勘違いしないでほしいが、僕は著作権には甘い。
これ繰り返し言ってるんだけど。

僕が自分の権利をめぐって抗議する時は、僕の著作物が「悪意を伴って」利用された時だけだ。
そんな奴らに利することはさすがに許さない。

だからやらおん!やら、作詞権やらは看過しなかった。
他は全部見逃している。


ちょっとだけ話題になった『電波教師』の『フワクタル』も、原作ではイラっとしたが、まぁパロディだしなぁ、で収めた。
それがアニメ化される時、わざわざ制作会社から僕の所にまで使用許可の電話が来た。
まぁよりにもよって『フラクタル』と同じ制作会社だったからだが・・・。

しかもタイトルからビジュアルから、本物の『フラクタル』で行きたいという要望だった。
そこまで性根が座っているなら文句はない。喜んでOKした。

しかしOA観たら、結局『フワクタル』のままだった。
残りの「原作者」の誰かが認めなかったのか・・・。


僕はありとあらゆるものが完全に「オリジナル」である訳がないと思っている。
誰もがDNAレベルで言うならば、絶対に父親と母親のコピーだ。

創作もそうだ。他のどれにも似ていない、完全なる「オリジナル」などこの世に存在しない。
もしあったとしても、そんな奇異なものがそもそも周囲に理解される訳がない。

絶えず「真似」なのだ。「真似る」ことこそ「学ぶ」ことなのだ。


宮﨑さんも「著作権などアメリカが作ったかりそめのものだ」と、二次利用の可能性には否定的だ。
著作権の濫用が創作の根本を脅かすことがあってはならない。