ふたりっ子感想戦 On dit des jumeaux qu'ils sont l'incarnation des anges. |
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三倉茉奈ちゃん 三倉佳奈ちゃん |
"双子は、天使の生まれ変わりと言われている…" このフランス語は、"人間は、誰でも神に守られている" とも訳せるそうですが、ほんとうの意味はよくわかりません。 でも、これは「ふたりっ子」にある、もうひとつの物語なのです。
1995年12月、双子のダブルヒロインで次期朝ドラは行くことになり、そしてほぼ同時に、その少女
時代を描くことが決まり、ヒロイン子役の募集が始まりました。その条件は、「大阪弁をしゃべられ る小学5年生くらいの双子の女の子」。 翌1996年1月下旬、大阪で行われた子役オーディションに応募し参加したのは、約10組の 双子たち。突然渡されたオーディション用の台本。小学生には読めない漢字がいっぱい。 次々と名前を呼ばれ、質問され、オーディションに挑む子供たち・・・。 当初、設定されたヒロイン子役は、小学5年生の双子の女の子。ドラマでは最初の第8回までを 描く予定でした。しかし、集まった子供たちは中学生くらいの子が多く、次々と選考していく中で 二瓶PC、長沖CDら、主な制作スタッフは困惑したそうです。イメージ通りの子供がいない…。 そんな時、ふたりの女の子に目がとまりました。それは、小学4年生の二卵性双生児姉妹。 長い髪を腰まで伸ばし、二卵性なのに、よく似ている双子の女の子。もうすぐ10歳のわりには 小柄な女の子。身長は130センチもなかった。 「三倉茉奈です!三倉佳奈です!」 緊張しながらも元気一杯に答えるふたり。でも、台本を読ませてみると、セリフは棒読みで全く 芝居になっていなかった。だけれども、元気で明るく、質問にも一緒に答える程、息の合った愛くる しいふたりの様子が、二瓶CPたちの心の中に何かを残していた。 オーディション終了後、芝居はまったくだめだが、ほぼ設定通りの歳格好だし、元気なふたりで 行ってみようと、二瓶CP他、スタッフ全員一致で、「まなかな」に即決しました。 その2,3日後、脚本の大石静さんの意見も聞く。大石さんの前でも元気で明るい素直なふたり。 大石さんは、双子のふたりにいろいろな、双子ならではの話を聞いてみたそうです。 そして、ビジュアル的にもいけると、ふたりに太鼓判を押しました。 とりあえずスケジュールを空けておくようにとだけ、ふたりの元へは伝えられましたが、それが 合格を意味しているのかは分からず、ドキドキしながら何日かを過ごしていたそうです。 しかし、この時一番悩んでいたのは、長沖CDだったことでしょう。この子たちに、どう芝居を教え ていったらいいのだろうか・・・。撮影開始までは、まだ時間はある。きっと何とかなるだろうと割り 切ってはいたようです。 こうして1996年3月頃、ふたりに「ふたりっ子」合格を伝え、4月からは演技指導、特訓を始める ことになったようです。 ふたりが出会ったこの人たちは、その一生を決める かもしれない運命的な出会いだった・・・。 | |
三倉茉奈、三倉佳奈のふたりは、5歳になる直前、児童劇団に所属し、すぐにチチヤス乳業の ヨーグルトCMに出演します。周囲からも愛くるしいと評判だった双子は、進められるままに児童 劇団に応募し入団していました。本人たちもこの仕事?が楽しくて仕方なかったようです。 しかし、特に大きな仕事が来たわけではなく、ファッションショーのモデルやバラエティー番組や地方 CMなどに出演する程度だったようです。 双子であることは周囲の注目を集めましたが、同時にライバルともなりました。二人同時に来る 仕事は、なかなか無かったようです。けど、小学1年生の時、映画の話が来ました。 しかし、その映画「シーズレイン」で選ばれたのは、茉奈ちゃんひとり。ふたりは、初めて別々に なります。茉奈ちゃんは、この時共演した菊池麻衣子さんとは、その後「ふたりっ子」で運命の再会 をすることになります。この偶然をふたりは、とても驚いていたようです。 「シーズレイン」の時、不合格となった佳奈ちゃんは、かなりガックリしていたようで、「佳奈は何が アカンかったんやろ…」、と呟いたそうです。双子であることを十分認識していた彼女は、これまで ふたりは一緒だと思っていたのでしょう。駆けっこも鉄棒も一緒にできた。なのに…。 そんな時、お母さんがかけた言葉は、「茉奈は、菊池さんに似ていたんだよ」。菊池さんに似ていた ことが、茉奈の合格した要因であって、決して佳奈が劣っていたわけではない。そう言いたかった のでしょう。 「茉奈は、やっぱり菊池さんに似ているのかなぁ・・・」 「ふたりっ子」で再び、菊池さんの少女時代をやることになった茉奈ちゃんは、ふとそんなことを 口にしたそうです。ふたり揃っていつか、映画やドラマに出る。この願いは「シーズレイン」の時から 強くなっていったようです。 | |
「ふたりっ子」のオーディションを受ける直前の、ふたりの様子を映した貴重な映像があります。 1996年1月17日に放送された、公開オーディション番組、「BLT子供女優グランプリ」。 200名の中から選ばれた、10名の子役に混じって、9歳のふたりも参加。お揃いの服を着て 長い髪を、おさげにした様子は、リンリンとランラン(笑)。 ハキハキと明るくしゃべる茉奈ちゃん、ほとんどしゃべることがなかった佳奈ちゃん。 この時から、今とあまり変わっていないようです(笑)。この映像は「ふたりっ子」オーディション でのふたりの様子をさぐる、貴重な手がかりとなりました。 残念ながら、この時はアッサリとふたり揃って不合格。でもこの後、ふたりにはもっと注目する 人たちが待っていたのでした。 | |
1996年3月。「ふたりっ子」オーディションに合格し出演が決定したふたりは、とたんに騒がしく なりました。4月からは、5年生に進級し同時に演技指導が始まります。 2月23日、迎えた10歳の誕生日はすべての始まりでした。 新学期早々4月13日、長沖CDらによって、いよいよ演技指導、特訓が始まりました。 BKのある谷町四丁目まで、学校が終わると地下鉄で通う毎日。時には、ランドセルを背負った ままで行くこともあったそうです。ほぼ毎日2、3時間、6月9日までの2ヶ月間、みっちり特訓が 行われました。 初め、茉奈と佳奈のどちらに、「麗子」、「香子」の役をやらせるかとなりました。台本を渡され たふたりは、それぞれのセリフの数を数えた結果、香子の方が多かったので、ふたりとも香子 をやりたがったそうです(笑)。それだけふたりは、初めてのドラマ撮影を喜んでいたのでしょう。 まず、長沖CDは、それぞれに麗子と香子をやらせてみました。でも、この時すでにジャンケン をして、佳奈ちゃんが香子をやることに決まっていたらしいんですけどね(笑)。 ぎこちない二人の芝居でも、長沖CDの目には、茉奈ちゃんの落ち着いた態度、顔の表情が 麗子に映り、佳奈ちゃんの鋭い目とアッケラカンとした様子が香子に見えたらしく、それぞれの 役を決めたそうです。こうして茉奈が「麗子」、佳奈が「香子」をやることになりました。 特訓は芝居はもちろん、歌やダンスの練習もありました。茉奈ちゃんは麗子役なのでビアノの 猛特訓。元々、ビアノは習っていたけど要求されたのは、小坂明子の「あなた」。もちろん聞いた ことはない。鉛筆が持てなくなるほど練習をしたそうです。 佳奈ちゃんは香子役なので将棋。もちろん知りません。お父さんやスタッフに教えてもらったり していたようです。 そして二人ともやらされたのが、「ピンクレディー」と「キャンディーズ」でした。 もう全然知りません(笑)。「ペッパー警部」と「年下の男の子」は、振り付けも合わせて猛練習と なりました。「年下の男の子」では、途中から田中好子さんも指導に加わったようです。 こんな感じでドラマは、1976年の頃を時代設定していたので、阪神タイガースの古い帽子や なんやかや、ふたりにはサッパリ分からないものが用意されていたようです。 | |
しかし、肝心のお芝居がうまくいかない。 セリフは頭に入っていても、それを体と表情で表現することは難しい。児童劇団に所属している とはいえ、本格的なお芝居は初めてのふたり。長沖CDらの熱のこもった演技指導が続きました。 時には、怒鳴ることもあった。時には、優しく語りかけることもあった。 そんな中で、「違う!なんで、出来へんねん」の一言に、ふたりは涙したこともあったという。 その日はもう稽古にならない。でも翌日になると、ケロッとしてまた稽古にやってくる。けなげにも 根性のあるふたりだったようです。 そんなふたりは、自宅で台本を読んだり、演技の練習をすることは、まったくなかったとか。 両親もビアノや将棋を教えるくらいで、芝居について口を出すことはなかったといいます。 すべては、稽古場で覚えて行ったようです。 では、どんな演技の特訓が行われたのでしょうか?長沖CDらにあった考えは、凝り固まった 芝居にならないようにすることだったようです。まずふたりに、台本を徹底的に声読みさせました。 柔軟性を持ち、感性で動ける役者にしたいと、表情、間合、動きについては、ほとんど教えなか ったそうです。在りきたりの芝居ではなく、自分の頭で考え、動けるようになってもらいたい。 元々ふたりの中にある素直な心を引き出したい。 思考力をフルに生かした特訓で、ふたりは自然に麗子と香子になっていったようです。そして だんだんと、佳奈ちゃんは普段でも外股歩きに、茉奈ちゃんは、おとなしく上品になっていった そうです。ふたりとも普段は、役とはまったく違うキャラだったようですが、気がついた時には 麗子と香子がのりうつっていたようです(笑)。 その髪を、役のために肩までバッサリと切ったふたり。 この瞬間、麗子と香子の「ふたりっ子」が誕生した・・・。 | |
6月10日、明日からいよいよ撮影が始まります。 「本読み」では、自然な表情と感情でセリフを口にしているふたりがいました。特訓は大成功。 子供の吸収力は素晴らしい。その子が素直なら素直なほど、その吸収力は大きくなります。 なんの疑いも持たない茉奈ちゃん佳奈ちゃんは、長沖CDの言われるがままに芝居を体感して いったのでしょう。この2ヶ月間、みっちり稽古をしていたふたりは、他の出演者のセリフまで全て 覚えてしまっていたそうです。 6月11日、朝、撮影開始。最初のロケで、いきなりNGを出す茉奈ちゃん。 やっぱり緊張していたようです。翌日もロケが行われ、香子と銀じいが王将碑の前で出会う あの名シーンを撮影しました。長沖CDに「違う違う、そうじゃない」と注意されながらも、佳奈ちゃん の撮影も進んで行きました。 ある日は、学校を借りてのロケ。撮影の合間もバスケをしながら遊んでいるふたり。 この日の撮影は、麗子と香子が内緒で入れ替わるシーンの収録。衣装も髪形もいつもと変えて 登場したふたりに、スタッフらはホントに、どっちがどっちか分からなくなってしまったとか(笑)。 そして、このままロケが続き、26日からはスタジオ収録の開始。 用意された「通天閣将棋センター」のセットを興味深げに見ているふたり。何もかもが初めて目に するものだったことでしょう。 今度は、佳奈ちゃんがNGをやってしまいます。教室のシーンで阿部君の頭に給食のシチュー をぶっかけるはずだったのが、肩にかけてしまった。本人は失敗してしまってドキドキ。 阿部君はシチューだらけになってしまい着替えへ。もう一度撮り直しとなりました。 佳奈ちゃん曰く、リハーサルの時はカラのお皿でやったんで、本番はホントにシチューが入って いたので重たかったそうな(笑)。 7月からは、城崎、香住にもロケに行きました。 温泉や磯辺でのシーン等を収録し、ちょっとした旅行気分だったかもしれません。けど、大変な 撮影もあったようで、夜の電車内のシーンでは、ホントに夜、電車を走らせて撮影したそうで 限られた時間と空間の中、緊張した収録だったことでしょう。 そして、夏休みを迎える直前、第8回まで登場するふたりの撮影は、すべてが終了しました。 ふたりにとっては激動の小学5年生の一学期だったようです。 とたんに普通の小学生に戻ったふたり。プールに行ったり宿題をしたり、夏休みは穏やかに 過ぎていったようです。 | |
9月、「ふたりっ子」の試写会が行われ、ふたりは初めて本格的にメディアの前に登場します。 この時の様子は、当時の各テレビ雑誌等で報道されました。NHKの番宣でも、ふたりの様子が 流れ出し始め、放送は目前に迫ってきました。 そして10月6日、放送開始前日。ロケ地となった西天下茶屋の街で幟を持って、二瓶CPらと 番宣PRをしているふたり。これが初めてのイベント参加なのかもしれません。 「ふたりっ子が明日から放送されまぁ~す。見てくださぁ~い。」 このあと、ふたりを待っていたものは、想像を遥に越えていた。 この日を最後に、ふたりは、「ふたりっ子ちゃん」、「まなかなちゃん」になってゆく。 この一枚の写真は、その前日のふたりの様子である。 運命の日は、明日だった。 | |
10月7日、「ふたりっ子」放送開始。 ふたりは、学校の給食時間にクラスのみんなと一緒に放送を見ていたそうです。ふたりとも別々 のクラスだったので、お互いそれぞれで見ていたようです。友達の反応は、「茉奈、いつもと全然 ちゃうやん」、「佳奈は、忘れ物するところは似とるなぁ」。 ほんとうの茉奈ちゃんは麗子のように、おとなしく上品なわけではなく(笑)、活発でおしゃべり な女の子だったようで、佳奈ちゃんは、香子のように忘れ物をよくしていたらしい。でも、あんな 乱暴な言葉は使っていなかったとか(笑)。 そして街に出ると、もうすぐに知らない人から声をかけられてきた。 放送が始まった最初の第一週で、NHKに寄せられた反響は約500件を越え、その90%はふたり に対するものだったようです。その一週間の間に、ふたりは関西ローカルながらも民放のトーク 番組に出演。雑誌や新聞の取材も殺到しました。次から次へとイベントやテレビへの出演依頼 がやって来る。通天閣完工式典への参加、日米野球の始球式、時には、従兄弟の通う幼稚園 でスピーチもさせられたとか(笑)。 第一回の視聴率は、過去最低の数字だったが、ふたりの出現に数字は急上昇。この勢いは 衰えを見せることなく、ヒロインが本格的に登場してからも伸び続け"まなかな効果"は相乗効果 となって広がって行きました。 | |
そんな中で、二瓶CPらは、ふたりの再登場を検討し始めます。まず予定されていた回想シーン を追加。10月に入り新たに、花火(第54回S7)やトランプ(第69回S2)のシーンを収録することに なりました。それでも反響は大きく、本格的な再登場をさせることにしました。 当初あった物語の筋書きは、麗子が双子を産んで終わる予定だったようで、その話を三週間 分膨らますことにして、麗子の双子の子供役で、まなかなちゃんを再登場させることにしました。 しかし、時代設定が合わなくなる。当初は、1997年頃まで、つまりヒロインが30歳になるくらいまで を想定していたので、麗子の子供となると少なくとも、あと5年は延長しなくてはならなくなる。 苦心した結果、時代設定を、2001年とすることにしました。 朝ドラで時代設定がハッキリと未来(1996年当時)となったのは、初めてのことだそうです。 この脚本変更のため、予定されていた三週間分のストーリーがどういうものだったのか、とても気 になるし、ある意味、残念なことだったかもしれません。しかし、この変更により、オーロラ輝子の 出演延長も実現し、視聴者的には歓迎されました。この柔軟な姿勢は、大阪らしくて僕は好き なんですけどね。 ともあれ、1996年11月頃、「ふたりっ子」へ再登場が決定した、まなかなちゃん。 もう一度BKに行ける、みんなに会えると大喜びだったようです。 用意された役は、「真実」「玲実」という名の、これまた双子の姉妹役。「二千一夜のミュウ」という 劇中歌も用意され、CDテビューすることにもなりました。 今度は、茉奈演じる「真実」のシーンが多く予定されていました。最高4行だったセリフも7行に 増え、芝居も違うものが要求されました。ふたりのライバル心は凄かったようで、出番も同じ、回数 も同じにしようと配慮があったようです(笑)。前回は、「香子」を演じた佳奈ちゃんの方の出番が 多かったので、今度は、茉奈ちゃんの出番を多くしたというわけのようですね。 そう言えば、オープニングタイトルで最初は「三倉佳奈 三倉茉奈」の順番だったけど、後半から は逆になっていましたね(笑)。 | |
1997年1月15日。再び撮影が始まりました。3月12日放送の第129回から最終回までの出演。 麗子とマサの双子の娘役、茉奈演じる「真実」、佳奈演じる「玲実」。 キャラ的には麗子と香子を演じた時とあまり変わりなく、「玲実」は、香子の数倍アホになり やんちゃになった。「真実」は優等生でシッカリもの。でも、お母ちゃんに反抗していくあたりは 今までとは違っていました。 あれから、半年が過ぎ、ふたりの芝居にはクセが付いて来ていたようです。 身長も、約4センチ伸びて雰囲気も少し変わって来ました。何も分からぬままに演じていた半年前 とは、もう変わっていたようです。長沖CDは、まずクセの付いたふたりの芝居を矯正することから 再び指導を始めていきました。カメラを意識してしまう表情、時にはカメラ目線になることもありま した。どうしても作った表情になってしまう・・・。 ある日は早朝から、ある日は夜遅くまで、真冬の撮影は大変だったようです。 夜の公園のシーンでは極寒の中、深夜までロケが行われたようで、衣装は薄着だったこともあり 寒く心細かったことでしょう。 そんな中、ある時、佳奈ちゃんの声がつぶれて出なくなってしまったことがあったそうです。 怒鳴るような大声を出すシーンが多かったせいもあるかもしれませんが、勘を取り戻すために 何度も練習をしていたのでしょう。そんな、佳奈ちゃんの瞳からは、涙が流れたそうです。 おそらく、ふたりっ子をやって来て、収録で涙したのは、これが初めてだったのではないかな。 辛いとか、声がガラガラ声になってしまったショックからではなく、撮影が遅れてみんなに迷惑が かかる不安、そして何より悔しかったのでしょう。責任感が強く、根性のある彼女が流した涙には 相当な思いがあったに違いない。そんな時一緒に涙したという長沖CDには、誰よりも彼女の気持ち が分かったのだろう。この1年近く、一緒に一から芝居をつけてきたのだから・・・。 でも、茉奈ちゃんの方は、長台詞が言えなくて、泣いちゃったことがあったそうですけどね。 「いつもいつも双子やからって・・・・」 2月8日からは、再び城崎でロケをおこないました。今度は大々的に行われ、登場するシーンも 多かったようです。そして、楽しい宴会が待っていました(笑)。カニをお腹一杯食べたそうです。 カニに限らず、当時のふたりの食欲は、それはもう・・・スゴカッタようです(笑)。あ、今もかな。 | |
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ふたりが当時、語っていた夢は、「誰からも好かれるような女優さんになりたい」。 目標は西田ひかるさん。でも、歌も歌ってみたい、あれもやってみたいと、夢は膨らんでいました。 生まれ育った街、大阪が大好きで、その話す言葉も、考え方もベタベタな大阪な女の子のふたり。 ところで、ふたりは二卵性双生児です。けど似過ぎているらしい。 これまで双子のタレントは、何組も登場してきましたが、こんなにそっくりな二卵性の双子っていた のかな? 一卵性とは違って、二卵性の双子は兄弟程度にしか似ないと言われているそうです。でも、ふたり はホントそっくりです。専門家の目にも、歯並び、髪の生え際など、二卵性とは思えないくらい似て いるそうなのです。でも、最近は表情や個性がハッキリとしてきました。いつか、麗子、香子のよう に別人みたいになるのかな(笑)。 | |
「ふたりっ子」に、二度登場したまなかなちゃん。 初めは、「8回しかでえへんのやから、すぐに忘れられて大したことないやろ」と思っていた、茉奈 ちゃん(笑)。 1997年2月21日、クランクアップ。すべての撮影が終了しました。最後の収録は、第146回、史郎 とのタイトル戦に悩む香子とそれを見守る、麗子、真実、玲実のシーン。残念ながら放送では まなかなちゃん演じる「真実」「玲実」のシーンはカットされてしまったようです。けど、終了と同時に 4人には、お疲れさまと祝福の声援。オーディションに合格してから丸一年のこの日、ふたりは もう新しい世界に足を踏み入れていました。 あさって23日は、11歳の誕生日。ふたりにとって忘れられない一年だったことでしょう。 幻の「ふたりっ子」ラストカット | |
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「ふたりっ子」は、これまでの朝ドラにはなかった新しい風が吹きました。 それは、大石静さんの脚本の素晴らしさはもちろんのこと、長沖渉さんの演出、そしてそれを実現 させた二瓶亙さん、すべてのスタッフ、出演者たちによって実現しました。 その原動力となり、視聴者の心を掴んだのは、この三倉茉奈ちゃんと三倉佳奈ちゃんだったこと は間違いないでしょう。確かに「おしん」以来、子役に注目が集まったと言われましたが、それは まったく違っていて、ふたりは「子役」という域を初めから脱していました。 どこにでもいる、路地裏で遊んでいそうな子供。だけど、人々の心を引きつける不思議なものを生 まれ持っていたふたり。 そう、それはまるで "On dit des jumeaux qu'ils sont l'incarnation des anges." その、まなかなちゃんの登場、ふたりっ子への反響、その後の活躍は、これまでとは全く違うもの でした。 ふたりの普段の生活も、これまでの「子役」とは全く違うものがありました。何よりも学校と友達 と遊ぶことが大好き。どんなに有名になって騒がれても、今までの生活を大切にしようとしました。 そのために断った仕事もたくさんあるといいます。スタジオに宿題を持ってきて収録の合間に 勉強しているふたり。もちろんスケジュールによっては、学校を休んでしまうこともありました。 でも、テストはいつも高得点だったそうです。 確かに、「ふたりっ子」になってから、友達と遊ぶ機会は少なくなってしまったようですが、学校の 先生も友達も応援してくれて、今まで通りに「まな」と「かな」として接してくれたようで、お母さんも 「ふたりがやりたいことは応援してあげたいけど、勉強をしなくなったら仕事はキッパリ辞めさせる」 というほど、学校での生活を優先させたようです。そして、このスタンスは今でも変わっていません。 流行り物に飛びつく世の中のひとたち。あれから4年近くが経ちブームは一段落した中、ふたりは 今、一歩ずつ、それぞれの大人への階段を登っている。 これから、ふたりに待っている未来とは、どんなものなのだろうか。 僕は一緒に、その様子をこれからも見つめて行きたいと思っています。 | |
最後に、「ふたりっ子」が終了した一年後の1998年3月。 ある番組で、ふたりっ子を育んだ長沖渉チーフディレクターが 小学校を卒業するふたりに、よせた言葉を紹介したいと思います。 双子のオーディションで、ふたりとも髪の毛が腰の近くまであって あの頃は本当にそっくりでしたね。大石静さんとも会っていただいて お芝居は下手くそだけど、とにかく明るく可愛いキャラクターで あっと言う間に採用を決めたのを思い出します。 今だから言えますが、あの時君たちと出会っていなかったら 麗子と香子の双子姉妹は、普通の姉妹になっていたと思います。 というのも、対照的な双子の姉妹という企画に自信はありましたが 本当にそんなふたりっ子がキャスティングできるか、まったく自信がなかったからです。 お芝居の特訓をしながら、一日、一日と見違えるように君たちの感性が 磨かれていって、実生活でも聡明でおしゃまな麗子と、アホでおてんばの香子の キャラクターが自然にでてるのを見て、「このドラマは行けるぞ!」と 私は自信を深めていきました。 君たちの出演は8本だけでしたが、あっと言う間に「ふたりっ子」は大ヒットし 君たちの再登場を望む、はがきや手紙がNHKに舞い込みました。 ・・・・・中略・・・・・・ これからも、歌にドラマに大活躍を期待したい。それはもちろんのことですが 私は君たちに、あえて申し上げたいことがあります。 それは、これから中学生になる君たちにお仕事だけが 人生のすべてにならないでほしいということです。 学校の勉強はもちろん、クラブ活動や遊び、同年代のお友達を たくさん作ることが、君たちの感性をどんどん磨いていくことになるのです。 大人の世界を知りすぎて、歪んでいった子役の人達をたくさん見てきました。 この世界に引きずり込んだ私がこんな事を言うのも矛盾しているのですが 大人になった君たちが、今のすてきな明るさとやさしい心を失わず チャーミングな女性になってほしいなと、心から祈っているのです。 |
プロフィール | 1996年秋 | 2003年初夏 |
本名:三倉茉奈 1986年2月23日、大阪市生まれ育ち 1991年5歳の時、CM出演 1993年、映画「シーズレイン」 メイトクシステム 所属 |
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本名:三倉佳奈 1986年2月23日、大阪市生まれ育ち 1991年5歳の時、CM出演 メイトクシステム 所属 |
さてさて、こちらは最近のまなかなちゃんです。(2003年6月) どうです、ずいぶんと色っぽくなりましたねぇ~・・・。 |
おやおや、やっぱりまだまだいつものふたりなのでありました(笑)。 |
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