女大関若緑
1917年(大正6) 山形県宮内町(現南陽市)
に生まれる。
1934年(昭和9) 17歳のとき家出
石山女相撲興行に入門
女大関若緑として一世を
風靡
1941年(昭和16) 24歳で引退
四国松山へ
化粧回し姿
人気絶頂の若緑はブロマイドの
売れ行きもナンバーワン
だったという。
石山女相撲
総女力士プロマイド
(矢印が若緑)
昭和11年
満州慰問興行
土俵上の勝力士が若緑
力芸一番の呼び物
「腹の上の餅つき」
「腹受け」ともいわれ、
一番下の女力士は
我慢しきれず意識を
失い息を引き取った
者もいたという。
力芸「歯力」
十六貫目の米俵を
歯でくわえて
持ち上げる。
虫歯のある人は
絶対にできない。
歯の丈夫な人でも
俵をくわえそこなうと
歯を欠く。
前歯をいうっぺんに
全部とれてしまった
者もいた。
力芸「五人持ち」
一人の力士が
五人の力士を担ぐ。
石山女相撲
戦後のビラ
明治22年に、女相撲発祥の地、山形・天童市の清池八幡神社に
石山兵四郎ら三名が奉納した絵馬。
豊かな乳房を露に描かれているが、翌明治23年に両国・回向院で
行われた興行記録には、肉襦袢・半股引き着用とある。
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by sumoujinku
| 2012-09-08 14:18
| 女大関若緑