(遺骨発掘の意義) 戦時中、朝鮮から強制的に北海道につれてこられ、無念のうちに亡くなった方々の遺骨発掘調査を続けておられる浄土真宗本願寺派一乗寺住職「殿平善彦(とのひら・よしひこ)」氏の著作を読みました。 深川出身の友人が推理小説と思って借りた本が実は重たいドキュメンタリー作品だったと教えてくれたのがきっかけです。仕事の出先に向かう電車の中で友人が鞄から取り出したのは「遺書-語りかける命の痕跡-」(かもがわ出版 2013年11月15日発行)です。 1945年生まれの著者は大学卒業後、ふとしたことから戦前道内の朱鞠内(シュマリナイ)ダム工事現場で犠牲となった日本人土工(タコ:人間扱いされなかった末端の工事労働者)と朝鮮人の遺骨発掘を始め、遺骨を遺族の方々に返還するという気の遠くなるような活動に携わったのです。 彼の活動は仏の道を極めるなどという安易な言葉では言い尽くせない確固とした死生観に裏打ちされていました。 実は死はすでに生の中にあり、はじめから生と死は重なり合っている。つまり、死は突然訪れるものではなく、生のなかに密かに生まれているものなのだ。したがって、死はプロセスであり、状況であって、単純に実体化できるものではないのだ。死は生理的であるとともに宗教的であり、文化的であり、歴史的であり、政治的ですらある。 (前記同著14-15ページより)私がこのドキュメンタリー作品を是非読んでみようと思ったのは、1970年当時「オホーツク民衆史講座」の活動を精力的に進めていた北見北斗高校教師小池喜孝先生の作品「北海道の夜明け 常紋トンネルを掘る」(国土社)が引用文献として末尾に掲載されていたからです。 この小池先生は私が敬愛する北の文人林白言氏と一緒になってオホーツク文化運動を推進していた人でした。特に、小池先生は地方民衆史に造詣が深く、北海道開拓時代常紋トンネル工事現場で悲惨な最期を遂げた囚人やタコの遺骨発掘運動にも携わった方でした。この発掘作業には林白言氏も参加していました。 48年前に私は小池先生とお会いしたことがあります。今テレビで話題の村岡花子さんの作品(翻訳)「赤毛のアン」のタイトル命名者とお聞きしております。 「遺骨」の著者殿平氏はこの小池先生から道東で先行していた民衆史発掘運動の手ほどきを受け、1976年に「空知の民衆史を語る会」(後に「空知民衆史講座」と改名)を発足させたのです。 「朝鮮人強制連行犠牲者」の遺骨発掘とそれを遺族に届けるという運動をねばり強く続けている殿平氏の歴史認識は明快でした。 日本人は東アジアの諸国との戦争と植民地支配の過去に関して、謝罪し、賠償し、反省する機会をもつことなく戦後を過ごしてきたが、そうできた理由は記憶の消去が起きたからではないか。記憶のないものに正面から向き合うことはできない。日本の戦後の支配層は意識的に記憶の消去をリードしてきた。 (前著41ページより)ドイツとは異なり自国民による戦争責任追及を回避したことからこの国の困難な現在の政治社会状況が生み出されたということでしょうか。さらに、殿平氏はこの歴史認識の下での市民による遺骨発掘作業の意義を次のように説明しています。 日本のナショナリズムには、植民地主義とレイシズムの陰が付きまとう。現在も帝国主義時代の日本とアジアの対抗関係から抜け出していない。この状況を越えたいとして、日本の市民運動は戦後補償や日本軍慰安婦問題で苦闘してきた。そして今、その一つとしての遺骨問題に意味を見いだそうとしている・・・遺骨は私たちに過去の記憶を呼び覚ます使者として土の中から登場する。 発掘された遺骨が物語るのは、戦後の日本人の虚構の意識の暴露であり・・・出土した遺骨は忘却された過去からの言葉なき証言者の登場である。つまり、植民地支配の象徴としての遺骨の民衆の手による発掘は、忘却を強いられた、あるいは忘却に手を貸した私たち民衆が、自ら悔い改めて、記憶の回復を図ろうとする努力であり、民衆が市民として自立しようとする営みのプロセスであるのだ。したがって、強制連行犠牲者の遺骨の発掘は日本人が自らの過去と現在を自覚する上で、欠かすことのできない実践的課題となった。 (前記同著42-43ページより)私はこの作品を涙なしには読むことはできませんでした。遺骨とその発掘作業に携わる人々の心に思い馳せるとき独りでに「アリラン」の歌が口を衝いてでてきてしまいました。きっとyu-tubeで何度もSong So Heeさんの歌声を聞いていたからに違いありません。 「従軍慰安婦問題」で某新聞社の記事訂正に鬼の首でも取ったように「歴史のねつ造」と主張する輩がいます。三文週刊誌のガサネタをさも「史料」などと称して後生大事に持ち上げるこれらの輩は、「吉田清治証言は嘘だ、従軍慰安婦などは存在しない」と主張するのです。しかしその主張自体、自己矛盾を抱えていると認識できない哀れな人たちです。 「史料」が歴史を物語るのではなく、可能な限りの「史料」を集め、歴史の証人の言葉に耳を傾け、分析・評価を綿密に行ってこそ「科学」としての歴史が蘇るのです。たった一片の史料で「それが歴史だ」と主張するのは、史学への冒涜でしかありません。 「吉田証言が嘘」との言説を広めようとしても、真実は明快です。1996年に日本政府に謝罪や賠償を勧告した国連人権委員会報告書作成責任者クマラスワミ女史(スリランカの法律家)は報告に吉田証言を引用しています。 しかし、彼女は「証拠の一つにすぎない」とし、また、独自に行った元慰安婦への聞き取り調査などに基づき「日本軍が雇った民間業者が(元慰安婦らを)誘拐した」事例があったこと、さらに「募集は多くの場合、強制的に行われた」と共同通信記者との会見で答えています。 吉田証言に疑義があったとしても「慰安婦募集に強制があった」という史実は揺るがないということでしょう。なぜならたった一片の証言(史料)で歴史的事実の有無を論じたのではないということなのです。 今日もまた一日が暮れました。殿平善彦氏の著作「遺骨」の衝撃的な内容は、明日もまた権力者とその手先に抗うための勇気を私に与えてくれました。歴史の真実はひとつだと・・・・ 注)孤高の革命家「林白言」氏
戦前、朝鮮で生まれ、故あって、両親とともに五歳で玄界灘をわたり終戦を陸別駅で迎える。戦後の労働運動が盛んなときに、国労中央執行委員を務めるが、合理化の嵐の中で解雇され、北海道に舞い戻る。差別と苦難を乗越え、北の大地で文化活動を起こし、自らもペンを取って「人間の本質」を照射していった。既に、彼は鬼籍に入っているが、「ペンは剣よりも強し」のごとく、彼の残したものが今も光り輝いているのは事実です。 このブログの目的も「林白言氏につながる過去」から、私たちが現在を生きるために大切な「啓示」を探り当てようとしています。 |
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某社の記事訂正により、鬼の首でも取ったように喜び燥いでいる人達を見ると2002年9月の日朝首脳会談で明らかになった「拉致問題」を思い出します。目の上のタンコブである「朝鮮問題」です。
無理が通れば道理が引っ込む方式を戦前からやっている日本の為政者に操られている人達が気の毒にも思えます。
人間が過ちを犯したとしても、そのことについて誤ることは当然なのに、小学生でも知っていることを、意識的に知ろうとしないのか?
或いは、為政者は、如何に非道な事を、恥ずかしい事をしてきたのかを確実に知っているからこそ、国民に隠そうとしているのかもしれませんね。
2014/9/9(火) 午前 11:15 [ pcflily ] 返信する
PCFさま コメントありがとうございます。一昨日、千葉県の関東大震災91周年慰霊祭に行ってまりました。実際に朝鮮人虐殺に何らかの形で加担した人々は軍の命令とはいえ後ろめたかったのでしょうか、後世、自分たちの手で墓碑(無縁供養塔)を建立して犠牲者を弔ったようです。大切なのは偏狭なナショナリズムに踊らされることなく過去ときちんと向き合い、未来を見据えて相互に理解しあうことだと思います。また、ご訪問ください。
2014/9/9(火) 午後 8:40 [ pie**44 ] 返信する
コメントありがとうございました。
人間が出来ていないせいか、不快不快の連続でしたが、おっしゃるように無視でいきます。
どこまでも「人間」への興味があるので、実は面白がって相手をしたという節もあります。あるいはそこに軽蔑と彼への差別があったかもしれないとも反省しています。世の中には彼をも愛さないとならない人も存在するんでしょうから、・・・
でも、どうもオオヨウさはおきませんでした。
ぼくも俗物ですね。
2014/9/17(水) 午前 7:41 [ 皆忘先生 ] 返信する
皆忘先生 こちらこそコメントありがとうございます。ご奮闘の件、心から拍手を送ります。「国稀」という北海道の酒があります。今飲んでいる、Chateauneuf du Pape よりも美味しいかもしれません。ダンダンで一献傾けなくてはと・・・皆忘先生のご見識と心意気に乾杯!乾杯!





2014/9/19(金) 午後 10:05 [ pie**44 ] 返信する