1990年代に入ると、さらに雲行きが怪しくなってきた。
1980年代の育児ネットワーク研究は、親族に頼れなくなったら近所のひとたちと助け合い、子育てのための新しいネットワークを作り出す母親たちという、明るい方向性も示していた。
しかし、近所の人たちとのおつきあいは誰にでも簡単なことではない。「公園デビュー」という言葉が生まれ、育児をめぐる近所づきあいのストレスが指摘されるようになった。
1999年には、母親どうしのトラブルにより、育児仲間の子どもを殺す悲惨な事件まで発生した。音羽事件と呼ばれる事件である。「育児ネットワーク一定の法則」を実現できず、子育てに支障をきたすケースがじりじり増えてきた。
1980年代に比べて、2000年代には乳幼児の親の孤立と育児不安がさらに進んだという研究がある。
1980年に実施した調査の結果である「大阪レポート」と、それと比較可能な質問紙を用いて2003年から2004年に実施した調査にもとづく「兵庫レポート」を発表した大阪人間科学大学教授の原田正文さんは、20年以上の時を経た2つの時点の結果を比較している。
それによると、「近所でふだん世間話をしたり、赤ちゃんの話をしたりする人」が1人もいない母親の割合は4ヵ月検診の段階では16%から32%に倍増、「育児のことで今まで心配なこと」が「しょっちゅうあった」母親の割合は4ヵ月検診の段階では11%から14%に、3歳半では7%から14%に増加している。
とはいえ、「育児の手伝いをしてくれる方」がいると答えた割合は、年齢にかかわらず約60%から約90%に大幅に増加している。具体的には父親(つまり夫)と母方祖父母が倍以上手伝ってくれるようになっている。
すなわち、親族ネットワークから近隣ネットワークへの転換は芳しくなく、少なくなった家族・親族にしがみつくしかない様子が浮かびあがってくる。
このように半世紀ほどの歴史的変化を追ってみると、はっきりしているのはきょうだい数の減少という人口学的な条件と、その影響を受けた育児ネットワークの変化だった。
きょうだい数の減少は、多産多死から少産少死への変化という(専門的には人口転換と呼ばれる)社会の近代化に伴って起きる人口学的変化の結果なので避けることはできない。
それに伴ってなされるべき育児ネットワークの再編成がうまくいかず、十分な育児サポートを得られない孤立育児が増えてしまったというのが、日本の子育てが大変になった原因であることが見えてくる。
ここで、ちょっと待てよ、と思う人がいるだろう。
人口学的変化は近代化に伴う不可避の変化だと言った。それなら日本以外の社会でも同じ変化が起きているだろう。
なぜ日本だけが「世界の特異点」と見えるほど、子育てを負担に感じる社会になってしまったのだろうか。
この問いに答えるには、海外調査を含めた子育ての国際比較に乗り出さざるをえない。
(続く)