の条件を変えることで津波を小さくできないか」と検討を依頼されたことを証言しました。
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東京電力の元会長の勝俣恒久被告(77)、元副社長の武黒一郎被告(71)、元副社長の武藤栄被告(67)の3人は、原発事故をめぐって業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴され、いずれも無罪を主張しています。
2月28日、東京地方裁判所で4回目の審理が開かれ、事故の3年前の平成20年に福島第一原発の津波の想定をまとめた東京電力のグループ会社「東電設計」の社員が証人として呼ばれました。
社員は、検察官役の指定弁護士の質問に対して、高さ15.7メートルの津波が押し寄せる可能性があるという想定を東京電力に報告していたことを証言しました。
その際、東京電力の担当者から「計算の条件を変えたり津波の動き方を変えたりすることで津波を小さくできないか」と検討を依頼されたことも明らかにしました。
これ対して社員は「専門家の学会で使われている手法なので条件は変えられない」と答えたということです。
裁判長からは、東京電力との具体的なやり取りについて質問されましたが、社員は、「おぼえていない」と答えていました。
津波想定 責任者の証言は…
法廷で証言した「東電設計」の社員は福島第一原発に押し寄せると想定される津波の高さを計算した責任者でした。
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当時、社員らが計算したところ、津波の高さは福島第一原発の敷地で最大で15.7メートルに達する結果が示されたということで、この結果は、事故が起きる3年前の平成20年3月に東京電力に報告されました。
社員はこの報告の際、「東京電力には津波対策などの問題は残ると言われたが、結果は受領され、今後の検討については別途指示があるまで保留することになった」と証言しました。
その後、東京電力から「原子炉建屋などがある場所を囲むような壁を設置したと仮定して津波の高さを評価して欲しい」という依頼があり、改めて計算を行ったということです。
この結果として東京電力に報告した当時の資料には、原発の敷地を俯瞰したCG画像の中に、壁にぶつかった津波が最大で19.9メートルの高さまで跳ね上がることが示されています。
また、この日の証人尋問では、津波の想定を行うにあたって東京電力から東電設計に対しどのような依頼があったのか、津波の想定の位置づけを尋ねる質問も出されました。
この中で社員は、平成19年に起きた中越沖地震を受けて福島第一原発の地震や津波への対策を再評価する手続きの一貫として委託されたと説明しました。そして過去にも東京電力から津波評価についての依頼があったことに触れ、▼政府の地震調査研究推進本部が三陸沖から房総沖のどこでも大津波を伴う地震が起きる可能性があるとする「長期評価」を公表したほか、▼茨城県が津波の評価に関する新たなモデルを示したことから、こうした知見を取り入れて津波の評価をして欲しいという依頼だったと述べました。
一方で、社員は、防潮堤や防潮壁の設置など具体的な津波対策の検討を依頼されたわけではなく、津波の評価は安全評価の基礎資料を作成することが目的だったと証言しています。
詳報 第4回公判
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原発事故の責任が争われている刑事裁判はきょうで4回目。
東京電力が事故の前にどれだけの津波を想定していたのか、とりまとめた本人が証言に立ちました。
東京電力の勝俣恒久元会長、武黒一郎元副社長、武藤栄元副社長の3人はいつもどおり硬い表情で法廷に入りました。
きょうは東京電力のグループ会社「東電設計」の社員が証人として法廷に呼ばれました。
「東電設計」は、原発事故の3年前、平成20年に福島第一原発にどのくらいの高さの津波が押し寄せる可能性があるのか、想定をまとめました。証人として呼ばれたのは、責任者として想定をまとめた社員です。
はじめに、検察官役の指定弁護士が質問に立ちました。社員は、高さ15.7メートルの津波が押し寄せる可能性があることを東京電力に伝えたと証言しました。その報告のあと、東京電力の担当者から次のような話があったといいます。
「計算の条件を変えたり、津波の動きかたを変えたりすることで津波を小さくできないか」
「東電設計」の社員は、計算の条件については「専門家の学会で使われている手法なので変えられない」と答えたといいます。
津波の動きかたについては、想定を変えて計算してみましたが、津波の高さはほとんど変わらなかったということです。
証言を聞いていた裁判長は、東京電力の担当者とのやり取りの際に、具体的にどのような発言があったのか、詳しく尋ねました。
社員は「津波対策が必要だという話題は出たが、それ以上のやりとりやどのような様子だったかはおぼえていない」と答えました。
別の裁判官は津波の想定を東京電力の社員以外に伝えたかどうかを聞きました。
社員は「どこから聞きつけたか分からないが、東電設計の当時の社長と土木本部長から内容を説明してほしいと言われたので報告した」と説明しました。
きょうの法廷では、防潮壁に関する質問も出ました。
「東電設計」の社員は、津波の想定をまとめた後、東京電力の担当者から、次のような計算を依頼されたことを明らかにしました。
「原子炉建屋などがある場所を囲むような壁を設置したら、津波が壁にぶつかった後、どのくらいの高さに達するのか」
社員が改めて計算を行ったところ、壁にぶつかった津波は最大で海面から19.9メートルの高さにまで跳ね上がることがわかったということです。この想定をCGの画像にして提出したところ、東京電力からは「ほかの場所に防潮堤を建設する案なども検討する」と連絡がありましたが、その後、特に指示はなかったということです。
社員への質問は5時間以上にわたりました。
次回は4月10日に開かれ、別の証人が呼ばれる予定です。
その後は6月にかけて月に4回から5回のペースで集中審理が行われることになっていて、どのような証言が出てくるか、注目されます。
第3回公判 2018年2月8日
被告側弁護士「防潮堤建設しても事故防げず」証拠提出
被告側の弁護士が防潮堤を建設していたとしても事故を防げなかったとするシミュレーションの結果などを証拠として提出しました。
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東京電力の元会長の勝俣恒久被告(77)、元副社長の武黒一郎被告(71)、元副社長の武藤栄被告(67)の3人は、原発事故をめぐって業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴されました。裁判では津波を事前に予測して対策をとることができたかどうかが争われ、3人は無罪を主張しています。
2月8日、東京地方裁判所で開かれた3回目の審理では、検察官役の指定弁護士と被告側の弁護士がそれぞれ追加の証拠を提出しました。
被告側の弁護士は、平成14年に公表された福島県沖の地震の可能性について、当時、内閣府の中で、「信頼性が明らかではない」という意見が出ていたことを示すメールなどを提出しました。
また、原発事故の後で東京電力がシミュレーションを行ったところ当時の想定に基づいて防潮堤を建設していたとしても事故を防げなかったという結果が出たとする証拠も提出しました。
次の審理は今月28日に開かれ、東京電力のグループ会社の社員が証言する予定です。
詳報 第3回公判
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原発事故の責任が争われている刑事裁判はきょうで3回目。
双方がそれぞれの主張の裏づけとして新たに証拠を提出しました。
きょうも午前10時から審理が始まりました。勝俣恒久元会長、武黒一郎元副社長、武藤栄元副社長の3人は、それぞれ一礼して法廷に入りました。
きょうは双方が追加の証拠を提出しました。検察官役の指定弁護士は3点、被告の弁護士は64点です。
裁判では、旧経営陣の3人が事故が起きる前に巨大な津波を予測できたかどうかや、有効な対策を取れたかどうかが争われています。
指定弁護士は、津波を想定した対策が計画されていたのに先送りされていたことを示そうと、東京電力の社員のメールなどを提出しました。
メールは東京電力で津波対策などを担当していた土木グループの社員が平成21年に出したものです。武藤元副社長などと津波対策の議論を重ねていたことが書かれているということです。
一方、被告の弁護士は、巨大な津波は予測できなかったことや、対策をとっても効果がなかったことを示そうと、さまざまな証拠を提出しました。
その1つが、内閣府の職員が事故の前に出していたメールです。
メールには、平成14年に政府の地震調査研究推進本部が公表した地震の長期評価に関する記述がありました。長期評価では、福島県沖でも大津波を伴う地震が起きる可能性が指摘されていました。
しかし、内閣府の職員は、当時、内閣府の中で、「どの程度の精度、信頼性か明らかにしないと防災機関や住民混乱する」という意見が出ていたと、メールに書いていたということです。
また、被告の弁護士は、原発事故の後で東京電力が行った津波のシミュレーションの結果も示しました。福島第一原発を襲った津波の高さなどを計算したところ、当時の想定に基づいて原発の敷地の南側に防潮堤を建設していたとしても事故を防げなかったという結果が出たとしています。
そして検察が旧経営陣の3人を不起訴にした際に捜査結果をまとめた資料も証拠として提出されました。この中には「事故を防ぐには23メートル以上の防潮壁が必要だった」などと記されていたということです。
これらの証拠はすべて裁判所に採用され、審理は2時間ほどで終わりました。
次回は今月28日。事故の前に津波の想定を行っていた東京電力のグループ会社の社員が証言する予定です。
第2回公判 2018年1月26日
東電社員「巨大津波予測できず」公判で証言
およそ半年ぶりに再開された裁判で、東京電力の社員が、事故の3年前に幹部が参加した会議で巨大な津波の可能性を示す試算が報告されていたと証言しました。一方で、「試算には違和感をおぼえた」と述べ、津波は予測できなかったと説明しました。
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東京電力の元会長の勝俣恒久被告(77)、元副社長の武黒一郎被告(71)、元副社長の武藤栄被告(67)の3人は、原発事故をめぐって業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴され、いずれも無罪を主張しています。
1月26日、東京地方裁判所でおよそ半年ぶりに審理が再開され、東京電力が事故後に公表した調査報告書を取りまとめた社員が証言しました。
社員は、事故の3年前の平成20年に武藤元副社長が参加した会議の場で、津波の想定の担当者が巨大な津波の可能性を示す試算を報告したと証言しました。
一方で、「試算には違和感をおぼえた」と述べ、東京電力の調査報告書と同様に、震災が起きる前に今回のような大きな津波を予測することはできなかったと説明しました。
裁判長からは、会議の場で担当者が試算を報告した趣旨を尋ねられ、社員は「津波の想定が大きくなると原発の審査が滞るので、どうしたものか相談したいという趣旨だったと思う」と答えました。
この日の審理で、証人として証言したのは東京電力の上津原勉氏です。上津原氏は、機械のメンテナンスなどが専門で福島第一原発の事故当時は原発の安全対策を担う原子力設備管理部の部長代理を務めていました。そして、事故後は東京電力がみずから行った事故調査の報告書の作成に関わり、データを収集したり原案を作成したりする業務を担当していました。
今後は、4月から6月にかけて集中審理が行われ、証人の数は20人を超える予定で、原発事故を防ぐことができたかどうかをめぐって、本格的に審理が進むことになります。
東京電力の事故調査報告書とは
東京電力は、事故を起こした当事者として社員およそ600人からの聞き取りや、現場での調査などをもとに対応や経緯などを検証し、事故の翌年に「福島原子力事故調査報告書」をまとめました。報告書では、事故の原因について「津波想定は結果的に甘さがあったと言わざるを得ず、津波に対抗する備えが不十分であったことが今回の事故の根本的な原因」と結論づけています。
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報告書によりますと、東京電力は、津波の想定について平成14年2月に土木学会がまとめた計算方法に基づき、5点7メートルに引き上げました。
一方で、この年の7月、政府の地震調査研究推進本部が過去に記録がなかった福島県沖でも大津波を伴う地震が起きる可能性があるとする評価結果を発表しています。
これに対して、東京電力は平成20年に津波の評価に欠かせない津波を発生させる領域のモデルは定まっていないとしながらも、独自に福島県沖で大地震が発生したと仮定して試算を行い、福島第一原発に押し寄せる津波の高さは、最大で15.7メートルに達する可能性があるという結果を得ていました。
この津波の試算について、東京電力は報告書の中で、仮想的なもので、当時は専門家の間でも意見が定まっておらず、震災が起きる前に今回のような大きな津波を予測することはできなかったとしています。
しかし、この報告書については、言い訳に終始しているという批判を浴び、東京電力は、平成25年3月に発表した組織改革などをまとめたプランのなかで「巨大な津波を予測することが困難だったという理由で、原因を天災として片づけてはならない。事前の備えが十分であれば防げた事故だった」と総括しています。
東京電力の元会長の勝俣恒久被告(77)、元副社長の武黒一郎被告(71)、元副社長の武藤栄被告(67)の3人は、原発事故をめぐって業務上過失致死傷の罪で強制的に起 訴されました。裁判では津波を事前に予測して対策をとることができたかどうかが争われ、3人は無罪を主張しています。
2月8日、東京地方裁判所で開かれた3回目の審理では、検察官役の指定弁護士と被告側の弁護士がそれぞれ追加の証拠を提出しました。被告側の弁護士は、平成14年に公表された福島県沖の地震の可能性について、当時、内 閣府の中で、「信頼性が明らかではない」という意見が出ていたことを示すメールなどを提出しました。
また、原発事故の後で東京電力がシミュレーションを行ったところ当時の想定に基づいて 防潮堤を建設していたとしても事故を防げなかったという結果が出たとする証拠も提出しました。
次の審理は今月28日に開かれ、東京電力のグループ会社の社員が証言する予定です。
詳報 第2回公判
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初公判から半年余り。第2回のこの日から法廷に証人が呼ばれ、本格的な審理が始まりました。
午前9時半ごろ。厚手のコートに身を包んだ勝俣恒久元会長、武黒一郎元副社長、武藤栄元副社長の3人が硬い表情で裁判所に入りました。
午前10時から審理が始まり、永渕健一裁判長は法廷に呼ぶ証人の数が20人を超えることを明らかにしました。
最初の1人が、この日法廷に呼ばれた原子力設備管理部の元部長代理の社員です。事故の後は、東京電力が公表した事故調査報告書の取りまとめを行いました。法廷でははじめに検察官役の指定弁護士の質問に答え、原発の仕組みや、事故にいたるまでのいきさつを説明しました。事故の前に巨大な津波を予測できたかどうかについては、事故調査報告書にまとめたとおり、東京電力として原発が浸水するような津波は想定していなかったと述べました。
注目が集まったのは、事故の3年前、平成20年6月に社内で開かれた会議でのやり取りです。検察官役の指定弁護士は、この会議に出席した武藤元副社長が、福島第一原発に10メートルを超える津波が押し寄せるという試算について担当者から報告を受けていたと指摘しています。しかし、具体的にどのようなやり取りがあったのかは、明らかになっていません。
会議には証人として呼ばれた社員も出席していました。会議での発言について質問されると、社員は、担当者が巨大な津波の試算について報告したことは認めました。そして、武藤元副社長から何か対策をとるよう指示があったか問われると、「会議の中では具体的な議論はなかった」と答えました。
裁判官からは「担当者が試算について報告したのは、相談の意味もあったようだが、対応は決まったのか、それとも先送りされたのか」という質問が出ました。これに対して、「その場では決まらなかったので先送りというか、次回またという話になった」と答えました。
この日は、東京電力が事故の前に検討していたとされる防潮堤についても繰り返し質問が出ました。検察官役の指定弁護士は、防潮堤という具体的な対策が計画されていたのに先送りされたと主張しています。
社員は、質問に立った被告側の弁護士から「福島第一原発の敷地では地中に配管などが埋まっていたため防潮堤の工事を行うことは難しかったのではないか」と尋ねられると、それを肯定しました。
一方、検察官役の指定弁護士から「工事が難しいだけで、不可能ではないのではないか」と質問されると、「かなり難しい大がかりな工事になったとは思うが、可能ではあった」と答えました。
社員への質問はおよそ5時間にわたり午後4時半すぎに審理が終わりました。
次回2月8日の公判では新たな証拠が提出され、28日には事故の前に津波の想定を行っていた東京電力のグループ会社の社員が証言する予定です。
その後は4月から6月にかけて集中審理が行われ、速いペースで審理が進む見通しです。 証人の多くは、東京電力の関係者とみられます。
法廷での質問によって、これまで知られていないような新たな事実が明らかになるのか、審理の行方が注目されます。
今後の公判日程
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裁判は4月から6月にかけて集中審理が行われます。東京地方裁判所は、6月までの審理予定を公表しました。
2月 8日(木) 28日(水)
4月 10日(火) 11日(水) 17日(火) 24日(火) 27日(金)
5月 8日(火) 9日(水) 29日(火) 30日(水)
6月 1日(金) 12日(火) 13日(水) 15日(金)
時間はいずれも午前10時からです。
初公判 2017年6月30日
原発事故 東電旧経営陣3人 初公判で無罪主張
東京電力の旧経営陣3人が、原発事故をめぐって強制的に起訴された裁判が始まり、3人は謝罪したうえで「事故は予測できなかった」として無罪を主張しました。一方、検察官役の指定弁護士は、事故の3年前に東電の内部で津波による浸水を想定し、防潮堤の計画が作られていたとして対策が先送りされたと主張しました。
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東京電力の元会長の勝俣恒久被告(77)、元副社長の武黒一郎被告(71)、元副社長の武藤栄被告(67)の3人は、津波を予測できたのに適切な措置を取らず、福島県の入院患者など44人を避難の過程で死亡させたなどとして、業務上過失致死傷の罪で強制的に起訴されました。
東京地方裁判所で開かれた初公判で3人は謝罪したうえで、「事故は予測できなかった」として無罪を主張しました。一方、検察官役の指定弁護士は、事故の3年前に東京電力の社内で15.7メートルの津波が来て原発が浸水するという想定がまとめられ、武黒元副社長と武藤元副社長に報告されていたと指摘しました。
また、東日本大震災の津波が押し寄せた原発の東側に、敷地を囲うような防潮堤を建設するという予想図も作られていたとして、具体的な対策を計画していたにもかかわらず、先送りされたと主張しました。
また、勝俣元会長も事故の2年前に高さ14メートルほどの津波が押し寄せる可能性があるという報告を受けていたと指摘しました。これに対して勝俣元会長の弁護士は、この報告を受けた際に「14メートルという数字を疑問視する意見もある」と聞いていたと反論しました。
また武黒元副社長と武藤元副社長の弁護士は津波の計算が妥当なものかどうか専門の学会に検討を依頼していて、先送りしたわけではないと主張しました。今後の日程については未定で、審理は長期化するものと見られます。
東京電力「コメント差し控える」
初公判について東京電力は、「刑事裁判に関する事項については当社としてコメントは差し控えさせていただきます。当社としては福島復興を原点に、原子力の損害賠償、廃止措置、除染に誠心誠意全力を尽くすとともに、原子力発電所の安全性強化対策に不退転の決意で取り組んでまいります」としています。
津波対策めぐるやり取り 一部明らかに
初公判では、東京電力の社内で津波対策をめぐって交わされたメールなどの具体的なやり取りの一部が明らかにされました。
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法廷では検察官役の指定弁護士が提出した、東京電力社内のメールや会議の議事録など200点余りが証拠として採用され、その概要が説明されました。
それによりますと、原発が津波で浸水する可能性があるという想定がまとまる2か月前の平成20年1月23日に、津波対策を担う土木調査グループの担当者が同僚に送ったメールでは、想定される最大の津波の評価をやり直した場合、「NGであることがほぼ確実な状況」だとして、「原発の津波対策を開始する必要がある」という記載があったということです。
また、同じ担当者の2月4日のメールでは、津波が想定を超えた場合の対策について、「早期に状況確認する必要があるのではないか」という記載があったとしています。
津波対策が必要だという認識が東京電力の中でどこまで広がっていたのかは、3人に刑事責任があったかどうかを判断するうえで1つの焦点になりそうです。
指定弁護士(検察官役)が指摘したこと
検察官役の指定弁護士は、東京電力の社内で開かれた会議の議事録や津波対策の担当者がやり取りしたメールなど新たな証拠を示し、3人は事故の前に津波を予測できたのに津波への対策を取らなかったと主張しました。
詳しくはこちら
3人の立場と責任
指定弁護士は、勝俣元会長について、最終的に原発の安全を確保すべき義務と責任を負う地位にあり、原発の安全対策に関する判断や指示を実質的に行っていたと述べました。また、武黒元副社長と武藤副社長については、専門的な情報をもち、安全を最優先に設備を管理するとともに、東京電力の方針の策定などを補佐する役割を担っていたと述べました。そのうえで3人について東京電力の最高経営層として、原発の安全を確保すべき最終的な義務と責任を負う地位にあったと指摘しました。
「長期評価」で地震おそれ
原発事故の9年前、平成14年7月に政府の地震調査研究推進本部は、過去に記録がなかった三陸沖から房総沖のどこでも大津波を伴う地震が起きる可能性があるなどとする「長期評価」を公表しています。初公判の法廷で、指定弁護士は、東京電力では、平成19年7月に起きた新潟県中越沖地震をきっかけに設置された「新潟県中越沖地震対策センター」で、政府の長期評価をもとに福島第一原発で想定される津波の検討も始めたと指摘しました。
このセンターを統括していたのが武黒元副社長と武藤元副社長で、会議には勝俣元会長も出席し、社内では「御前会議」と呼ばれていたと主張しました。センターでは、平成20年2月ごろ、福島第一原発で7.7メートルというそれまでの想定を上回る津波を推定し、さらに大きくなる可能性があることが担当者から武藤元副社長に伝えられたとしています。指定弁護士は、その後すぐ、勝俣元会長ら3人が出席する会議でもこれらの想定が報告され、3人から特に異論はなく、津波の想定に長期評価を取り入れる地震対策センターの方針が了承されたと述べました。このことから指定弁護士は、3人は、津波に関する情報とその問題点を具体的に共有することになったと指摘しています。
15.7メートルの予測
指定弁護士は、平成20年3月、東京電力が、子会社から、長期評価を用いて福島県沖で地震が起きたと想定した場合、津波の高さが福島第一原発の南側で最大15.7メートルになるという計算結果が示されたと指摘しました。翌4月には、実際に津波が押し寄せた原発の東側も含めて建屋を囲うような海面から20メートルの高さの防潮堤を設置すべきなど具体的な対策を盛り込んだ検討結果も報告されたとしています。この検討結果は大がかりな対策工事を必要とし、予算だけでなく、地元への説明など非常に影響が大きいことから、東京電力の担当者は、平成20年6月に15.7メートルという想定とともに、武藤元副社長に報告したと指摘しました。
指定弁護士は、武藤元副社長がその場で対策を採用するかどうか結論を示さず、津波が発生する可能性についてより詳しく説明することや、原発を囲う防潮堤ではなく沖合の海に防波堤を設置した場合に必要な手続きについて調べることなどを指示したと述べました。
その後、7月31日になって武藤元副社長が担当者の報告を聞き、どのような津波を想定するかは専門の「土木学会」に検討してもらうことを指示したとしています。これによって現場の担当者が取り組んできた10メートルを超える津波への対策を進めることが止められたと主張しました。
一方、武黒元副社長には、平成20年8月上旬ごろに武藤元副社長から15.7メートルという想定が報告されたとしています。また勝俣元会長にも、事故の2年前の平成21年2月の会議で、原発の安全対策を担当していた吉田昌郎元所長から「高さ14メートル程度の津波が来るという人もいて、対策の前提条件を考える必要がある」と報告されたと指摘しました。
旧経営陣の反論
東京電力の旧経営陣3人は、当時の津波の想定では事故が起きることを予測できなかったと反論しました。
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武藤元副社長の弁護士は、平成20年6月に津波の想定について報告を受けたことは認めましたが、すぐに対策を取らなかったのは津波の計算が妥当なものかどうか土木学会で専門的に検討してもらう必要があると考えた結果で、先送りしたわけではないと反論しています。
また、武黒元副社長の弁護士は、指定弁護士が主張したように平成20年8月に報告を受けたかどうかについては、「記憶にない」と述べました。そのうえで、報告を受けたのは翌年の平成21年で、当時、原発の安全対策を担当していた吉田昌郎元所長から15.7メートルの津波が想定されていることを聞いたとしています。しかし、津波の評価は専門家によって意見が分かれるため、土木学会に検討を依頼したことは理にかなっていると考えたと主張しています。
そして勝俣元会長の弁護士も、平成21年2月の会議で津波の可能性について報告を受けていたという指定弁護士の主張に対して反論しました。勝俣元会長は、報告は受けたものの、「高さが14メートル程度になるという数字を疑問視する意見もある」と聞いていたとして、過失はないと主張しました。初公判は指定弁護士の主張と旧経営陣の主張が真っ向から対立する形となり、今後の法廷で明らかにされる新たな証拠や証言が注目されます。
福島原発告訴団「無罪主張に疑問」
東京電力の旧経営陣の告訴や告発を行った「福島原発告訴団」の団長の武藤類子さんは裁判の後で会見を開きました。
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この中で武藤さんは、「3人は無罪を主張しましたが、本当に自分の良心に対して恥ずかしくなかったのか、疑問に思います。お金を惜しまずに努力を尽くして津波対策をしていれば、このような悲劇は起きませんでした」と話していました。
また、被害者の代理人の海渡雄一弁護士は「10メートルを超す津波の想定が当時の経営陣に報告されていたことが、今回の法廷で客観的に明らかになった。今後の展開は裁判官しだいだが、東電の社員などかなりの数の証人尋問や本人たちへの質問が必要になるのではないか」と話していました。
「事故の真相知りたい」 遺族の思い
原発事故から避難する途中で亡くなった被害者の遺族は、「事故の真相を知りたい」と願っています。
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今回の裁判では、原発事故で長時間の避難を余儀なくされた福島県大熊町の双葉病院と系列の施設にいた44人が避難の過程で死亡したことなどが罪に問われています。
福島第一原発から南西に4キロ余り離れた双葉病院と系列の施設では、事故翌日の3月12日に半径10キロ圏内に避難指示が出た後、およそ230人が取り残されました。患者や入所者は14日から16日にかけて自衛隊に救出されましたが、必要な医療を受けられないまま避難を余儀なくされました。
当時、浪江町に暮らしていた保延ミツ子さん(86)は、双葉病院に入院していた夫の欣司さん(当時82)を避難の途中で亡くしました。欣司さんは14日に救出された後、受け入れ先の病院が見つからず、ほかの患者とともに避難所となったいわき市の高校の体育館に向かうことになりました。バスは沿岸部の避難区域をう回するため、内陸部の福島市や郡山市を経由し、およそ10時間、合わせて230キロもの移動を強いられました。寝たきりだった欣司さんは、この間、点滴などの治療を受けられず、脱水症状を起こし、たどり着いた体育館で15日に死亡しました。
妻のミツ子さんは震災当日の午前中に見舞いに訪れていました。そのときは健康状態に変わりはなく、突然、夫を失ったことに強い衝撃を受けました。ミツ子さんは「私にとってなくてはならない存在でした。せめて息をひきとるときぐらいはそばにいてあげたかった。事故がなかったら、今も生きていられたと思う」と話しています。
昭和28年に結婚したミツ子さんと欣司さんは、国から払い下げを受けた浪江町の土地を切り開き、苦労を重ねながら2人でおよそ1ヘクタールの梨畑をつくり上げました。しかし、原発から10キロ圏内にあったため「居住制限区域」に指定され、梨の木は除染のためすべて伐採せざるを得ませんでした。さらに、欣司さんとの思い出が詰まった自宅も地震で大きく壊れ、「離れ」の建物を除いて解体しなければならなくなりました。ミツ子さんは、「梨畑は私の一生をささげた宝物だったので、本当にすべてを奪われたという思いです。浪江町で暮らしていたとき、原発は安全だというチラシばかり回ってきましたが、何をもとに安全だと言っていたのか、疑問に感じます」と話しています。
自宅周辺の避難指示は平成29年3月末で解除されましたが、家と畑を失ったミツ子さんは避難先のいわき市で1人暮らしを続けています。ことしに入って避難生活のストレスも重なって体調を崩し、一時、入院もしました。6月24日には、離れて暮らす息子夫婦とともに、半年ぶりに浪江町で欣司さんの墓参りをして、東京電力の旧経営陣の刑事裁判が始まることを報告しました。
東京電力が「原発は安全だ」と説明しながら、なぜ津波対策を講じていなかったのか、ミツ子さんの疑問は日に日に強まっています。そして、今回の裁判を通じて、これまで明らかになっていなかった事実を知りたいと願っています。ミツ子さんは「津波対策を取ってくれていれば、こんなにさみしい思いや悔しい思いをしなくて済んだと思います。刑事裁判だったら真相を知ることができると思うので、3人には真実を話してほしい」と訴えています。
指定弁護士 冒頭陳述 全内容
問われているもの
人間は、自然を支配できません。
私たちは、地震や津波が、いつ、どこで、どれくらいの大きさで起こるのかを、事前に正確に予知することは適いません。
だから、しかたなかったのか。
被告人らは、原子力発電所を設置・運転する事業者を統轄するものとして、その注意義務を尽くしたのか。
被告人らが、注意義務を尽くしていれば、今回の原子力事故は回避できたのではないか。
それが、この裁判で問われています。
福島第一原子力発電所の概要等
福島第一原子力発電所(以下「本件原子力発電所」)は、東京都千代日区内幸町に本店を置く東京電力株式会社が、福島県双葉郡大熊町と双莱町にまたがる約350万平方メートルの敷地(所在地表示は、福島県双葉郡大熊町大字夫沢字北原22番地)に設置した発電用原子炉施設です。
本件原子力発電所に1号機から6号機の原子炉施設が設けられ、昭和46年から昭和54年までの間に、順次、運転が開始されました。
このうち、1号機から4号機は、大平洋側に面した敷地東側の小名浜港工事基準面(概ね海抜を意味する。)からの高さ10mの地盤(以下「10m盤」、「OP+10m」と表記)に、北方向から南方向に向かって1号2号3号機及び4号機の順にそれぞれの原子炉建屋、タービン建屋、コントロール建屋等が配置され、その東側の海側に斜面を下ったO.P. +4mの地盤(以下「4m盤」)に、各号機の非常用海水ポンプが設置されていました(各号機の配置状況等については、別図1のとおり)。
原子炉建屋には、沸騰水型原子炉を囲む圧力容器や格納容器等(原子炉の構造等については、別図2のとおり)が設置され、タービン建屋には、発電機用タービンのほか、非常時に電気を供給する非常用ディーゼル発電機、設備・機器に電気を供給する非常用高圧電源盤等が設置され、またコントロール建屋には、原子炉施設の監視・操作を行う当直の作業員が常駐する中央制御室等が設置されていました。
非常用電源設備等の設置状況
▽1号機の非常用ディーゼル発電機は、A系及びB系の2機が、いずれもタービン建屋地下1階に、非常用高圧電源盤等は、タービン建屋1階に、直流電源に必要な蓄電池や分電盤コントロール建屋地下1階に、それぞれ設置されていました。
▽2号機の非常用ディーゼル発電機は、A系がタービン建屋地下1階に、B系が運用補助共用施設1階に、非常用高圧電源盤等は、タービン建屋地下1階及び運用補助共用施設地下1階に、直流電源に必要な蓄電池や分電盤は、コントロール建屋地下1階に、それぞれ設置されていました。
▽3号機の非常用ディーゼル発電機は、A系及びB系の2機が、いずれもタービン建屋地下1階に、非常用高圧電源盤等は、タービン建屋地下1階に直流電源に必要な蓄電池や電源盤コントロール建屋1階及びタービン建屋地下1階に、それぞれ設置されていました。
福島第一原子力発電所における事故の経過
▽東北地方太平洋沖地震の発生とその直後の状況 平成23年3月11日14時46分、大平洋三陸沖を震源として、地震の規模を示すマグニチュード9.0の地震(以下「東北地方太平洋沖地震」あるいは「本件地震」)が発生しました。
当時、本件原子力発電所では、1号機から3号機の原子炉は運転中でしたが、4号機は定期点検のため、稼働していませんでした。
運転中の3機は、地震の発生直後、地震計が地震動を検知して、全て自動で緊急停止し、原子炉はその運転を停止しました。
1号機から3号機は、本件地震発生前まで、それぞれの発電機で発電した交流電気を受電していましたが、原子炉が停止したことにより、受電できなくなりました。
さらに、地震動により外部電源からの受電設備に異常が生じたため、外部電源を喪失してしまいました。
こうして、1号機から3号機が得ることができる交流電源は自動で起動した非常用ディーゼル発電機による発電のみとなりました。
▽全交流電源の喪失等
3月11日15時27分頃、本件地震に伴う津波の第1波が、同日15時36分から15時37分頃には、その第2波が、それぞれ本件原子力発電所の敷地に到達しました。
このうち第2波は、4m盤を上回っただけでなく、10m盤をも超えて敷地を遡上し、本件原子力発電所の敷地における津波の高さは、結果的にO.P. +約11.5m~約15.5mに及びました(以下、本件地震に伴う津波の第2波を「本件津波」)。
このように本件津波は、大平洋に面した側から10m盤を超えて敷地を遡上し、タービン建屋等の東側開口部等から大量の海水が建屋内に浸入するなどして、1号機から3号機の非常用ディーゼル発電機、非常用高圧電源盤等を含む各種の電源盤等の大半が、順次、被水しました(本件津波による浸水状況の概要につき、別図3のとおり)。
その結果、
1.非常用ディーゼル発電機自体が被水したこと
2.電源盤が被水し、そのため非常用ディーゼル発電機が発電した交流電気を電源盤経由で設備・機器に供給できなくなったこと
3.非常用ディーゼル発電機の冷却用ポンプが被水し、作動不能になったこと
などにより、同日15時37分頃から15時40分頃の間1号機から3号機の非常用ディーゼル発電機は、いずれも停止するに至りました。
このうち3号機について4号機の非常用ディーゼル発電機から電源の融通を受けることは可能でしたが、4号機の非常用ディーゼル発電機2機について1機は点検中のために作動不能であった上に、もう1機は、運用補助共用施設1階に配置されており、海水が到達しなかったために被水は免れたものの、電源盤が被水したことにより停止したため、結局、3号機も電源の融通を受けることができず、1号機から3号機の全ての交流電源が喪失してしまいました。
また通常時は、交流の電気が直流電源設備により直流の電気に変換され、設備・機器に供給されていましたが、全交流電源を喪失したため、交流電気が直流電気設備に供給・変換されず、また1号機及び2号機でコントロール建屋の地下1階に設置されていた蓄電池及び分電盤が津波により被水したため、同日16時50分頃、一部の蓄電池や分電盤等を除き、直流電源も喪失してしまったのです。
▽事故の状況等
・1号機の事故
1号機は、前述の通り、全交流電源及び直流電源を喪失するなどした結果、非常用復水器がー時期作動したものの、原子炉の冷却・注水設備がいずれも炉心を冷やす機能を喪失しました。
これに対応するため、消防車によって原子炉への注水が行われましたが、圧力容器内への十分な注水を行うことができなかったため、圧力容器内の水が核燃料の崩壊熱により徐々に蒸発して水位が低下し、水面上に核燃料部分が露出する結果となりました。
そして、その後も、核燃料部分の温度は上昇を続け、被覆管を形成しているジルコニウムと崩壊熱により蒸発した水蒸気が化学反応(以下「ジルコニウムー水反応」)を起こしたこと等により、水素ガスが発生し、圧力容器や格納容器あるいはその周辺部から水素ガスが漏れ出し、これが原子炉建屋内に蓄積し、何らかの理由で着火したことにより、3月12日15時36分、原子炉建屋で水素ガス爆発が起きました。
こうして、原子炉建屋から大気中に大量の放射性物質が放出されたのです。
・2号機の事故
2号機は、全交流電源及び直流電源を喪失するなどした結果、3月14日までは、原子炉隔離時冷却系は作動を続けましたが、それ以外の原子炉の冷却・注水設備がいずれも炉心を冷やす機能を喪失するに至りました。
そして、原子炉隔離時冷却系が注水機能を喪失した3月14日以降は、消防車による原子炉への注水は行われましたが、全ての冷却・注水設備が炉心を冷やす機能を喪失したため、1号機と同じ経過で、ジルコニウムー水反応等により発生した水素ガスが原子炉建屋内に漏れ出しました。
しかし1号機の原子炉建屋における水素ガス爆発により、2号機の原子炉建屋に設置されていたブローアウトパネル(破裂板式安全装置)が開放状態になったことなどによって、原子炉建屋内に漏えいした水索ガスが建屋外に流出したため、原子炉建屋内で水素ガス爆発が発生することはありませんでした。
ところが、水面上に露出した核燃料部分の温度が上昇したことにより、被覆管が破損し、露出したペレットから放射性物質が漏えいし、更に圧力容器や格納容器あるいはその周辺部からも漏えいしたことにより、3月14日以降、1号機や3号機とともに、原子炉建屋から大気中に大量の放射性物質が放出されたのです。
・3号機及び4号機の事故
3号機は、直流電源を喪失することはありませんでしたが、全交流電源を喪失するなどした結果、3月13日までは、原子炉隔離時冷却系及び高圧注水系は機能したものの、 この他の原子炉の冷却・注水設備が炉心を冷やす機能を喪失しました。
そして3月13日、原子炉隔離時冷却系及び高圧注水系が注水機能を喪失した以降は、消防車等による原子炉への注水が行われましたが、全ての冷却・注水設備が炉心を冷やす機能を喪失するなどしたため、1号機と同じ経過で、ジルコニウムー水反応等により発生した水素ガスが原子炉建屋内に蓄積し何らかの理由で着火し、3月14日11時01分、原子炉建屋で水素ガス爆発が起きました。
また、水素ガスが3号機の原子炉建屋内から4号機の原子炉建屋内に流れ込んで蓄積し何らかの理由で着火し、3月15日6時12分、4号機の原子炉建屋で水素ガス爆発が起きました。
こうして、3月16日までに3号機の原子炉建屋からも大気中に大量の放射性物質が放出されたのです。
▽被害の状況
・本件原子力発電所から南西約4.5キロメートルに医療法人博文会双葉病院(福島県双葉郡大熊町大手熊字新町176番地の1所在、以下「双葉病院」)が南西4キロメートルに医療法人博文会介護老人保健施設ドーヴィル双葉(同県双葉郡大熊町大字熊字新町369番地の1所在、以下「ドーヴィル双葉」)が、位置しています。
・本件事故当時、双葉病院には340名が入院しており(うち2名は外泊中)、多くは寝たきりの忠者でした。ドーヴィル双葉には98名が入所していました。
・平成23年3月11日16時45分頃、東京電力は、原子力災害対策特別措置法第15条第1項に定める原子力緊急事態が発生したことを示す事象、すなわち、原子炉へのすべての給水機能が喪失し、すべての非常用炉心冷却装置による原子炉への注水ができなくなった事態(同法施行規則第21条第1号口)が発生したと判断し、この旨を経済産業省原子力安全・保安院(以下「原子力安全・保安院」)に通報しました。
これらの事態を受けて内閣総理大臣は、同日19時03分、「原子力緊急事態宣言」を発出(同法第15条2項)し、官邸に原子力災害対策本部を設置(同法第16条)しました。
同日20時50分、福島県知事は、大熊町と双葉町に対し、本件原子力発電所から半径2キロメートル圏内の居住者等に対して、避難指示を行いました。
同日21時を過ぎると、事態は、炉心損傷を避けるため、ベントを行う必要があると判断されるに至り、ベントを行った場合には、放射性物質がさらに広域に亘って拡散する恐れがあるため、政府は、同日21時23分、原子力災害対策本部長を通じて、福島県知事及び大熊町町長・双葉町町長ら関係自治体に対し、本件原子力発電所から半径3キロメートル圏内の居住者等は、避難のための立退きを行うことなどの指示を行いました(同法第20条第3項)。
・さらに、政府は、3月12日未明、ベントの実施作業が遅れた場合の不測の深刻な事態に対処するためには、なお一層避難範囲を拡大する必要があると判断し、同日5時44分、本件原子力発電所から半径10キロメートル圏内の居住者等は、避難のための立退きを行うこと、との指示を行いました。これを受けて、同日14時頃、双葉病院に入院中の患者ら209名がバスに乗せられ避難しましたが、その余の患者129名とドーヴィル双葉の入所者98名は、取り残されたままでした。
・同日15時36分、1号機原子炉建屋で水素ガス爆発が起き、これにより、原子炉建屋の外部壁等が破壊し、起訴状被害者目録1記載の3名が、飛び散ったがれきに接触するなどして、同目録「傷害の内容」欄記載の各傷害を負いました。
この1号機水素ガス爆発を受け、政府は同日18時25分、本件原子力発電所から半径20キロメートル圏内の居住者等は、避難のための立退きを行うことの指示を行いました。
・3月14日11時01分、3号機原子炉建屋で水素ガス爆発が起き、これにより、同原子炉建屋の外部壁等が破壊し、起訴状被害者目録2記載の10名が、飛び散ったがれきに接触するなどして、同目録「傷害の内容」欄記載の各傷害を負いました。
この3号機水素ガス爆発と3月15日6時12分に発生した4号機水素ガス爆発等を受け、政府は同日11時、本件原子力発電所から半径20キロメートル圏内の居住者等の避難指示に加えて、半径20キロメートル以上30キロメートル国内の居住者等は、屋内への退避を行うことの指示を行いました。
・こうした中で、3月11日から14日までの間、双葉病院とドーヴィル双葉に残された患者や入所者については、病院に残った病院長、医師、職員、駆けつけた医師らにより、点滴の変換や調節、注射器を使った痰の吸引、おむつ替え、食事や水分補給等のケアが不眠不休でなされていました。
・3月14日、4時頃、陸上自衛隊第12旅団輸送支援隊ドーヴィル双葉と双葉病院に到着し、残された患者や入所者を避難先へ搬送する作業が開始されました。双葉病院においては、当初、患者全員にタイベックススーツを着せるようにとの指示が警察官からなされましたが、寝たきりの患者にそのようなことはできないとの判断により、医師が点滴を外して、警察官がストレッチャーで患者を外に運び、自衛官が患者をバスに乗せるということが繰り返され、患者を乗せた車両が、順次、出発していきました。
ドーヴィル双葉の入所者98名全員と双葉病院の患者30数名はバスに乗せられ避難先へ出発しましたが、双葉病院の患者についてはバスに全員乗せることができず、約90名ほどの患者がまだ双葉病院に取り残されていました。
患者らを乗せたバスは、スクリーニング場所である相双保健所(福島県南相馬市原町区錦町1丁目30番地所在)に向かい、患者らはバスの中でスクリーニングを受けた後、相双保健所を出発し、いったん福島市に出て、高速道路を走り、いわきに向かうという経路で、同日20時頃、避難先であるいわき光洋高等学校(福島県いわき市中央台高久4丁目1番地所在)に到着し、医療法人博文会いわき開成病院(福島県いわき市鹿島町飯田字人合5番地所在)に向かったものの、同病院は既に避難してきた患者でいっぱいで収容の限界を超えていたことから、再びいわき光洋高等学校に向かい、同高等学校に到着したのは、同日21時を過ぎていました。このときすでに、起訴状被害者目録3の番号1、2、13の3名が、バスの中で死亡していることを、駆けつけた医師と看護師らが確認しました。医師と看護師らがバスに乗り込んで患者らの状態を確認し、患者らを同高等学校体育館に運び入れる搬送作業が開始されましたが、バスから体育館への搬送過程で、さらに同被害者目録3の番号14、15、16の3名の死亡が確認されました。
・この間、前記の2度にわたる水素ガス爆発により、双葉病院とドーヴィル双葉に残って患者や入所者のケアをしていた医師と職員らは、3月14日夜、警察車両に乗せられ、緊急避難を余儀なくさせられました。
・3月15日9時頃、自衛隊統合任務部隊搬送部隊が双葉病院に到着し、残されていた患者のうち47名を車両に乗せて出発しました。同日11時30分頃、陸上自衛隊第12旅団衛生隊が双葉病院に到着し、残されていた患者のうち7名を車両に乗せて出発しました。双方の車両は、スクリーニング場所である田村市総合体育館(福島県田村市船引町船引字遠表400番地所在)で合流した後、同所ではスクリーニングを受けられなかったことから、福島県男女共生センター(福島県二本松市郭内1丁目196番地の1所在)に向かい、同日15時30分頃同所に到着し、患者はバスの中でスクリーニングを受けた後、自衛隊車両から県が用意したバスに移し替えられて、最終的3月16日1時頃、避難先である伊達ふれあいセンター(福島県伊達市箱崎字川端7番地所在)に到着し、同所に運び入れられました。
・双葉病院の別棟(療養棟)に残されていた患者35名は、3月16日未明、陸上自衛隊第12旅団混成部隊(輸送支援隊・衛生隊)が双葉病院に到着し、避難先への搬送作業が開始され、同日6時頃スクリーニング場所である福島県男女共生センターに到着し、患者はバスの中でスクリーニングを受け、同日12時頃、県立霞ヶ城公園(福島県二本松市郭内3丁目232番地所在)駐車場にて、自衛隊車両から県が用意したバスに移し替えられました。同日14時30分頃、同駐車場にて、駆けつけた医師と看護師らがバスに乗車している患者を診祭しましたが、バスの中で、起訴状被害者目録3の番号23、24の2名が死亡していることが確認されました。この5名の患者は医師の指示により病院に緊急搬送されました。その余の患者28名は、同日、避難先であるあづま総合運動公園(福島市佐原字神事場1番地所在)の施設内に、運び入れられました。
・このように、本件事故により半径10キロメートル国内の居住者等の避難指示が出されたことと、2度にわたる水素ガス爆発等により、被害者らは、長時間にわたる搬送・待機等を伴う避難を余儀なくされた結果、身体に過度の負担がかかり、低体温、脱水症等の衰弱状態等に陥り、被害者のうち8名は移動中のバスの中で次々と死亡し、また、避難先や病院に搬送された患者らも、全身衰弱状態が著しく、搬送先で、次々と死亡するに至ったのです。バスの中の状況は悲惨で、椅子に座ったままの状態で死亡している者や、補助席に頭を乗せて死亡している者もいました。
各被害者の死亡日時、死亡場所、死因等は、起訴状被害者目録3に各記載のとおりですが、避難を余儀なくされた3月14日から16日にかけて、その避難の過程ないし搬送先で、実に28名もの被害者が死亡し、その後も各被害者が、搬送先で、次々と死亡するに至っているのです。
また、起訴状被害者目録4に記載の被害者は、本件事故により医師らが双葉病院から、緊急避難を余儀なくさせられた結果、治療・看護を受けることができず、同記載の日時、場所で、死亡するに至りました。
本件事故がなければ、44名もの尊い命が奪われることはなかったのです。
本件事故の原因
本件津波により、本件原子力発電所の1号機から3号機の原子炉の炉心が損傷し、大量の放射性物質を大気中に放出させるとともに、1号機、3号機の原子炉建屋において水素ガス爆発が、また、4号機の原子炉建屋では、3号機からの水素ガスの流入によると考えられる原因により水素ガス爆発が起きました(以下、これら一連の事象を「本件事故」)。
このように本件事故は、本件原子力発電所の1号機から3号機において、本件地震により外部電源が喪失した後、本件津波が、大平洋側に面した敷地から、原子炉建屋やタービン建屋等が配置された10m盤を超えて襲来し、タービン建屋等の東側開口部等から大量の海水が建屋内に浸入し、同建屋内等に設置されていた非常用ディーゼル発電機、電源盤、蓄電池等の電源設備が被水した結果1号機から3号機の非常用交流電源、1号機及び2号機の直流電源(以下「交流電源等」)を喪失したことにより発生したものです。
事業者の注意義務
本件原子力発電所は、東京電力が設置し、稼動させていました。本件原子力発電所のような発電用原子炉設備を設置する事業者は、当該施設の安全を確保するために必要な措置を講じるべき法律上の義務を負っています。
すなわち、「核原料物質、核燃料物質及び原子炉の規制に関する法律」(原子炉規制法)は、原子炉施設の保全、原子炉の運転について、「保安のために必要な措置を講じなければならない」(第35条第1項)と定め、さらに、「電気事業法」は、「事業用電気工作物を設置する者は、事業用電気工作物を経済産業省令で定める技術基準に適合するように維持しなければならない」39条第1項)と定め、これを受けて「発電用原子力設備に関する技術基準を定める省令」(経済産業省令)は、「原子炉施設並びに一次冷却材又は二次冷却材により駆動される蒸気タービン及びその附属設備が想定される自然現象(地すべり、断層、なだれ、洪水、津波、高潮、基礎地盤の不同沈下等をいう。ただし、地震を除く。)により原子炉の安全性を損なうおそれがある場合は、防護措置、基礎地盤の改良その他の適切な措置を講じなければならない」(第4条第1項)と規定しています。
このように、東京電力は、発電用原子力設備を設置する事業者として、津波等により、本件原子力発電所の原子炉の安全性を損なうおそれがある場合には、防護措置その他の適切な措置を講じるなどして、本件原子力発電所の安全を確保すべき義務と責任を負っていたのです。
被告人らの立場とその責任
▽被告人らは、東京電力の最高経営層として、本件原子力発電所の安全を確保すべき最終的な義務と責任を負う地位にありました。
▽被告人勝俣恒久は、平成14年10月から代表取締役社長、平成20年6月からは代表取締役会長の職にあり、本件原子力発電所の運転・安全保全業務に従事し、その一環として、本件原子力発電所を所管する原子力・立地本部等を通じて、その構造、設備等の技術基準適合性にかかる情報を常に把握し、安全性に関わる重要な事項が判明した場合には、防護措置その他の適切な措置を行うべきか否かの判断を行うなどの会議等を主宰して、その席上で適切な指示を行うなど、同社の最高経営層に属する者として、最終的に原子力発電所の安全を確保すべき義務と責任を負う地位にありました。被告人勝俣は、平成20年6月、代表取締役会長に就任して以降は、職務規定上「最高経営層」には属しておらず、東京電力の業務執行には抑制的であったから、上記責任を負わないと主張されるようです。しかし、同人は、会長職に就いた後も、社内の意思決定にかかわる重要な会議等に出席し、実質的に上記判断や指示を実際に行っていました。したがって、その義務と責任はとうてい免れうるものではありません。
▽被告人武黒一郎は、平成17年6月から常務取締役原子力・立地本部本部長、平成19年6月から取締役副社長原子力・立地本部本部長、平成22年6月からはフェローの職にあり、被告人武藤栄は、平成17年6月から執行役員原子力・立地本部副本部長、平成20年6月から常務取締役原子力・立地本部副本部長、平成22年6月からは取締役副社長原子力・立地本部本部長の職にありました。
原子力・立地本部は、東京電力の原子力発電所を統轄する部署で、本部長は、最高経営層の専門スタッフとして、高度かつ専門的な情報、知見をもつて、原子力発電所における原子力安全を最優先に、その設備の管理等を行うとともに、最高経営層による東京電力の方針の策定等について補佐するという基本的役割を担っていました。
被告人武黒は、平成22年6月、取締役副社長原子力・立地本部本部長を退任しフェローに就任して以降は、東京電力の業務執行には関与しておらず、また、会長を補佐する立場にはなかったと主張されるようです。しかし、同人は、フェローになった後も、社内の意思決定にかかわる重要な会議等に出席し、実質的に会長が行う上記判断などを補佐するなどの職務を実際に行っていました。
こうして、被告人武黒、同武藤はいずれも、被告人勝俣を補佐して、上記被告人勝俣と同様に本件原子力発電所の運転・安全保全業務に従事し、本件原子力発電所の安全を確保すべき義務と責任を負う地位にありました。
また被告人ら3名は、いずれも取締役に就任中は、「常務会」、「取締役会」の構成員として、東京電力の業務執行に関して、最終意思決定に関与していました。
▽さらに被告人勝俣は、平成17年4月から平成20年6月までの問、電気事業連合会(以下「電事連」)の会長に、被告人武黒は、平成16年7月から平成20年6月までの間、電事連原子力開発対策委員会総合部会部会長に、平成21年7月から平成22年5月までの間は電事連原子力開発対策委員会委員長に、被告人武藤は、平成20年8月から平成22年6月までの間、電事連原子力開発対策委員会総合部会部会長に、平成22年7月から平成23年5月までの間は電事連原子力開発対策委員会委員長に就任していました。電事連日本における電気事業の健全な発展や運営の円滑化を図るために設立された全国10電力会社で組織された連合会です。
電事連に設置された原子力開発対策委員会では、原子力に関する様々な問題につき、検討が行われ、資料等の収集を行っており、原子力に関する情報収集とその情報の各社への共有が重要な業務のひとつとなっています。そして、原子力安全・保安院と各電力会社の窓口としての役割をも担っていました。地震・津波に関する事項については、主に同委員会総合部会が所管していました。このような電事連の役職に就任していた被告人らは、当然のことながら電事連が収集した原子力発電所の安全性に関する諸情報を認識し、また認識しうる立場にありました。
本件の争点
10m盤を超える津波の襲来から、本件原子力発電所を守る対策としては、
・10m盤上に想定水位を超える防潮堤を設置するなど、津波が敷地へ遡上するのを未然に防止する対策、
・建屋の開口部に防潮壁、水密扉、防潮板を設置するなど、防潮堤を越えて津波の遡上があったとしても、建屋内への浸入を防止する対策、
・建屋の開口部に水密扉を設置する、配管等の貫通部に止水処理を行うなど建屋内に津波が浸入しても、重要機器が設置されている部屋への浸入を防ぐ対策、
・原子炉への注水や冷却のための代替機器を津波による浸水のおそれがない高台に準備する対策、
があり、これらの全ての措置をあらかじめ講じておけば、本件事故の結果は未然に回避することができました(津波対策の概要につき、別図4のとおり)。東京電力は、本件事故後、事故調査報告書において、これらのことを明らかにしています。
そして、津波はいつ来るか分からないのですから、津波の襲来を予見したなら、これらの安全対策が完了するまでは、本件原子力発電所の運転を停止すべきだったのです。
被告人らが、本件原子力発電所に10m盤を超える津波が襲来する可能性があることを予見し、あるいは予見しうる状況があったのであれば、被告人らにこのような安全対策をとるべき義務があったことは明らかです。
ところが、被告人らはいずれも、本件事故が起こるまで本件原子力発電所に10m盤を超える津波が襲来することは予見できなかったと主張しています。
したがって、この裁判では、被告人らがそれぞれ、本件原子力発電所に10m盤を超える津波が襲来することを予見できたか否かが主要な争点となります。
そこで、指定弁護士は、次に述べる諸事実を証拠により立証し、それらの事実を積み重ねることにより、遅くとも平成23年3月初旬には、本件原子力発電所に10m盤を超える津波が襲来することを予見できたということを明らかにします。
国による津波防災対策
平成7年1月17日、阪神・淡路大震災が発生しました。
この大震災等を契機に、農林水産省構造改善局、同省水産庁、運輸省港湾局、建設省河川局の4省庁(省庁名はいずれも当時、以下同じ)は、平成9年、「太平洋沿岸部地震津波防災計画手法調査報告書」を作成しました。
さらに、平成10年3月には、国土庁、農林水産省構造改善局、同省水産庁、運輸省、気象庁、建設省、消防庁の7省庁策定にかかる「地域防災計画における津波対策強化の手引き」及び「津波災害予測マニュアル」が公表されました。
この中で、「津波を伴う既往最大地震を把握し、対象津波を設定するとともに、沿岸地域の危険性を把握する。また、その後の地震研究の成果や最新の地震観測」結果等を踏まえることにより、地震空白域の存在や地震の周期性などの地震の動向について把握しておくことが重要である。」と指摘されていました。
文部科学省地震調査研究推進本部による長期評価の公表
▽長期評価の公表
平成14年7月31日、文部科学省地震調査研究推進本部(以下「地震本部」)地震調査委員会は、「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」(以下「長期評価」)を公表しました。
この中で、地震本部は、三陸沖北部から房総沖の海溝寄りの領域内のどこでも津波マグニチュード8.2前後の津波地震が発生する可能性があると指摘しました(別図5参照)。
三陸沖から房総沖にかけて1611年に慶長三陸地震、1677年に延宝房総沖地震、1896年に明治三陸地震が発生しており、これらの地震により、津波被害があったとされています。
▽地震本部の性格と構成
・地震本部は、平成7年1月に発生した阪神・淡路大震災を契機として、全国にわたる総合的な地震防災対策を推進するために制定された地震防災対策特別措置法に基づき、当時の総理府に設置された機関です。平成13年1月の中央省庁再編に伴い、総理府から文部科学省に移管され、現在に至っています。
地震本部は、従前、地震に関する調査研究の成果が、国民や防災を担当する機関に十分に活用される体制が整備されていなかったとの反省の下に、これらの成果が地震防災対策に活用されるため、政府として一元的に、地震の予測を含む調査研究を推進する機関として設置されました。
こうして、地震本部は、地震予測に関し、評価として公表する国の唯一の機関となりました。
その一環として、長期評価が公表されたのです。
・地震本部には、文部科学大臣を本部長とし、文部科学省等関係省庁の事務次官等から構成される本部のもとに、地震に関する調査結果等を収集分析し、総合評価を行う「地震調査委員会」等ふたつの委員会が設置されています。
「地震調査委員会」のもとには、長期的な観点から地震の予測を行う「長期評価部会」や、長期評価結果に基づいて各地の震度等の予測を行う「強震動部会」などが設置されています。
また、「長期評価部会」のもとには、分科会が設置され、その分科会は地震の様式で分かれており、プレート間地震やプレート内地震などの予測を行う「海溝型分科会」や活断層地震の予測を行う「活断層分科会」などがあります。
地震調査委員会の委員は、地震や地質の専門家で構成され、地震調査委員会の委員の一人は長期評価部会の「部会長」も兼ねています。
長期評価部会の委員は、部会長以下約10名の地震や地質を専門とする大学教授などの専門家で構成されており、長期評価部会の委員の一人が分科会の「主査」となり、各分科会も約10名の地震や地質などを専門とする大学教授などにより構成されています。
・長期評価が公表された頃の「長期評価部会」の委員は、地震の専門家である A 東京大学地震研究所教授を部会長とし、地質の専門家である B 産業技術総合研究所活断層研究センター副センター長、地震の専門家である C 東京大学地震研究所教授や D 財団法人地震予知総合研究振興会地震調査研究センター所長など、地震の権威ある研究者や関係機関の代表等から構成されていました。
「海溝型分科会」の委員は A 教授を主査とし、津波地震の専門家である E 東京大学地震研究所教授や F 同研究所助教授、 G 産業技術総合研究所活断層研究センター地震被害予測研究チーム長など、いずれも地震や津波の分野における第一人者である研究者や関係省庁所属の専門家等から構成されていました。
社団法人土木学会による「重み付けアンケート」
▽社団法人土木学会に対する研究委託
原子力発電所における津波対策を講じる前提となる設計上の想定津波水位は、従前より、一般に文献調査等により確認される既往最大津波による最高潮位を基準に設定するものとされていました。
しかし、平成9年から平成10年にかけて政府の防災関係省庁間で取りまとめられた「地域防災計画における津波対策強化の手引き」では、防災計画上、考慮すべき対象津波として、既往最大津波だけでなく、「現在の知見に基づいて想定される最大地震により引き起こされる津波」をも取り上げるとする考え方が採用されていました。
これを受けて、東京電力をはじめとする電力事業者(以下「東京電力等」)は、平成11年、想定津波に基づく設計上の想定津波水位の設定等に関する基準を策定するため、社国法人土木学会(以下「土木学会」)に対し、原子力発電所における津波評価を如何に行うかについての研究委託を行いました。
土木学会は、土木工学の進歩、土木事業の発達、土木技術者の資質向上等を図るために、研究や調査等を実施することを目的とした社団法人(平成23年4月1日、公益社団法人に移行)です。
東京電力等から研究委託を受けた土木学会では、原子力施設に係る土木技術に関する課題の調査研究を行う原子力土木委員会に、津波評価部会を設置し、委託を受けた事項につき調査研究を行うこととなりました。これらの調査研究に要する委託料は、東京電力等から支払われ、津波評価部会には、委託元である東京電力等の社員も委員として、審議に関与していました。
▽第1期津波評価部会による津波評価技術の策定
第1期津波評価部会は、平成11年10月から平成13年3月までの間委託を受けた事項の調査研究を行い、その結果として、平成14年2月、「原子力発電所の津波評価技術」(以下「津波評価技術」)を策定の上、公表しました。
この津波評価技術は、原子力発電所の安全性を確保するため、各発電所においてどの程度の津波の高さを想定すべきかという設計上の想定津波水位を導き出すために策定されたものでした。津波評価技術では、原子力発電所の特性を踏まえて津波評価を安全側に設定するため、調査等により確認される既往津波を選定し、地震発生を想定する領域内に当該既往津波の痕跡高を最もよく説明できる波源モデルを設定した上で、パラメータスタディ、すなわちその波源モデルの位置、深さ、向き、傾斜角等のパラメータを変異させて計算を実施し、それによって得られた最大の数値に潮位条件を考慮した上で、設計上の想定津波水位を算出することとされていました。この手法により算定される想定津波水位は、平均して既往最大津波による津波水位の約2倍になることが確認されました。
▽第2期津波評価部会における確率論的リスク評価手法の検討 -「重み付けアンケート」の結果-
「津波評価技術」は、一定の想定水位を定め、その想定水位までの安全性を絶対的に確保することによって安全を確保するという考え方に基づくものでした。このような考え方は、一般に「確定論」又は「決定論」と言われるものです。
一方、工学分野では、様々なリスクを評価する確率論的手法が進展してきていました。
津波についても確率論に立脚した手法の研究を進める必要があるとして、東京電力等は、土木学会に対して確率論的津波ハザード解析を委託し、これを受けた土木学会第2期津波評価部会では、平成15年6月から平成17年9月にかけこの検討を行いました。
このような確率論的津波ハザード解析は、地震の位置、規模、発生頻度、発生様式等を確率分布として表現することにより、津波水位の超過頻度を求めるもので、津波の高さごとのリスクを定量的に把握するための確率論的手法に基づく解析でした。確率論的なリスク評価においては、見解の分かれている知見等についてもそれを採るか採らないかの二者択一ではなく、異なる見解を相応に反映することが可能となるとされています。
このようなことから、第2期津波評価部会では、確率論的津波ハザード解析を行うに当たり、各領域における地震発生の様式、規模、発生間隔等の地震学に関わる事項や計算の誤差の考え方等についての様々な事項に関する「重み付けアンケート」を実施しました。当然のことながら、地震本部によって公表された長期評価も、新しい知見として、これに関連したアンケートが実施されました。平成16年に実施されたこの「重み付けアンケート」では、長期の地震活動について、
1.過去に発生例がある三陸沖と房総沖で津波地震が活動的で、他の領域は活動的でないという見解
2.三陸沖から房総沖までのどこでも津波地震が発生するという地震本部と同様の見解
の2つの選択肢で、地震学者等から回答を求める形で実施されました。
その結果、地震学者等専門家の回答は、1.に多くの重みを付けた学者が3名、2.に多くの重みを付けた学者が4名、両者に全く同じ重みを付けた学者が2名で、その重みの平均値は、1.が0.46であったのに対して、2.が0.54と、地震本部の見解が上回っていました。
内部溢水・外部溢水勉強会の開催と報告
原子力安全・保安院と独立行政法人原子力安全基盤機構は、平成16年12月にスマトラ島沖地震で発生した津波によって、マドラス原子力発電所2号機の非常用海水ポンプが浸水したことなどを契機に、平成18年1月以降、電事連や各電力事業者に参加を求めて、設計上の想定津波水位を超える津波が襲来した場合の原子力発電所の設備・機器等に与える影響等を把握すること等を目的とした「内部溢水・外部溢水勉強会」(以下「溢水勉強会」)を継続的に開催するようになりました。
この勉強会では、平成11年にフランス・ルブレイエ原子力発電所で発生した大規模浸水事象なども、参照事例として取り上げられました。
東京電力からは、当時、原子力設備管理部の機器部門の担当者であった H 、同土木部門の担当者であった I (当時、土本部門の課長は J )らが、これに参加して対応していました。
勉強会では、想定を超える津波に対する安全裕度等について、代表プラントを選定して、津波ハザードの評価や津波リスクの明確化を行うことなどの研究が継続的に行われました。
そして、平成18年5月11日に開催された第3回溢水勉強会では、本件原子力発電所5号機に敷地高を1メートル超える高さ(O.P. +14m)の津波が無制限に襲来した場合には、非常用電源設備や各種非常用冷却設備が水没して機能喪失し、全電源喪失に至る危険性があることが報告されました。
同年6月9日には、原子力安全・保安院及び原子力安全基盤機構の担当者により、本件原子力発電所の現地視祭が行われました。
この視祭に際して、原子力安全・保安 K 班長から5号機の非常用海水ポンプについて、余裕が無さ過ぎるとの指摘がなされました。
同年8月31日に開催された第7回溢水勉強会では、 K 班長から8月2日の安全情報検討会の結果について報告がありました。
「安全情報検討会」というのは、原子力安全・保安院と原子力安全基盤機構とが連携して、原子力施設に関する国内外の安全情報を収集するとともに、これらの情報を分析し、必要な安全規制上の対応を行う検討会です。
その検討会において、原子力安全・保安院の担当者から「耐震バックチェックでは土木学会手法でOKであったとしても、残余リスクが高いと思われるサイトでは個々の対応を考えた方がよい」というコメントがあったことが紹介されました。
溢水勉強会の内容は出席した担当者によって、逐一議事メモが作成され、資料と併せてファイルされました。
また、その結果は、上層部にも報告されていました。
溢水勉強会の状況は、電事連の総合部会においても取り上げられていました。同年9月28日に開催された第385回原子力開発対策委員会総合部会では部会長として被告人武黒が出席している中、溢水勉強会への対応状況が報告され、今後の対応などが検討されました。
原子力安全・保安院による「耐震バックチェック」の指示と東京電力の津波対策
▽耐震バックチェックの指示
平成18年9月19日、原子力安全委員会は、原子力発電所の耐震基準に関する「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」を改訂しました(以下「新指針」)。
この新指針では、「地震随伴事象について」、発電用原子炉施設は、「施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によっても、施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがないこと」を「十分考慮したうえで設計されなければならない」と指摘されました。
さらに9月20日、原子力安全・保安院は、各電力事業者に対し、既設の原子力発電所について新指針に照らした耐震安全性の評価を実施して報告を求めるいわゆる「耐震バックチェック」を指示しました。
その指示に際して、「新耐震指針に照らした既設発電用原子炉施設等の耐震安全性の評価及び確認に当たっての基本的な考え方並びに評価手法及び確認基準について」と題する「耐震バックチェックルール」が示されました。
この「耐震バックチェックルール」には、「津波の評価に当たっては、既往の津波の発生状況、活断層の分布状況、最新の知見等を考慮して、施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性がある津波を想定し、数値シミュレーションにより評価することを基本とする」と明記されていました。
▽新潟県中越沖地震の発生
「耐震バックチェック」が進行中のさなかの平成19年7月16日、新潟県中越沖地震が発生しました。この地震により、東京電力柏崎刈羽原子力発電所(以下「柏崎刈羽原子力発電所」)の使用済核燃料プールから放射性物質を含む水があふれ出し、地下の排水タンクに流れ込むなどの事故が発生し、同発電所の原子炉がすべて停止するに至りました。
7月20日、経済産業大臣は、電気事業各社に対して、「平成19年新潟県中越沖地震を踏まえた対応について」指示しました。
▽東京電力の新潟県中越沖地震対応 -「中越沖地震対応打合せ」の開催-
・「新潟県中越沖地震対策センター」の設置
東京電力では、新潟県中越沖地震による事故を契機に、原子力・立地本部原子力設備管理部内に「新潟県中越沖地震対策センター」(以下「地震対策センター」)を設置し、同センターを中心に、柏崎刈羽原子力発電所への対応だけでなく、本件原子力発電所の「耐震バックチェック」に関する業務を担うことになりました。
「耐震バックチェック」には、地震随伴事象である津波の安全性評価が含まれているため、福島第一、第二原子力発電所の津波の安全性評価を行い、津波対策を具体的に検討するのも「地震対策センター」の重要な業務のひとつでした。
地震対策センターは、 L 原子力設備管理部長の管轄下にあり、 M がセンター長となり、その下に津波評価を担当する土木調査グループ(平成20年7月1日までは「土木グループ」)と、津波対策を担当する土木技術グループ、機器耐震技術グループ、建築グループが設けられていました。
土木調査グループは、 J グループマネージャ、 N 課長、 O 主任らで構成されていました。
これを統轄する当初の原子力・立地本部本部長が被告人武黒、副本部長が被告人武藤で、平成22年6月、被告人武藤が、本部長に就任しました。
・「中越沖地震対応打合せ」の開催と被告人らの関与
このように被告人武黒、同武藤が就任していた原子力・立地本部本部長は、津波の安全性評価を含む「耐震バックチェック」業務を統轄する立場にありました。
新潟県中越沖地震による柏崎刈羽原子力発電所の上記事故は、東京電力の経営に重大な影響を及ぼすものでした。これに対処するため、「中越沖地震対応打合せ」と称する会議が開催されるようになりました。
この会議は、「地震対応全体会議」、「中越沖地震対応会議」と呼ばれることもありましたが、被告人勝俣が出席していることから、社員の間では「御前会議」と呼ばれていました。
この会議は、原子力・立地本部のスタッフのみならず、被告人ら最高経営層が直接出席して、耐震安全性についての情報を共有し、上記事故後の対応等を具体的に協議する目的で、柏崎刈羽原子力発電所の上記事故を契機に、継続的に、特別に開催されるようになったものです。
東京電力においては、業務執行に関する意思決定は、最高経営層が出席する「常務会」や「取締役会」で行われていましたが、このような会議では、会議の席上で初めて出席者に議案が知らされて議論が行われるのが通常で、議論の内容につき、事前の打合せが行われることはありませんでした。また、これらの会議には、社内の各部門から様々な条件が諮られますので、ひとつの案件に割ける時間が限られ、継続的にひとつの案件について時間をかけて議論をすることも困難でした。
柏崎刈羽原子力発電所や本件原子力発電所の耐震安全性や津波安全性を確保するという条件は、東京電力の経営にとっても、極めて重要な事項でした。
したがって、この案件を所管する原子力・立地本部の担当者に全てを委ねるのではなく、被告人ら最高経営層が一堂に会して、細部に至るまで継続的に、かつ具体的な協議を行うことが効率的であり、その必要性もあったのです。
このような理由で、「中越沖地震対応打合せ」が特別に開催されるようになりました。
「中越沖地震対応打合せ」には、
会長、社長及び副社長などの最高経営層
原子力・立地本部本部長、副本部長及び部長以下の幹部
柏崎刈羽原子力発電所及び福島第一、第二原子力発電所の各所長
らが出席し、柏崎刈羽原子力発電所の復旧・再稼働のための耐震安全性の確保等に関する検討とともに、福島第一、第二原子力発電所について、耐震安全性評価を行い、必要な対策を講じること等の具体的な検討が行われました。
「地震対策センター」の担当者は、福島第一、第二原子力発電所についても、津波の安全性評価及びその対策に関する具体的調査・検討を行い、適宜その状況を「中越沖地震対応打合せの席上、被告人ら出席者に報告していました。
「中越沖地震対応打合せ」は、被告人ら3名を含む最高経営層が参加する会議でしたから、単に情報を共有するだけでなく、席上、具体的な対応策が協議され、その結果の多くが「常務会」、「取締役会」に採用されて、最終的な意思決定がなされていました。この会議は、本件原子力発電所の運転、保安に関して、重要な役割を果たしていました。
このように、被告人らは、取締役会等の構成員としてのみならず、「中越沖地震対応打合せ」に出席して、本件原子力発電所の運転・安全保全業務に具体的に関与していたのです。
▽東京電力における「長期評価」の検討
平成19年11月ころから、地震対策センターは、長期評価の取扱に関して検討をはじめました。
N と O は、本件原子力発電所の耐震バックチェックにおける津波評価に際して、長期評価に基づいた想定津波水位を算出し、原子力安全・保安院に報告すべきかどうかについて検討し、東電設計の担当者である P と、津波評価に関する業務委託を行うにあたっての打合せを行いました。
11月21日、東電設計のP は、長期評価の見解に基づいて、房総沖地震の津波の波源モデルを用いて概略的な想定津波水位を算出した結果を東京電力側に報告しました。
その結果は、O.P. +7.7mであり、平成14年に行った津波評価による想定津波水位O.P. +5.7mを上回っていました。
そして長期評価に基づいてさらに詳細な検討をすれば、想定津波水位がさらに上回ることが予想されました。
N や O は、長期評価が地震本部という政府が地震に関する調査研究を実施するために設置した権威ある機関の見解であること、土木学会津波評価部会が行った重み付けアンケートにおいても、「どこでも発生する」という長期評価の見解を支持する考え方が多かったこと、東京電力の東通原子力発電所の設置許可申請においても、地震本部の見解を取り入れていることなどについて、共通の認識を持っていました。
そこで、津波評価に当たっては、長期評価の見解を取り上げるべきだという考えを J に伝え、 J もこれを承認しました。
こうして、平成20年1月11日、 L らの承認を得た上で、東電設計に対し、長期評価の見解に基づく日本海溝寄りプレート間地震津波の解析等を内容とする津波評価業務を委託しました。
▽O.P. +7.7mの報告
平成20年2月1日、 M 、 J は、福島第一、第二原子力発電所所長らに対する耐震バックチェック説明会を行いました。
その際、概略検討した結果から本件原子力発電所においてO.P. +7.7mとの結果が報告されていること、詳細検討を実施すればさらに大きくなる可能性があることを伝えました。
M は、このころ、被告人武藤にも、長期評価を取り込むことにより、O.P. +7.7mになることを伝えました。
M は、被告人武藤から、その対策として、「海水ポンプを建屋で囲うのがいいのではないか」などの指摘を受けました。
そして、2月16日には、被告人ら3名も出席して「中越沖地震対応打合せ」が開催されました。
M も、地震対策センター長としてこの会議に出席し、「Ssに基づく耐震安全性評価の打ち出しについて」(Ssは「基準地震動」)という報告を行いました。
その中で、「地震随伴事象である津波への確実な対応」、「津波高さ」、「見直し」、「+7 7m以上」、「詳細評価によってはさらに大きくなる可能性」、「指針改訂に伴う基準地震動Ss策定において海溝沿いモデルを確定論的に取扱うこととしたため」などと指摘しました。
この報告に対して、被告人ら3名を含む出席者からは、特段の異論はなく、耐震バックチェックにおいて長期評価の見解を取り上げる地震対策センターの方針が了承されました。
このような経過で、被告人ら3名は、「地震随伴事象である津波」に関する情報とその問題点を具体的に共有するようになったのです。
▽ Q 教授の意見
平成20年2月26日 N は、東北大 Q 教授を訪問し、「長期評価」について、意見を聴きました。 Q 教授は、「福島県沖海溝沿いで大地震が発生することは否定できないので、波源として考慮すべきである」、「津波地震の波源モデルは三陸沖と房総沖を使う」と指摘しました。
▽耐震バックチェック中間報告の内容
平成20年3月31日、東京電力は、原子力安全、保安院に対して、本件原子力発電所5号機に関する耐震バックチェック中間報告を提出しました。
この中間報告では、津波に対する安全性には触れられていませんでした。
同日、被告人武藤も出席して、福島県に対して「耐震バックチェック中間報告」の説明を行い、津波の評価については、最終報告にて行う、最新の知見を踏まえて安全性の評価を行うことを確約しました。
上記中間報告において、本件原子力発電所の基準地震動の策定に際しては、地震本部の見解を取り入れていました。
想定津波水位の計算結果とこれに対する被告人らの対応
▽O.P. +15.707mの衝撃
中間報告に先立つ、平成20年3月18日、東電設計から、東京電力に対して、地震本部の長期評価を用いて、明治三陸沖地震の波源モデルを福島県沖海溝沿いに設定した場合の津波水位の最大値が敷地南部でO.P. +15.707mとなる旨の計算結果が、詳細な資料とともに示されました。
本件原子力発電所の1号機から4号機は、O.P. +10mの高さに設置されているのですから、この計算結果は、敷地の高さを超えて津波が襲来するという衝撃的なものでした。
この計算結果によれば、 当然、原子炉・タービン建屋内に海水を浸水させない対策が必要になります。
N は、この結果を J に報告し、J の指示を受けて、東電設計に対し、敷地への津波の遡上を防ぐため、敷地にどの程度の防潮堤を設置する必要があるのかの検討を早急に行うよう依頼しました。
これを受けて、同年4月18日、東電設計は東京電力に対し10m盤の敷地上に1号機から4号機の原子炉・タービン建屋につき、敷地南側側面だけでなく、南側側面から東側全面を囲うように10メートル(O.P. +20m)の防潮堤(鉛直壁)を設置すべきこと、5号機及び6号機の原子炉・タービン建屋を東側全面から北側側面を囲うように防潮堤(鉛直壁)を設置すべきことなどの具体的対策を盛り込んだ検討結果を報告しました(別図6参照)。
この結果は、直ちに J に報告され、同年6月2日には、 L にも報告されました。
このほかにも、東京電力は、東電設計に対し、10メートルの敷地上に津波が襲来するとの計算結果を踏まえて、様々な津波対策の解析を依頼しました。
同年5月18日には、数値解析の観点から、津波水位を低減できないかの検討、さらに既存防波堤の付け根に津波減勢効果のありそうな防波堤を新たに設置する場合の解析を依頼しました。
同年6月5日には、沖合防波堤を新たに設置した場合の検討も依頼しました。
▽被告人武藤への報告
このように、東電設計の検討結果は、大がかりな対策工事を必要とする内容であり、予算上だけでなく、地元等に対する説明上も非常に影響が大きい問題であることから、被告人武藤に報告して判断を仰ぐことになりました。
平成20年6月10日、 L 、 M 、 J 、 N 、 O 及び機器耐震技術グループ、建築グループ、土木技術グループの担当者が出席し、被告人武藤に、地震本部の長期評価を取り上げるべきとする理由及び対策工事に関するこれまでの検討内容等を資料を準備して報告しました。
資料の中には、土木学会の津波評価部会の第2期の津波ハザード解析に関する検討結果を基に東電設計が計算した結果から作成した「津波ハザード曲線(福島第6号機)」と題するグラフも含まれていました。
このグラフは、本件原子力発電所において、O.P. +10mを超える津波が来る確率が1万年に1回から10万年に1回と算出されていました。原子力安全委員会安全目標専門部会は、すでに平成18年の時点で、発電用軽水型原子炉の性能目標の定量的な指標値として、炉心損傷頻度を1万年に1回程度、格納容器機能喪失頻度を10万年に1回程度に設定していました。また、平成18年の耐震設計審査指針の改訂では、基準地震動の策定にあたっては、当該指標値を参照することとされていました。言うまでもなく、年超過確率の基本的な考え方は、津波も地震も同じで、この指標値は、確率論的津波評価に際しても参照されるべき数値なのです。この計算結果は、津波と地震という違いはあるもののO.P. +10mを超える津波が来る確率と、基準地震動を超える地震が発生する確率がほぼ同等であることを示していたのです。
J 、 N が行った、地震本部の長期評価を採用して、津波対策を講じる方向での説明に対し、被告人武藤は結論を示さず、
・津波ハザードの検討内容について詳細に説明すること、
・4m盤への遡上高さを低減するための概略検討を行うこと、
・沖合に防渡堤を設置するために必要となる許認可を調べること、
・平行して機器の対策についても検討すること、
を指示したため、 J らは、上記事項をさらに検討した上、改めて報告を行うことになりました。
N らは、同日、被告人武藤の指示を受けて、東電設計に対して、既設の防波堤をかさ上げした場合に、取水口前面と取水ポンプ位置での低減効果があるか否かの検討を依頼しました。これに対して、東電設計は、同年8日、それまでに検討した対策工をとりまとめた資料を作成し、東京電力に交付しました。
その資料中には、沖合防波堤を新たに設置した場合、津波水位を数メートル程度低減できることが示されていますが、このときの検討も1号機から4号及び6号機の南側のみならず全面に防潮堤(鉛直壁)を設置することを前提とするものでした。
7月8日には、 さらに、津波の進入方向に対して垂直に沖合防波堤を設置するケースで高さ10mという前提で港湾の船舶の出入りを妨げないようにしながらさらに、津波の進入を防ぐような構造の防波堤の検討が依頼されました。これらの検討結果7月22日、報告されました。
▽被告人武藤による方針変更
平成20年7月31日、J 及び N らは、改めて被告人武藤に対し6 月10日に指示された項目についての検討結果を報告しました。
J らは、それまでに作成した資料に基づいて
・4m盤への遡上を低減させるための方策、
・沖合の防渡堤の設置に伴う許認可の内容と必要とされる期間、
・想定津波水位について房総沖地震の波源モデルを用いる可能性、
・日本原子力発電や東北電力等の関係各社の検討状況、
・津波ハザード曲線の算出方法、
などについて説明しました。
被告人武藤は、この報告を聞いて、
・福島県沖海溝沿いでどのような波源を考慮すべきかについては、時間をかけて土木学会に検討してもらうこと、
・当面の耐震バックチェックについては、従来の土木学会の津波評価技術に基づいて行うこと、
・この方針について、専門家の了解をえること、
という方針を指示しました。
この被告人武藤の指示により、地震本部の長期評価に基づいて、津波対策を講じるべきとする土木調査グループの意見は採用されないこととなりました。
このことは、それまで土木調査グループが取り組んできた10m盤を超える津波が襲来することにそなえた対策を進めることを停止することを意味していました。
原子力発電所の津波安全性評価は、従来より「襲来する可能性のある津波」が襲来しても安全性を損なうおそれがないかどうかでなされていました。
本件原子力発電所についての津波高さの評価は、
設置許可時 O.P. +3.122m
平成6年 O.P. +3.5m
平成14年 O.P. +5.7m
と変遷してきましたが、東京電力では、その都度、「いつ」そのような津波が襲来するかを考えるまでもなく、津波対策の必要性を判断し、これに対処してきていました。
現に、平成14年には、非常用海水ポンプ電動機を20cmかさ上げする等の工事を行っています。
ところが、長期評価に基づいて10m盤を超える津波が襲来するという計算結果が出ると、従来の姿勢とはうって変わって、土木学会に検討を委ねて、津波対策を先送りにしたまま、漫然と本件原子力発電所の運転を継続したのです。
▽被告人武黒への報告
被告人武藤は、平成20年8月上旬ころ、津波水位の最大値が敷地南部でO.P. +15.707mなる旨の計算結果を、被告人武黒に報告しました。
▽房総沖地震の波源モデルに基づく O.P. +13.552mの計算結果
平成20年7月31日に被告人武藤から方針が示された後も、 N は J の指示に基づいて、東電設計に対し、房総沖地震の波源モデルに基づく想定津波水位の算出を依頼しました。
同年8月22日、東電設計から、地震本部の長期評価を用い、房総沖地震の波源モデルを福島県沖海溝沿いに設定した場合の津波水位は、本件原子力発電所敷地南部O.P. +13.552mとなる計算結果が示されました。
この時点で、地震本部の長期評価を取り入れる限り、明治三陸沖地震の波源モデルを用いようと、房総沖地震の波源モデルを用いようと、想定津波水位は、原子炉建屋等の敷地高(O.P. +10m)を上回ることが明確に示されたのでした。
そしてこの波源モデルを房総沖地震とするという考え方は、後に述べるように、被告人らが依拠していた土木学会津波評価部会も、平成22年12月上旬には、これを採用するに至るのです。
▽耐震バックチェック説明会での説明
平成20年9月10日、本件原子力発電所の所長らに対して「耐震バックチェック説明会」が行われました。
O は、資料に基づいての長期評価の取扱いに関する説明をしました。資料の「今後の予定」には、「地震及び津波に関する学識経験者のこれまでの見解及び推本の知見を完全に否定することが難しいことを考慮すると、現状より大きな津波高を評価せざるを得ないと想定され、津波対策は不可避」と記載されていました。
▽「中越沖地震対応打合せ」におけるL 発言
平成21年2月11日、被告人ら3名も出席して、「中越沖地震対応打合せ」が開催されました。 M が、中越沖地震対策センター作成の「福島サイト耐震安全性評価に関する状況」という資料に基づいて説明を行いました。
配布された資料の中には、本件原子力発電所の耐震バックチェックの最終報告見込み時期として、1号機を平成22年4月、2号機を平成24年11月、3号機を平成23年8月、4号機を平成23年3月、5号機を平成23年1月、6号機を平成24年5月、最終報告を平成24年11月とする旨の記載があり、「地震随伴事象(津波)」については最終報告で触れることとされていました。
またこの資料には、地震随伴事象(津波)のところに書記役・ R の手書きで「問題あり だせない(注目されている)」などの記載があります。
席上、「1F、2Fのバックチェックの状況」(1Fは「福島第一原子力発電所」2Fは、「福島第二原子力発電所」)についての議論では、被告人勝俣の「最終報告とは工事まで終了しているということか」との質問から議事が進み、その議事過程で L は、「土木学会評価でかさ上げが必要となるのは、1F5 、6のRHRS(残留熱除去海水系)ポンプのみであるが、土木学会評価手法の使い方を良く考えて説明しなければならない。もっと大きな14m程度の津波がくる可能性があるという人もいて、前提条件となる津波をどう考えるかそこから整理する必要がある」と注目すべき発言を行いました。
被告人勝俣は、L のこの発言を明確に聴きました。
「中越沖地震対応打合せ」では、それより以前から継続的に福島第一、第二原子力発電所の地震や津波の安全性評価等について報告や議論がなされ、情報が共有されてきていたのですから、このような津波水位に関する発言は極めて重大な情報でした。
被告人勝俣は、このような発言を聴いた限り、少なくともこれ以降、本件原子力発電所の津波安全性評価に関する詳細な情報を収集するなどして、 これに対応すべきでした。そうすることによって、原子力・立地本部本部長であった被告人武黒や副本部長であった被告人武藤に対しても、上記 L 発言の趣旨を確認し、被告人武黒、被告人武藤と同様の認識をするに至ることができたのです。
▽平成20年8月以降の検討
N ら土木調査グループは、被告人武藤の指示に従って、平成20年8月以降、土木学会に地震本部の長期評価の取扱いを検討してもらうために、平成21年度からの電力共通研究として研究委託を行う手続を行いました。
また、同年10月以降、 S 日本大学教授、 G 教授、 T 秋田大学准教授、 Q 教授、 E 教授ら専門家に対して意見を聞くことなどを行いました。
その間、被告人ら3名が出席する「中越沖地震対応打合せ」において、津波評価を伴う耐震バックチェックヘの対応について協議が続けられていました。
被告人らは、「中越沖地震対応打合せ」の席上だけでなく、株主総会に向けての準備グループ経営会議、常務会等の会議において、担当者から、本件原子力発電所の津波安全性評価を含む運転・安全保全業務に関する報告を受け、資料の配布を受けるなど、被告人らには、頻繁に本件原子力発電所の津波安全性評価に関する情報が提供されていました。
こうしたなかで、「耐震バックチェック」の最終報告を延期することや、津波対策費用については、数値を確定してからでないと定まらないとの理由で、検討を要する事項とすることなどが確認されました。
このような諸事情は、上記会議等に出席していた被告人らが、本件原子力発電所の津波安全性評価に関する情報を収集することができ、またすべきであったことを示しています。
土木学会第3期、第4期津波評価部会における検討
▽第3期津波評価部会による確率論的リスク評価手法の検討
原子力安全委員会においては、地震動に対する耐震安全性評価における確率論的評価(「確率論的安全評価」Probabilistic Safty Assessment : PSA)の導入が議論されており、津波に対する安全性評価についても確率論的評価が必要になると考えられていました。
東京電力等においても、確率論的津波評価の実用化に向けてモデルの高度化と標準化の必要性が認識され、土木学会に対して、その研究を委託しました。
こうして、平成19年1月から平成21年3月までの間に開催された第3期津波評価部会では、引き続き、確率論的津波ハザード解析の検討が行われました。
この調査研究の過程で、津波の発生領域については、津波評価技術のほか、地震本部の長期評価や当時進展が見られた貞観地震の知見も考慮され、第2期同様に、波源の選定に関する「重み付けアンケート」が行われました。このアンケートでは、
1.三陸沖と房総沖のみで発生するという見解
2.津波地震がどこでも発生するが、北部に比べ南部ではすべり量が小さいとする見解
3.津波地震がどこでも発生し、北部と南部では同程度のすべり量の津波地震が発生する
という見解の3つの選択肢で実施されました。
平成21年2月23日、「重み付けアンケート」の結果が報告され、地震学者等専門家の回答は、1.に最も重みを付けた学者が5名、2.に最も重みを付けた学者が4名で、3.に最も重みを付けた学者が2名で、その平均値は、1.が0.35、2.が0.32、3.が0.33で、2と3を合計すると0.65で、津波地震がどこでも発生するという考え方が、三陸沖と房総沖のみで発生するという見解を大きく上回っていました。
こうして第3期津波評価部会は、その成果として、津波ハザード解析の手法について、第2期の成果も含めた中間的な取りまとめとして、同年3月、「確率論的津波ハザード解析の方法(案)」をまとめました。
この解析方法は、各原子力発電所における確率論的津波評価を実施できるだけの精度に達していました。
こうしたことから、東京電力は、同年12月、東電設計に対して本件原子力発電所、福島第二原子力発電所、柏崎刈羽原子力発電所について、上記津波ハザード解析に関する検討結果に基づいた津波ハザード評価を委託しました。
その結果、本件原子力発電所4号機の評価地点において、10メートルを超える津波の年発生頻度は1万年に1回から10万年に1回の15メートルを超える津波の年発生頻度は10万年に1回から100万年に1回との結果が、遅くとも平成22年12月頃までには算出され、東京電力に報告されました。
この結果も、平成20年の1度目の津波ハザード評価と同様、平成18年に原子力安全委員会安全目標専門部会が示した指標値に照らすと、本件原子力発電所の保全のために取り込むべき数値でした。
▽第4期津波評価部会における津波評価技術の改訂
土木学会第4期津波評価部会は、東京電力等から、「津波評価技術の体系化に関する研究(その4)」の委託を受け、平成21年11月から、その調査・研究を開始しました。
主査には、 S 教授が就任し、委員の中には委託元である東京電力をはじめ、中部電力、関西電力等の電力会社の社員も含まれていました。
部会では、最新の知見を踏まえて確定論に基づく津波評価技術を改訂するとともに、確率論的津波評価について標準的手法を示すことを目的として、津波評価技術の改訂についての検討等が行われました。
福島県沖日本海溝沿いにおける基準断層モデルの設定方法も検討課題とされ、地震本部の長期評価を確定論としてどのように取り込むかが、主題として審議されました。
平成22年12月7日、土木学会津波評価部会幹事団は、同日開催された部会会議に、「波源モデルに関する検討」と題する報告書を提出しました。
この幹事団の中には、東京電力の N 、 O 、東電設計の U らも含まれていました。
この中で、三陸沖~房総沖海溝寄りのプレート間大地震の波源については、南部は、1677年房総沖地震を参考に設定する旨の報告がされ、この内容につき、出席した地震学者らからは、異論はありませんでした。
地震本部の長期評価を用い、房総沖地震の波源モデルを福島県沖海溝沿いに設定すると、本件原子力発電所敷地南部での津波水位がO.P. +13.552mとなるとの計算結果は、すでに2年以上前の平成20年8月22日、東電設計から示されていたことは、前述しました。
福島地点津波対策ワーキング会議の開催
平成22年8月、 N は、 M の後任である V 新潟県中越沖地震対策センター長らに対し、地震対策プロジェクトグループ全体を取りまとめて、その下で各グループが検討を進めることが必要である旨の進言をしました。
こうして、同年8月27日、第1回福島地点津波対策ワーキング会議が開催され、土木調査グループからは N 、 O が出席しました。
同年12月6日には第2回、平成23年1月13日には第3回、同年2月14日には第4回が開催されました。
第3回の会議において、 O は、土木学会津波評価部会で、地震本部の見解に対応した波源として、日本海溝南部では、当初海溝沿いで最も大きな津波を発生させる三陸沖北部の波源を想定していたが、 日本海溝南部は北部と特徴が異なることから、房総沖の波源を用いることが提案されたこと、上記提案には異議がなかったこと、この場合でも、本件原子力発電所の敷地南部からの遡上については、11m程度であることから、敷地高さの10mを超えてタービン建屋が浸水する可能性があることなどを報告しました。
第4回の会議において、土木調査グループは、「1677年房総沖」津波による浸水イメージをもとに、津波解析を実施すること、土木耐震グループは、津波対策工の成立性を検討していくことなどを報告しました。
しかし、平成23年3月11日までに、具体的な津波対策が現実に開始されることはありませんでした。
長期評価の改訂
平成23年2月下旬、 N は、文部科学省から地震本部の長期評価を改訂する予定であることの事前説明をするとの連絡を受けました。文部科学省からの連絡を受けた後の2月22日、原子力安全・保安院原子力発電安全審査課耐震安全審査室の W 審査官から連絡を受け、 N は W 審査官と打合せを行いました。
W 審査官から、文部科学省は同年4月に長期評価を改訂して公表することを予定していること、改訂される内容によっては電力事業者に対して何らかの指示を出す可能性もあること、まずは東京電力の検討状況を聞きたいと言われました。
N は、東京電力にとって影響の大きい話であると考え、すぐに被告人武藤も含めた幹部に W 審査官の話を伝えました。
原子力安全、保安院による東京電力に対するヒアリング
平成23年3月7日、 N らは、原子力安全・保安院の X 耐震安全審査室長、 W 審査官らと面会しました。
席上、 X らは、地震本部が同年4月中旬に予定している「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価」改訂版の公表に対する東京電力の対応についてヒアリングを行いました。
N は、土木学会津波評価部会においても、「北部では『1896年明治三陸沖』、南部では『1677年房総沖』を参考に設定する方針に異論なし」とされていることを説明するとともに、「明治三陸沖」で評価したときは、本件原子力発電所南側でO.P. +15.7m、「房総沖」で評価したときは、O.P. +13.6mの津波が予想され、タービン建屋等が浸水するとの分析結果がすでに出ていることを資料を示して説明しました。 X らは、この説明に驚き、早急に対策が必要である旨の指導をしました。しかし、東京電力では何らの対応策も講じることはありませんでした。
そして、その4日後に本件地震が発生し、O.P. +10mを超える津波が襲来したのです。
まとめ
▽東電設計による津波評価の計算結果は、本件原子力発電所に10m盤を超える高さの津波が襲来することを示すものでした。被告人武藤は平成20年6月10日、被告人武黒も遅くとも同年8月上旬には、上記計算結果を実際に認識していました。
しかも、被告人らが出席する「中越沖地震対応打合せ」等が継続的に行われ、席上、本件原子力発電所に関する様々な情報が報告され、とりわけ平成21年2月11日には、当時原子力設備管理部長であった L が「もっと大きな14m程度の津波がくる可能性があるという人もいて」などと発言しているのですから、被告人勝俣も上記事実を知ることができました。
このような状況である限り、被告人勝俣は、継続して本件原子力発電所の安全性に係る会社内外の情報を常に収集することによって、東電設計の計算結果の重大性は、十分に認識できました。被告人武黒も同様です。
このように被告人らは、いずれも本件原子力発電所に10m盤を超える津波が襲来し、これにより同発電所の電源が喪失するなどして、炉心損傷等の深刻な事故が発生することを予見できたのです。
そして万一、被告人らが、東電設計の計算結果や L 発言を軽視し、安全性評価や津波対策についての情報を収集することや共有することを怠り、適切な措置を講じることの必要性を認識していなかったというのであれば、そのこと自体、明らかに注意義務違反です。
▽さらにまた、被告人らは、長期評価の取扱いについては、土木学会に検討を依頼し、その検討結果に基づいて、その時点で必要と考えられる津波対策工事を行う方針であったと主張するもののようです。しかし、土木学会においても、三陸沖~房総沖海溝寄りのプレート間大地震の福島県沖の波源については、房総沖地震を参考に設定することとされ、しかも、この方法による本件原子力発電所敷地の津波水位は、すでに平成20年8月の時点でO.P. +13.552メートルであるとの計算結果が明らかとなっていたのです。
仮に被告人らの主張を前提としても、上記方針は被告人らが自ら設定したのですから、被告人らはこのような諸情報については、当然に報告を受けていたと推認することができます。もし、被告人らがこのような土木学会の状況などの報告を求めず、その状況を把握していなかったとすれば、 このこともまた、なお一層、被告人らの注意義務違反となるのです。
▽被告人らは、発電用原子力設備を設置する事業者である東京電力の最高経営層として、本件原子力発電所の原子炉の安全性を損なうおそれがあると判断した上、防護措置その他の適切な措置を講じるなど、本件原子力発電所の安全を確保すべき義務と責任を負っていました。運転停止以外の「適切な措置」を講じることができなければ、速やかに本件原子力発電所の運転を停止すべきでした。
それにもかかわらず、被告人らは、何らの具体的措置を講じることなく、漫然と本件原子力発電所の運転を継続したのです。被告人らが、費用と労力を惜しまず、同人らに課せられた義務と責任を適切に果たしていれば、本件のような深刻な事故は起きなかったのです。指定弁護士は、本法廷において、このような観点から、被告人らの過失の存在を立証します。
以上
旧経営陣弁護側 冒頭陳述 全内容
3人の共通の主張
3人には、予見可能性、予見義務、結果回避義務及び因果関係がいずれも認められない。
平成23年3月11日当時、福島第一原子力発電所では、法令により要求された安全性を確保する津波対策が実施されていたことはもとより、地震学や津波工学等の専門家集団である土木学会等の見解を踏まえて、津波に対する安全性をさらに高める対策が既に実施されていた。それだけでなく、あらためて土木学会等の見解を得て、津波に対する安全性をより一層積み増すための取組みが進められていたところ、その途上で平成23年3月11日を迎えた。
検察官役の指定弁護士は、主に、平成14年7月31日に地震本部の地震調査委員会が公表した長期評価や、長期評価を踏まえた東電設計による津波水位計算の結果によって、被告らに予見可能性が生じたと主張する。
しかし、長期評価は、福島県沖の海溝寄りに津波地震が発生することの予見可能性を生じさせるような信頼性及び成熟性を持つものではなかった。また、長期評価を踏まえた東電設計による津波水位計算は、試行的に行われた「試計算」と位置づけられるものであり、計算結果どおりの津波が襲来することの予見可能性を生じさせるものではなかった。
さらに、結果回避措置を動機付ける予見可能性があったと認められるためには、現に襲来した津波による本件事故の発生を防止できる内容の結果回避措置を動機付けるに足りる津波の予見可能性が必要である。
しかし、平成23年3月11日に福島第一原発に襲来した津波は、長期評価も全く想定していなかった規模の巨大地震によって引き起こされた巨大津波であり、仮に東電設計による試計算結果に対応した津波対策工事が実施されていたとしても、本件事故の発生を防止することはできなかった。
したがって、長期評価及びそれを踏まえた東電設計による試計算結果は、本件事故の発生を防止できる内容の結果回避措置を動機付けるに足りる津波の予見可能性を生じさせ得るものではなかったから、この点からも、被告らに予見可能性が生じていたとは認められない。
そのうえ、仮に、東電設計による試計算結果に対応する限度での予見可能性、予見義務及び結果回避義務が生じたと解される場合であっても、試計算結果に対応する限度での津波対策工事を実施しても本件事故の発生を防止することはできなかったのだから、本件事故は、およそ予見の余地がなかった危険が現実化したものである。
したがって、指定弁護士が主張する注意義務違反と結果との因果関係も認められない。
以下、福島第一原発における法令によって要求された安全性を確保する津波対策の実施状況について述べる。
昭和41年12月1日、福島第一原発の1号機について、原子炉等規制法第23条第1項による設置許可処分がなされた。以降、同法26条第1項により、2号機ないし6号機の増設に係る設置変更許可処分がなされた。
各号機の設置許可申請及び設置変更許可申請に対しては、内閣総理大臣の諮問を受けた原子力委員会による審査が行われ、その審査に際して、当該施設の基本設計ないし基本的設計方針において津波に対する安全性が確保されているかについても確認された。
1号機の設置許可申請並びに2号機及び3号機の増設に係る設置変更許可申請に際して、東京電力は、小名浜港でチリ地震津波の際に観測された既往最大潮位であるO.P.+3.122mを設計に用いる設計津波水位とした上で、敷地の最も低い部分をO.P.+4mの高さと設計した。そして、審査の結果、1号機ないし3号機について「本原子炉の設置に係る安全性は十分に確保し得るものと認める」とされて、各号機の設置ないし増設に係る許可処分がなされた。
昭和45年4月、原子力委員会は、「軽水炉についての安全設計に関する審査指針」を決定した。その後の4号機ないし6号機の増設に係る設置変更許可申請に対する安全審査は、この安全設計審査指針に基づいて行われた。津波に対する安全性については、1号機ないし3号機に係る許可処分がなされた時と同様に、O.P.+3.122mを設計津波水位とした上で敷地の最も低い部分をO.P.+4mの高さと設計することで、安全設計審査指針が要求する「過去の記録を参照にして予測される自然条件のうち最も苛酷と思われる自然力」に対する安全性が確保されるものと認められて、4号機ないし6号機の増設に係る設置変更許可処分がなされた。
以上の許可処分は、平成23年3月11日に至るまで効力を有しており、福島第一原発の各号機は、津波に対する安全性が確保されているものと認められて運転することが許容されていた。 もっとも、東京電力は、決して法令によって要求される安全性を確保するだけで福島第一原発の津波対策を終えていたわけではなかった。
平成10年3月、国土庁をはじめとする国の関係7省庁は、「地域防災計画における津波対策強化の手引き」を取りまとめた。
これは、防災に携わる行政機関による地域防災計画における津波対策の強化を図るために、津波防災対策の基本的考え方等について取りまとめたものであった。つまり、電気事業者に対して、原子力発電所における設計津波水位の見直しを直接求めるものではなかった。
もっとも、東京電力を含む電気事業者10社は、原子力発電所の安全性、信頼性をより一層高めていく観点から、設計津波水位の設定について、これを機に従前の知見や技術を集大成した標準的手法を確立すべきであると考えた。そして、平成11年9月、土木学会に対して、津波評価技術の体系化に関する研究を委託した。その研究の成果として、平成14年2月に土木学会によって「津波評価技術」が策定された。
津波評価技術は、地震学や津波工学等の様々な分野の専門家が、それまでに培った知見を集大成して、原子力発電所の設計津波水位の標準的な設定方法を提案したものであった。その手法は、7省庁手引きに示された内容を踏まえた上で、それを補完するものであり、後には世界で最も進歩しているアプローチとの評価も受けた。
津波評価技術の手法は、具体的には、実際に発生した津波の記録、痕跡等を基に、同じ領域で発生した既往最大の津波を再現する規模の波源モデルを設定した上で、波源の不確定性、数値計算上の誤差、地形データ等の誤差を考慮するために、「パラメータスタディ」と呼ばれる、その波源モデルの位置や向きなどの様々なパラメータを合理的な範囲内で変動させる多数の数値シミュレーションを実施した上で、評価の対象地点に対して最も影響が大きくなる波源モデルを選定するものであった。津波評価技術のこのような手法による設計津波水位は、そのすべてが既往最大津波の痕跡高を上回り、平均的には既往最大津波の痕跡高の約2倍となるものであった。
この津波評価技術の手法は、平成23年3月11日当時も、工学的見地から原子力発電所における安全設計の検討に用いるのに適切な確立された唯一の津波評価手法であり、福島第一原発を含む国内の原子力発電所の標準的な津波評価手法として定着していた。
そして、津波評価技術が策定された後には、東京電力は、津波評価技術の手法による津波水位評価を実施した。その結果、福島第一原発では6号機の取水ポンプ位置における津波水位がO.P.+5.7mとなったので、東京電力は、その評価結果に基づく津波対策工事を実施した。
この津波評価技術の手法による津波水位評価と津波対策工事は、法令上の義務は果たされていることを前提に、安全性をさらに高める対応であった。
津波評価技術が策定された後の平成14年7月31日、地震本部の地震調査委員会は長期評価を公表した。
長期評価は「三陸沖北部から房総沖の海溝寄りのプレート間大地震について、「三陸沖北部海溝寄りから房総沖海溝寄りにかけてどこでも発生する可能性がある」との前提に立って発生確率を推定した。
しかし、長期評価は、津波地震が海溝寄りの「どこでも発生する可能性がある」とすることの根拠を示してはいなかった。さらに、長期評価が公表されるのに先立って、津波地震が海溝寄りの「どこでも発生する可能性がある」との前提に立った確率計算結果が公表されることについて、内閣府からは「非常に問題が大きい」として疑問が呈された。長期評価が公表された後も、長期評価の成熟性について専門家から疑問が呈され、平成18年1月25日に中央防災会議の「日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震に関する専門調査会」が公表した報告書では、津波地震が海溝寄りのどこでも発生するとは想定されなかった。
このように、長期評価は、福島県沖の海溝寄りで津波地震が発生することについて、予見可能性を生じさせるだけの信頼性及び成熟性を持つものではなかった。さらに、長期評価は、断層の位置、すべり量、傾斜角等の、原子力発電所の津波に関する安全設計を検討するための十分な情報を示してもいなかった。したがって、長期評価に基づいて津波に関する具体的な安全性評価や対策を直ちに行うことは不可能であった。
平成18年9月19日、原子力安全委員会は、耐震設計審査指針の改訂版を公表し、翌9月20日、原子力安全・保安院が電気事業者に対して耐震バックチェックの実施を指示した。
改訂された耐震設計審査指針は、それ以後の設置許可申請等に対する安全審査に用いることを第一義的な目的とするものであり、既存の施設の安全審査のやり直しを必要とするものではなかった。また、既存の施設の設置許可等を無効とするものでもなかった。
そして、既存の施設については、従来から、耐震設計審査指針への適合性はもとより、最新の知見を踏まえた安全審査等が行われており、耐震安全性は確保されていると考えられることを前提とした上で、耐震安全性の信頼性の一層の向上を図っていくために、法令に基づく規制行為の外側で電気事業者が自主的に実施すべき活動として、耐震バックチェックが実施されることになった。
耐震バックチェックの実施に際しては、原子力安全・保安院によって、「評価及び確認にあたっての基本的な考え方並びに評価手法及び確認基準」が示され、その内容が「バックチェックルール」と呼ばれていた。そのバックチェックルールで採用された津波の想定及び数値シミュレーションの具体的な手法は、津波評価技術と同内容のものであった。この点からも、津波評価技術が国内の原子力発電所の標準的な津波評価手法として定着していたことが裏付けられる。
以後、東京電力においても耐震バックチェックへの対応が進められた。津波水位評価については、原子力・立地本部の原子力設備管理部に設けられた新潟県中越沖地震対策センターのうち土木グループに所属する従業員によって、検討が進められた。
その検討の過程において、平成20年2月ないし4月頃、東電設計によって、明治三陸沖地震の波源モデルを仮想的に用いた試計算が行われた。その試計算を東電設計に委託するのに先だって、東京電力として、耐震バックチェックにおける津波水位評価に関して何らかの方針を決定した事実はない。平成20年2月16日に開かれた東京電力の中越沖地震対応打ち合わせの配付資料の中には、「津波高さ」、「見直し」、「+7.7m以上」等の記載のある資料が含まれていた。しかし、その内容が口頭で報告されたり議論されたりしたことはなく、打ち合わせにおいて津波水位評価や津波対策工事についての何らかの方針が決定されたこともなかった。
東電設計による試計算が行われた当時、東京電力は、津波評価技術に基づいて福島第一原発の設計津波水位を設定していた。そして、土木学会によって策定された津波評価技術では、福島県沖の海溝寄りに津波地震が発生するとは想定されておらず、福島県沖の海溝寄りに波源モデルは設定されていなかった。東電設計による試計算は、耐震バックチェックへの対応を検討する過程で、津波評価技術と異なる前提に立って福島県沖の海溝寄りに明治三陸沖地震の波源モデルを置いてパラメータスタディを行ってみた場合にはどのような津波水位になるのかを把握しておくために、試行的に行われたものであった。
指定弁護士は、被告らに予見可能性が生じたことの根拠として、東電設計による試計算を挙げている。しかし、前述したとおり、土木学会によって策定された津波評価技術では、福島県沖の海溝寄りに津波地震の発生が想定されていなかった。そして、長期評価は、福島県沖の海溝寄りで津波地震が発生することについて、予見可能性を生じさせるだけの信頼性及び成熟性を持つものではなかった。したがって、東電設計の試計算は、計算結果どおりの津波が襲来することの予見可能性を生じさせるものではなかった。
以上のとおり、長期評価及びそれを踏まえた東電設計による試計算結果は、そもそも福島県沖の海溝寄りに津波地震が発生することや試計算結果どおりの津波が襲来することの予見可能性を生じさせるものではなかったが、仮に、東電設計による試計算結果に対応した津波対策工事が実施されていたとしても、本件事故の発生を防止することはできなかった。
したがって、東電設計による試計算結果は、本件事故の発生を防止できる内容の結果回避措置を動機付ける予見可能性を生じさせるものではなかった。
すなわち、長期評価が海溝寄りの「どこでも発生する可能性がある」との前提に立って発生確率を推定した津波地震は、規模は津波マグニチュード8.2前後とされ、震源域の長さは200km程度、震源域の幅は50km程度とされていた。
そして、長期評価を踏まえた東電設計による試計算結果のうち、明治三陸沖地震の波源モデルを用いた試計算結果におけるO.P.15.707mとの数値や、後術する延宝房総沖地震の波源モデルを用いた試計算結果におけるO.P.+15.707mとの数値や、後述する延宝房総沖地震の波源モデルを用いた試計算結果におけるO.P.+13.552mとの数値は、いずれも、福島第一原発の敷地南側における津波水位についての数値であった。各試計算による津波の挙動に関するシミュレート結果は、敷地南側で最高水位となった津波が南側から10m盤に遡上し、そこから順に北側へと流れていくものであった。このように福島第一原発に津波が襲来した場合に敷地のうち南側の水位が高くなるのは、決して偶然によるものではなく、福島第一原発周辺の海底地形等に由来するものであった。したがって、東電設計による試計算結果に応じて10m盤への津波の遡上を防ぐための防潮堤を設置するとしたら、津波が遡上してくる敷地南側に防潮堤を設置する措置が講じられるにとどまることが明らかであった。
これに対して、平成23年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震は、規模は津波マグニチュード9.1ないし9.4、震源域の長さは約400km以上、震源域の幅は約200kmであった。このように、東北地方太平洋沖地震は、試計算において前提とされた明治三陸沖地震とは全く規模が異なるものであった。
前述したとおり、土木学会によって策定された津波評価技術は、福島県沖の海溝寄りに津波地震の発生を想定していなかった。東北地方太平洋沖地震は、その福島県沖の海溝寄りの領域だけではなく、津波評価技術や長期評価が個別に評価対象としていた周辺の領域が連動して一挙にすべったことによる、明治三陸沖地震とは発生の機序も規模も異なる巨大地震であった。 そのような巨大地震が発生することについては、長期評価を公表していた地震本部の地震調査委員会も、地震発生当日に、「宮城県沖・その東の三陸沖南部海溝寄りから南の茨城県沖まで個別の領域については地震動や津波について評価していたが、これらすべての領域が連動して発生する地震については想定外であった」と表明した。さらに、地震調査委員会は、地震発生の約8か月後に公表した長期評価の第2版においても、「これまでの海溝型地震の長期評価手法では、2011年東北地方太平洋沖地震を予測することができなかった」と表明した。 また、中央防災会議の専門調査会が平成23年9月28日に公表した報告書も、「今回の津波は、従前の想定をはるかに超える規模の津波であった。我が国の過去数百年間の地震の発生履歴からは想定することができなかったマグニチュード9.0の規模の巨大な地震が、複数の領域を連動させた広範囲の震源域をもつ地震として発生したことが主な原因である」とした。地震学者らも、マグニチュード9クラスの地震は全くの想定外であったことを前提に、地震発生後にその原因を検証している。そのように全く想定されていなかった規模の巨大地震によって、全く想定されていなかった巨大津波が引き起こされた。専門家によれば、東北地方太平洋沖地震における断層破壊で持ち上がった海水量は、単純計算で1000㎦にもなる。これは、明治三陸沖地震の際に持ち上げられた海水量の約10倍にもなると言われている。現に襲来した津波がそのような巨大なものであったために、福島第一原発の敷地には、敷地の南側のみならず東側全面から一気に10m盤に津波が遡上した。
このような現に襲来した規模の津波による本件事故の発生を防止するためには、最低限、敷地の東側全面にわたって防潮堤を設置する必要があった。敷地の南側にだけ防潮堤を設置するのでは、10m盤への津波の遡上を防止することはできなかった。
しかるに、長期評価も東電設計による試計算結果も、敷地の東側全面にわたって防潮堤を設置することを動機付けるものではなかった。
よって、長期評価及び東電設計による試算結果は、本件事故の発生を防止できる結果回避措置を動機付けるに足りる津波の予見可能性を生じさせ得るものではなかった。この点からも、被告らに予見可能性が生じていたとは認められない。
また、仮に、東電設計による試計算結果に対応する限度での予見可能性、予見義務及び結果回避義務が被告らに生じたと解される場合であっても、指定弁護士の主張する注意義務違反と結果との因果関係は認められない。
すなわち、指定弁護士の主張する結果回避義務は、津波対策工事を完了するまでは運転を停止すべきとするものであり、津波対策工事を完了すれば運転することが許容されていたとする趣旨と解される。
しかし、前述したとおり試計算結果に対応する津波対策工事では本件事故の発生を防止することができなかったことからすれば、本件事故は、長期評価や東電設計による試計算結果からはおよそ予見の余地がなかった危険が現実化したものである。
したがって、指定弁護士が主張する注意義務違反と結果との因果関係は認められない。
以上のとおり、被告らには予見可能性が生じておらず、したがって予見義務も結果回避義務も生じておらず、かつ、指定弁護士が主張する注意義務違反と結果との因果関係も認められない。被告人らは無罪である
勝俣元会長の主張
東京電力は従業員数3万人を超えるマンモス企業で、平成19年12月時点の組織機構では、本店および支店のほか、電力所、火力事業所、建設所、第一線機関等を置くものとされ、本店だけでも秘書部、企画部等、実に25の部ないし本部が置かれていた。
このような東京電力の巨大な組織の中で、原子力発電設備の地震に対する安全性、健全性に関する事項は、原子力・立地本部に置かれた原子力設備管理部内の新潟県中越沖地震対策センターが所管し、津波評価は、同センター内の土木グループが行っていた。したがって、本件津波評価とそれに基づく原子力発電設備の安全性の確保の所管部署は、同センターだった。
東京電力の各役職員の職務権限は、職制および職務権限規定で定められている。しかし、この規定においても会長の職務権限については、何ら定められていない。会長は、最高経営層には含まれないものとされ、定款、取締役会の決定、社内規定でも、会長には業務執行権限はなく取締役としての分掌業務も与えられていない。会長就任後、勝俣元会長は、このような内部規定の定めなどに鑑み、業務執行については、社長以下の判断を尊重し、相談を受けたときに助言を行うといった謙抑的・自制的な立場をとっていた。
勝俣元会長は、取締役として、取締役会を通じて、社長等の行う業務執行が適正に行われるようにする職務、監視義務を有していたことは否定しないが、分掌業務のない取締役であり、しかも、事柄が専門的技術的事項にわたる場合ではなおさらのこと、所管部門が適正に職務を遂行していることを前提に、報告等による情報に明らかに不備・不足があって、これに依拠することに躊躇を覚えるというような特段の事情がない限り、このような立場にある勝俣元会長において、所管部署を信頼してこれに任せていたとしても、刑事上の過失責任が問われることはないと考えるのが相当だ。
勝俣元会長は、昭和38年に東電に入社して以来、一度も原子力関係の部署に籍を置いたことはない。地震・津波に関する専門的知識もないし、原子力発電の技術的な事項に関する専門的知識もなかった。
勝俣元会長は、原子力・立地本部が必要と判断する安全対策や予算を拒否したことはない。平成21年9月6日の中越沖地震対応打ち合わせにおいても、福島第一、第二の耐震補強について「まずは補強工事ができるところから進めていくしかない」「これは投資なので早めにやればよいのではないか」と発言しているくらいだ。
そのほか、社長時代には、①原子力・立地本部内に原子力品質・安全部を設けるなどの組織改編を行い、②各原子力発電所の防災安全部の設置を発案し、③福島第一、第二原子力発電所の外部電源の確保等のための新福島変電所の耐震強化などの検討を開始した。
勝俣元会長は、福島第一原子力発電所の津波対策につき、福島県は大きな津波による被害は知られておらず、大きな津波が起きない地域であり、かつ、十分な安全対策が行われているものと認識していた。津波の評価については、専門的技術的知見を持つ原子力・立地本部の所管部門において、適切な評価を行って安全対策を講じているものと信頼していた。勝俣元会長は、本件地震が発生するまで、原子力・立地本部の行う津波評価・津波対策に疑いを抱かせるような出来事に接したことはなかった。
中越沖地震対応打ち合わせは、平成19年7月の新潟県中越沖地震により被災して運転停止となっていた柏崎刈羽原子力発電所の復旧と運転再開に向け、所管の原子力・立地本部の各部署が抱える現状と課題等について認識を共有するための会議だった。この打ち合わせは、平成19年7月に第1回が開催されたが、このときは、原子力・立地本部長以下において開催され、次回の会議も同部長以下で開催する予定だったが、勝俣元会長は、第2回の平成19年8月の打ち合わせから、社長として出席するようになった。
勝俣元会長は、津波評価や津波対策に関する専門的技術的知見を有するものではなかったし、所管部署において、適切な津波評価が行われているものと信頼していた。そして、担当部署の検討状況に、不備・不足があり、その判断に依拠することに躊躇を覚えるというような特段の出来事に接したこともなく、津波評価に関して、何らかの判断を下すべき機会もなかった。指定弁護士が主張する平成21年2月11日の打ち合わせにおける吉田昌郎元所長の「14mを超える津波が来るという人もいて、そこから検討が必要だ」との発言も、吉田元所長もそのような人の意見を疑問視しているが、原子力設備管理部では、このような疑問視される意見も含めて、さまざまな意見について専門的技術的観点から整理検討をし、適切に対応するという発言で、この発言は、原子力・立地本部が行う津波評価、津波対策に対する信頼に疑義を生じさせるものではなく、所管部署の検討の不備・不足を示すものでもない。したがって、上記2月11日の発言を聞いたことのみをもって、勝俣元会長が10mを超える津波が襲来することを予見できたなどとは到底いえず、勝俣元会長は、本件において過失責任を負うものではない。
武黒元副社長の主張
指定弁護士が冒頭陳述において述べるさまざまな会議、打ち合わせの内容や、その他の事実について、武黒元副社長はその多くを認識していない。指定弁護士が述べるような事実が実際にあったとしても、武黒元副社長がその場にいて認識するか、あるいは後日に誰かから報告を受けるなどして具体的に教えられることがなければ、武黒元副社長としては当該事実を認識しようがない。このような武黒元副社長が当時認識しようがない事実を、予見可能性の有無を判断する基礎事情として考慮することは、過失の成立範囲を不当に拡大することになる。東京電力のような大組織においては、権限規定等により権限をゆだねられた相当者が階層的に自らの役割を果たすこととされているのであり、武黒元副社長が原子力・立地本部長であり、あるいは代表取締役であるからといって、各担当者や担当部署が行った行為や日々生じる事実を当然にすべて知っているわけではないし、知ることを期待されているわけでもない。これらを知らないことが直ちに武黒元副社長の注意義務違反になるものではないことは、当然である。
武黒元副社長が出席していた中越沖地震対応打ち合わせは、柏崎刈羽原子力発電所で設計想定を超える地震動が観測されたことを受けて、その原因を明らかにして同発電所の安全性を高めるための情報共有の場であり、併せて、地元に対する説明についても情報共有していたもので、東京電力として意思決定をする場ではなかった。また、中越沖地震対応打ち合わせにおいて、提出された資料すべてについて詳細に説明され議論がなされたということはなく、資料に記載があるからといって武黒元副社長がその内容をすべて認識していたということはないし、説明を受けずに当然に認識できるものでもない。このことは、中越沖地震対応打ち合わせ以外の会議や打ち合わせにおいても同じである。
指定弁護士は、武藤元副社長が平成20年6月10日に土木調査グループの担当者らから、本件原子力発電所の原子炉建屋等を津波から守るために、敷地上に防潮堤を設置する場合には、O.P.+10mの敷地上に約10mの防潮堤を設置する必要があること等の説明を受けたとし、また、同日および同年7月31日の2回にわたり、土木調査グループの担当者らから、長期評価を用いて明治三陸沖地震の津波評価モデルを福島県沖海溝沿いに設定した場合の津波水位の最大値が、本件原子力発電所の敷地南部でO.P.+15.707mとなる旨の東電設計の計算結果の報告を受けたとした上、武黒元副社長が、平成20年8月上旬頃、武藤元副社長から上記内容の報告を受けたかのような主張をしている。
しかし、武黒元副社長は、平成20年8月上旬頃に、武藤元副社長から本件原子力発電所の津波について報告を受けた記憶はない。仮に武黒元副社長が武藤元副社長から何らかの報告を受けたとしても、その内容は「福島で津波の試算をしたところ、高い数値が出た。この点について専門家の意見を聞く必要があるので、土木学会に検討を依頼する。結論が出たら、それに基づいて津波対策を行う」という程度の話にとどまり、それまでの津波評価を覆すような話ではなかったため特に記憶に残らなかったものと考えられる。武黒元副会長は、津波の試計算結果の具体的な数値はもとより、津波が本件原子力発電所の敷地高を超える結果となったということや、津波を防ぐために敷地上に防潮堤を設置する必要があるなどということは一切聞いたことがない。 したがって、武黒元副社長が、平成20年8月上旬頃に、本件原子力発電所に本件津波が襲来し、本件原子力発電所の原子炉建屋、タービン建屋等が浸水して、本件原子力発電所の電源設備の機能が失われ、冷却設備等が機能喪失となり、原子炉の安全性を損なうおそれがあるなどと考えたことはないし、そのように考えることもできなかった。なお、「10m盤を超える津波」は本件の予見の対象にはならないが、武黒元副社長は、10m盤を超える津波が襲来する可能性があると考えたことはないし、そのように考えることもできなかった。
武黒元副社長は、平成21年2月11日の中越沖地震対応打ち合わせにおいて、吉田昌郎元所長が「大きな津波が来る可能性があるという人もいるので、前提条件となる津波をどう考えるのかというところから整理が必要である」旨の発言をしたことを聞いた。
その後、武黒元副社長は、吉田元所長に報告を求め、平成21年4月か5月頃、同人から、長期評価に基づき、明治三陸沖地震の波源を使いパラメータスタディをして試計算をしたところ、本件原子力発電所の敷地南側でO.P.+15.7mの津波水位となったこと、貞観地震の波源モデル案を使って試計算をすると10m盤を超えない程度の津波水位となったことなどを初めて聞いた。また、武黒元副社長は、吉田元所長から、そもそも長期評価については専門家の間でも評価が分かれており、中央防災会議においても長期評価を採用していない状況にあることや、長期評価は波源モデルを示していないため計算ができず、そのために明治三陸沖地震の波源モデルを福島県沖に仮置きしたこと、その上でパラメータスタディを行って本件原子力発電所に最大の影響が及ぶよう調整して計算したため津波の高さが大きな数値になっていることなどの説明を受けた。
その上で、武黒元副社長は、吉田元所長から、長期評価に対する評価が専門家の間でも分かれており、中央防災会議でも長期評価が採用されていないことや、長期評価が水位の算定に必要な波源モデルを示していないことから、長期評価の取扱いについては土木学会に検討を依頼したいこと、貞観地震津波については、複数の波源モデル案があるなど研究途上であるため、東京電力において津波堆積物調査を行った上で土木学会に検討を依頼したいこと、いずれについても、土木学会の検討結果に基づき必要に応じて津波対策を講じていくことなどの説明を受け、理にかなった対応であると考えてこれを了承した。
武黒元副社長は、本件原子力発電所は、土木学会の津波評価技術に基づき詳細評価を行った結果、既往最大の津波高さに対して相当の余裕をもって津波対策を講じているなど、十分な保守性をもって安全が確保されていると認識していたが、吉田元所長の話はこれに疑いを生じさせるようなものではなかった。 武黒元副社長は、波源モデルを仮定しパラメータスタディをした試計算の結果を聞いたに過ぎず、O.P.+15.7mの津波が襲来する可能性があるという報告を受けたものではない。試計算の前提である長期評価についても、いまだ専門家の間で評価が定まっておらず、これから専門家に検討してもらうとの説明であった。したがって、このような話を聞いたからといって、武黒元副社長が本件原子力発電所にO.P.+15.7mの津波が襲来する可能性があるなどと考えたことはなかったし、そのように考えることもできなかった。10m盤を超える津波の襲来についても同じである。
以上のとおりであり、このような武黒元副社長において、本件津波が襲来することを予見して本件原子炉を停止すべきであったとすることは、同人に不可能を強いるものにほかならない。
武黒元副社長は、平成22年6月に東京電力代表取締役副社長、原子力・立地本部長を退任し、フェローに就任した。フェローは、その職責上、業務執行権限を有しておらず、東京電力の業務執行を行うことはないのであって、技術面の補助をする立場にすぎない。したがって、フェローが原子力発電所の運転、安全業務に従事することはないし、実際に武黒元副社長がフェローとしてそれらの業務に従事したこともない。 また、フェローは、東京電力の社長を直接補佐するものとされているのであり、武黒元副社長は、フェローとして、清水正孝元社長を補佐していたものであって、勝俣元会長を補佐する立場にはなかった。
武藤元副社長の主張
指定弁護士は、平成20年6月10日及び同年7月31日の打ち合わせで、武藤元副社長が試計算結果の報告を受けたことによって、武藤元副社長に予見可能性が生じた旨を主張する。そこで、以下、試計算結果の報告を受けたことで予見可能性が生じたものではないことについて、あらためて武藤元副社長の主張を述べる。
平成20年6月10日、土木グループの従業員らと武藤元副社長との打ち合わせが行われた。
この打ち合わせで、武藤元副社長は、福島県沖の海溝寄りに明治三陸沖地震の波源モデルを置いた試計算を実施してみた結果、敷地南側の津波水位がO.P.+15.707mとなった旨の報告を受けた。
その当時の福島第一原発の設計津波水位は、O.P.+5.7mであった。それは決して東京電力が独自の手法に基づいて設定したものではなく、前述したとおり、地震学や津波工学等の専門家集団である土木学会によって策定された津波評価技術の手法に従って設定したものであった。
そこで、武藤元副社長は、報告をした土木グループの従業員に対して、津波評価技術が策定された後に、長期評価に記載されているように福島県沖の海溝寄りでも津波地震が発生することを示すような新たな知見が生じたのかを確認した。そうしたところ、土木グループの従業員からは、そのような知見が生じたわけではない旨の説明がなされた。
その後、同年7月31日にも、土木調査グループ(同月1日に土木グループが分割されて新設されたグループ)の従業員らと武藤元副社長との打ち合わせが行われた。
武藤元副社長は、2回にわたる打ち合わせを通じて受けた報告に基づいて、津波評価技術の知見を覆す新たな知見が生じたわけではないことから、福島第一原発の津波に対する安全性は現状でも確保されているものと認識した。
その上で、打ち合わせを行った武藤元副社長及び従業員らは、津波評価技術に基づく評価と対策によって安全性は確保されていることを前提としつつ、それと異なる見解をも考慮に入れて安全性を積み増すことの検討を進めていくにあたり、津波のような自然現象については、電気事業者だけで評価することには限界があり、専門家の判断を経るべきものと考えた。そして、設計津波水位が土木学会の津波評価技術に基づいて設定されてきたことに鑑みれば、長期評価の取り扱いについても土木学会に検討を依頼し、その検討結果に基づいて、必要と認められる津波対策工事を実施すべきとの結論に至った。そこで、当面の耐震バックチェック対応における津波水位評価は従前どおり津波評価技術に基づいて行いつつ、長期評価の取り扱いについての検討を土木学会に依頼するという手順に関して、専門家の意見を聴取することにした。そして、そのような手順で安全性を積み増す取り組みを進めることについて、専門家から異論が述べられなければ、そのように進めることとした。
この打ち合わせ結果を受けて、平成20年10月以降に土木調査グループの従業員らが専門家の意見を聴取したところ、打ち合わせで検討されたとおりの手順に異論は述べられなかった。 なお、平成20年7月31日の打ち合わせ後、同年8月に、東電設計によって、延宝房総沖地震の波源モデルを用いた試計算も行われた。この試計算は、土木学会による検討が進められるのに先立って、明治三陸沖地震ではなく、延宝房総沖地震の波源モデルを用いた場合にはどのような計算結果になるのかを把握しておくために試行的に行われたものであった。その試計算結果も、明治三陸沖地震の波源モデルを用いたものと同様に、試計算結果どおりの津波が襲来することの予見可能性を生じさせるものではなかった。
そして、平成21年11月以降、東京電力を含む電気事業者11社の委託に基づいて、土木学会の津波評価部会において、波源モデルの検討等が審議されていた。そうしたところ、土木学会による検討の途上において、平成23年3月11日を迎えた。
原子力発電所における安全設計は、具体的な設計等において具現化されるものであり、常に工学的な判断を伴うものである。そして、原子力工学において安全対策を考えるべき「新知見」とは、学会等において審査され、多数の専門家がその知見が妥当なものであるとの共通認識を持つ程度に至っているものを指すものと理解される。
しかるに、前述したとおり、長期評価における津波地震が海溝寄りの「どこでも発生する可能性がある」との記載は、「新知見」に当たるといえるような信頼性及び成熟性を持つものではなかった。また、長期評価は、断層の位置、すべり量、傾斜角等の、原子力発電所の津波に関する安全設計を検討するための十分な情報を示してもおらず、従前より、それらの情報は土木学会の津波評価技術によって示されていた。
そこで、土木学会に検討を依頼し、専門家のコンセンサスを得た上で必要に応じて津波対策工事を実施するとの判断は、事後的に見ても工学的に妥当と認められるべきものであった。
武藤元副社長は、土木学会による検討の結果、福島県沖の海溝寄りに津波地震の発生を想定すべきとの見解が示されて、設計津波水位の設定に用いるべき波源モデルが確定されれば、福島第一原発の安全性を積み増すために、設計津波水位を見直して必要に応じて津波対策工事を実施することになると認識していた。そして、土木学会に検討を依頼することを通じて、専門家の判断を踏まえて設計津波水位を確定させてこそ、必要に応じて、手戻りを生じさせることなく着実に津波対策工事を実施することができるものと認識していた。
指定弁護士は、武藤元副社長は、O.P.+15.707mとの試計算結果の報告を受けたことによって、福島第一原発に10m盤を超える津波が襲来するおそれを認識するに至ったと主張する。
しかし、工学的な判断を行うに際して、信頼性及び成熟性の検討はひとまずおいて、まずは一定の前提を置いた試計算を行ってみるのは通常の手法であり、それによって具体的な予見可能性が生じるものではない。試計算結果の報告を受けたことで明らかになったのは、福島県沖の海溝寄りに明治三陸沖地震の波源モデルを置いてパラメータスタディを行ってみれば敷地南側の津波水位がO.P.+15.707mになることである。そして、前述したとおり、そもそも長期評価には信頼性及び成熟性が認められず、福島県沖の海溝寄りに津波地震が発生することの予見可能性は生じていなかったから、試計算結果どおりの津波が襲来することの予見可能性が生じてもいなかった。
よって、武藤元副社長に予見可能性は生じておらず、したがって予見義務も結果回避義務も生じておらず、かつ、因果関係も認められないから、武藤元副社長は無罪である。
基礎知識
最大の争点は「津波の予測」
裁判では、原発事故を引き起こすような巨大な津波を事前に予測することが可能だったかどうかが最大の争点になります。
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争点1 巨大津波を予測できたか(予見可能性)
東京電力は、福島第一原発の事故の3年前の平成20年、政府の地震調査研究推進本部の評価をもとに福島第一原発の敷地に最大で15.7メートルの津波が押し寄せる可能性があるという試算をまとめていたことが明らかになっています。
元会長ら3人は、福島第一原発が津波で浸水する可能性について予測できたはずなのに適切な措置をとらなかったとして、業務上過失致死傷の罪に問われています。
一方、事故の翌年に開かれた国会の事故調査委員会の意見聴取で、勝俣元会長は試算の報告を受けていないと説明し、元副社長の2人は報告を受けたことは認めましたが、根拠が不十分だったため巨大な津波は予測できなかったと主張しています。
業務上過失致死傷の罪は、被害を予測できたのに対策を怠った場合でなければ有罪にならないため、元会長への報告の有無や、試算に十分な根拠があったといえるかどうかなど、津波の予測が可能だったかが最大の争点になります。
争点2 有効な対策は可能だったか(結果回避可能性)
また、予測が可能だったとしても報告から事故までの間に有効な対策をとることが不可能だったと考えられる場合は罪に問われないため、事故を避けることができたかどうかも争われる見通しです。
3人は、国会の事故調査委員会のほか、政府の事故調査・検証委員会の聞き取りにも答えていますが、その内容は今も非公開のままで、事故が起きるまでのいきさつについて法廷でどのように説明するかが注目されます。
旧経営陣3人の立場と関与は
検察審査会の議決によって強制的に起訴された東京電力の旧経営陣3人は、いずれも津波対策を判断する上で極めて重要な立場にいました。
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東京電力が平成20年、福島第一原発で最大で15.7メートルの津波が想定されると試算した当時、社長や会長として経営の最高責任者だったのが勝俣恒久 元会長(77)で、原子力・立地本部の本部長を務めていたのが、武黒一郎 元副社長(71)、副本部長として原発の安全対策を担当していたのが武藤栄 元副社長(67)でした。
政府の事故調査・検証委員会の報告書によりますと、武藤元副社長は平成20年6月の社内会議で最大で15.7メートルとする津波の試算の報告を受けた際、新しい防潮堤を建設するのに必要な手続きなどを調べるよう指示しています。
そして、翌月の7月、新しい防潮堤を建設する場合、数百億円規模の費用とおよそ4年の期間がかかると説明を受けます。武藤元副社長は、津波の試算はあくまで仮定に基づくもので、実際にこうした津波は来ないと考え、最大で5.7メートルとしていた従来の津波の想定を当面は変えない方針を決めたとされています。
この方針は、8月までに、原子力担当のトップだった武黒元副社長にも報告されましたが、特段の指示を出すことはなく方針を認めたとされています。
一方、勝俣元会長は、国会事故調査委員会のヒアリングで、津波の試算についての報告は受けていないと話しています。
これに対し検察審査会は、勝俣元会長本人が地震対応の打ち合わせに出席できなかったときも資料には目を通していたと話していることや、津波対策には数百億円規模の費用がかかる可能性があり、最高責任者の勝俣元会長に説明しないことは考えられないと指摘しています。
検察が不起訴にした理由は
検察は平成25年9月、告訴・告発されていた旧経営陣全員を不起訴にしました。どのような理由だったのでしょうか。
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具体的に予測できたとまでは認められない
まず東日本大震災クラスの地震や津波を予測出来たかという点です。
検察は過去10年に巨大な地震や津波の可能性を指摘した研究結果について検討しました。
平成14年には政府の地震調査研究推進本部が、福島県沖を含む日本海溝沿いで30年以内にマグニチュード8クラスの地震が20%程度の確率で発生する可能性があると予測。
さらに、平成20年には東京電力が東日本大震災と同じ規模の15.7メートルの高さの津波をみずから試算しています。
これについて検察は「これまでに巨大な地震や津波を予測したものは裏付けるデータが十分でないという指摘もあり、精度の高いものと認識されていたとはいえない。専門家の間で今回の規模の地震や津波が具体的に予測できたとまでは認められない」と判断しました。
さらに再捜査でも「今回の地震はエネルギーや震源域の大きさなどでこれまでに予測された規模をはるかに上回り原子炉建屋付近の実際の浸水の深さも試算結果の数倍になっている」としたうえで、「事故の前に原発の主要機器が浸水する危険性を認識すべき状況にあったとは認めがたい」と結論づけました。
対策取れたとは認めがたい
次に被害を防ぐ対策は取れたのかという点です。
告訴・告発したグループは防潮堤を建設したり、非常用のディーゼル発電機などの機材を高台に移したりするなどの対策を取っておけば被害を軽減できたなどと指摘しています。
これに対し検察は「実際の津波は東京電力の試算とは異なる方向から押し寄せており仮に試算に基づいて防潮堤を設置しても防ぐことができたとは認められない」としたうえで、「東京電力は今回と同じ規模の津波が押し寄せる確率は100万年から1000万年に1回と考えており、ただちに津波の対策工事を実施しなかったことが社会的に許されない対応とまではいえない」と判断しました。
そして「仮に必要な機材を高台などに移す措置を取ったとしても工事や手続きには時間がかかり今回の地震や津波の発生までに対策を終えることができたとは認めがたい」としています。
検察審査会の判断のポイントは
検察審査会は、平成27年7月、原発事故が起きる前の東京電力が経営のコストを優先する反面、原発事業者としての責任を果たしていなかったと結論づけました。
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津波は予測できた
議決では、旧経営陣の3人は、東日本大震災が起きる前に巨大な津波を予測できたはずだと指摘しています。
その根拠は、平成14年に公表された政府の地震調査研究推進本部の地震の評価で、マグニチュード8クラスの地震が福島県沖を含む日本海溝沿いで起きる可能性が指摘されていたことです。その後、東京電力が福島第一原発の津波の高さをみずから試算した結果、15.7メートルに達することもわかり、平成20年に幹部に報告されました。
これについて議決では、「大規模な津波が発生する一定程度の可能性がある以上、原子力発電に関わる者として絶対に無視することができない」と指摘しました。
その上で、検察が3人を不起訴にした理由を、「一般の人を基準にすると、当時、巨大な津波を予想することはできなかった」と説明していることについては、「原子力発電に関わる責任者は、万が一にも重大な事故を発生させない高度な義務を負っている」と指摘しました。これは、原発の事業者には、一般の事業者より高度な義務が課されているという考えを示しているとみられます。
議決では、さらに、当時の東京電力の姿勢にも触れ、「安全対策よりもコストを優先する判断を行っていた感が否めない」と批判しています。
対策取れば事故防げた
また、検察審査会は、津波の予測にもとづいて対策を取っていれば、事故を防ぐことは可能だったという判断も示しました。
議決では、津波の対策には時間がかかることを認めながらも、「対策を検討している間だけでも原発の運転停止を含めあらゆる措置を講じるべきだった」と指摘しました。そして「原発事故は周辺地域への放射能汚染を招きひとたび発生すると取り返しのつかない事態になる」と批判しました。
さらに、今回の原発事故のような非常時のマニュアルが存在しなかったことを挙げ、「大きな地震や津波の可能性が一定程度あったのに目をつぶって無視していたに等しい」と当時の東京電力の対応も厳しく批判しました。
そして、3人は、それぞれ、安全対策に関して実質的な判断を行う権限を持っていたとして、責任は免れないと判断しました。
このうち、武黒一郎元副社長と武藤栄元副社長は、津波の高さが15.7メートルに達するという試算について原発事故の前に報告を受けていたと認定しました。また、勝俣恒久元会長については、「数百億円規模の費用がかかる津波対策について、最高責任者に説明しないことは考えられない」と指摘し、3人はいずれも津波を予測することができたと判断しました。
そのうえで、「安全対策よりも経済合理性を優先させ、津波の可能性に目をつぶって何ら効果的な対策を講じようとはしなかった3人の姿勢について、適正な法的評価を下すべきではないか」と結論づけました。
東電内部資料「津波対策は不可避」
東京電力が行っていた津波の試算は、別の民事裁判で当時の内部資料が提出され、具体的な内容が明らかになっています。
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この資料は、事故が起きる3年前の平成20年に東京電力の社内の会議で配られたものです。この時期に東京電力の子会社の「東電設計」は、巨大地震による津波が起きると、福島第一原発の敷地の南側で最大で15.7メートルに達するという試算をまとめていました。
資料では、原発を上空から見る形で津波が到達するまでの経過をCGによって視覚化したシミュレーションが添付されていました。それによりますと、地震の発生からおよそ45分後に津波が敷地に到達し、47分後には1号機から4号機の建屋がある高さ10メートルの地盤が南側から水につかる様子が示されていました。
また、原発の敷地のどの部分がどの程度浸水するのか、平面図の上に色分けして示した図面も作られていました。それによりますと、取水ポンプなどが設置されている海岸沿いの高さ4メートルの地盤は、5メートル以上の浸水を示す赤色で塗られていました。
そして、原発の建屋がある高さ10メートルの地盤は、1メートルから3メートル前後浸水することを示す青色や緑色が塗られていました。各号機の建屋の1階や地下1階には、配電盤や非常用ディーゼルエンジンが設置されていました。
また、資料には、「現状より大きな津波高を評価せざるを得ないと想定され、津波対策は不可避」という記述もありました。
この資料には「機微情報」にあたるとして会議後に回収するという注意書きも記されていました。
刑事裁判では、こうした当時の状況などをもとに、3人が巨大な津波を予測できたかどうかが争われる見通しです。
事故調からも厳しい指摘
東京電力福島第一原子力発電所の事故をめぐっては、政府や国会などさまざまな組織で検証が行われ、津波への対応について「対策を立てる機会があった」とか「不十分だった」などと指摘しています。
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国会事故調「明らかに『人災』」
このうち、国会が設置した東京電力福島原子力発電所事故調査委員会、いわゆる「国会事故調」の報告書は、重大な津波の危険性が見過ごされた原因として「地震学や評価手法を都合よく解釈することによって対策の先送りを正当化した」として、東京電力のリスク管理に問題があったと指摘しています。
そのうえで、東京電力の経営陣は津波に対し、何度も事前に対策を立てる機会があったにもかかわらず先送りしたとして、「明らかに『人災』だ」と結論づけています。
政府検証委「具体的対策望まれた」
また政府の事故調査・検証委員会の報告書は、東京電力は15メートルを超える津波の試算を出しながら実際にはこうした津波は来ないと考え、当面は想定を変えない方針を決めたとされる東京電力の一連の対応について、「自然現象は大きな不確実さを伴うことなどから、具体的な津波対策を講じておくことが望まれた」と指摘しています。
民間事故調「対策 極めて不十分」
さらに、福島原発事故独立検証委員会、いわゆる「民間事故調」は、東京電力に対し「対策が極めて不十分で、その結果、重大な事故を起こしたことは紛れもない事実だ」と批判した上で、「巨大官僚組織」的であることが安全対策の劣化につながったという見方を示しています。
東電「事前の備え十分なら防げた」
一方、東京電力は、事故の翌年にまとめた調査報告書の中で、15メートルを超えるとした津波の試算について、「仮想的なもので、当時は専門家の間でも意見が定まっておらず、今回の津波は想定を超える巨大なものだった」と しました。
しかし、言い訳に終始しているという批判を浴び、平成25年3月、「巨大な津波を予測することが困難だったという理由で、原因を天災として片づけてはならない。事前の備えが十分であれば防げた事故だった」と総括しています。
民事裁判では「予測可能」の判断も
原発事故をめぐる民事裁判では、裁判所が「東京電力は津波を予測できた」と判断したケースもあります。
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福島第一原発の事故で福島県から避難した人たちは、各地で国や東京電力に賠償を求める集団訴訟を起こしています。こうした民事裁判でも東京電力が津波を予測できたかどうかが争われ、事故の3年前に最大で高さ15.7メートルの津波が押し寄せるという試算をまとめていたことをどう評価するかが焦点となっています。
一連の集団訴訟で初めて判決が言い渡された前橋地方裁判所では、この試算をもとに、「東京電力は、巨大な津波の到来を実際に予測していた」という判断が示されました。さらに、こうした予測に基づいて、非常用の発電機を高台に移すなどの対策をとっていれば原発事故は起きなかったとして、国と東京電力に賠償を命じました。これに対して国と東京電力が控訴したため、今後、2審の東京高等裁判所で争われることになります。
強制起訴 きっかけは1万人の告訴・告発
東京電力の元会長ら3人が強制的に起訴されたきっかけは、福島県の住民などによる告訴や告発でした。
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福島第一原発の事故の翌年、福島県の住民など合わせて1万人以上が、東京電力の旧経営陣らの刑事責任を問うよう求める告訴状や告発状を検察に提出しました。
東京地方検察庁は旧経営陣から任意で事情を聴き、地震や津波の専門家にも意見を聞くなど捜査を進めましたが、「今回の規模の津波は予測できなかった」として告訴・告発されていた40人余りを全員不起訴としました。
これを不服として住民グループは、刑事責任を問う対象を勝俣恒久元会長ら旧経営陣6人に絞り込み、不起訴について市民が審査する検察審査会に申し立てました。審査では、原発事故の3年前に、東京電力が専門家の評価に基づいて15.7メートルの津波が福島第一原発に押し寄せる可能性があるという試算をまとめていたことが焦点となりました。
平成26年7月、検察審査会は、旧経営陣のうち元会長ら3人について「試算がある以上、原発事業者としては対策が必要だった」として、「起訴すべき」という1回目の議決をしました。
この議決を受けて、東京地検は改めて捜査を行いましたが、平成27年1月、「試算の元になった専門家の評価は信頼性が低いとされていた」として3人を再び不起訴にしました。
検察が再び不起訴にした場合、検察審査会は2回目の審査を行うことになっていて、1回目とは異なる審査員が再度、審査しました。その結果、検察審査会は、「東京電力の試算は原子力発電に関わる者としては 絶対に無視することができないものだ」などとして、「起訴すべき」とする2回目の議決をしました。
これによって裁判所が選任した指定弁護士が検察官に代わって強制的に起訴することになり、これまでで最も多い5人が選任され、平成28年2月に元会長ら3人を起訴しました。
指定弁護士はおよそ4100点にのぼる証拠の一覧を被告側に示し、事前に争点を整理する手続きが行われた結果、巨大な津波を予測できたかどうかを主な争点として裁判を進めることになりました。
年表
原発事故 強制起訴をめぐる動き | |
---|---|
平成14年(2002) 7月 |
政府の地震調査研究推進本部
|
平成20年(2008) 3月 |
東京電力 福島第一原発の敷地に最大で15.7メートルの津波が押し寄せるという試算をまとめる |
6月 |
東京電力 最大15.7メートルの津波試算を武藤元副社長に報告 |
平成23年(2011) 3月 |
東日本大震災 福島第一原発事故発生 |
平成24年(2012) 6月 |
福島県の住民グループなどが東京電力旧経営陣などの刑事責任を問うよう求める告訴・告発状を検察当局に提出 |
平成25年(2013) 9月 |
東京地検 東京電力旧経営陣など40人余りを全員不起訴処分 |
10月 |
住民グループ 旧経営陣6人に絞り検察審査会に審査申し立て |
平成26年(2014) 7月 |
検察審査会 勝俣元会長ら3人を「起訴すべき」と1回目の議決 |
平成27年(2015) 1月 |
東京地検 改めて3人を不起訴処分 |
7月 |
検察審査会 3人を「起訴すべき」と2回目の議決 |
8月 |
裁判所 指定弁護士を選任 |
平成28年(2016) 2月 |
指定弁護士 3人を業務上過失致死傷罪で起訴 |
平成29年(2017) 6月 |
勝俣元会長ら3人の初公判 |
平成30年(2018) 1月 |
第2回公判 証人尋問(東京電力社員) |
平成30年(2018) 2月 |
第3回公判 追加証拠提出
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