最近、やよい軒に行く時に「味噌かつ煮定食」より「肉野菜炒め定食」や「サバの塩焼き定食」を食べるようになった。
別段、人間ドッグで冷や汗をかくような結果が出て健康に気を使いだしたわけでない。単純にそういう「好み」に変わったという話である。
思えば外食をする時にも、数年前までは「ステーキ!」「焼肉!」の中学生のようなローテーションを平気でこなしていたのに、今では「寿司」「天ぷら」のような海鮮や和食を好んでいる。人の趣味嗜好とは気付かぬ間に変わっているものだ。
ゲームにおいても同様である。私も数年前まで最高グラフィックで遊ぶノリノリのAAA級タイトルこそ至高だと思っていた。金をかけたのだからその分面白いのは当然とまで言わないが、しかし金をかけたゲームにハズレが少なかったのは事実である。
今ではどうか。すっかりAAA級ゲームと呼ばれるようなタイトルに手を出すのが億劫になった。
最新ゲームを遊ぶ度に「重い」と感じる。やはり一本のゲームをクリアするまでが長いのだ。クリアするまで謎の重圧がかかってしまうし、むちゃくちゃ広いマップも、バチバチに派手な演出も、興奮より疲弊が先走ることもある。
遊び方も変わった。最近ではサブクエストや収集物などのやりこみ要素はバンバン飛ばすようになったし、裏ボスまでクリアせず辞めることも増えた。実際の所、多くのゲームは中盤までに遊ばせたいことを出し尽くし、プレイヤー側もゲームをマスターしてしまうので、途中から完全に惰性で付き合うことになるのだ。
とは言え、昨年はSwitchから2大ビッグタイトルも出たし、今年は『モンスターハンターワールド』はとても完成度が高く、『Red Dead Redemption 2』も控えているのだから、少年のようなワクワクする気持ちは残っている。それでも味覚が変わったことは否定できない。
『Slay the spire』
それよりも手が出るのはインディーズゲームである。最近遊んだ限りでも『Doki doki Literature Club !』や『Slay the spire』、『Into the Breach』、『They Are Billions』、『VA-11 Hall-A』は実に優れた作品だった。
元々インディーズゲームといえば、良く言えば意欲的クリエイターによる実験場、悪く言えば玉石混交の地雷原という印象だったが、最近のインディーズゲームは平均的な質が上がりすぎて驚く。今のインディーズは全体的に凄まじいコストと熱量がかかっており、低価格に釣り合わない程に上質な作品が多数転がっている。(全てとは言ってない)
といえ、あえてインディーズを遊ぶ最大の理由は、究極的に「プレイ時間が短くてもクリアできる」か「クリアを意識せず適当に楽しめる」といった惰性的な理由である。ボリュームも、演出も、難易度も、とにかくシンプルで軽い。なので仕事で疲れた夜でもサクッと遊べる。
それでいて、作品ごとに残る印象はインディーズゲームも負けていない。いや並の大型タイトル以上だ。インディーズゲームはとにかくテーマが明確で、無駄がなく、わかりやすい。物語を伝えたいのか、複雑な戦術を楽しませたいのか、その違いもハッキリしている。
『Doki Doki Literature Club !』
『They Are Billions』
何故このような変化が起きたのか。恐らく私自身の性格が原因と思われる。単純に仕事が忙しくゲームを遊ぶ時間を確保できないのも理由の一つだが、何より冒頭で述べたような「肉より魚」「こってりよりあっさり」な性格の変化が一番大きいのだろう。
食に限らず、音楽や車に対してもそうだ。常に人の趣味嗜好は変化する。これがゲームで起きても不思議ではない。
決してゲームに対する情熱が失われたわけではないし、AAA級タイトルを遊ばなくなったわけではない。ビッグタイトルにおいても、去年なら『ゼルダ』『マリオ』に加え『モンハン』や『ホライゾン』等、私が楽しめた作品はいくらでもあった。いくら魚好きだからといって、霜降り黒毛和牛を食べない理由にはならないのである。
重要なことは、「味覚の変化」との付き合い方である。大人になって「ゲームに飽きた」と感じることは誰しもあると思う。別にそれでゲームとキッパリ縁を切ってもいいのだが、もし惰性で続けている感が拭えないのなら、私のようにインディーズで「サッパリした味」を求めても良いし、ソシャゲをポチポチ遊ぶのも良いだろう。esportsと呼ばれる競技性の高い対人ゲームも悪くない。
何にせよ、自分の新たな味覚に合うようなゲームを探せば良い。或いはつまらないゲームは早急に見切りをつけるとか、実績やトロフィーは放置するとか、遊び方にも工夫できる。
既に老害ゲーマーといえ、文句を言うより探究心を働かせることが大事なのだ。