学校に行くのが嫌で引きこもっていた宮長さんだったが、引きこもり中に出会ったのがプログラミングだった。きっかけは親戚からもらったお古のパソコン。最初のうちはパソコンに内蔵されているゲームをプレイしていたが、次第にプログラミングすることにハマっていった。
「プログラミングってルールが決まっていて、書けば書いたとおりに動いてくれる。それが楽しくて、小学5年生のとき、フリーソフトを作りました。保存もできないただのメモ帳(テキストボックス)で、今で言うと付箋アプリのようなものです。でも、それを使ってくれる人がいるということで、すごく承認欲求が満たされたんです。自分は絵も描けないし、歌もうまくないので、発表できるものがたまたまプログラミングだったんです」(宮長さん)
宮長さんは「すごくシンプルなものですよ」と笑っていたが、ITに疎い筆者からすると、小学5年生にしてフリーソフトを作り上げるとは天才少年を想像してしまう。
入院生活で自分を見つめ直すも、不登校が続く
やがて、中学校に入学した宮長さん。中学でも特別支援学級に入れられ、学校生活は苦痛だった。なぜ学校が嫌だったのか聞いてみるも、宮長さんからはっきりした答えが出ることはなかった。ただ、母親からは「あなたは小さいときから相手の気持ちを考えられず、すぐに自分からケンカをふっかけていっていた」と言われたことがあるという。コミュニケーションの取り方に問題があったのかもしれない。そして、中学2年生のときに3カ月間だけ心療内科で入院生活を送ることになる。
「当時、ASDの権威の先生に診てもらっていたのですが、『そこまで君はひどくないから、一度、自分よりも大変な症状の患者さんと一緒に入院してみたら?』と、荒療治された感じでした。とりあえず、そういう環境に身を置けば良くなるかもしれないと」(宮長さん)
基本的に病院の敷地から出ることはできなかったが、敷地内にはコンビニや図書館もあり、生活するうえで困ることはなかった。個室はなく4人部屋で集団生活だった。昼間は隣にある特別支援学校へ通い、定期的にカウンセリングを受けた。普段はごく普通なのに、時おり精神状態が不安定になって暴れる患者もおり、そのような患者は隔離された。
ケガや病気での入院生活が楽しかったと言う人は少ない。宮長さんもさぞかしつらかったのかと思いきや「つらくはなかったし、自分の症状は軽いのだと思えた。自分にとって折り合いをつけるための入院で、自分を見つめ直せた」という。3カ月間の入院生活を経て、それまで通っていた地元の中学校に3年生で復帰した。心新たに頑張ろうと思っていたのに、現実はそうはいかなかった。