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書庫小説『解放者』

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1819年8月7日午後2時、ボヤカ高原において――

コロンビア・ベネズエラ独立解放連合軍最高司令官シモン・ボリーバル将軍は、ホセ・マリア・バレイロ将軍率いるスペイン帝国王党派軍の後衛部隊に対し突撃作戦を開始した。

この時、カーサ・デ・ピエドラの小高い丘から戦況を見守っていた解放軍副官フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデール将軍は、敬愛する司令官が果敢に先陣を切って敵軍の真っ只中に突入したのを見て、慌てて焦げ茶色の愛馬を走らせ、大将のもとへ急いだ。これに側近の将軍たちも続く。

「前に出すぎですぞ!お控えください!」

小石を跳ね上げ、土塊を蹴飛ばして突進してきたサンタンデールに、ボリーバルは一瞥をくれたが、

「構わん!この程度の修羅場を切り抜けずにティエラ・フィルメ(大陸)の解放などありえぬ!」

ボリーバルは白い愛馬を巧みに操りながら敵陣に斬り込み、右手にサーベルを、左手に手綱をしっかりと握り締め、駆け寄ってくる敵兵を一刀の下に斬り捨てた。

まだ若い兵士は額を押さえて戦闘不能になった。とどめを刺す必要はない。敵の出鼻を挫くことができれば、無駄に血を流すことはないのだ。無意味な殺傷はかえって友軍の評判を落とし、敵を勢い付かせるだけだった。

「これはたんなる復讐ではない。抑圧者から人民を解放し、人々に自由と栄光を分け与えるための戦いだ。諸君は、そのことを肝に銘じなければならぬ」

かねてからボリーバルが配下の将兵たちに言い聞かせていたように、この戦争は残忍な血の復讐ではなく、崇高な目的のための尊い犠牲――祖国と人民を解放し、自由と栄光を勝ち取るための流血なのであった。

この時、西軍はカーサ・デ・ピエドラ近くの小さな丘に退却し、3門の大砲を中心に、本国からの派遣部隊が円陣を形成し、両翼を騎兵部隊が固めていた。

「突き進め!突き進め!」

ボリーバルは将兵たちを叱咤激励し、

「バルセロナ大隊とブラボー・デ・パエス大隊はスペイン軍の右翼を攻撃しろ!イギリス大隊およびライフル大隊はスペイン軍左翼を攻撃せよ!」

と命じた。

解放軍は装備の面では西軍に劣っていたが、当時、スペインと敵対関係にあったイギリスやアイルランドから多数の義勇兵が参加しており、士気も高く、紅蓮の炎のような闘志がみなぎりわたっていた。

その頃、カーサ・デ・ピエドラから解放軍の前衛部隊がボヤカ橋から1.5キロ離れてテアティノス川の渡河に成功し、背後から西軍部隊を銃剣で攻撃し始めた。さらに、後衛部隊も徒歩で浅い川を渡り、友軍に加勢した。

ボヤカ高原は目にも鮮やかな山々の緑、どこまでも深い青空、白い雲、咲き乱れる花々と、まことにのどかな風景であったが、解放軍と西軍の血で血を洗うような死闘が繰り広げられ、猛獣の咆哮のような銃声と砲声、地響きのような兵士の足音、濛々たる硝煙と土煙、その下で交わされる命のやり取りと絶叫、悲鳴、怒号、流血に染まる黄色い土、累々と重なり横たわる将兵たちの死骸、それを素足で踏みつけ躓き転がる歩兵たち……まるで天国と地獄が同居したような凄惨な光景が展開されていた。

午後4時、劣勢の西軍はボヤカ橋の上に司令官のフアン・タイラ大佐を残して敗走を始め、総崩れに陥った。

ボリーバルは槍部隊に西軍中央の歩兵部隊の攻撃を命じ、騎兵部隊には敗残兵の追撃と掃討を命じた。

「おのれ、ボリーバルめ!まさか、これほどの勢いがあるとは……」

絶句して馬上に佇むバレイロ将軍は、この時、弱冠25歳の若さ。まだあどけなさの残る色白の貴公子だが、スペイン独立戦争などで戦功を上げた輝かしい経歴の持ち主だった。

バレイロは解放軍の包囲網を突破し、前衛部隊との合流を目指すが、激しい銃砲火の前に断念。駆け寄ってきた腹心の部下フランシスコ・ヒメネス将軍から、

「閣下、このままでは全滅です!ご決断を!」

と迫られ、

「くっ……や、やむを得ん!」

ついに降伏を余儀なくされたのである。

解放軍の兵士たちは血と汗と泥にまみれ、粗末な衣服にマスケット銃を携えただけの身軽な格好だったが、仇敵への怒りと憎悪で死の恐怖をすっかり忘れていた。

恐怖に駆られたスペイン兵は持ち場を離れ、指揮官の制止も耳に入らず、我先にと友軍の兵士を押しのけ押し倒し踏みつけ、混乱し狼狽し、右往左往しつつ転倒し、武器を放り捨てて逃げ出した。

「追え!一人も逃すな!ただし、できる限り生け捕りにせよ!捕虜は情報の宝、金の卵であることを忘れるな!!」

馬上から指示を下すボリーバルは、後に解放軍の兵士が語ったところによると、「この世で最も気高く、美しいもの」に見えたという。

3時間に及んだ戦闘は解放軍の圧勝に終わり、戦場のあちこちで兵士たちが天を仰いで祈り、互いに抱き合って満面を涙に濡らしながら歓呼の声を上げていた。

「勝った!我々は勝ったのだ!3世紀に及んだ抑圧から自由を勝ち取ったのだ!!」

勝利の雄叫びを上げる兵士たちを見守りながら、ボリーバルは長く苦しかったこの戦いの意義を噛み締めていた。

これは抑圧者への復讐や、祖国の解放よりも、もっと大きな意味がある。

富も権力も持たない無名の人民が、3世紀にもわたる暴虐と圧政、抑圧と搾取、差別と迫害から、自らの手で自由と栄光を勝ち取ったのである。

この事実は、抑圧の闇の中で苦しむ者たちに、永遠に希望の光を与え続けることになるだろう。

部下からの報告に指示を与えつつ、ボリーバルは若くして亡くなった妻・マリアの面影を脳裏に思い浮かべていた。

マリアはスペインで知り合い、熱愛の末に結ばれたボリーバル唯一の妻であり、彼女の死は彼に生涯独身を貫かせた。

妻の故国・スペインと戦う宿命を背負わされた我が身の皮肉を噛み締めながら、ボリーバルはマリアの淋しげな笑顔をボヤカの青い空に描いていた。

「敵将バレイロを捕縛!」

伝令が大声で伝えると、海鳴りのような勝鬨が上がり、ボリーバルは愛馬の手綱を強く握り締めた。


※画像はマルティン・トバール画「ボヤカの戦い」。パブリック・ドメインが成立しており、著作権は消滅しています(文責・土屋正裕)。

※参考文献

 『シモン・ボリーバル-ラテンアメリカ解放者の人と思想』(ホセ・ルイス・サルセド=バスタルド著、水野一訳 春秋社)
 『コロンビア内戦-ゲリラと麻薬と殺戮と』(伊高浩昭、論創社)
 『シモン・ボリーバル-ラテンアメリカ独立の父』(神代修、行路社)
 『ビオレンシアの政治社会史-若き国コロンビアの悪魔払い』(寺澤辰麿、アジア経済研究所)

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