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2018-04-07

糸井重里が毎日書くエッセイのようなもの今日のダーリン

・ともだちのひとりが、アカウントの乗っ取りにあって、
 じぶんのカードから買い物をされてしまった。
 通販の商品だから、犯人の受け取れるところに届く。
 あまりにも公然の犯罪だから簡単に捕まるかと思えば、
 なかなかそうもいかないらしい。
 見す見す泣き寝入りすることになるのはしゃくにさわる。
 かといって、損害の分を上回るようなコストを払って、
 犯人に罰を与えるまでがんばるのも大変な苦労だ。

 ぼくが同じような目にあったら、どうするだろうか。
 なってみないとわからないとも言えるけれど、
 悔しい気持ちを抱えながら、まずは考えるだろうな。

 まず思うのは、犯人は、その犯行の内容からして、
 悪いことをしているとわかってやっているはずだ。
 悪いことをしているという思いは、
 どれだけ不敵な人間だとしても、こころに刻まれる。
 そして、得たものは何万円かの商品である。
 どれだけその商品が欲しかったのかは知らないが、
 悪いことをして得たその商品は、
 どれほどの幸せをその犯人にもたらすのだろうか。
 内心、びくびくしているのだろうか、それとも、
 他の人たちのなかなかしない「盗む」という悪いことを、
 じぶんはしているということで、
 なにか誇りや自慢のような気持ちもあるのだろうか。
 どちらにせよ(何万円でなくて何百万円だとしても)
 そんな規模の「盗み」を働くような人が、
 幸せであるとは言い難いだろう。
 盗まれた側が、いま現在、
 お金でたいへんな苦労している人だったら、
 これは幸せの大きな妨げになっただろう。
 しかし、じぶんは当面大丈夫、なのだとしたら、
 十分に幸せと言えるのではないだろうか、と。
 そんなことを考えるのだろうなぁと思った。

 そうか、悪いことは、しているほうが不幸なのだと、
 祖母が言っていたような記憶がある。
 たしかに、じぶんの行く道を、どんどん汚して
 生きることを困難にしているんだものなぁ。
 犯人のために祈ることもしないけれど、切ないなぁ。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
京都に、ちょっとだけ行ってきます。散歩もしてきます。


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