先週からまた、大学で行う週一回のプロジェクト・マネジメントの講義が始まった。準備にはそれなりに手間がかかるが、それでも、授業自体は楽しい仕事だと思う。わたしはなるべく、大学の講義をインタラクティブにやろう、と心がけている。単なる一方的な講義形式では面白くないし、自分が学生だった頃のことを思い出してみても、そうした授業で頭に残った事は少ない。 教育とか研修は、それを受けた後で、自分自身の行動が変わらなければ、ほとんど価値がない。学びとは、自分の能力を高めるために行うものだ。単に知識が増えただけで、自分の行動に変化がなければ、何かを学んだことにはならない。だから、せめて授業の間は、なるべく学生に考えてもらい、また、手を動かしてもらうようにしている。インプットだけでなく、何かアウトプットしてもらうことで、相手の理解も測れるからだ。 そしてもちろん、一番良いのは、質問をしてもらうことである。ただ、授業中に「何か質問ありますか?」と問いかけても、学生が手をあげてくる事は、ほとんどない。他の皆の前で、何か質問を口に出すことには、心理的な抵抗があるらしい。私たちの社会におけるコミニケーションには、「受信者責任の原則」とも言うべき暗黙のルールがあるらしく、理解できないのは、受け手の側の理解力が低い(=頭が悪い)せいだ、と判断されかねないからだろう。 仕方がないので、わたしは講義の際、毎回必ず「出席シート」の紙を配り、そこに授業で感じた質問や、コメントを書いてもらうことにしている。こうすると、無口な学生たちもそれなりに、色々と質問を書いてくれる。こうして出た質問は、次の週、授業で極力回答するようにしている。 中でも、いい質問だなぁ、と感じる問いに対しては、「今週のGood Question賞」を与えることにしている。良い質問は、教える教師にとって、何よりもうれしい報酬である。質問が出るという事は、教え方に足りない点があったことを示しているし、特に良い質問は、教師のものの見方に、新しい光を投げかけてくれるからだ。良い質問は大抵、答えるのがやや難しい質問だし、それを考えることで、むしろ教師を育ててくれるのだ。 さて、先週のプロジェクトマネジメント講義の第一回目のテーマは、「プロジェクトとは何か? マネジメントとは何か?」だった。まぁ要するに、全体へのイントロダクションである。プロジェクトの定義を説明し、それを自己流に敷衍する。さらに「マネジメント」なる言葉の意味の中核には、「人を動かす」ということがあると説明した。 さて、帰り道に出席シートを読んでいると、次のような質問に出くわした。なかなか面白い質問だと思う。読者諸賢だったら、この問いにどう答えられるだろうか? 「マネジメントの能力は、どう見極めるのが良いのでしょうか。単にプロジェクトの成功・失敗だけで評価するなら、プロジェクトの難易度に差があるので、不公平だと思いました。それとも『結果がすべて』なのでしょうか?」 とても良い視点からの質問だ。プロジェクトを扱ういろいろな企業の経営者に、そのまま問いただしてみたい気持ちにもなる。プロジェクトは一つ一つが固有の、その場限りの、時限的な取り組みだから、難易度に差があるのも当然である。この学生はちゃんと、その本質を理解している。その上で、この問いを投げかけている。 「プロマネは結果が全て」という決めつけ方に、わたしはずっと反対してきた。それは、個々のプロジェクトを取り巻く環境の違い、難易度の差をまるで無視した、ものの言い方だからだ。以前も書いたが、プロジェクト・マネジメントの能力は、いわば確率的な能力である。プロ野球の選手だって、一度限りの打席の結果だけで能力を判定したりはしない。何試合分か、ないしはシーズン全体の打率(ヒットの確率)で、能力を測るのである。 「優秀なプロマネなんかいない。運の良いプロマネがいるだけだ。」という言葉を、最近、ある大先輩から聞いた。一種の逆説であろう。優秀なプロマネさえ連れてくれば、どんなに難しい大規模プロジェクトでも、うまく収まるはずだ、といった思い込みに警告を発する言葉だ。 そもそも、プロジェクト・マネジメントの能力とは、プロマネ個人の能力だけで決まるものなのだろうか? このような思い込みは、世間でかなり根強い。 こうした信憑は、さらに3種類に区分することができるように思う。第一は、プロマネの能力は、その人の人柄や根性、あるいは頭の回転の速さで決まるという考え方である。「あの仕事がまとまったのは、プロマネの彼が根っから優秀だからだよ」と言うわけだ。つまりプロジェクト・マネジメントの能力は、プロマネの資質で決まるとの信憑である。 もしこのような考え方が正しいのだとしたら、会社がプロジェクトマネジメントの能力を向上するには、どういう対策が必要だろうか? 資質はある意味、生まれつきのものである。である以上、生まれつき優秀な人間を、プロマネの座につけるかどうかで、ビジネスの成否が決まってしまう。逆に言えば、だめなプロマネ達は、もう一度生まれ変わるしかない、ということになる。まことに身もふたもない結論だ。だが、これで能力向上の処方箋と言えるだろうか? 第二の考え方は、「プロジェクト・マネジメントの能力はプロマネの知識で決まる」というものである。こちらの方が、能力は生まれつきだと言うよりは、多少救いがある。知識ならば、本や研修から得ることができるからだ。十分な知識があるかどうかは、ペーパーテストなどの試験で検証可能だ。そして実際、PMP (Project Management Professional)の資格試験などは、こうした論理でてきあがっているように思う。そうでなければ、パソコンの端末に向かって何時間も、ひたすら4択問題を答えさせる、などという資格審査の方法を思いつくだろうか。 しかし本当に、プロジェクト・マネジメントの能力を、知識だけで判断して良いのだろうか? 知識量と記憶力では、人間はコンピュータにかなわない。だとすると、いずれプロマネの仕事は、AIが人間を駆逐することになる。そして人々は、ただコンピュータの指示に従って、仕様書を書いたり、構築結果をテストしたりするだけの身分になる。・・これで本当に、全てのプロジェクトは、成功するようになるだろうか? この考え方は、いささか疑問に思える。 となると、プロジェクトマネジメント能力は、プロマネ個人のスキルである、ということになる。資質でもなく、知識だけでもない、と。これが三番目の考え方である。スキルとは身体化された技能で、かつ、ある程度まで属人的なものだ(「あの人のスキルはすごい」というが、「あの会社は高いスキルを持っている」とは、普通言わない)。 スキルは身に付けることができる。なおかつ、スキルを身に付けるには、練習が必要である。ここが単なる知識取得と違う点だ。そのためには、実地練習の場を作る必要がある、ということになる。練習の場とは、言い換えれば、失敗しても、傷つかずにすむ場所である。そうした場を作り、提供できるかどうかが、エンジニアのPM能力の向上のカギになると言うことだ。 ところで、ここまでは、PM能力はプロマネ個人の能力だけで決まる、と言う立場の議論だった。これに対し、いや、プロジェクトのパフォーマンスは、プロマネとチーム員の能力で決まるはずだ、という見方もありうる。つまり、組織としての能力ということである。わたしは、どちらかということこの意見に組する。 ただ、この考えも、2種類に区分できよう。よくありがちな見解は、「組織の能力は、構成員の能力の足し算である」、との考えだ。これは、能力ある人間を揃えれば、自動的に組織のパフォーマンスもよくなる、という、単純な足し算の論理である。オリンピックなどで、トップチームのスタープレイヤーばかりを集めた「ドリームチーム」を作れば最高だ、という話がでるが、この延長上の発想だと思う。 では、この考え方からは、どのような能力の向上策が導かれるだろうか。各人の能力はまちまちである。となると、良いプロジェクト運営をしたければ、ベストなメンバーを選ぶしかない、ということになる。つまり社内での人の取り合いを、推奨するわけだ。でも、これでは企業全体のパフォーマンス向上にはつながるまい。 そしてドリームチームが必ずしも最高でないのと同じように、組織もまた、単なる能力の足し算では決まらない。そもそも能力といっても、いろいろ種類がある。プロマネに求められる能力と、チーフ・デザイナーに必要な能力と、品質管理責任者の能力は異なる。こうした別々の能力が、適材適所に生かされるよう構成配置し、かつ問題を速やかに検知して対処するのが、そもそもプロマネの仕事ではないか。つまりマネジメント能力とは、「能力に関する能力」、ないし「能力を活かす仕組みづくりの能力」なのである。 そうした仕組み(システム)を、組織の全員が理解・共有し、皆がその中で安心して働ける状態になっていること。だから、毎回書いていることだが、プロジェクト・マネジメントにはシステムズ・アプローチが大切なのである。そして、システムズ・アプローチから生み出されたWBSやCPM・EVMSといった技術が重要になる。 つまり、プロジェクト・マネジメント能力は、組織が共有する技術で決まる、というのがわたしの考えだ。技術は本来、蓄積・移転可能なものだ。その技術をもとに、仕組み(システム)を作る。無論、プロマネ個人のスキルも、もちろん必要である。ただ、それだけで十分条件にはならない。組織の構成員一人ひとりが、その思考と行動習慣(=組織のOS)を共有すること。これが能力向上の処方箋である。 ここに書いたようなことは、別にわたしの独創ではない。落ち着いて順序立てて考えれば、誰でも思いつくことだ。もちろん、見解の差はあるだろう。「やっぱり人間の能力は、生まれつきの差だろ」と信じるのは自由だ。だが、そこから、どういう帰結が生じるかも、考えてみてほしい。 もしも仕事のパフォーマンスを左右する能力が、リーダーやプロマネ個人に付随する能力だけで決まるのだとしたら、企業の成長力は、優秀な人間の頭数で制約されることになる。優秀な人間は限られていて、急には育たない。したがって、このような思想に立つ限り、ビジネスをスケールアウトすることはとても難しいーーこれが道理である。 わたし達の社会は、こんな個人依存の考え方を、もう20年この方、続けてきた。その間、海の外の競合相手は、仕事のシステムを作ることで、成長とスケーラビリティを実現してきたのだ。今やその差は、歴然としつつある。 わたし達に必要なのは、仕事に関する基本的な概念について、思い込みや常識をいったん置いて、ロジックを見直してみることではないだろうか。それは、上に述べたように、大学生にだって発問できるのである。知識を勉強することだけで十分ではない。良い質問を考える事こそ、はるかに価値があるのだ。 <関連エントリ>
by Tomoichi_Sato
| 2018-04-08 23:48
| プロジェクト・マネジメント
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