Nobuyoshi Araki and Yayoi Kusama at the Tokyo Mus. of Contemporary
Art
by Akira Asada
草間彌生の勝利(「波」7月号)/浅田彰
なんというエネルギーだろう。東京都現代美術館で開かれた草間彌生の回顧展を見て、私はあらためて圧倒される思いだった。鮮烈な色彩に輝く水玉状の形態や男根状のオブジェが、とめどもなく増殖し、いたるところに氾濫する。そう、それは、生涯にわたって精神の病いと戦い続け、その苦しい戦いを華麗な芸術に転化しおおせたひとりの女性の、輝かしい勝利の記念碑なのだ。 一九二九年に生まれた草間彌生は、早くから旺盛な芸術活動を展開し、とくに五七年にアメリカに渡ってからは、ミニマル・アートやポップ・アートの先駆者として世界的に注目されるようになる。そこで重要なのは、個人史における心的な必然性と、美術史における形式的な必然性が、ぴたりと一致したということだろう。たとえば、幼い頃からいたるところに斑点の見える幻覚に悩まされていた彼女は、キャンヴァスの上にも執拗に斑点を並べていく。まさしく強迫神経症的な斑点の増殖。だが、それがある閾値を超えるとき、図と地、ポジとネガのめくるめく反転が生じ、観る者を窒息させる斑点の群れに代わって、それらの間の網目状の余白のほうが、前面に浮き出してくるだろう。そのとき、神経症的な自己は、「無限の網(ルビ:イン
フィニティ・ネット)」のコズミックな広がりのなかへと消失してゆくのだ。あるいは、男根的なものに脅かされてきた彼女は、そういう男根的なオブジェで、机を、椅子を、いたるところを覆い尽くしていく。だが、ここでもまた、ある閾値を超えるとき、それらはおぞましいというよりむしろ滑稽なものとなり、ユーモラスな不能性を露呈してしまうだろう。増殖による去勢? いや、単一のシンボリックなファルスによる抑圧やそれへの反抗という図式を逃れ、無数のイマジナリーなペニスと戯れてみせる彼女の戦略は、去勢そのものの去勢と呼んだほうがよい。このように、増殖を通じた消失(ルビ:オブリテレーション)や去勢の去勢という草間彌生の逆説的戦略は、彼女にとって心的な必然性をもっていたと思われる。それがたまたま、一様な色面にまで行き着いた後でその混沌から抜け出そうとしていた美術史の動きと一致したのだ。こうして、単純な形態の増殖によって構成される彼女の作品は、最小限の要素の反復によって新しい形態的秩序を作り出そうとするミニマル・アートの先駆けとなり、いたるところにカラフルな水玉を貼り付けて自己と世界の消滅に向かう彼女の過激なパフォーマンスは、美術界の枠を超えて派手な表現を展開しようとするポップ・アートの先駆けとなって、世界的に注目されるようになったのである。 死に至る反復強迫を逆手にとって芸術へと転化し、それによって自己治癒を図る。しかし、その過程は一度かぎりの勝利をもって終わるはずもなく、草間彌生はたえず振り出しに戻って苦しい戦いを繰り返さなければならなかった。とくに、七三年に日本に帰って、七五年に入院する(さらに七七年に再入院して現在に至る)、その前後の時期は、彼女にとって大きな危機だったのではないか。「ねぐらに帰る魂」(七五年)や「君は死して今」(同)といった小さなコラージュは、その弱々しくもナイーヴな表現でむしろ観る者の胸を衝き、作者がもう生きる力を失ったのではないかという予感すら抱かせる。それだけに、その直後に起こる圧倒的な爆発は、観る者を驚嘆させずにおかない。鮮烈な色彩の形態が、はたまた銀色のオブジェが、ときには十メートルにも及ぼうかというスケールで氾濫し、絢爛豪華な生の饗宴を繰り広げる。そう、ぎりぎりまで死に接近した彼女は、この芸術によってはじめて生き延びることができたのだ。そして、彼女はなんと見事に生き延びてみせたことだろう! それはもはや芸術による自己治癒といったレヴェルをはるかに超えたものだ。草間彌生はたしかに芸術によって自らの病いをなおしてゆくのだとも語っている。だが、支離滅裂な全体のなかに閃光のようなパッセージをちりばめた処女小説『マンハッタン自殺未遂常習犯』(七八年)では、さらに、「病いは死よりも強いというのが、結論であった」という恐るべき洞察が語られている。そして、作者は、「自殺未遂を何回もして、病いをおどろかしてやりたいの」と、いたずらっぽく付け加えるのだ。病いと同一化し(晩年のラカンが、症候を解消するのではなく、症候と同一化することを最終目標として、それをという古語で表現したことが思い出される)、病いを芸術に転化することで、死に打ち克つ。先に述べたとおり、それは一度かぎりの勝利をもって終わるような過程ではない。だが、草間彌生は半世紀を超えるその戦いに見事に勝ち抜いてきた。天井と床の合わせ鏡の間に梯子をかけて無限過程を現出する「我ひとり逝く」(九四年)のような近年の作品になると、もはや死すら恐れぬ境地に到達しつつあるかのようだ。その意味において、繰り返そう、この回顧展は草間彌生という芸術家――病者ではない、紛れもない大芸術家の
、輝かしい勝利の記念碑なのである。 ちなみに、東京都現代美術館では、草間彌生の回顧展と並んで、荒木経惟の写真展が開かれている。コラボレーションや対談も行なっているとはいえ、実のところこの二人ほど対極的な存在はない。ひとことで言えば「本もの」と「偽もの」、あるいはニーチェの言葉で言えば「強者」と「弱者」というところだろうか。実際、「センチメンタルな写真、人生」と題する荒木経惟展に見られるのは、まさしくセンチメンタルな私小説の写真版でしかない。妻との新婚旅行。その妻との死別。妻の死後、空っぽのヴェランダから空を撮り続ける写真家。そしていま、そのヴェランダにはカラフルな花々が溢れ、写真家の分身であるらしい爬虫類のフィギュアが這い回っている。死を超えた生の横溢? いや、そこにあるのは、そういうセンチメンタルな物語にすがることでしか生きられないひ弱な「私」、しかも、そのような自分を売り物にして弱者の群れの歓心を買おうと計算するさもしい「私」でしかないのだ。もちろん、「弱者」は実際にはつねに多数派であり、その意味ではむしろ強者といってよい。現に、一昔前なら私小説に夢中になったであろうひ弱な「文学青年」たちが、「写真評論家」や「美術評論家」を自称し、寄ってたかって荒木経惟の「私写真」を「芸術」に祭り上げてしまったのであり、その展覧会は、草間彌生展を上回る数の大衆を惹きつけているのである。何よりも問題なのは、どうやら写真家自身が自分でも「芸術家」のつもりになっているらしいことだ。百歩譲って言えば、『写真時代』(白夜書房)などの「エロ雑誌」で猥褻表現の限界をめぐって警察とゲリラ戦を展開し、「恥部屋」と称する狭い空間の壁から天井からすべてを女性器の写真で埋め尽くしていた頃の荒木経惟の写真は、いわば徹底して薄汚れてあることによって、逆に一種のマイノリティとしての気概を感じさせた。いま残されているのは、希薄化されたその形骸でしかない。写真そのものはもとより、プリントやディスプレイからしてすでに、徹底してチープでもなければ、徹底してゴージャスでもない、つまりは、いかにも中途半端なのだ。それにしても、こういうウェットな感傷にまみれた薄汚い写真が日本の現代芸術の代表とみなされ、公立の美術館で大規模な展覧会が開催されるというのは、なんという倒錯だろう。 だが、荒木経惟展が草間彌生展と同時に開かれたことは、草間彌生がいかに偉大な芸術家であるか――紛れもない「本もの」であり「強者」であるかを一見して悟らせるという意味で、逆説的な有効性をもっていたとも言えるだろう。実際、草間彌生ほど「センチメンタルな人生」から遠い存在はない。センチメントは、それを感じる自己を前提とする。ところが、草間彌生の場合、自己は、そこで病いと死の闘争が展開される非人称的な場と化しているのだ。そこに「人生」はない。ただ、死とのぎりぎりの闘争において見出された生だけがある。その凄絶にして絢爛たる闘争の記録は、胸を衝く切実さをもちながら、しかも、それをはるかに超えた強度によって、作者の病歴をまったく知らない者をも圧倒するだろう。その作品のひとつひとつは、ウェットな感傷からかぎりなく遠いところで傲然と屹立し、ただ作品それ自体として観る者の感覚を震撼するだろう。だからこそ、それは芸術と呼ばれるにふさわしいのだ。草間彌生は、その芸術によって死の誘惑を超え、潔い孤独のうちに生きる。満身創痍でしかもひとり歩み続けるその後ろ姿に、私は心からの敬意を捧げる。