突然奪われたW杯での楽しみ
ハリル監督の電撃解任は何をもたらすか

宇都宮徹壱

日本代表に対する「まなざしの変化」

もはや日本のサッカーファンは「日本代表に依存する必要がなくなった」というのも事実だ

もはや日本のサッカーファンは「日本代表に依存する必要がなくなった」というのも事実だ【宇都宮徹壱】

 正直なところ本大会を控えた日本代表に、できればネガティブなことは書きたくないし、危機感をあおるようなこともしたくはない。しかしながら、何事もポジティブに切り替えればよい、という話でもないと思う。今回のJFAの(そして田嶋会長の)決断は、はっきり言って悪手だと考えるが、この決断のリスクについて、今さらいちいち挙げるまでもないだろう。ここでは、少し違った観点から考えてみることにしたい。それは日本代表に対する、サッカーファンの「まなざしの変化」だ。


 仕事柄、さまざまなサッカーファンの発言をSNSでチェックしている。今回の電撃解任について歓迎している人は、少なくとも私のタイムラインで見る限りは少数派だ(フォローしているのがコアサポーター、あるいはサッカーリテラシーの高いファンが多いこともあるかもしれない)。いずれにせよ、彼ら・彼女らは今回の決定に対して、違和感や不快感、さらには強い怒りを表明している。中には「JFAハウスでデモをすべき!」と主張するツイートも見かけた。


 若いサッカーファンには想像もつかないだろうが、10年以上昔のサポーターにとって、リアルな世界での「異議申し立て」は決して珍しいものではなかった。04年には当時のジーコ監督の采配に異を唱えるサポーターが決起集会を開いたし、06年には当時の川淵三郎会長の専制的なやり方に反発したサポーターが国立競技場周辺でデモ行進している。ゼロ年代のサポーターは、今では考えられないくらい日本代表にコミットしており、具体的な「異議申し立て」をすることに、何らためらいはなかったのである。


 SNSの発達により、当時と比べて人は集めやすくなったが、今回「反田嶋会長デモ」が起こることはないだろう。確かに、怒っている人がかなりいるのは事実。しかし一方で、多くのサッカーファンはJFAに対して深い諦念を抱いている。そして何より、ゼロ年代と決定的に異なるのは、もはや日本のサッカーファンは「日本代表に依存する必要がなくなった」という事実である。なぜなら彼らは、日本代表よりもレベルの高い欧州フットボールや、日本代表よりも身近でシンパシーが感じられるJリーグを存分に楽しんでいるからだ。


 もちろん欧州フットボールもJリーグも、ゼロ年代以前から存在していた。ただし当時は日本代表が、それらの上位に君臨していたのである。しかし昨今、サッカーファンの嗜好は多様化し、日本代表のバリューは相対的に低下している。もちろん「代表ファン」は一定数存在するが、かつてほど熱狂的であるとは言い難い。今回の電撃解任の背景には、代表人気にすがる人々の焦燥があったと見るのが自然だろう。ただし決断の対価として、無関心層がさらに増大することは覚悟しなければなるまい。愛の反対は憎しみではない。無関心である。

宇都宮徹壱

著者名
宇都宮徹壱
著者紹介文

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著はスポーツナビでの連載をまとめた『J2&J3 フットボール漫遊記』(東邦出版)

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