6100分de名著 法華経 第2回「真の自己に目覚めよ」[解][字] 2018.04.09

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釈尊が亡くなると仏教は多数の部派に分裂し思想の違いが差別や対立を生むようになります。
「法華経」はそんな時代の迷いの中にいる人々を導きました。
だからあくまでも自分ですよと。
「真の自己」とは。
人間の普遍的な問いかけを「法華経」からひもときます。

(テーマ音楽)「100分de名著」司会の…今月は「法華経」をひもといてまいります。
第2回の今回のテーマ…「真の自己」何ですかね。
何でしょう。
またちょっと目からうろこの話になるんですかね。
楽しみです。
今回も指南役は仏教思想研究家の植木雅俊さんです。
よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
今回は第4章の「信解品」からご解説頂くんですがどんな内容なんでしょうか?「譬喩品」で「三車火宅の譬え」が語られました。
それを語ったのはお釈さんですね。
今回はその譬えを聞いて…声聞たちがですね「私たちは今の話を聞いてこのように理解しましたけれどもこれでいいでしょうか」という確認を意味する譬喩が語られるわけです。
あっ譬喩って事はまた譬えなおすって事ですか?「こういう事ですか?」と。
そうですね。
この「信解」というのはどういう意味なんでしょうか?漢字を見ると信じる事と理解する事という感じがしますよね。
しかしこれは誤解であってサンスクリット語に戻りますとこれアディムクティというんです。
だから心が何かに向かって解き放たれる。
我々が何かに向かって心が行くという意味なんですね。
だから例えば「オリンピックに俺は出るぞ!」といって2020年3年先に心が向かっていってるわけでしょ?それが信解です。
さあそれでは第4章「信解品」ご覧下さい。
釈尊のお話を聞いていた4人の弟子は感動のあまりそのそばに近寄ってひれ伏しました。
そして体を小さく折り曲げながらこのように言ったのです。
そして驚くべき感動を「長者窮子の譬え」という物語にしました。
あるところに50年前に行方不明になった息子を待ち続ける資産家がいました。
その人の家に近づいたみすぼらしい男は捕らえられると恐ろしい目に遭うと思い逃げ出します。
父親はその男が自分の息子だとすぐに気付き連れてこようとしましたが男は恐怖のあまり気絶しました。
父親は誤解を解くために男を逃がします。
その後いい仕事があるといって男を雇いました。
汚物処理の仕事ですが男は喜んで引き受けます。
男の仕事ぶりを見守っていた父親は徐々に重要な仕事を与えていきました。
そして自分の財産の管理を任せます。
ついには男に「息子」という愛称を付けました。
本当の息子じゃないのに息子だと言ってくれている。
…と男は受け止めます。
そして臨終間際になり父親は多くの人を集めて宣言しました。
これは何十年も前にいなくなった私の実の息子です。
私が享受している全てのものその一切をこの男に贈る。
この言葉を聞いて男は…。
求めずして思いがけない宝物を得た。
…と驚き不思議な気持ちになりました。
「思いがけない宝物を得た」と語っているんですけどその宝物っていうのは?仏性。
仏になる可能性と。
成仏できると。
成仏というと何かこう神がかり的な特別な存在になる事というような感じありますね。
そういう意味ではありません。
もともと「ブッダ」という言葉は「ブッドゥ」という「目覚める」という動詞の過去分詞なんです。
何に目覚めるかといえば自己に目覚めた人です。
だからそういう意味ではですね成仏という事を現代の言葉で表現すれば…この父親というのはお釈様を意味してますし息子はこの譬喩を語ってる4人の弟子たち自身を象徴してます。
広げて読めば衆生に広げて読む事はできるかと思います。
え〜とその小乗から大乗のカウンターが来た時に声聞の人は覚れないってなっちゃうわけだから「俺なんか覚れないんだ」ってくさっちゃうわけですよね。
文字どおりそう。
でそんな事はないって。
そういう卑下してるその人たちを温かく見守ってる。
50年も20年も待ってそれを理解させようとする父親のまなざしがあったかいですよね。
とても感心しちゃう。
よくできてると思うのは自分はどうせこの立派なおうちなんかと関係ない人間だと思ってるわけですよ。
「そんな事ない。
お前は息子だ」と言ってもそんなに簡単な事じゃないんですよね恐らく。
はい。
それぐらい多分劣等感にさいなまれてるし。
最後の最後にもうやっと理解できるぐらい劣等感が拭えたところで「お前は本当に息子なんだよ」という事になるわけでしょ。
なんてすてきで。
一回劣等感を持った人間がそれはなしだと言われても簡単じゃないんだよという事も多分理解したうえでの譬え話だと僕は…。
「法華経」に7つの代表的な譬喩があります。
その中でこれは最高傑作だと思います。
先生そう思われる理由はどこですか?実は学生時代にこれを読んで感動したんですけどもそれは…うつ病になったんですよ昔私は。
そのころ小説か何かですけどもその中に「人は鏡の前に立った時に鏡にはありのままの姿が映ってるけれども我々はそれをありのままに見てない」というんです。
まさに僕の事だと。
自分の人生の在り方として「あの人は私をどう見てるのかな」という生き方だったんですよ。
そうするとその人に気に入られたいために自分を捨てて隷属するような在り方であるわけですね。
本来の自分と誰かに見られてる自分とがずれが生じる。
それとともにここを読んだんですよ。
そしたらここまでですね…ここまで人間の可能性を信じるのかという事がですね非常にうれしかったんですね。
それによってうつ病を乗り越える事ができたんですよ。
でも先生のおかげで僕もちょっと心にすごい響きましたね。
本来の自分を見つける事結果的にはシンプルな事だけどそう簡単じゃないみたいな。
悩むのも当然なんですよという温かさも持ってる。
この「長者窺子の譬え」。
この登場人物の設定にも実は深い意味があるという事なんですよね。
息子は汚物処理をしますね。
はい。
インドにおいてはカースト制度があって汚物処理をするのはカースト制度の4段階があります。
その4段階よりも下なんです。
いわゆる…その人たちが一番蔑まれててそれを譬えたのがこの4人でしょ?葉とか目連だとかカースト制度で言えば3人がバラモン階級の出身なんです。
だから上流階級なんですよ。
自らを譬えるのに汚物処理人に譬えたと。
これはある意味では…「法華経」の批判といいますかね。
はあ〜!そこには仏教の平等思想がありますね。
さあこの4人の弟子たちの譬え話を聞いて釈尊はこれに対してどういう反応をするんでしょうか?「そのとおりだ」という事を答えるんだけどもそれも譬喩で答えます。
それが第5章ですね。
う〜ん…。
何かすごいダイナミックな話ですね。
ですね。
インドの広大な大地を思わせますよね。
声聞・独覚・菩という違いがあるけれどもそれはちょうど植物が千差万別あるけれどもそれは全部同一の大地から根ざしてると。
ちょっとSMAP入ってるよね。
(二人)「世界に一つだけの花」。
これを更に広げていけば「法華経」が編纂されたその当時のねインドの置かれた状況が見えてくるような気がしますよね。
西北インドガンダーラとかあの周辺です。
インド系の人もいるしペルシャ系もいるしギリシャ系もいます。
更に中央アジア系の人もいる。
まあ民族のるつぼですよね。
これをご覧下さい。
これ2世紀以後につくられてますけどもこれお釈さん。
仏像でしょ?あそうですね仏像。
これ見て下さい。
これ。
あギリシャっぽい。
この顔ねギリシャ彫刻にも出てくるんですよ。
へえ〜!は〜。
ギリシャ神話の英雄がインドのブッダのボディーガードをやってるという。
あ守ってるんですか?これ。
そうです。
うわ〜…。
次は第6章になるわけですね。
「授記品」ですね。
ここで彼らが理解したという事になりますから「授記」がなされるわけですね。
この「授記」というのはどういう意味なんですか?は〜!譬え聞いてお前そこまで分かったという事はこれは確実に如来になりますよという。
保証ですね。
第2章から第9章までかけて弟子たちに授記がなされてるわけです。
ひとまとめにいっぺんに「あなたたちに授記する」で済むんじゃないかと言う人たちもいたんだけどもでもそれぞれの授記のされ方に違いがあるんです。
こちらに。
まず見てもらいたいのはこの如来の寿命の長さです。
如来の寿命というのは舎利弗が如来になったあとこの如来の仏としての寿命が12中劫あります。
天文学的な時間です。
そうそうそうそう!「寿限無」もそうですね。
一劫というのが天女が何年かに一回降りてきて衣で岩をなでてそれがすりきれてなくなったら…。
それそれ。
ここを見ますとね121212と24でまあ大してオーダーは変わりないです。
でもここを見て下さい。
全然違う文字になってますけど。
この「無量阿僧」阿僧というのは10の59乗です。
劫の12倍これは劫の10の59乗倍。
全然違う。
「ナユタ」も数の単位の上から2番目ぐらいって聞いた事ある。
だからこことここで一線画してますよね。
この5人と2人の違いは何なんですか?それはねこの才能を見てもらうと舎利弗は智慧第一。
これは「空」についての理解が第一。
これはディベート論議の第一。
これ全部共通してるのは「個人の才能」なんですよ。
それに対してこっちは「三世において説法第一」。
人々に説法をして人々を感動させて自信を与えて勇気を与えて…という人です。
でこれは「多聞第一」といってお釈さんのそばに常に随行しててお釈さんの教えをいっぱい聞いてるわけです。
それを全部暗記して後世に伝えてみんなにそれを聞かせてみんながそれで感動したりするようにブッダがなすべき事を二人はなしてるわけです。
利他行ね。
他人のために尽くすという事が重大なんだなという事メッセージが入ってますよね。
さて「法華経」はこのあと今までと雰囲気がガラリと変わるという事なんですが第10章からどうなっていくんでしょうか?第10章からはテーマが変わりましてお釈さんが「法華経」を説いたのはもう80歳近くです。
という事はもう入滅が近い。
という事は自分が亡くなったあとにこの「法華経」を誰が説いていくのかという事でそのバトンタッチをするという事がテーマになってくるわけですね。
でそのテーマになった途端に空中へふわりとふわ〜と浮いちゃうと。
さあ一体どんな内容になっていくのでしょうか。
ご覧下さい。
釈尊は自分が亡きあとどのように教えを広めていくべきかを伝えるためストゥーパへの信仰について語ります。
ストゥーパとは釈尊の遺骨を安置する塔の事。
「法華経」が編纂された当時の人々は釈尊に寄り添うようにストゥーパへ祈りの気持ちを寄せていました。
しかし釈尊は自分は法を覚ってブッダになったのだから遺骨よりも経典にこそ自分の姿があるとここで語ります。
そしてその大切さをこう表現しました。
すると突然大地の底から巨大な宝塔ストゥーパが現れました。
中からは不思議な声が聞こえてきます。
その声を聞いた釈尊は眉間から光を放ち全ての仏国土にいた分身を集めました。
そして塔の扉を開きます。
そこにいたのは多宝如来。
その姿はミイラのようでしたがまさに全身がそろっていました。
地上に残された弟子たちはその荘厳な様を羨望のまなざしで見つめました。
それを感じた釈尊は弟子たちを空中に浮かせます。
うわ〜何かすごいVTRでしたね。
はい。
いきなり巨大な宝塔が出現していましたよね。
はい。
地球の大きさの半分ぐらいのが出てきたという事になってるんです。
そんなに大きいんですか!?そのころやっぱりお釈さんが亡くなったあとにお釈さんがいないという事をやっぱり寂しく思いますよね。
庶民としてはお釈さんの代わりの信仰の対象としてストゥーパ崇拝・遺骨崇拝を…仏舎利信仰が起こるわけです。
ところがお釈さんの遺言は「私の死んだあとでも法と自己をより所としなさい」というのが遺言だったんですよ。
そうするとこのストゥーパ信仰あるいは遺骨信仰これは法とも自己とも違いますよね。
そのストゥーパ信仰から経典信仰の方へシフトします。
方向転換を図ろうとします。
あくまでもストゥーパ信仰の思いを庶民の思いを尊重しながら自分たちが賛嘆してるストゥーパがこっちを賛嘆するという事によってこっちに向きを変えると。
「千の風になって」のイメージね。
「私のお墓の前で泣かないで下さい」。
あのお墓自体に意味があるんじゃないんですという事じゃないですか。
「風となって思いとなって私はいますから」という話なんだけど。
私はこの経典の中にありますと。
ブッダをブッダたらしめたのは法を覚ったからです。
その法は経典の中にしたためられてます。
だから「私は経典の中にいます」という意味なんですよ。
更にですね釈尊は自分が亡くなったあとに正しい教えを広めていく事の大変さを譬えているんですね。
それがこちらです。
「六難」というのは六つの難しい事です。
お釈さんが亡くなったあとにこれを広めたり受持したりいろいろやっていく事がいかに困難であるかという事が強調されます。
それを強調するうえで易しい事を九つ挙げるわけです。
どこが易しいんだと思われるかもしれませんけどね。
例えば「ガンジス河の砂の数ほどの経典を説くこと」とか「スメール山を片手でつかんで…」。
ヒマラヤをイメージして下さい。
ポーンと放り投げるのは簡単だと。
それに比べればこっちは難しい。
難しい…うわ〜。
これは私もともと物理学科ですから科学的な事で言えばこれ科学技術の向上によって何とか解決できないかと。
いやいやちょっと待って下さい。
例えば今コンピューターでこの一切経の経典を入れたとしてもほんの僅かなもんです。
あ〜なるほどなるほど。
ある仏典を全部入れたんですね。
僅か昔のフロッピーディスク3枚で収まっちゃいまして。
たったこれだけ?って。
こんな分厚い…。
そういうようにこれは科学技術の問題です。
…で解決できそうな問題です。
まあこんなんではあります。
けれどもそれに対してこちらは科学技術が進もうが何しようが思想であり人の生き方でありそれは科学技術は関係ないんじゃないかなと。
人間の生き方という問題がですね。
お釈さんの遺言として作られたのが「大パリニッバーナ経」といってそこにはですね…法真理をより所として頼りとして他のものを頼りとしないという事を言うわけです。
だからあくまでも自分ですよと自己ですよとそれと法ですよと私が説いた真理ですよという事を言う。
その経典を我々が読む事によってその法を我々も体現する事が…。
ブッダと同じ状態に到れるだろうと。
最後により所にするのは自らであり法であるという事じゃないですか。
自己が大事なんだという事はとてもシンプルなんだけどでも本当の真の自己というものをきちんと把握する事はまあ簡単じゃないみたいな。
はい。
次回はですね更に「法華経」の壮大な世界観についてひもといていく予定です。
植木さん後半もどうぞよろしくお願いします。
(二人)ありがとうございました。
よろしくお願いいたします。
2018/04/09(月) 22:25〜22:50
NHKEテレ1大阪
100分de名著 法華経 第2回「真の自己に目覚めよ」[解][字]

偶像を信仰するのではなく、釈迦が説いた「法」や「経典」の方をこそ重視せよと説く法華経。成仏とは、決して特別なことではなく「真の自己に目覚めること」だという。

詳細情報
番組内容
法華経成立当時は釈迦が神格化され、釈迦の骨をおさめた塔「ストゥーパ」を拝む信仰が隆盛を極めていた。しかし法華経では釈迦はあくまで覚(さと)りを得たひとりの人間なのだから、偶像を信仰するのではなく釈迦が説いた「法」や「経典」の方をこそ重視せよと説く。そして成仏とは決して特別なことではなく「真の自己に目覚めること」だと説く。さまざまなたとえをもって語られる「真の自己に目覚めること」の大事さを解き明かす
出演者
【講師】仏教思想研究家…植木雅俊,【司会】伊集院光,島津有理子,【朗読】余貴美子,【語り】三宅民夫,【声】仲井陽

ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 文学・文芸
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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