最近、特に女性クリエイターに多いのだが、「作品で赦しを乞う」人間が増えたと思う。
僕は最低だと思うが。
しかし、その端緒になったのは『エヴァ』だ。
あれは自分の最低さを徹底的に露悪的に描いた。だからまだ文学的救済にもなったと思う。
しかし、最近のは駄目だ。
「こんな私だけど許してね☆」って、イケ好かん媚びを売っている作品がほとんどだ。
自分の醜さに向き合おうともせず、ややもすれば「こんな私カワイイ☆」とでも言わんばかりの自己陶酔っぷりだ。
正直、張り倒してやろうかと思ってしまう。
僕は、その傾向が強い女性監督を余り認めない。
媚びと自己憐憫しか作品で描けないからだ。
僕は宮﨑駿の直系の精神的弟子だと思っているから、作品に自分をそのまま映し出そうとは思わない。
自分より「一歩前」に進んでいる人間を描く。
自分の言い訳なんかで作品を作るなんて何の意味もない。自分の人生にそれだけの意味があるとも思っていない。
僕の作るキャラクターは、全員僕より「一歩前」にいる人間ばかりだ。
それだけは、商売でやってる以上、ずっと心掛けている。
僕は最低だと思うが。
しかし、その端緒になったのは『エヴァ』だ。
あれは自分の最低さを徹底的に露悪的に描いた。だからまだ文学的救済にもなったと思う。
しかし、最近のは駄目だ。
「こんな私だけど許してね☆」って、イケ好かん媚びを売っている作品がほとんどだ。
自分の醜さに向き合おうともせず、ややもすれば「こんな私カワイイ☆」とでも言わんばかりの自己陶酔っぷりだ。
正直、張り倒してやろうかと思ってしまう。
僕は、その傾向が強い女性監督を余り認めない。
媚びと自己憐憫しか作品で描けないからだ。
僕は宮﨑駿の直系の精神的弟子だと思っているから、作品に自分をそのまま映し出そうとは思わない。
自分より「一歩前」に進んでいる人間を描く。
自分の言い訳なんかで作品を作るなんて何の意味もない。自分の人生にそれだけの意味があるとも思っていない。
僕の作るキャラクターは、全員僕より「一歩前」にいる人間ばかりだ。
それだけは、商売でやってる以上、ずっと心掛けている。