弱小出版社に勤務し、出版業界の荒波に翻弄される編集者を主人公に描いた、川崎昌平氏によるマンガ『重版未定』。本サイトDOTPLACEでの連載から人気に火が点き、2016年11月に河出書房新社から第1巻が出版されてから早くも1年半が経ちました。
本ページでは、『重版未定』第1巻の重版出来(!)を記念して2016年末に開催されたトークライブの模様を、1年の時を経てお届けします。物語の舞台である出版社「漂流社」を実際に立ち上げるのが野望だという川崎氏の前に立ちはだかる、圧倒的に素朴かつリアルな出版社経営に関する疑問。それらを月曜社取締役・小林浩さん、共和国代表・下平尾直さんという二人のゲストとともに紐解きながら、ひたすらニッチな出版トークが繰り広げられた前例のない一夜でした。
“リアル漂流社”はその後1年で果たしてどうなったのか? イベント後の動向も予想しながら最後まで読み進めてみてください。連載の最後には、2018年現在の漂流社について、川崎氏のレポートも掲載します。
「漂流社」を作ってみたい
川崎昌平(以下、川崎):今日はお集まりいただき、ありがとうございます。『重版未定』(河出書房新社)の重版出来の記念イベントとは言っているんですけれども、最初に趣旨を説明します。
『重版未定』の作中に「漂流社」という名前の小さな出版社が出てまいります。私の野望の一つなんですが、この漂流社という出版社をですね、作ってみたい。マンガの中のフィクションの世界なんですけど、この出版社を現実に存在させてみたいと思っております。
それでですね、偉そうにこんなマンガを描いてはいるんですけれども、私の編集経験は5、6年ぐらいしかなくてですね。小さな出版社を実現させて、社会の荒波の中で生きていくには! みたいなところを、先輩たちから教えていただけたらということで、今日はゲストをお招きしました。「月曜社」の小林さんと、「共和国」の下平尾さんです。よろしくお願いします。
会場:(拍手)
川崎:一つ、基本的なところから質問させていただければと思うんですけれども、出版社、編集者と言ってもいろいろあるじゃないですか。出版社が扱っているジャンル、あるいは編集者の嗜好、あるいはそれぞれの編集者が目指しているところ、社会のどの部分に本を届けようかみたいな理念、情熱もまちまちでございまして。いろんな本を作っているがゆえの、いろんな苦労があるんじゃないかなと思っていますので、まずは編集で苦労された経験なんかを教えていただけたらなと。
下平尾直(以下、下平尾):「共和国」の下平尾と申します。共和国という出版社をご存知の方がいるかどうか……。2014年4月に人文書や海外文学を主に出している水声社というところから独立して、それから独りでやっています。2016年12月末までで、既刊二十数点です。ところで、編集者として苦労した点と言うと、これはやっぱり人間関係です(笑)。
川崎:ああ……著者とのやりとり、とかですか?
下平尾:独立して自分で出版社やろうなんて人にそんなに善人がいるんでしょうか(笑)。こちらも研究者くずれなので、専門に近い分野だとついついエゴのぶつかり合いみたいなことになってしまう。布団に入ってから猛省するんですけど、だいたい後の祭りで(笑)。あるいは、どうしても時間がなくてゲラ戻すのが半年遅れた、1年遅れた、とか。そういうのが重なると苦しいですね……傍目には苦しんでいるようには見えないらしいのですが。なんか下平尾は酒ばかり飲んでて仕事してないじゃないか、とか(笑)。こちらが悪いときは、ひたすら謝るしかありませんが、でも、会社勤めのときの方が、そういうつらさは大きかったですね。
川崎:なるほど。お一人のときよりも?
下平尾:独りだとストレスは少ないですよ。自分が組織には向いていないことを、独立してから痛感しました。独りだと責任はすべて自分にあって、謝るのもすべて自分の責任ですよね。たとえば、奥付の「2016年」を「2014年」とやって刷り直しになったとしても、私が印刷屋さんに謝ればいいんだけど、サラリーマンだと会社に謝って、社長に謝って、会議で陰険にネチネチ言われるのに耐えて……とか。でも、いまだったら、「ああやってしまった。ダメだな、私ってば」と。
川崎:心の底から謝れそうですよね(笑)。
下平尾:素直に反省する機会になるんですが(笑)、私みたいなダメ編集者は会社勤めだとなかなかそうはいかない。といって、社内で優等生にもなりたくないですしね(笑)。
もう少し具体的な例を挙げますね。独りでやっていて大変だった作業といえば、今年(2016年)の春、ほぼ同時に3冊の本を出しました。小社では、DTPとデザインは友人にお願いして、編集はもちろん、それ以外の営業や事務作業まで基本的に全部自分でやっているんですが、助成金の関係もあって、その3冊を3月末までに出してくれといわれまして。そうでなくても年度末はそれなりにバタバタするのですが、助成金だって、こんなぽっと出の出版社に声をかけていただけただけでもありがたいじゃないですか。それで一手に引き受けたのですが……。
何がそんなに大変だったかというと、『日本文化に何をみる? ポピュラーカルチャーとの対話』という本では著者が4人いて、それぞれ2本書いているので、原稿が8本ある。もう1冊、『第一次世界大戦を考える』という本では、執筆者がのべ60人ほどいる。そしてさらに『異端者たちのイギリス』という論文集にも著者が50人ぐらいいて、単純計算しても100名以上の著者がいるわけです。
もちろん、早くから頂戴していた原稿も少しはあるんですよ。あるんですが、3月末に出すと決まっているものを10月から作業する編集者っていませんよね(笑)。そうしているうちに年が明けて、もうこれは勢いで突っ走るしかないと覚悟は決めていたのですが、著者が100人超えというのはさすがに楽ではなくて……。
小林浩(以下、小林):すごいな~。
下平尾:いずれもかっちりした論文集なので、しっかり原稿を読まなければならないし、DTPに出して返ってきたゲラも、1人で100人の著者に発送しないといけないわけですよ。紙でゲラを送るのだって、100人に送らなきゃいけない。そのゲラが返ってくるときも、紙で返ってきたりFAXだったり、最近はメールだったりPDFだったり。そうでなくても管理や整理が苦手なタイプなので、もう完全にお手上げで。それ以外にも銀行に行ったり打ち合わせに出かけたり洗濯したり晩飯作ったりするわけですから(笑)。
川崎:そうですよね、1日1人の著者とやりとりしたとしても、もう100日間全部潰れてしまう。
下平尾:著者からすれば編集者は私1人なんですが、こっちから見たら100分の1でしかない。圧倒的に非対称的な関係です。そのうえその3冊の著者はひとりも重複していないので、著者にはこっちの事情なんか関係ありません。でも、このときはDTPをお願いしている方が優秀な編集者でもあるので、赤信号を出してかなり助けていただきました。著者にもさぞご迷惑をおかけしたんだろうなと思うだけで、もう汗顔の至りです。
独立すると資金繰りのことも考えなくてはならず。それが最大の責任でもあるわけですが、次の本の企画を考えるうえでも、資金繰りの面でも、まとまった現金収入は断れないし、締め切りまでに出さないとそれこそ責任問題に発展しますからね。だけど……という愚痴でした(笑)。
川崎:質問なんですけど、エゴの衝突みたいなものから生まれる良さってありますか?
下平尾:それが、実はあって。つい先日のことですが、前職時代にご一緒させていただいた方から、「今度また論文集を出さないか」って声をかけていただきました。「あのときは下平尾とは二度と仕事をしないと思ったけど、自分のゲラにガシガシ意見を言って赤字を入れてくれる編集者とまたやりたいと思ったから、もう一度声をかけたんだ」って。
小林:わぁ、めちゃくちゃいい話。
下平尾:自分の仕事にも意味があるんだなって、非常にうれしかった。
小林:なかなか言ってもらえないですよね。
川崎:その方は絶対、下平尾さんじゃなきゃダメだったってことですよね。
下平尾:編集者なんて佃煮にするほどたくさんいるわけじゃないですか。しかも、白水社から本を出したい、河出書房新社から本を出したい、月曜社から本を出したいっていう人はいるかもしれないけど、「共和国? 何じゃそりゃ?」っていうレベルですからね。
小社には良くも悪くも下平尾しか担当者がいないので、非常に光栄だし、自分の仕事を反省的に考える契機になりました。人間関係の中で私たちは生かされているんだなっていうことを思いましたよ。
川崎:ありがとうございます。反省することしきりですね。こう、著者と取っ組み合いの喧嘩みたいなこと、自分にはちょっと足りないんで、もう少しぶつかろうと思いました。
文化的な遺産を発掘する作業の必要性
川崎:小林さんも自己紹介を兼ねて、お願いします。
小林:月曜社の小林と申します。今日はガラガラ声なんですけど、ちょうど今日のイベントの前に、2本ほど打ち合わせがありまして、侃々諤々。まあいろいろあったんですよ(笑)。
川崎:お疲れさまです!
小林:苦労した本。下平尾さんがさっき結論をズバッと言われた通り、基本的に人間関係ですよね。僕は営業の仕事の方がより長くやっているんですが、編集だろうが営業だろうが、出版人は人間関係っていうものを仕事のメインにするものであって、そこで苦労しないっていうのはほとんどないですよね。どの本も苦労しているし、「苦労なく作りました」などというふうに軽々しく言える本は1冊もないわけです。
逆にですね、「苦労しなかった本」というのはどういうことかっていうと、人間関係というものがより形式的な段階、つまり著者が死んでいる本ですね。
川崎:なるほど。いないですもんね、著者が。
小林:(苦労しなかったっていうのは)相対的にね。著者が死んでいて、なおかつ、著作権継承者がいない本。
著作権継承者がいても、その方がゴリゴリに出版界に対して懐疑的な目を持っていたりする場合にはすごく難しいですが、お金とかじゃなくって、亡くなった方の著者の本が出るならば嬉しいと考えてらっしゃる方が著作権継承者の場合には、(編集作業は)やりやすい。
それは日本の著者だろうが、海外の著者だろうがあんまり関係なくって。人文書で言えば、僕がやっているような哲学の分野で、たとえば海外にはジャック・デリダ(1930-2004)という有名な人がいますけど、まあ死んでからがめんどくさい。どこがどう著作権を管理しているのか、あっち行ったりこっち行ったりする場合もあれば、原著出版社から「翻訳書には訳者の解説を載せるな」とか言われる場合もある。必要なものなのに。だから、著者が死んでも著作権継承者が権利を継いでいて、原著出版社が厳しく管理している場合、かえって存命中よりも扱いにくい場合もあるんです。著者が存命中だったらもっと著者本人とやりとりができるから、「よっしゃよっしゃ」で進むんですけど(笑)。
一番苦労しないのは、著作権がフリーになっていて、こちら側でどう料理しようが、誰かからクレームが来るわけではないっていう感じのときですかね。実際、今まで著作権フリーになっている著者でも、まだまだ再発掘する余地がある方っていうのは本当にまだまだたくさんいるわけで、「どう再評価するか」という手腕が問われるわけなんです。
「重版未定」の第1話でも、「この本、どんな気持ちで作った」って聞いて「間に合わせようと思った」っていうやりとりがありますよね。そこに如実に描かれている通り、売る本がなければ出版社は動けないわけなので、計画された期日を守るのはとても大事です。ただそのサイクルがどうしてもスクラップアンドビルトになっちゃうことがある。古いものの復刊よりも新しい本を作ることの方に重点が置かれるし、既刊書だけの売上ではお金が回らないのでとにかく新刊を作り続けなければならない。
[「重版未定」第1話「入稿」より]
文化的な遺産っていうのは、本当は僕らが目を向けてないだけでたくさんあるはずなので、それを発掘していくっていう作業もどこかで出版社はやらなきゃいけないんじゃないかなと思うんですけどね。
復刊とか復刻となると往々にして資料集とかが多くて、もう、素人の手の出る値段じゃなくなっている。僕はそういう本を出すのも商売としてはアリだと思うんだけど、日本の出版の遺産っていうものを耕すためには、もう少しやり方があるんじゃないかなと思います。
“営業担当を説得する材料”を編集者が集めきれるか
川崎:明治期・大正期の娯楽小説とかに、自分は興味があって。江戸川乱歩の時代には乱歩しかいなかったわけじゃなくって、同時代の大衆小説家っていっぱいいて。でも、尾崎紅葉って言ったって今の読者は知らなかったり、「金色夜叉」をギリギリ読んだことがあるぐらい。そういうものを小林さんがおっしゃる通りリバイバルして……著作権継承者がいないパブリックドメインの作品とかは狙い目だなと。
小林:できると思う。ただ、下平尾さんとか僕らみたいな、1人や2人でやっている出版社の場合、誰かが決断すればやろうっていう話になるんだけど、川崎さんがいる出版社のように組織としてカチッとしているところで、一編集者がそれをやろうとすると、「解説は誰に書かせるの」とか「帯は誰が書くの」とか……
川崎:「読者はいるの?」とか(笑)。
小林:そうそう。「誰が読むの?」みたいな(笑)。
川崎:「俺が読者だ!」って言いたいところはあるんですけど。
小林:ははは(笑)。そうすると、どんどん資料的なものになっちゃう。「3万円する本になりました」と。
下平尾:古い雑誌の復刻なんかもよくあるんですけど、あくまで雑誌なんで読者にとって本当に読み応えのある記事やページは実際には少なくて、単に資料的な価値として揃っているだけ、というにも見えますね。
前世紀中頃の探偵小説作家とか通俗作家とか、そういう作品を復刻するとなると、彼らの作品はもう玉石混淆なので、本当に面白い作品、現在の視点から読み返すことができる魅力をしっかり引き出せるかどうかが編集者の肩にかかっている。それは企画会議では誰とも共有できないかもしれませんが、本を出したときに実際にその面白さを何人と共有できるかですよね。
小林:川崎さんは実際、お勤めの出版社でそういう企画を今まで出されたことってありますか。
川崎:出そうとしたことはあるんですけど……たとえばですが、初刷り部数が2500部とか3000部だったときに、じゃあその企画は3000部の売上を担保できるのか。昔の本を復刻して3000人も買う人がいるのか。「大正元年に最も売れていた本なんです」と言っても意味ないわけですよ(笑)。現代においてそれが面白いか面白くないかみたいなところの、“営業担当を説得する材料”ってのが、僕の怠慢なのかもしれないですけど、集めきれない。なので、通らないことが多いですねぇ。
小林:それがひとり出版社、ふたり出版社の場合にはできるってことですね。
川崎:ご本人が「GO」って思えばいけちゃうと。
下平尾:そのぶん、何があっても全部責任を引き受ける。
川崎:なるほど。売れなくても、「営業が売れるって言ったじゃん!」っていう言い訳は後で通じないってことですよね。非常に勉強になります。
[2/4「部数をどう決めていくか」に続きます]
構成:五月女菜穂、松井祐輔(NUMABOOKS)
写真:五月女菜穂
編集協力:中西日波
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